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インターナショナル・セレスティアル・アカデミー  作者: 鹿ノ内


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3/15

2.起動:TEMP_NOA_#042

 

 ◇ ◇ ◇



 夜の底で、何かが焼けていた。


 赤い空。

 燃え上がる都市の輪郭。

 煙の向こうで誰かが叫んでいる。

 視界の端で、仲間のひとりがアビスに飲まれる。

 その瞬間、耳の奥で電子音が鳴った。


 ――エラーコード

 ――セーブされていません

 ーーセーブされていません

 ーーエラーコード



 ◇ ◇ ◇



 ノアは息をのんで目を開けた。

 体がびくりと跳ねる。

 濡れた髪が頬に貼りつき、喉の奥で荒い息が絡む。

 暗闇の中、冷たい天井が視界を覆っていた。


 夢、だ。

 でもあまりにも現実的で、指先がまだ震えている。

 見たこともない光景。

 けれど“知っている”という感覚が確かにあった。

 この感覚は昨日も感じていた。


「……なんだったんだろ」


 胸の奥がざわめいて眠れない。

 薄明の光が窓の割れ目から差し込み、

 子どもたちの寝息が一斉に重なっていた。


 朝。


 古い施設のスピーカーが割れた音を立てる。

「起床の時間です」

 2回繰り返されたその声に誰も返事はしない。

 布団の中で呻きながら、子どもたちがひとり、またひとりと起き上がる。


 ノアも体を起こした。

 冷たい床に足をつけると、

 薄い靴底越しに、夜の湿気がまだ残っているのが分かる。


 廊下の奥で金属の靴音が響いた。

 規則正しく、冷たく。

 区の監視員が来た合図だった。


「全員、点呼。列に並べ」


 鋭い声が響く。

 廊下に子どもたちが並び、

 それぞれの手首に埋め込まれたチップを読み取られる。

 ピッ、ピッという電子音が連続して鳴る。


 監視員は無表情で端末を見つめていた。

「欠勤ゼロ。異常なし。」

 報告の声が機械的に響き、彼らはすぐに別棟へ移動していく。


 その背中を、ノアはぼんやりと見つめていた。


 ――夢の中でも、同じ音が鳴っていた気がする。


 ピッ、ピッ、ピッ、と。

 それは誰かの生死の数を数えているようだった。


 ⸻


 窓の外はいつも通りの灰色の朝だった。

 防壁の影に沈んだ街に、太陽の光は届かない。

 ノアはぼろ布の袖で窓の曇りを拭う。

 向こうに見えるのは、崩れたフェンス。子供たちが抜け出すのに使われている。


 しかし監視員が見ている限り、子どもが外に出るのは許されないとされている。瓦楽街の外は危険だと、国が判断したからだ。

 しかし、危険じゃない場所なんて、この街のどこにある?


 ノアは息を殺して、監視員の姿が完全に消えるのを待った。

 食堂のほうで、下の子が泣きながらパンを奪い合う声がする。

 その混乱に紛れるように、

 ノアはスニーカーの音を殺して廊下を抜けた。


 壁のひび割れ、塗装の剥げた扉、

 その隙間を縫うようにして裏口へ向かう。

 古い非常階段を下り、

 最後の鉄柵を押し上げたとき、湿った風が顔に吹きつけた。


「……行ける」


 その声は自分に言い聞かせるようだった。


 ⸻


 外に出ると、朝の空気が肌を刺した。

 冷たくて、生ぬるい、金属の匂いが混じる風。

 街はまだ眠っていて、瓦礫の間を風が吹き抜ける。

 地面にはガラス片が散らばり、足元で光を反射する。


 ノアは細い路地を抜け、瓦礫の丘の影へと進んだ。そこには、誰も来ない場所がある。

 廃棄物を埋めた穴。

 時々、そこから“まだ使えるもの”が見つかる。


 今日はそれを探しに来た。


 ――何かいいものないかな。

 ――サンドイッチが食べたいな。


 瓦礫の間に手を伸ばし、

 ひとつ、またひとつと鉄くずをどかしていく。

 その中で、光がちらりと瞬いた。


 ノアは息を止めた。

 瓦礫の奥に、黒く光るもの。

 薄型の端末。角は潰れ、液晶はひび割れている。


「……ポータ?」



 ひび割れた端末を手に、ノアは近くの瓦礫の上に腰を下ろした。

 薄曇りの空が、ビルの隙間からのぞいている。

 ポータの液晶はところどころ黒く欠け、反応はない。

 何度押しても、うんともすんとも言わない。


「……やっぱり壊れてんのかな」


 小さく息を吐く。

 すると、ポケットの中の透明なコアが、かすかに熱を帯びた。


「……ん?」


 次の瞬間、目の前の空間に光の線が走った。

 それは音もなく形を結び、淡いウィンドウとなって浮かぶ。


 《SYSTEM ALERT》

 端末検出:Unregistered / Corrupt

 コア接続を許可しますか?

