世界の敵になったとしても
あれは遠い昔。
未だ何も知らず、幸せだった頃の話。
僕らは、小さな街に暮らしていた。
僕、オクレールと幼馴染の女の子、ニーチェ。
僕らは同じ年で、母親同士が仲のいい幼馴染だったから、自然と僕らも幼馴染として育った。
小さい頃からいつも傍にあって、実の兄弟よりも長い時間を一緒に過ごした。
一緒に勉強して、一緒に遊んで、どこにいくのも一緒だった。
それが変わったのは僕が8歳の時。
僕に魔法の才があることが発覚し、王都の魔法学校に行くことになったのだ。
僕は当然嫌がった。
故郷から離れて、誰も知らない王都に行くのが嫌だった。
何より、ニーチェの側に居られないのが、何よりも嫌だった。
僕は何日も泣いて、部屋に閉じこもった。
「オクレール、未だ泣いてるの?」
「ニーチェ。」
そんな僕を訪ねて来たのは、ニーチェだった。
勝手知ったる僕の部屋に入って、僕の横に座った。
僕は情けない涙を見せたくなくて、腕に顔を埋めた。
「すごいじゃない、魔法使い。私も空を飛んでみたいな〜。かっこいいじゃない。なんで嫌なの?」
「ニーチェは良いのかよ、僕がいなくて。」
「一生会えなくなるわけじゃないでしょ。数年だけじゃない。ねえ、空飛べるようになったら、私も飛ばしてよ。約束!だからさ、頑張れオクレール!」
約束の証、小指を差し出してくるニーチェ。
よく見ると、ニーチェの頬にも泣いた跡がある。
目もいつもより赤い。
ニーチェも泣いてくれたんだ。
ニーチェが背中を押してくれる。
それなら、頑張れる気がする。
ニーチェの小指に、自分の小指を絡めた。
「わかった。すごい魔法使いになって、空を飛ばせてあげる。約束!」
僕は涙を拭って、ニーチェに宣言した。
お別れの日、やっぱり僕とニーチェは揃って泣いてしまったけど、再会を約束して別れた。
王都の魔法学校に通って、僕は何度も心が折れかけた。
平民を蔑む貴族、傍観する教師、少ない魔力、追いつけない勉強。
魔法学校は、劣等生でも優等生でも、妬まれ貶められる貴族社会の縮図だった。
僕は学年でただ一人の平民として、嫌な意味で注目を浴びた。
けれど僕は、一度も泣かなかった。
あんな奴らに涙を見せたくなかったのもそうだけど、弱い自分になりたくなかったから。
ニーチェと、すごい魔法使いになると約束した。
その決意が揺らぐようなことはしたくない。
僕はなれない勉強に必死に食らいついた。
ご飯が食べられない時もあった。
わざと怪我をさせられた時もあった。
勉強を邪魔されることもあった。
けれど僕は全て跳ね除けて、卒業する時には、魔法学校の主席を取ることができた。
誰にも祝ってもらえないけど、ただ約束のために、ひたすら自分を追い込んだ。
ある貴族に「どうしてそこまでするのか?」と聞かれた。
僕はもちろん「幼馴染との約束だから」と答えた。
その貴族は複雑そうに黙り込んだまま、静かに去っていった。
どうしてそんなことを聞かれたのかわからないが、僕はずっとそれを目標にしてきたのだ。
魔法学校で主席を取った時、王宮の魔法師団から内定をもらうことができた。
生まれ故郷に戻ることもできたけど、魔法師団の団長から是非にと声がかかった。
魔法学校で転移の魔法を覚えたこともあって、故郷にはいつでも帰れると思って、魔法師団に入団することに決めた。
魔法学校時代はニーチェと手紙のやり取りをしていたが、魔法師団に入ってからは、忙しくて手紙を送れていなかった。
ようやく魔法師団の生活が慣れた頃、休日を利用して、10年ぶりに故郷に帰ることになった。
故郷に帰って、家族に会って、それからニーチェに会いに行こう。
約束を叶えに来たって言おう。
心臓がドキドキを大きく音を立てる。
自分が酷く緊張していることがわかった。
呼吸を整えて、家の玄関を開けた。
「ただいま!父さん、母さん、兄さん、帰ってきたよ!」
興奮で声が大きくなってしまった。
少し恥ずかしく思いながら、誤魔化すように笑みを浮かべた。
「オクレール?」
「オクレール?オクレールなの?」
「オクレールが帰ったって?」
家族が玄関まで駆け寄ってきた。
「大きくなって!」
「立派になったじゃないか!」
「身長は俺の方がでかいけどな!」
口々に話しつつ、頭を顔を撫でられる。
ひさしぶりの家族だったが、何も変わっていなかった。
確かに身長や顔は歳をとって変わっていたけど、その暖かさは、何一つ変わっておらず、酷く安心した。
居間に落ち着いて、一通り近況を報告したあと、ニーチェに会いに行こうと立ち上がった。
「もう戻るのか?」
「ううん、ニーチェに会いに行こうと思って。」
「あ……。」
ニーチェの名前を出した途端、家族の空気が変わった。
お互いを困惑顔で見つめ始めた。
「あーその、だな。ニーチェは居ないんだ。この街には、もう。」
「え!?もしかして引っ越したのか!?言ってくれれば良いのに…どこに引っ越したんだ?」
「……違う。王都の神殿に連れて行かれた。2年前の事だ。ニーチェが聖女だと判明して、連れて行かれた。」
「ニーチェの家族は、それを抗議しようと王都に行って、遺体だけが帰ってきたの…うう…。」
母がそう言いながら、泣き崩れた。
父も兄も視線を合わせてくれない。
嘘でも、冗談でもなく、本当のことなのだろう。
でも、上手く理解ができない。
ニーチェがいない?
