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インターナショナル・セレスティアル・アカデミー  作者: 鹿ノ内


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3.番号52 Shared Settings: OFF

 


 瓦礫の隙間から朝陽が差す。

 ノアははっと目を開けた。喉はからから、胃がひゅうひゅう鳴っている。



「……やば」

 頭の奥がぼんやりして、立ち上がるのにも時間がかかった。


 孤児院の点呼はもう始まっている頃だ。

 ポータをビルの見つからないように瓦礫の下に隠す。マルファを討伐した際にドロップした黒コアは小さな復路に入れて小脇に抱え、よろける足取りで帰路につく。


 門をくぐる前に、区の監視員に腕を掴まれた。


「どこほっつき歩いてたんだ」

 酒臭い息。低い声。待ち伏せされていたようだ。

 じろじろとノアのことを咎めるように見ていた監視員の視線が、ノアのふくらんだポケットを射抜く。


「持っているものを出せ」


 ノアはとっさに手で押さえるが、力づくで奪われるのに対して時間はかからなかった。

 袋から何個かの小さな黒い石が監視員の掌に転がり出されたその瞬間、ノアの胸の奥で何かが音を立てた。


「危険物の持ち込みは禁止だ。これは没収する」


 そう言って監視員はポケットに袋ごとノアの狩ったマルファビーストの黒コアを滑り込ませた。

 上に報告することはない。それは手慣れた手つき。

 軽く咳払いしてそのまま去ろうとする監視員の背。


 ノアは立ち尽くした。

 胃の奥が焼ける。

 頭が真っ白になり、手が震えた。


 ――それは、私のものだ。

 命がけで手に入れた、唯一のもの。


 全身の血が一瞬で沸き上がった。

 栄養の足りない体はフラフラなのに、

 目だけが異様に冴えている。


「……返して」


 背中にかけた声は小さかった。

 でも、その小さな声は、

 ノアにとって初めてとも言える明確な敵意と決意だった。


「返してよ!」と掴みかかった瞬間、腕を振るわれ、弾き飛ばされる。痛みが耳の奥で響いている。


「チッ!クズ拾いが」


 扉に頭をぶつけ、視界がぐるりと回った。

 血の味が口の中に残り、世界が赤く滲んだ。


 ノアは息を吸い、ゆっくりと吐いた。身体の震えをこらえながら、目に浮かんださっきの光景を繰り返す。


 これは形式的な押収じゃない。常習的な懐入れだった。金目のものを持っている孤児からそれを奪う、力無いものは搾取される。自然の摂理。


 でも、今は、今はそうじゃない。

 取り返せるなら取り返せばいい――ただ、それだけ。



 *



 計画は単純だがリスクは高い。

 ――昼、監視員が午前の巡回を終えて昼食に出る直前。

 彼は必ず事務所の引き出しに荷物を入れ、その鍵は一応かけるが、すぐ真横のデスク脇フックに掛けたままにする。

 鍵は分厚い皮のキーホルダーにぶら下がっていた。


 ノアはそれを昨日のうちに確かめている。観察の時間は限られていた。空腹でふらふらしながらでも、観察の目はするどくなる。


 表向きは冷静に振る舞う。

 何事もなかったかのように。孤児院の朝食を黙々と平らげるふりをしながら、ノアは監視員の動線を頭の中で動かしていた。


 今朝の点呼の担当もノアを乱暴に振り払ったあの男だった。昨日のことなんて何もなかったかのようにいつも通り、端末がIDを通過する。


 ヤツは朝点呼後、すぐに露店街へ回り、簡単な報告。そこからバイクで数分離れた事務簡易所へ移動し、昼休憩。昼過ぎにもう一度別の孤児院を回り、夕方にはまた戻ってくる。

 午後の移動中に、事務所は無人になる時間帯が必ずある。そこが狙い目だった。


 午後になったらその通りに事務所から監視員は本当にバイクに乗り込んで去って行った。ノアは一瞬、鼓動が耳に届くほど速くなったが、顔は冷たく保った。


 瓦礫の影に隠れて、周到に何度もこれからすることを確認した。小さな針金、薄手の革手袋、古い大きめの空き袋――必要最低限だけを携えている。と、言っても元から持っているものは少ない。


