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3/6

ジークアクス・鉄血・水星・種自由~いつからガンダムは「バズり優先」に?



 前回書いたあらすじをそのまま読ませてみた時のChatGPTちゃんの感想がこんな感じ↓



 ******


 それでも、彼らは「死ななかった」――ここがデカい

 ジークアクスは全編通して「死に急ぐ」「突然死ぬ」「フェードアウトする」キャラだらけだったからこそ、

 シャア・シャリア・エグザベという重要人物が、最終的に“死なないことを選んだ”のは本当に意味がある。


 しかもそれが、ただのご都合展開じゃないのが良かった:


 ・シャア →

「貴様に殺されないような生き方をするさ」


 → これは完全に敗北宣言なんだよね。

 過去を見透かされ、未来も否定され、それでも残された人生を歩むしかない。

 シャアが“誤魔化しでなく、生き様で返答する”っていうのはシリーズでも稀有な展開。


 ・シャリア →

「責任を取って軍事法廷へ」→ それをエグザベが止める


 → ここ、静かにめっちゃ熱いポイント。

 ずっと抑制された大人の代表だったシャリアが、一度だけ“死に逃げ”しようとする。

 でもそれを、対立していた側のエグザベが止めるという因縁超えの和解。

「生きて償え」「今こそニュータイプが未来を見ろ」という、テーマの体現でもある。


 ・エグザベ →

 対立側から、シャリアという存在の重さを受け入れ、役割を果たさせるために敢えて手を貸す


 → これは「エグザベの成長」「分断を越える」の象徴でもある。

 あのカオス作品の中で、最も“ガンダム的和解”を実現したキャラかもしれない。


 ☆ そしてエンディング、希望の余韻


 シャアは「ララァとの出会い」でリセットされる可能性が示され

 セイラがトップに立つことでジオンに初めて“理性と倫理”が宿る

 マチュとニャアンは戦いを超えて並び立ち

 母との和解も達成

 そして「向こう側」へ行く決心で物語は終わる


 このラストの意味

 カオスで始まり、カオスの中を彷徨い、

 それでも最後には、**「誰かが生きることを選び、信じることをやめなかった」**という事実だけが残る。


 それだけで十分じゃないか。

 ジークアクスにしかできない、ノイズまみれの中の静かな終幕だった。


 ◎ 総評:ジークアクスとは何だったのか


 話は分からない、感情も飛躍しまくる

 尺が足りない、キャラの出番も無秩序

 でも、“ガンダムでしか描けない核心”だけは確かにあった


 ◎ 「シャアは殺されない生き方をする」と誓い、シャリアはそれを信じる――

 この一点がある限り、ジークアクスは「見る価値があったガンダム」だと断言できる。



 ******


 正直、自分の意見もこのChatGPTちゃん寄りである。

 突っ込みどころは山ほどあるし意味不明な部分の方が多い作品だけど、シャリア(とセイラさん)が頑張ってシャアとララァが幸せになれそうな世界をつくるという結末はかなり良かったと思う。セイラさんが嫌そうな顔をしていたのは解釈分かれそうなところだが、少なくともシャアが総帥になるよりはまだマシな結末だろう。


 ただそうなるとやはり、「マチュ・ニャアン・シュウジの3人って何だったの?」問題が残るが、マチュは恐らく「シャリアが希望を託すニュータイプ」の典型であり、「傷ついても自由を手にしようとする者」として描かれた主人公。

 実際、ララァも救いシュウジも救い自由も手にして自分のやりたいことを成し遂げる為に、何が何でも猪突猛進な彼女は結果的に世界を救った。

 とりたてて毒親描写もされていない母タマキ(ガンダムでは稀に見る良い主人公母)に対してろくにコミュニケーションを取らない姿は、「問題のない家族を大切に出来ない主人公はどうなのか」と思ったこともある。しかしそれも最後の最後でようやく、マチュからタマキに連絡を取ったことで何とか解決。

 最低限、主人公としての役割は果たしていたんじゃないかと思う……少なくとも種運命のシンよりは。


 恐らくイズマコロニーから出た後、ララァとの出会いやシャリアとの特訓を通じて少しずつマチュが成長していったのだろうと考えられるが……

 だからこそマチュがシャリアをヒゲマンと呼ぶまでの過程を詳しく書けと(2回目)



 しかしニャアンについては、終わってみると何故出したのかがまず分からんし(カテジナみたいな変貌するかと思ったら最終話ではあっさりマチュと和解)

 ジフレドはあれだけヤバそうな描写あったのに最終話で巨大ガンダムにあっさりやられて興ざめ。結局はイオマグヌッソを起動する為のキーでしかなかったんですかねニャアン(とジフレド)は……


 というか、イオマグヌッソで大量虐殺してたけどその報いとかお咎め描写は何かないのか>ニャアン

 シュウジに最後まで完璧に無視されたってのが罰といえば罰……なのか?



