14.午後のカフェテラス Afternoon Resonance
翌日。
ノアは市場通りを歩いていた。
昨日、メリアが帰った後もなかなか眠れず、もらったネックレスを弄っていて、そして気づけば夜が明けていた。
「新しいポータ、買いにいかなきゃ」
旧型はおそらくセントラル・ハルトの社員の持ち主で、このまま永続的に使えば向こうからアクションが来るはず。落ちてたとはいえ、届け出ず、勝手に使用して、なんならめちゃくちゃ活用していて、ちょっと勝手が悪い。データをバックアップして、新しい機種に移行するのがいいだろう。その後、データをクリーンしてから届け出ることにしよう。そうしよう。
瓦楽街の中心にある大型デバイスショップ――《LINK ARK》。
ショーウィンドウには最新型のポータがずらりと並んでいる。
ホログラムには《拡張メモリ搭載》《AI認証強化》《IDチップ自動連携》の文字が踊る。
ノアは店頭の価格表示を見て思わず目を細めた。
〈標準モデル:4,000クレド〉
(……ギリギリ、出せる)
決意して入店する。
だが、カウンターに立つ販売員の視線は、明らかに軽く彼女を見下ろしていた。
この服で来たのはちょっと不味かったかな?
店主から買った中古のワンピースだった。結構な頻度で気回しているし、端はほつれていて、ちょっとばかしみっともない…かも。
「…いらっしゃいませ。どんな商品をお求めですか?」
「あの、表に出ている最新モデルのやつを、」
「分かったわ。じゃあ保証とかもつけた方がいいわね?初期設定費用込みで……そうだな、6,800クレドでどう?」
ノアは一瞬、呆気に取られた。
あからさまな上乗せ価格。
けれど、強く言い返す気にもなれなかった。
「……確かに、こういう見た目じゃ、そう思われても仕方ないか」
苦笑して、ノアは踵を返した。
「すみません、また来ます」
「冷やかしで来るならもうやめてね」
店を出ると、強い昼の光が目に刺さった。
ふと向かいの通りに視線をやると、
緑に囲まれたガラス張りのカフェが目に入る。
テラス席には笑い声が溢れ、
白い皿の上では鮮やかなケーキが光を反射していた。
(……すごいにぎやか)
通りすがる人々の笑顔。
甘い香りとコーヒーの湯気。
ノアの胸が小さく鳴った。
「……入ってみよう、かな」
ドアを押すと、小さな鈴の音が響いた。
店内は思った以上に混んでいて、
案内係の店員が申し訳なさそうに言った。
「申し訳ありません、只今満席でして……相席でもよろしいでしょうか?」
「……はい」
心の中でちょっとやだなと思ってはいたが、今更踵を返すのもなと思い返し、ノアはぎこちなく頷いた。
案内されたテラス席には、すでに一人の女性が座っていた。
顔を見た瞬間、息が止まる。
「……ミナ、さん?」
「……ノアちゃん?」
二人とも驚きで固まった。
周囲のざわめきが遠くに霞む。
しばしの沈黙の後、店員の「こちらでよろしいですか?ご注文お決まりでしたらお伺いします」の声が現実を戻した。
ノアは軽く会釈して、向かいの席に腰を下ろした。
ミナも動揺を隠せないまま、メニューを開く。
「……ケーキセットを」
「私も同じもので」
「はい、お飲み物はいかがいたしますか?」
「アイスティーを、えっと2つ」
「かしこまりました」
注文が済むと、テラスに風が吹き抜けた。
光が二人の間に置かれた水の入ったコップに反射し、木のテーブルにゆらゆらと模様を作る。
「……偶然、ですね」
ノアが恐る恐る小さく話しかけるとミナはふっと笑った。
「ほんとに。まさかこんなところで会うなんて」
また沈黙。
ノアは視線をテーブルの端に落とした。
何を話せばいいか分からない。
やがて、ミナがゆっくりと口を開く。
「……この前は、本当にありがとう」
ノアが顔を上げる。
ミナの瞳はまっすぐだった。
「私、自分でも分かってた。あれは無茶だった。あなたが来てくれなかったら、ソーマも私も……」