おばさんたちが、死んだ?
なんの冗談だよ。
こんなのって、ないだろう。
約束したじゃあいか、ニーチェ……。
僕は実家の自分の部屋で、呆然と座り込んでいた。
兄か父が連れて来てくれたのだろう。
どれくらいそうしていたのだろうか?
窓の外はすでに夕暮れだった。
ああ、そうだ。
王都なら、団長なら、貴族の同僚なら何か知っているかも。
確かめよう。
自分の部屋をでて、居間に戻る。
「僕、王都に戻るよ。それから、もし僕のことを聞きに来る人がいたら、捨てたって言って。」
「待て、何をする気だ?」
「それじゃ。」
「オクレール!?」
母の悲鳴を最後に、王都の自室に戻った。
まずは食堂に行って、同僚に聞こう。
感情は揺らさず、淡々と、なんでもないことのように聞くんだ。
僕とニーチェが知り合いだとバレないように。
僕は自分に言い聞かせて、寮の食堂に降りて行った。
持った通り、おしゃべり好きな同僚が数人で食事をしていた。
僕もカウンターで食事を貰うと、彼らの隣に座った。
「お、オクレールじゃないか。帰ってたのか?」
「さっきな。知り合いに会いに行こうとしたら、引っ越しててさ、だから早く帰ってきた。」
「帰って来たって…一日で長距離転移ができるのは、平だとお前くらいだろうな。」
「ありがとう。」
「褒めてねえよ、呆れてんだよ。」
「どこまで行ってたんだ?」
「王都からだいぶ東にあるアイル街。」
「アイル?どっかで…そう言えば、新しい聖女が見つかったとこだな。」
同僚の一人が、町の名前で引っかかってくれたみたいだ。
こちらから聖女の話題を出すより、自然に聞ける。
「聖女?って何だ?」
同僚たちは、一斉に不思議そうな顔をした。
聖女を知っているのは常識だっただろうか?
「ああ、お前って平民出身だったか。仕事を見ていると、全然そんな気しないよなあ。」
「ああ、そう言えば。」
「おいおい。で、聖女って?」
「貴族の間では常識なんだけど、神殿が平民の中から適正者を選んで、聖女に世界の瘴気を鎮めてもらうって言う話。」
「まあ、実質生贄だよな。全員5年と経たずに死んでるんだから。平民のお前からすると、気分悪い話だと思うけどな。」
あまり公にしたくないのか、声を潜めて生贄の話をする同僚。
「彼女たちには申し訳ないけど、そのおかげで世界が存続できるんだ。感謝しないとな。」
「だな。」
僕は周りに話を合わせながら、内心の考えが悟られないように食事を終えた。
僕は一人、同僚の話について考えていた。
何故平民ばかりが選ばれる?
不公平じゃないか。
もし貴族も対象だったら、彼女が死ぬ必要がなかったかもしれない。
生贄…なんだよ、それ。
ニーチェが、死ぬ?
ふざけるな!
そんなこと、世界が許そうと、俺は許さない。
僕が魔法使いになったのも、今の僕があるのもニーチェがいたからだ。
自分の人生からニーチェがいなくなるなんて、考えたこともなかった。
それだけ当たり前で、大事だった。
ああ、そうだ。
僕はニーチェが大事なんだ。
何よりも、ニーチェだけが、唯一なんだ。
失って初めて、自分の気持ちに気がついた。
もっと早くに気がついていたら、と後悔が押し寄せる。
ニーチェを助ける。
今の僕には、それしかなかった。
ニーチェが助けを求めてくれたら、手を伸ばしてくれたら、その手を取って離さない。
いや、ニーチェが望まなくても、僕はニーチェを助ける。
その結果、世界を敵に回そうとも、構わない。
僕は、僕の自己満足のために、世界を敵に回ることを決めた。