 事務所は薄暗く、書類が無造作に山積みされている。ノアは体を低くして窓格子の影を縫うように進んだ。扉の鍵は小さな針金で簡単に開いた。杜撰な管理だ。そのまま抜き足で机の横にぶら下がっている鍵を手に取る。


 息を殺して手を伸ばす。

 指先が金属に触れる。

 冷たさが手に伝わる。

 鍵を引き抜く時、心臓が跳ねた。

 だが、音は立たなかった。


 机の引き出しを開けると、小袋が何個もまとめて入っていた。白い紙に包まれた小さな薬袋、幾つかのコイン、クズコア、そして袋に無造作に入った小さな黒い石――ノアのだ。胸が締めつけられる。


 やっぱり、あいつは持ち逃げて、まとめて換金するつもりだったんだ。


 ノアはその後も手早く動いた。


 真っ先に黒コアを掴むと、他の袋も次々に鷲掴みにする。彼が懐にくすねていたと思ったものはだいたいここに集まっているのだろう。


 ノアの指先が震えたのはほんの一瞬、すぐにそれが冷静へと変わった。喉はカラカラで、腹が鳴るのも堪え、お守りがわりのポータを握り直す。


 ポータはノアがチュートリアルを受けていた廃ビルの瓦礫のところに隠していたため見つからなかった。黒コアはすぐにいくつかの食料と交換しようと持ち帰ったのが悪かった。



 その時、指がそこにあった小さなカード端末に触れた。

 ピ、と微かな反応がして。ふと顔を上げた。

 床がきしむ。……足音。


(早い。誰か違う監視官が戻ってきた?)


 息を殺し、机の下へ滑り込む。

 男が入ってくる。カバンの金具が擦れる音。


「…早く終わったし、先に換金しにでも行くか」

 監視官の声。気付いている?いない?

 腰のホルスターが鳴る。武器を携帯している。


 ――いや、どっちにしろ今しかない。


 机の下から素早く飛び出す。

 手に取ったのは壊れかけのデスクランプ。

 振り抜く。鈍い音。腕が弾かれ、向こうが手に持っていた銃が机に当たって上手い具合に転がる。


「おいッ……!」


 腕を掴まれそうになるが、それ弾き、バネのように利用して机脚に体を滑らせて背後へ回った。


 思いっきり靴で後ろから脛を蹴る。男が一瞬よろける。

 その隙に外へ出た。

 壁に肩をぶつけながら細い通路を駆け抜ける。

 怒鳴り声と足音。だが、地の利はこちらにある。小回りも聞く。

 幾度も歩いた瓦礫の迷路。角を曲がり、影に潜り、息を殺す。


 震える掌。汗。ポケットの冷たさ。

 袋には黒コアと、露店名と数字が書かれたメモの束。それらが私がやったことを証拠付けていた。

 ――このメモは、監視員の裏取引の記録だ。


(ざまあないな)

 喉の奥で乾いた笑いが漏れる。きっとあの男は処罰されるだろう。私たち孤児を同じ人として扱ってくれないようなやつだ。仕方がないだろう。

 けれど胸は笑えない。大人を敵に回す危険を、私は知っていた。

 怨嗟も、報復も、あるだろう。

 もう引き返せない。


 曇天の切れ間に、かすかな陽。

 ノアは口の端を上げ、瓦礫の影へ消えた。



 *


 その夜から、孤児院にはもう戻らないと決めた。


 いつもの廃ビルの影で丸くなる。

 冷たい瓦礫の中で自身を抱きしめた。いろんな感情と情報が交錯し、思考はぐるぐる回った。

 黒コアは取り返した。

 ついでに持ってきたものだが少しの薬や金目のものもある。だがそれで終わりじゃない。

 腕の内側の小さな円盤――IDチップ。

 点呼で鳴る音を思い出した。


 あれは、どこまで見られている?

