第二十四話 帝国は魔法理論を無料で公開しますわ
ソフィア魔導研究所、第3実験棟。
白一色の部屋で、アレクセイは拘束台に張り付けられていた。
「被検体404号。第12次魔力耐久テストを開始する」
研究員が事務的に告げると、マジックミラーの向こうから容赦ない閃光が放たれる。
『サンダーボルト』。
紫電がアレクセイの肉体を駆け巡り、神経を焼き、筋肉を痙攣させる。
「あ、がぁぁぁぁぁッ……!」
アレクセイの絶叫が響き渡る。
痛みは本物だ。皮膚が裂け、煙が上がる。
だが、気絶することさえ許されなかった。ヴォルカニア工業地帯で極限まで酷使された肉体は、生存本能のみで心臓を動かし続けていた。
「出力安定。生体反応、維持。……素晴らしい耐久力だ」
研究主任が、うっとりとした目でモニターを見つめる。
「魔力を持たない人間が、なぜここまで魔法干渉に耐えうるのか? 彼の細胞を採取し、培養すれば、最強の『対魔術兵器』が作れるかもしれん」
「主任、次は冷却実験を?」
「ああ、限界まで追い込め。壊れたら治癒魔法をかければいい」
彼らにとって、アレクセイは人間ではない。
知的好奇心を満たすための消耗品だ。
アレクセイは薄れゆく意識の中で、天井の白い光を見つめた。
(……ボス……助けて……)
かつて王太子だった頃のプライドなど、とうにない。
あるのは、ただ生きて帰りたいという切実な願いと、自分をこのような場所に追い込んだ運命への絶望だけだった。
◇
同時刻、地下牢。
石壁にペン先が硬質な音を刻む。
アイリスは最後の一行を書き終え、ふっと息を吐いた。
「……できましたわ」
石壁一面を埋め尽くす数式と図形。
それはソフィアが『魔法』と呼び、神秘化し、独占してきた骨組み、その正体だ。
壁を見上げたルーカスが低く唸る。
「……これは魔法陣か」
「ええ、正確には『命令式』ですわ。中身は入力と出力の規則で構成されています。祈りも詠唱も装飾に過ぎません」
隅で身じろぐ音がした。
ゴルドがようやく目を覚まし、青ざめた顔で壁を見上げる。
「こ、これは……魔法を数式に置き換えたのですか……?」
「あら、ゴルドもお分かりになるのね。魔法の詠唱を祈りから引き剥がして、計算式に戻しただけですわ。これが『魔法の否定』です」
ルーカスは壁の『ファイアボール』の解析図に視線を落とし、眉を寄せた。
「つまり奴らが『権利』だと騒いでいるのは……」
「自然現象ですわ。酸素濃度の操作と、熱の誘発。勝手に『真理』と名札を付けて、使用料を取っているだけ」
「虫唾が走るな……」
ルーカスの声が冷える。
しかしすぐに、皇帝の顔に現実的な疑問が浮かぶ。
「それで、アイリス。理屈は分かった。だがここは牢だ。どうやってこれを外に叩きつけるのだ?」
「何も外に出る必要はありませんわ。むしろ、ここが好都合なのです」
アイリスは床に刻まれた陣に指先を置いた。
囚人から魔力を吸い上げる魔法陣の回路。石床が、薄く脈を打つ。
「ソフィアは都市全体が巨大な魔力網で繋がっています。この牢の回路は、その末端。都市の中枢へ通じる細い管です」
「その管を逆流させる気か?」
「ええ、都市中の『放送魔道具』へ、こちらから流し込みます」
「ま、まさか都市中にハッキングを仕掛けるのですか!?」
「ええ、『緊急速報』の枠を使いますわ。彼らが用意した仕組みを、彼らの規則で利用するだけ」
「剣より、よほど容赦がないな」
「さあ、講義の時間ですわ。ソフィアの『真理』を受講者全員に配布します」
◇
ソフィアの街角。
大広場の巨大モニター、研究室のスピーカー、学生たちの持つ携帯魔導通信機。
そのすべてが突如としてノイズに包まれ、次の瞬間、映像が切り替わった。
映し出されたのは、薄暗い地下牢に佇む、凛としたアイリスの姿。
『――ごきげんよう、ソフィアの市民、並びに真理を愛する全ての学生と研究者の皆様』
都市中が足を止め、ざわめきに包まれる。
最高評議会の検閲が入らない放送など、前代未聞だった。
『私は帝国より参りました、アイリス・ランカスター。本日は貴方たちが神秘と崇め、高い金を払って学んでいる魔法の……その不都合な真実を公開いたします』
真理の塔の最上階で、議長メルキオールが飛び起きた。