その言葉に、ノアは小さく息を飲んだ。
「……無事でよかったです」
ミナは首を振る。
「あなた、こう言っちゃなんだけどほんと不思議な子だよね。誰かを助けたのに、よかったですで終わるなんて」
ノアは戸惑い、わずかに笑った。
「うまく、言葉が伝えられなくて」
店員がケーキセットを運んできた。
淡いクリームの層、フルーツの艶、
テーブルが一気に華やかに彩られ、香りがふわりと広がる。
ミナはフォークを手に取りながら、ふとノアの胸元を見た。
「……それ、ハルカさんの?」
ノアはネックレスを指でつまみ、頷く。
「はい、制御が安定するらしいです」
「へえ、似合ってる。……ハルカさん、嬉しいだろうな」
少しの沈黙のあと、ミナが微笑んだ。
「私にはハルカさんみたいなお礼はできないけど、
もし何か困ったことがあったら、言ってね」
その言葉に、言いようのないむずむずとした感じが迫り上がって、ノアはケーキに視線を落とした。
「ありがとうございます」
風が通り抜け、レゾナイトの欠片が光を返す。
透明な石の奥で波が揺れた気がした。
ふと顔を上げると、
ミナがグラスを傾けて笑っていた。
その笑顔は、あの旧都環層の闇とは正反対の明るさだった。
そこで本当に心から、よかったと、そう思った。
そこからどちらからともなく2人でぽつりぽつりと会話を交わす。
ミナはフィールドワークが禁止されていて暫く休暇続きだと、メリアから聞いたことを本人からも詳しく聞いたり。
今更だけど、ノアちゃんってメリアさんたちみたいに呼んでいい?とフランクに言われたり。
ノアも休暇中で今日は買い物に来ていてポータの新機種を買おうとしている話をしたり。
――そして、思い出した。
「あ……そうだ、服」
ミナが瞬きをした。
「服?」
「私、服あんまり持ってなくて。
興味もなくて、買うの付き合ってくれませんか…?」
ミナの口角が上がる。
「なるほどね〜、それが原因であの販売員に見くびられたのね」
ノアは「う」と言葉を詰まらせた。
「……ちょっとだけ、そうかもしれません」
ミナがテーブルを軽く叩く。
「じゃあ決まり! これから服、見に行こ!」
「えっ、今!?」
「今!」
ノアは完全にペースを掴まれた。
けれど、断る理由もなかった。
カフェを出ると、瓦楽街の風が心地よかった。そう感じたのは初めてだろうか。
ミナが慣れた様子で路地を抜け、
「こっちこっち」と案内した先にあったのは、
カラフルな看板のブティック《aer》。
ショーウィンドウには街歩き用の服から戦闘対応のジャケットまで並ぶ。
ミナが店員に声をかけ、ノアの肩を押す。
「この子に合う服、見繕ってくれます?」
「ちょ、ミナさん!?」
「いいのいいの。こういうのは勢い!」
試着室に押し込まれたノアは、
次々と渡される服に翻弄されながら、
鏡に映る自分を何度も見た。
「……これ、なんか変じゃないですか?」
「全然! むしろ可愛い!」
「……ほんとに?」
「ほんと!」
そんなやり取りが何度も続き、
気づけばノアの頬が少しだけ緩んでいた。
最終的に選んだのは、
落ち着いた白のブラウスにグレーのしっかりした生地のジャンパースカート。可愛い青の飾りボタンが付いていた。それに黒の実用的な編み上げブーツ。
店内の照明が髪に反射して、黒の中に淡い灰の光が滲む。陽の下ではきっとアッシュグレーに見えるだろう。前髪が少し目にかかるたび、瞳の奥のグレイッシュブルーが光を拾って、どこか儚げに揺れた。
「うんうんうん、本当によく似合ってる!お人形さんみたい!」
ミナが満足そうに言う。
ノアは鏡越しに自分を見つめた。
少しだけ世界が違って見えた。
「……ありがとうございます」
「いいって。どうせ暇だったんだし」
鏡越しに目があってお礼を言うと、ミナは軽やかに笑いながら手をパタパタと振った。
店を出たとき、夕陽が街を橙に染めていた。