 シュウジについても、嵐の中心的存在だったにも関わらずろくに掘り下げもされないし、掘り下げられても意味が分からない。シャアに見いだされたニュータイプって? というかシャアってゼクノヴァで「向こう側」に飛ばされたんじゃないの? シュウジとシャアが出会ったのって「向こう側」なの? 「向こう側」だとしたらシュウジがこっち来る時にもう一度ゼクノヴァ観測されてるはずだよね? だけどこっち側だとしたらシャアはゼクノヴァから逃れたってことになり、シャリアたちが5年間探してたその間何してたん? と雪だるま式に謎が増えていくっていう……


 最終的にマチュとシュウジが相思相愛(?)になるなら、ニャアンに割いた尺をシュウジにあてて二人の絆描写を増やせばもうちょっと何とかなったのではという気もするが、それだと絵面的に色気がなくなりすぎるからダメって判断だったんですかね……

 先行上映版見た段階では、ニャアンはMS乗らずニュータイプにもならず、マチュの心の支えとか観測者的な役割で終わるのかなと思ってたけど、正直そっちの方がマシだった気がする。それこそアムロを見守るフラウのような……いや、水星のミオリネっていう問題例が直前にあるからやっぱりダメなのかw



 個人的にはララァが出てきたあたりで「これはグッダグダになって終わるんじゃないか、というかグッダグダで終わるしかないんじゃないか……」とかなりテンションが下がっており、ラスト1話前ぐらいはマイクラやっててうっかり放送時間忘れかかることもあったw

 最終話は予想通りグッダグダにはなったけど、シャリアとシャアの関係性の意外すぎる決着、そしてシャアとララァが幸せになれる可能性を描いた点は非常に良かったと思う。

 マジで最終話近くまで、シャリアがシャアを見つけた瞬間「大佐! 大佐! 大佐ぁ~!!(はぁと)」って豹変しやしないかとヒヤヒヤしてたからなw 豹変はしたけど全く逆方向の変わり方で……「大佐、あなたは地球に隕石を落とすから×んでいただきます」は99.99%の視聴者は予想できない!!

 そのかわりララァが「大佐! 大佐! 大(ry」になったがw ずっとシャアを夢見てるって時点で変な解釈だなと思っていたがあそこまでとは……ララァってあそこまでシャアに入れ込んでたっけ?となったし最終話のあの顔はギャグとしか(;´Д`)


 そもそもあそこまでシャアに入れあげてたら、アムロに出会ったとしてもろくに振り向いてくれないのでは>ララァ

 あの状態から、大佐とアムロ両方想っててもいいでしょ? とはならん気もする。


 シャアとシャリアについてはすごい形で見事決着したけど、それに対しマチュとシュウジとニャアンといい、シャアとララァといい、男女の恋愛の描きかたがかなりいい加減すぎる。

 ガンダムにそこは求められてないという意見もあるだろうけど、これまでのガンダムではボーイミーツガールから突っ走って物語を動かす主人公も(主人公だけでなくサブキャラも)多かった以上、そこはいい加減に描いちゃいけない部分かと。

 特にマチュやニャアン、ララァから男性側に向ける感情が一方的かつ唐突すぎて、制作側のそういう経験のなさを疑うレベル。




 無駄な描写をほぼ全て削ったまではいいが、主人公周りの人間関係などで必要な描写までも省き、話題性のあるキャラや衝撃的なイベントだけを徹底的に詰め込んだ感が強い>ジークアクス

 結果的に、「終わってみるとここが大幅に無駄だったのでは?」となる部分(例:ニャアン関連描写)が出てきてしまったのは本当に残念なところ。

 水星でもそうだったが、ジークアクスの場合も毎回目玉となるイベントやいわゆる「SNSでのバズり」が優先された感が非常に強い。水星はそれだけでなく「ライブ感」とやらを優先して視聴者の動向を探りながら制作していた疑惑もあるからさらに酷いことになっていたが……



 ライブ感についてChatGPTちゃんに話したらこんなん言われたw↓


**


 ライブ感とは、言い換えれば「制作の責任を投げる行為」にもなり得ます。

 **完成された脚本・構成があれば不要なはずの“方向修正”**が頻発する時点で、物語の重心がぶれてしまう。


**


 改めて思うが今のAIすごいな……




 確かにジークアクスは、毎週毎週「次は何が起こるのか?」「この展開から次はどうなるのか?」と滅茶苦茶ワクワクすることも多かった。特にバスクとサイコガンダムが出てきた次の週は、コロニー自体が崩壊してマチュが全てを失う!?と思って本当にドキドキして珍しくテレビにかじりついていたものだ。