「な、なんだ、これは!? 放送を止めろ! どこから流しているのだ!?」
「ち、地下牢からです! 回線が乗っ取られています!」
画面の中のアイリスは冷徹に告げる。
『貴方たちが使っている魔法は、何も特権階級にしか扱えない奇跡ではありません。それは、ただの『技術』です』
画面に壁の数式がアップで映し出される。
『これは上級魔法とされている爆裂魔法の簡略化コードです。従来の詠唱は不要。この数式を魔石に刻むだけで魔力のない子供でも発動可能となります』
街中の学生たちが慌ててメモを取り、手元の魔道具で試し始める。
そして、ボン! ドン! あちこちで爆発音が響く。
成功してしまったのだ。何年も修行しなければ使えないはずの魔法が、アイリスの数式通りになぞるだけで、あっさりと発動していた。
「う、嘘だろ……? こんな簡単に発動できるなんて……」
「お、俺たちが払ってきた高い授業料はなんだったんだ……?」
「教授たちは、『選ばれた者しか使えない』って、言ってたぞ!?」
驚きは、やがて怒りへと変わる。
彼らは気づいてしまった。自分たちは才能がないのではなく、教えられていなかっただけだということに。知識を小出しにされ、搾取されていた事実に。
『これが真実です。最高評議会は知識をブラックボックス化し、貴方たちから金と時間を奪い続けてきました。……さあ、どうしますか? これからも『神秘』という名の嘘に金を払い続けますか?』
アイリスの煽動は続く。
『帝国は、この『解析済み魔法理論』をすべて無料で公開します。特許料はゼロ。誰でも自由に研究し、改良して構いません。知識は万人のものですから』
その言葉が決定打となった。
「ふざけるな! 金返せ!」
「メルキオール出てこい!」
「特許庁を焼き払え!」
暴動が発生した。
学生、若手研究員、そして高いライセンス料に苦しんでいた中小の工房主たちが、一斉に蜂起したのだ。
彼らは、アイリス式魔法(簡易版)を携え、真理の塔へと押し寄せていく。
「ぎ、議長! 大変です! 暴徒が正門を突破しました!」
「防衛システムが作動しません! 彼らが使っている魔法が我々のデータベースにない『新規格』のため、結界をすり抜けてきます!」
メルキオールは顔面蒼白になっていた。
自分の足元の『権威』が崩れ落ちていく。
たった一人の女が流した情報によって、数百年守ってきた秩序が崩壊していく。
「お、おのれ……アイリス! 貴様、ただで済むと思うな……!」
メルキオールは杖を握りしめた。
こうなれば力尽くで黙らせるしかない。
メルキオールは全魔力を解放し、地下牢へと転移した。
◇
地下牢の扉が凄まじい衝撃波と共に消し飛ぶ。
土煙の中に鬼の形相をしたメルキオールが立っていた。
「よくも……よくも、私の都市を!」
メルキオールの背後には、数十の攻撃魔法が浮遊している。もはや法の番人ではなく、なりふり構わぬ殺戮者と化した。
だが、アイリスは優雅に埃を払い、微笑んだ。
「あら、議長閣下。自らお出迎えとは恐縮ですわ」
「黙れ! 貴様ごとき小娘、この場で消し炭にしてくれる!」
「お待ちなさい。私を殺せば貴方は終わりですわよ?」
アイリスは懐から一枚の水晶板を取り出す。
そこには実験室で拷問を受けるアレクセイの姿が、リアルタイムで映し出されていた。
「この映像は今、都市中のモニターで生中継されていますの」
「な、なんだと……!?」
「『無抵抗の人間に対する非人道的な人体実験』。これを見た市民たちが、貴方をどう思うのでしょうね?」
「ふん、滑稽だな、メルキオール」
ルーカスが鼻で笑い、メルキオールが凍りつく。
外からは、「人殺し!」「議長を辞めろ!」という叫び声が聞こえてくる。
メルキオールは完全に詰んでいた。殺せば悪人として断罪され、生かしておけば権威が失墜する。
「では、取引をしましょう、議長」
「取引だと……?」
「ええ、アレクセイを解放し、私たちを無罪放免にしなさい。そして、今後一切の特許料請求を放棄すると宣言するのです。そうすれば、暴徒たちを私が説得して差し上げますわ」
究極の二択。プライドか、破滅か。
メルキオールは、ギリギリと歯ぎしりをした末に、杖を下ろした。
「……わ、分かった。貴様の勝ちだ……」
賢者の都が、一人の女に膝を屈した瞬間だった。