 YES / NO



 ノアは一瞬、息を飲んだ。

 文字――のような記号。


「……なにこれ」


 ポータの中で、ひとすじの光が明滅する。

 その点滅が、不思議と心臓の鼓動に合っている気がした。


「……よし」


 指を伸ばし、見よう見まねでウィンドウに触れる。

 その瞬間、世界が一瞬だけ白く弾けた。


 《CORE LINK START》

 《データ整理モードへ移行します》

 《警告:登録者情報なし。コード整備を行いますか?》


 無機質な声が、頭の奥から響く。

 音でも言葉でもない。

 けれど確かに理解できる。



「…整備なんて出来るの?」


 問いかけても返事はない。

 ただ、選択肢が浮かぶ。


 YES / NO


 ノアは息を整え、指先で「YES」を選んだ。


 ポータがかすかに震える。

 壊れた液晶に光が走り、無数の記号が流れ出す。

 まるで死んだ機械が呼吸を取り戻すように。


 《BOOTSTRAP MODE:開始》

 《コード整備中……》

 《進行率 14% → 37% → 82%》

 《注意:コア負荷上昇。継続しますか?》


 ノアの手のひらが熱い。

 透明なコアの内部で光が渦を巻き、心臓の奥がざわついた。

 苦しくはない。けれど、脈が早くなる。


 かすれた声にならない息が漏れた。

 光がさらに強くなり、画面がまぶしく白に染まる。


 《完了》

 《仮所有者ID:TEMP_NOA_#042》

 《クレドポータ:オンライン(仮)》

 《注意:本端末は公式登録不可。取引は一部制限・低レート。使用中のログは監視対象となる可能性あり。》



 ひび割れた画面に、ぼやけた“名前”が浮かぶ。

 ――ノア。


 指でなぞると、文字が少し揺れて光る。


「……ノア、って……」


 かすかに笑った。

 そんなわけないのにはじめて自分の名前が呼ばれたような気がした。

 そして初めて、自分の居場所が一瞬だけあるような気がした。


 ポータの画面には、淡い青い文字が浮かんでいた。


 WALLET BALANCE : 0 CREDO

 SCAN CORE : [READY]


 ノアはポケットから、通信するように振動する黒い石――オブシディアンコアを取り出す。

 画面がそれを感知して光を放つ。


 ITEM DETECTED : OBSIDIAN CORE

 ESTIMATED VALUE : LOW / MID (UNREGISTERED)