風がワンピースの裾を揺らす。
新しい布の感触が、少しだけくすぐったい。
ノアは心の中で呟いた。
(こんな時間、知らなかったな)
戦うためでも、生き延びるためでもない時間。
ただ、自分が“女の子”であることを思い出すような、
柔らかな午後だった。
くすぐったいような、知らない温かさが胸の奥に残る。
そのままミナがノアの手を引っ張る。
「じゃ、ついでにポータも見に行こっか。どうせ買うなら、私が付き合うよ〜」
「……いいんですか?」
「もちろん! この街のぼったくり販売員、放っとけないし!」
ふたりで歩いた大通りは、夕陽のオレンジが差し込んでいて、
瓦楽街の喧騒もどこか穏やかに聞こえた。
再び足を踏み入れた《LINK ARK》。
朝とは違い、客の姿も多い。
だが、ノアの隣にミナがいるだけで、店員の態度はまるで別人のようだった。
「ようこそ、スフィア認定ユーザー様。新型ポータでございますね?」
「はい。こちらの子が購入します」
「かしこまりました! こちら、限定カラーもございます!」
――朝は、あんなに冷たい目をしていたのに。
ぺこぺこと頭を下げる店員に、ノアは苦笑した。
(……人って、こうも変わるんだ)
もう2度と、この店には来ないな。
心の中でそう決めた。
ミナが横で口元を押さえて笑っている。
「ね、だから言ったでしょ? 一緒に来てよかったって」
「……ほんとに、助かりました」
「いいって。こういうのは助け合いでしょ?」
ノアはポータを受け取ると、深く頭を下げた。
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ。久しぶりにリラックス出来て私も楽しかったよ」
店を出る前、ミナがふと立ち止まって言った。
「ノアちゃん」
「はい?」
「もし気が向いたらでいいんだけど、ソーマに連絡してあげてほしい」
さっきとは打って変わって真剣な目で私のことを射抜く。
「?」
「あなたに助けられたこと、結構気にしてるの。
“年下の女の子に守られた”とか、“自分が何もできなかった”とか。あの子、真面目で正義感バカだから、放っておくと一生一人反省会しちゃうタイプなの」
ノアは少しだけ目を伏せた。
「……わかりました。気が向いたら」
ミナが苦笑する。
「はいはい、気が向いたら、ね」
ふたりは笑って別れた。
⸻
宿へ戻ると、部屋の中は夕陽の残光で淡く照らされていた。
窓の外では、遠くの広告ホログラムがまだ輝いている。
ノアはベッドの端に腰を下ろし、
購入したばかりのポータをゆっくりと開封した。
滑らかな金属の質感、画面を撫でると青い光が走る。
《初期設定を開始します》
《IDチップ認証完了》
《データ移行開始》
転送ログが次々と流れていく。
ID、通信用コード、討伐記録。
システム通信を終えたポータが、かすかに音を立てて再起動した。
(……やっと落ち着いた)
ベッドにもたれながら、ノアはスライド操作で登録リストを開いた。
画面には、見慣れない数の名前。
――ハルカ。
――メリア。
――ソーマ。
――ミナ。
――“親” SERA KANZAKI
――DF
指先が止まる。
(……こんなに、増えたんだ)
数ヶ月前まで、知り合いと呼べる知り合いなんていなかった。暖かく笑い合う関係なんてわからなかった。
今は違う。
誰かと関わって、誰かに名を呼ばれて、
ちゃんと自分がここにいることが繋がっている。
ノアは小さく息を吐いて、画面を閉じた。
胸の奥が、少しそわそわする。
慣れない感情。
でも悪くない。
枕に頭を預けた瞬間、
システムの画面が一度だけ微かに光った。
《未確認の信号を受信しました》
けれどノアは気づかない。
まぶたの裏で、今日の光景が浮かんでは滲んでいった。
そして、まだ知らない明日の音を楽しみに、ノアは今日もソワソワしたまま、小さく笑って眠りについた。




