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インターナショナル・セレスティアル・アカデミー  作者: 鹿ノ内


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2/15

1.路地裏チュートリアル(Tutorial in Back Alley)

 


 ーーーー瓦楽街ガラクガイ

 それは防塞都市・高天原苑タカマガハラエンを取り巻く防壁の影に沈む街の名だ。


 大通りは昼夜を問わず、人で賑わう。

 崩れかけた建物の前に布を張った露店、錆びた屋台からは肉の匂い。木箱にはパンや果物、拾い集めた古道具。

 値切る声、笑い声、小さな楽団の音。子どもが走っては商人に怒鳴られる。瓦礫の街でも、生の音は消えない。


 だが一本裏へ入れば空気は一変する。

 崩れた高層の残骸が山になり、瓦礫の隙間を縫って細い路地が伸びる。光は落ちず、割れた石畳に水溜り、壁の陰に知らない男がうずくまる。ここでは盗みも殺しも珍しくない。市場の賑わいと路地裏の無法――その両面を併せ持つのが瓦楽街だった。


 舗装は剥がれ、雨水が濁流のように溝を走る。鉄錆と油と腐肉の匂い。遠くで鉄板が風に鳴り、近くでは野獣の吠え声が建物に反響する。怒鳴り声、取引の押し問答、子どもの泣き声――どれも切羽詰まった響きを帯びていた。


 鉄製ドラム缶の火から黒煙が昇り、防壁に遮られて街を覆う。晴れた空、晴れた未来を想像して祈ることすら難しい。


 ――生きている、というより、死なずに留まっているだけ。あるいは、もう死んでいて腐ったまま留まっているのか。そんな有様の街だった。


 露店は活気づいて見えるが、並ぶのは泥を落としただけの野菜、流れ着いた缶詰、誰かが仕留めた獣の肉片を串に刺したもの。かつての栄える首都の面影はここにはひとかけらもない。

 だが、これが切り離せない現状だった。


 子どもがパン屑を握って走れば大人の手が伸びて奪い、逆に酒瓶を抱えて眠る大人の懐を子どもが漁る。年齢も力も、弱者を測る物差しでしかない。



 ――孤児院と呼ばれる場所がある。

 それは保護されている、守られてるわけではなかった。ただ身寄りのない子が集められている、という意味でしか持たない言葉。

 孤児院の壁はひび割れ、窓は欠け、屋根は雨を通す。大人は子の世話より自分の生存に必死だ。教育など望めない。子どもは瓦礫を漁るか、市場で小銭稼ぎか、盗みで日々を繋ぐ。


「チッ、クズ拾いかよ」

 そうやって吐き捨てられても反論はしない。

 間違いのない事実だったから。


 日が傾き、影は濃くなる。防壁の向こうから光は射さず、湿った空気のまま暗闇が早く訪れる。


 時折響くのは、人ではない声。

 鉄を擦るような音を伴う低い唸り。

 マルファビースト――歪んだコアに侵され理性を失った獣。


 ただ、この街の人にとってそれは「災厄」ではなく「隣人」だ。どこかで鳴いても、もう誰も驚かない。


 人々はそんな過酷な状況でも、それでも生きようとする。鉄板一枚を屋根にして暮らす家族。母は干からびた野菜をわずかな塩で煮、子は膝を抱えて声を殺す。露店には盗品と知れた高天原苑の品――銀のスプーン、金糸の刺繍布、壊れた時計。値はつかない。ただ、使えるという事実だけが価値になる。




 そして、その群れのなかに――ひとりの少女がいた。


 大通りは今日も人でいっぱいだ。

 鉄板の肉の匂い、煮込んだ豆の湯気。果物やナッツの箱には人だかり。

 人波の隙間を縫うように、痩せた少女が歩く。袖のほつれたシャツ、泥のついたズボン。誰も振り返らない。この街ではありふれた孤児の姿。


 少女――ノアの腹が、小さく鳴る。


 香ばしい匂い。鉄板の上で油を弾く肉。横目で見るだけで唾が湧く。だがポケットは空だ。金目の物も今日は見つからなかった。


(……間違えたな)