 RECOMMENDED ACTION : LOCAL DEALER / BLACK MARKET


「……ローカルディーラー、?」


 心臓がまだ熱い。

 でも、息をしている。

 生きている。


 ノアは立ち上がり、壊れたビルの影を見上げた。

 雲の隙間から差す光が、ほんの少しだけ街の端を照らしていた。


「……よし。行こ」


 それは、まだ幼い声。

 けれど確かに――希望の響きをしていた。



 ノアが向かったのは、瓦楽街の裏通りにある古い店舗だった。

「店」と言っても、屋根と壁の残骸をつぎはぎしただけの、半分露店のような小屋だ。

 入り口には、色褪せた掲示板が吊るされ、古いフォントで「換金・物々交換」とだけ書かれている。


 錆びたベルを押すと、低い音が鳴った。

 中に入ると、埃と金属と油の匂いが混じった空気がむっと顔にかかる。

 棚には医療用品、工具、中古の衣類、割れたカップや鍋、何に使うか分からない部品が積まれていた。


 奥から、店主が顔を出した。

 灰色の髪をうしろで無造作に縛った年齢不詳の男性。

 この街の裏を何十年も生きてきたような目をしていて、言葉は淡々としている。


「……また来たのか」


 いつもの調子。

 ノアは無言で頷く。


「クズの交換か?」


 そう言いながら、店主は手元の端末を起動する。

 この店に来る客は十人十色だが、間違っても塀の向こうのおエライさんたちは来ない。

 非正規雇用者、身元不明者、孤児、行き場のない人間。

 だから余計な詮索は不要、というのがこの店の暗黙の了解だった。


 ノアのことも、店主は深くは聞かない。

 いつもクズコアを持ってきては、薬や古着と交換するだけの小さな客。

 だが今日、ノアの手にあるものを見た瞬間、彼の目がわずかに動いた。


 ――黒いコア。


 立派な輝きを放つ、ひとつの石。


「……ほぅ」

 店主はそれ以上言わず、淡々とした声に戻した。


「今回は何がほしい?中華の服といつもの常備薬は、前に渡したな」


 ノアは周囲を警戒しながらも、ポケットからちらりと端末を見せた。

 ひび割れたクレドポータが青い光をかすかに灯す。


「……これ」


 店主の眉がぴくりと動く。

 (おいおい、どこから拾ってきた? 盗んだのか?)そう言いたげな顔。けれど口には出さない。


「ちゃんと使えんのか?」

 ノアは頷く。

 ひび割れた画面に指を置き、起動を示す。

 ウィンドウが浮かび、青白い文字が店主の端末にも同期された。


 店主は驚いた顔をして、しかしそれ以上は何も言わなかった。

 余計な詮索は不要、それがここでの掟だった。


「いいだろう」


 黒コアを特殊な台の上に載せるように促される。その台が淡く光る。おそらく店主にしか見えていないデータが表示されるのだろう。

 彼は向こう側の端末を操作し、ノアに小さなコードリーダーを差し出した。


 ノアはそのコードリーダーを読み取るように端末をそっと押し当ててみる。

 ピ、ピピ、と機械音が鳴り、ポータの画面に光が走った。

 その瞬間、ノアの胸の奥に小さな熱が灯る。


「これで取引完了だ」


 店主はいつも通りの低い声で言い、端末を引っ込めた。

 だが目だけは、ノアを一瞬、静かに見た。

 言葉にしないまま、何かを測るような視線。


「気をつけろよ」

 そのひと言に、ノアは短く「……うん」とだけ返した。


 ポータを素早くポケットにしまい、店を出る。

 外に出た瞬間、足が勝手に走り出す。


 できた。

 できた。

 できた――!