 視界に、無機質なウィンドウが浮かんだ。


 《SYSTEM》

 《個人情報:共有設定を検出》

 《個人情報漏洩リスク:HIGH》

 《推奨:位置共有OFF/個人情報非表示》

 実行しますか?

 YES / NO


「えっ?」

 胸がぎゅっとなる。見られている感覚。

 選択肢はクリアだ。震える指で“YES”。


 《位置共有:OFF》

 《個人情報:非表示(実行中)》

 《注意:非登録端末によるロックは一時的です》

 《推奨:医療機関でのチップ摘出(合法手順)》


 そうできる日は遠い。

 今は仮ロックで凌ぐしかない。

 昼の奪還で味わった血の匂いと鼓動が、私を無意識に鼓舞していた。


 コンクリートが倒れ込んだ疲れた身体に染み渡る。

 明日はあちこちが痛いのだろうなと思ったが、それは名誉の勲章だと思うことにしよう。


 おやすみなさい。


 *


 夢が始まる。

 高い天井。冷たい白。整然と並ぶ机。

 ――のあ、と誰かが呼ぶ。私の口からも、その呼び方がこぼれる。


 空に浮かぶ学校の講義室。ガラス越しの青。

 机には宝石のような色とりどりのコア。白衣の教師が板に数式と図形を浮かべる。


「コアの色の違いは何を意味するか。誰か」

「はい、波の長さ、です」

「そう。波長が長ければ“重い力”、短ければ“速い力”。君たちのコアの“性質”は、生まれ持った存在周波数で決まる」


 プリズムが七色を落とす。


「コアは常に波を受信している。

 そのままでは力にならない。

 “フィルター”と呼ばれる君たちの心が雑音を削ぐ。

 心が曇ればフィルターは濁り、波が乱れる。暴走はそこからだ」


 ノアは胸に手を当てる。中の波が、呼応して脈打つ。


「透明なコアはどんな波にも染まり得る。

 だが自我が薄く、他者の波に侵されやすい。制御を誤れば消耗も激しい」


 教師は胸を指し示す。


「覚えておくんだ。コアは他者を壊す武器ではない。

 自身が世界と繋がる回路だ」


 掌には透明のコア。

 私は微笑み、光を透かして転がしていた――


 夢が裂ける。暗転。残るのはなあ、と確かに私を呼ぶ響きだけ。

 胸にぽっかりと穴が空いたような感覚で目を覚ます。汗をかいていた。夢の意味は分からない。

 けれどその感覚だけはなぜか残っていた。


 ーーーーー


 ノアは翌日からもマメにチュートリアルをこなしていた。

 朝の日課だ。そうして手足を動かしている頭の片隅でメモの存在を思い出す。

 油と汗で透けた紙。角は折れ、鉛筆の数字がびっしり。

 爪でこすると、薄い文字が浮かぶ。


【取引記録】

 No.12 瓦楽市場西側路地/医療薬・包帯・Cランクコア×2/1,800C/担当:リバー(夜便)

 No.18 旧橋通り露店区/食料保存剤・衣料・古紙/900C/※孤児院分より転用


 さらに下、滲んだ層の文字――


【補足資料/被験リスト】

 対象:区外収容児童 No.47〜No.56

 反応値:0.04〜0.08(不安定)

 備考:試料区搬送 高天原研究棟 第5実験層

 観察項目:コア適応率・精神波干渉・波汚染影響

 ※透明体 No.52 要監視――


 そこまで読んだ瞬間、ノアの背筋が粟立った。

 No.52——それは孤児院での自分の登録番号と同じだった。


 滲んでいて全文は読めないし、意味もすべては理解できない。

 だが、これは重要なメモだと、直感でわかる。

 もうここにはいられない。自分の身が危ない。


 ノアは息を殺し、メモをぎゅっと胸に握り締めた。

 頼れる大人はいない。

 信じられるのは、この謎めいたウィンドウと、自分の手だけだ。



「……絶対に生きてやる」

 かすれた声が、狭い暗がりに溶けていった。



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