 こんな昼時に通る道じゃなかった。

 市場から外れ、森に近い道へ足を向ける。果物やナッツなら、瓦楽街近くの森で手に入る。

 子どもでも木に登れば採れる。目星はいくつかあった。


 街を外れれば、瓦礫の合間から森が覗く。

 湿った土と苔の匂い。枝葉が絡み、光の届かない薄暗さ。昼でも冷たい風が吹き込んでくる。


 ノアは耳を澄ませ、足音を殺して木々の間を進む。落ちていた木の実を拾い、ポケットへ。

 少しは腹の足しになるか――そう思った矢先のことだった。



「……?」


 奥で何かが崩れる音。

 顔をしかめ、暗がりを睨む。

 最初は普通に風かと思った。が、次の瞬間、泥まみれの男が二人揃って必死の形相でこちらへ駆けてくる。


 後ろを振り返り、目を見開いて。恐怖の色が浮かぶ。


「……何、あれ」


 ただならぬ気配が迫っていた。

 嗅ぎ慣れた排気ガスと錆の匂いが混じり、吸うたび喉が焼ける。たまらずノアもその場を駆け出した。

 背後で金属を擦るようなキイィッと歪で嫌な音。


 反射的に振り返る。

 暗がりの向こう、何かが這い出す。

 低い唸りが空気を震わせ、崩れた壁の向こうから四つ足の影。

 皮膚は半分焦げ、残りは黒曜の鱗。微細な結晶がざらつき、動くたび粉塵が舞う。

 牙の隙間から泡立つ唾液が垂れ、地面で白煙を上げる。


 赤い光の芯――体内のコアが透けて脈打ち、周囲の空気をざらつかせた。


 命の危険を感じ、ポケットの奥の小さな結晶を強く握る。


 生まれた時からずっと一緒にあった。

 みんなが羨む“コア”。この世界での強さの証。コアがあれば、戦え、守れ、生き延びられる。

 ――でも、私のは違った。


 光を通しても色がない。

 淡く透明なだけ。

 “何色にもなれない欠けた石”――それは欠陥品で出来損ない、だ。


 よく意味は分からない時から浴びていた冷たい鋭い刃物のような言葉たちは意味が理解できてからも身体に突き刺さったまま。


 それでも何故か捨てられなかった。

 両親が死んだ日も、瓦楽街で大人たちに粗末に扱われた時も、ご飯もなく、心も身体も飢えていても、雨の中、生きる意味を考え立ち尽くした日も、これだけは手放さなかった。

 私に残された唯一の私だと言う証だから。


 濁った赤い瞳が射抜く。これがマルファビースト。


「……っ」


 足が後ずさる。背に冷汗。

 やられた。

 先ほどの男達2人はもうとっくのとうにいない。

 今度は確実に私が狙われている。


 咆哮。ひと息で詰められる距離。

 爪が振り下ろされ、紙一重で躱す。

 が、腕に火傷のような鋭い痛みがあった。


 「、いッ、」

 粉塵が舞い、息が詰まる。

 視界が滲む。


 ――逃げなきゃ。足が動かない。


「……っ、やっ、やだ……!」



 胸が締め付けられ、世界が遠のく。

 ああ、終わる。叫んでも届かない。

 孤児が死んでも誰も気づかない。

 分かっていた。けれど、心のどこかが叫んだ。


 助けて。


 小さな、声にならない声。

 コアを握り込む。胸の奥で“何か”が弾けた。



 世界が――文字通り止まっていた。


 風が消え、音が消える。

 跳びかかった獣が時間を失ったように静止する。

 視界の奥に淡い光。空中に文字列が走る。

 電子音が頭を貫く。


 《SYSTEM ALERT》

 《HELP CODE / EMERGENCY MODE》

 《USER ID:UNKNOWN》

 《CORE ACCESS:AUTHORIZED》

 《RESPAWN SYSTEM:STANDBY》


 冷たいプログラムの声が、奥底へ直接語りかける。

 なぜかどこか懐かしい、と感じた。涙が頬を伝う。 



 《救済措置プログラムを起動しますか?》




 神の囁きのように響く。唇が震え、息を吸う。


「……お願い、助けて」


 光が爆ぜる。

 コアが脈打ち、透明の内部をデータが奔る。

 指先から白い熱が流れ、腕の先まで染め上げる。


 《INIT SEQUENCE:START》

 《FORM SHIFT:CRYSTAL BLADE》


 握りしめていた掌の透明な石が溶けるように伸び、透き通った刃を成す。

 空気が裂け、光が尾を引く。



「……うそ、でしょ……」

 身体は勝手に動く。踏み込んで、構える。



 《自動制御モード:起動中》

 《戦闘支援プログラムを展開します》 


 飛びかかる赤い瞳。視界に赤いマーカー。


 《弱点:コア部》



「っ……ここ!」

 閃光。刃が獣の胸を貫く。濁った咆哮、崩れ落ちる影。


「……っ、はあ、はあっ……」

 壁に背を預け、膝の震えを押さえる。生きていた。



 ウィンドウが浮かぶ。

 《討伐完了》

 《初回討伐報酬:オブシディアン・コア獲得》

 《報酬:保留クレド+100》

 《経験値:+50》


 手の中に残ったのは、光を吸い込む漆黒の宝石。いつもの瓦礫の中から探し出しているクズコアとは違う。名前も価値も知らない。ただ確かに重い。



 夜の瓦楽街。

 薄汚れたランプ、屋台の肉の匂い。喧噪はそんなことがあったなんて誰も知らない。気にしていない。変わらない街。


 何が起きたのか理解の追いつかないまま、ノアは黒い石を握りしめる。

 通りではサンドイッチを頬張る人々。腹が鳴る。


 目の前に浮かぶ不思議な画面も、その中の保留クレドの数字は自分にしか見えず、使い方も場所も分からない。それだったら、ただの空気の通貨。


「……いいな」

 誰にも届かない小さな声。踵を返し、人気のない裏道へ。


 孤児院の灯りは落ちていた。いつもの食事は残っていない。戸棚の奥から黒パンを見つけ、味のない夜をやり過ごす。

 ベッドに潜り込むと全身が軋む。瞼を閉じる。光の声がまだ響いていた。




 《SYSTEM》

 《チュートリアルを続行しますか?》


「……また、明日にする」

 かすれ声で呟き、ノアは眠りに落ちた。



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