 胸の奥で何かが弾けた。

 何がどうなっているのかは分からない。

 けれど、たったひとつ確かに分かったことがある。



 ――わたしは、生きる術を手に入れた。


 ノアは瓦楽街の雑踏を駆け抜け、

 ひび割れたポータを強く握りしめた。



 そのまま瓦楽街の喧噪を抜けると、空気の匂いが変わった。

 遠くで誰かの笑い声が響いていたが、すぐに金属の壁に吸い込まれて消える。

 ノアはそのまま、街の外れへと足を向けた。


 誰も来ない、あの崩壊したビル。

 かつて獣に襲われ、死にかけた場所。

 今では瓦礫が風を遮る格好の隠れ場だ。


 壁に背を預けて座り込み、荒い息を整える。

 右手の中には、ひび割れたクレドポータ。

 冷たい金属の感触が、じんわりと掌に馴染んでいく。


「……ほんとに、動くのかな」


 小さく呟き、指先で画面をなぞる。

 かすかな起動音とともに、ウィンドウが浮かび上がった。


 WALLET BALANCE : +238 CREDO


 ノアは思わず息を呑んだ。


 見慣れない数字。

 けれど、確かに“持っている”と実感できるもの。

 指先で何度もスクロールしながら、頭の中で換算する。


 ――たしかパンひとつ、1クレド。

 ――薬代、10〜20クレド。

 ――安宿の寝床、30クレド。


 いつもなら、一晩中コアを拾い集めても、せいぜい数クレド。

 それが、たったひとつで二百を超えた。


「……本当に?」


 信じられない、というよりも――怖かった。

 あの黒コア。

 マルファビーストから出たものだ。

 もしかしたら、触れちゃいけないものだったのかもしれない。


 けれど、心臓の奥が熱を帯びた。

 胸の中で鼓動が早くなる。


「……でも、私でも、できるんだ」


 そう言葉にした瞬間、涙が出そうになった。

 生き延びるために掴んだもの。

 それがどんな形でも、

 いま、この手の中には“生きる術”が確かにあった。


 ノアはポータを胸に引き寄せた。

 画面の中で数字が光る。


 パン二百個ぶん。

 生きられる日々の証。


 ――これだけあれば、少しは明日を考えてもいいかもしれない。


 ビルの隙間から、わずかに青い空が見えた。

 その色が、ほんの少しだけ美しく見えた。



 崩れたビルの影。

 壁はひび割れ、風が砂埃を運んでくる。

 ここは、誰も来ない瓦礫の墓場。

 ノアはそこで、未だひとり膝を抱えて座っていた。


 ポータの画面に表示された見慣れない光。

 数字の並び、名前のようなコード。


 残高:100 CREDO

 保管状態:一時預かり → 同期完了



 ノアは息を呑んだ。

 指先で画面を撫でる。

 “お金”なんて言葉を聞いたのはいつぶりだろう。

 けれど、目の前の数字はただの記号のようで、

 掴もうとしても何も変わらない。


「……どうしたら、使えるの?」


 問いかけるように呟いた瞬間、

 ポータの画面が自動で消えた途端に目の前には別のウィンドウが起動され、勝手に明るくなった。


 《SYSTEM》

 チュートリアルを続行しますか?

 YES / NO


 ノアは思わず息を止めた。

 また、あの声。

 昨日の、あの光景。


 でも――逃げる理由も、もうなかった。

 何も分からない私に道を示してくれているのだ。


「うん」


 指が、画面の“YES”を押した。


 その瞬間、瓦礫に差す光が揺らめき、

 世界がノイズに包まれた。

 目の前の空間が、まるで薄い膜のように歪む。


 《訓練開始》

 レベル:初級

 対象:マルファビースト(改変体・ラビットクラス)


 耳障りな電子音とともに、

 空気を切り裂く音が響く。


 崩れたコンクリートの隙間から、小さな獣が飛び出した。


 灰色の毛並み。

 背中には黒い結晶が生えている。

 赤い目が、こちらをじっと見ていた。


「……うさぎの……マルファ?」


 次の瞬間、地を蹴る音。

 ラビットビーストが跳ねた。

 目にも止まらぬ速さ。


 《武装選択:クリスタルブレード》

 選択しますか?

 YES / NO


「い、YES!」


 手の中で、光が形を取る。

 刃の透明な輪郭が空気を切った。

 ノアは反射的に構える。


 《攻撃補助:赤く光って見える箇所が弱点です》

 《呼吸を安定させ、焦点を合わせてください》


 視界の端に、赤い閃光。

 その瞬間、体が動いた。

 瓦礫を蹴り、剣を横に払う。


 ガンッ、と硬い音が鳴る。

 弾かれた衝撃で腕が痺れた。


「くっ……速……!」


 再び飛びかかってくる。

 風が頬を裂く。

 ノアは転げながら避けた。


 息が上がる。

 呼吸が荒くなるたび、剣の刃が微かに光を弱める。

 心拍数とリンクしているのか――。


「……落ち着け……落ち着け……」


 深く息を吸う。

 吐く。

 その瞬間、赤いマーカーがはっきり見えた。


「そこ……!」


 ノアは足を踏み出し、剣を突き出した。

 刃が光の軌跡を描き、

 ビーストの胸を貫いた。


 鈍い衝撃。

 黒い結晶が砕け、光が爆ぜる。

 ノアの頬に熱風が当たった。


 《討伐完了》

 報酬:+5 CREDO

 経験値:+10 EXP

 ミッションクリア。

 続行しますか?



 画面が淡く点滅している。

 ノアは息を整え、頷いた。


「……やる」


 再び同じ光が瞬き、

 また次のビーストが現れた。


 今度は、一呼吸置いてから構える。

 足の裏で地面の感触を確かめ、

 目を細めて動きを読む。


 跳んで、掴んで、斬る。


 光が弾けるたび、心臓が脈を打った。

 汗が流れ、手が震えても、

 それでも前を見ていた。


 《コア制御率:3% → 14%》

 《評価:F → E 》


 数字が上がる。

 それが、たったひとつの確かに手に入れたものだった。


 ノアはその場に座り込み、

 周囲に散らばるコアの欠片を拾い集めた。

 掌の上で、光が小さく跳ねる。


「……ありがと」


 小さく呟いた声に、SYSTEMは反応しない。


 《応答:該当コマンドなし》


 ノアは小さく笑って、ポータの画面を閉じた。

 ビルの隙間から差し込む夕陽がゆっくりと彼女の頬を照らしていた。



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