第二十八話 自業自得と言います
帝国の農場で生産された激安野菜『太陽トマト』が市場に投入されてから一週間。
その衝撃は聖樹の森を襲い、数千年間続いたエルフの経済基盤を根底から揺るがしていた。
エルフの都、中央市場。
かつては各国の富裕層や仲買人で賑わい、黄金を生み出していた場所が、今は墓場のような静寂に沈んでいる。
「どういうことだ……」
一人のエルフ農夫が、目の前に積み上がった野菜の山を前に呆然と立ち尽くしている。
手塩をかけて育てた最高級の『聖樹トマト』。皮は張り詰め、内包する魔力が微かな光を放ち、芸術品のように美しい。
だが、買い手がいない。朝から誰一人として、屋台の前で足を止めない。
「なぜだ……なぜ、人間の商人が来ない……」
隣の屋台の商人が頭を抱え、呻く。
「取引が停止したのだ……。人間の商会が一斉に契約を破棄してきた。『帝国のトマトがあれば、お宅の高い野菜はもう不要だ』とな」
「……馬鹿な! あんな泥と薬品で作った不浄な野菜と、我々の神聖な野菜を同列に扱うなど!」
「だが、価格が百倍も違う。それに認めたくはないが、味も悪くないという噂だ……」
市場に甘い匂いが漂い始めると同時に、鼻を刺す異臭も混ざる。
売れ残った野菜が強い日差しに晒され、熟れすぎて自重で潰れ始めているのだ。
エルフたちが誇りとしてきた『自然の恵み』は、誰の胃袋にも届かないまま、ただの有機廃棄物へと変わっていく。
その腐臭は、エルフという種族のプライドが壊死していく匂いそのものだった。
◇
緑の宮殿、玉座の間。
女王ロゼアは美しい顔を憎悪で歪め、広間を落ち着きなく歩き回っていた。
「経済封鎖とは……。たかが人間風情が、我々を兵糧攻めにするつもりか……!」
足元には、国民からの悲鳴のような陳情書が散乱している。
『野菜が売れない』
『人間の商人から布や鉄器が買えない』
『このままでは冬を越せない』
エルフは野菜だけでは生きていけない。衣服や道具、調味料など、生活必需品の多くを人間との交易に依存している。唯一の外貨獲得手段である野菜が売れなければ、生活は破綻してしまう。
「陛下! ここは一つ我々も価格の見直しを……」
「ならん!」
側近の進言を、ロゼアは金切り声で遮った。
「値下げなどすれば、ブランドが死ぬ! 『エルフの野菜は高いからこそ価値がある』のだ! 安売りすれば、我々はただの農夫に成り下がるだけだ!」
彼女はプライドを捨てられなかった。
数千年の間、『人間より上位の存在』として君臨してきた自尊心が、現実を直視することを拒絶していたのだ。
追い詰められた思考は、やがて短絡的で暴力的な結論へと跳躍する。
「……そうだ。排除すればいいのだ」
ロゼアの瞳に狂気じみた暗い光が宿る。
「我々には偉大なる精霊魔法がある。競合相手がいなくなれば、人間は再び我々の野菜に縋り付くしかない」
「へ、陛下、まさか……」
「風の精霊よ! 東の荒野より『飢餓の群れ』を運べ! 帝国の農場を食い尽くすのだ!」
それは自然と共に生きるエルフにとって、最大の禁じ手。
イナゴの大群を人為的に誘導し、他者の畑を襲わせる。自らの繁栄のために『自然の災厄』を武器にするその行為は、もはや精霊の使徒ではなく、呪術師の所業だ。
◇
その夜、月が雲に隠れ、帝国の農場は漆黒の闇に包まれていた。
静寂を破ったのは、数百万、数千万の羽ばたきが重なり合い、大気を震わせる音だった。
「……来たか」
農場を見下ろす管理棟のテラスで、ルーカスが夜空を睨みつける。
闇の向こうから、黒い雲のような塊が月明かりを遮りながら接近してくる。
女王の魔力で召喚された、イナゴの大群だ。
「陛下、アレクセイの『カカシ』では、さすがにこの数の虫までは防げません」
隣に立つアイリスが、冷静に戦況を分析する。
「やはり、プライドの高い彼らが追い詰められれば、最後はなりふり構わず『力』に訴える。……想定通りの愚行ですわ」
「迎撃するか? 私の剣技と魔導師団の火炎魔法なら焼き払える」
ルーカスが剣の柄に手をかける。
だが、アイリスは静かに首を振った。
「いいえ、剣も魔法も使いません。『科学』で対処しますわ」
アイリスは手元の通信機に向かって命じる。
「防除システムを起動しなさい。ドワーフ製『ミストタワー』を全機展開」
指令と同時に、畑の四隅に設置していた無骨な鉄塔が変形し、夜空へ向けて無数のノズルから微細な霧を噴き出した。
それは魔法の障壁でも毒ガスでもない。
特定の昆虫の神経系に作用する『高濃度忌避フェロモン』。
アイリスが調合させた化学の盾。
イナゴの群れが霧の壁に触れると、群れの動きが乱れていった。
次々と方向感覚を失い、墜落していく。
後続は本能レベルでその空域を『死の領域』と認識し、パニックを起こし、旋回を始めた。
「な、なにが起きた!? 結界魔法か!?」
遠隔視で戦況を見ていたエルフの魔導師たちが、驚愕に声を震わせる。
「いいえ、ただの『信号』ですわ」
モニターを見つめながら、アイリスは薄く笑った。
「虫たちが仲間へ警告として発する『危険信号』を化学合成し、数千倍に濃縮して散布しました。……殺しはしません。ただ、『ここは食事をする場所ではない』と教えてあげただけですわ」
行き場を失ったイナゴの大群は帝国の畑上空で渦を巻き、やがて新たな餌場を求めて方向転換した。
そして風向きが変わる。
皮肉なことに、その進路の先には――唯一の豊かな緑、『聖樹の森』があった。
「ああっ!? イナゴが戻ってくる!」
「風が逆流している! 自分たちの畑に向かってくるぞ!」
森から絶望の悲鳴が上がる。
帝国の畑には化学的な結界がある。周囲は不毛の荒野。
ならば飢えた数千万のイナゴが向かう先は、防御手段を持たない豊潤なエルフの畑しかない。
「……これを『自業自得』と言います」
アイリスは静かに告げ、窓のカーテンを閉ざした。
◇
翌朝、聖樹の森の畑は、緑の葉一枚残らず食い荒らされ、茶色い荒野へと変わり果てていた。
残されたのは食料庫にあるわずかな在庫のみ。
エルフたちが誇りとしていた『生産能力』すら、自らが放った災厄によって、失ってしまった。