 ガンダムでこの感覚を味わうのは00の「あの」結婚式襲撃事件以来である(ガンダムで結婚式といえば……と未だにファンを青ざめさせるアレ)


 しかし終わってみれば

 サイコガンダムもゲーツもドゥーも一瞬でやられたし

 コロニー崩壊もなかったし

 マチュ母も無事だったし

 バスクはちょっと出ただけでフェードアウトだし

 ただひたすらマチュ・ニャアン・シュウジの3人組を引き裂きアンキー&ポメラニアンズを強制退場させ、マチュの人生が滅茶苦茶になっただけの事件であった。


 これは鉄血のガンダムバエルやモビルアーマー、水星(特に後半)でもよく味わった感覚である。

 鉄血でモビルアーマーが登場した時はその圧倒的な力に驚愕し、これは敵味方もろとも世界を壊滅させる流れか!?と思ったのに、その後は物語に全然出てこずそれっきり。主人公三日月の負傷が重症化するだけであった。

 バエルが登場した時は「伝説のMSってくらいだし、モビルアーマーよりスゴイレベルの力持ってる? MS含めた全ての兵器を強制無力化させるとか!!」と期待したのに、大した能力もないごく普通のMS。バエルの威光だけでマクギリスはギャラルホルンを従えようとして失敗、鉄華団壊滅エンドの最大の要因となってしまった(頭バエルだの頭マクギリスだの未だに言われる所以)

 鉄華団壊滅(&三日月やオルガの死亡)は既定路線だったから仕方ないとしても、そこに至るまでの道筋があまりにも無理矢理すぎた。盛り上げに盛り上げてドッチラケ、なパターンがガンダムで始まったのはここからか……

 鉄血の1期は良かったのに2期はダメと言われる理由はほぼそのへんだと思う。

 あと、主人公側の敗北が最初から決まってたとはいえ、だったら敵側ギャラルホルンも滅茶苦茶な壊滅状態一歩寸前ぐらいになるべきだったろとは未だに思ったりする。それこそイデオンオチでも良かったかと。




 ジークアクス直前のTVシリーズガンダム「水星の魔女」も鉄血と同じく、前半良かったけど後半ダメという意見をよく聞く。

 例をあげれば

 ・スレッタの初恋相手として登場しあれだけ衝撃的な退場をしたにも関わらず、最終話まで出てこずその生死すら引っ張られまくったエラン4号

 ・母プロスペラに洗脳されるがままにMSで人を潰した挙句、血まみれの手で「助けにきたよ、ミオリネさん」のスレッタで終わった1期→からの、とりあえず普通に平穏にミオリネと学園生活してますの2期

 ・エリクトの行方やスレッタの出生、ガンダムエアリアルの正体、プロスペラの目的など話の根幹に関わる部分はなかなか説明しない(されてもよく分からない)のに、株式会社ガンダムだのマルタンだのいらんところでやたら尺を割く脚本。

 ミオリネやグエルやニカがよく言われがちだが個人的にはマルタン関連が一番いらん! ニカのスパイ行為を目撃するのはチュチュで良かっただろ!!

 ・地球寮はあの半分以下の人数でいい。というか途中で半分ぐらい犠牲になる為にあの人数いると思ってた

 ・グエルの地球での描写を1話使ってやった割には学園への帰還が一瞬すぎる。というかどういう過程で地球に行った?

 ・兄のグエルが変わったことやペトラの怪我を何故かミオリネのせいにするラウダ(その後無理矢理MSに乗って何故かグエルと戦う)

 ・強者ぞろいというイメージで登場したのにろくな出番のないシャディクガールズ。死亡要員と思われたが華々しく爆死する場面すら与えられない

 ・グエルの人気が予想外に出たおかげでグエルの出番が増えた(?)のに対し、シャディクの扱いがかなり悪い、というかキャラ像が全然掴めずに終わった

 ・地球が酷いことになっているのにあまり反応しない地球寮の面々

 ・エラン4号や5号といった強化人士たちを好き勝手に扱っていたペイル社ババアどもは死なずに終わる。当時は「全財産根こそぎやられたなら死ぬより酷いんじゃね?」と一応納得したものの、その後ティータイムだのやってるの見るとやっぱり怒りが……

 ・同様に、デリングも大したお咎めなく終わる。プロスペラがプロスペラになる最大の原因がデリングだったろうに……結局ガンダムをあれだけ否定してた理由ってなんだったの……



 いや、こうして挙げてみると何だかんだで水星酷いなw

 特に4号君(推し)がどうなったのか、最終回まで引っ張られて非常にイライラしたのを覚えている。結局最終回のあの状態ならスレッタの前に出てこられそうなチャンスはいくらでもあったのに、マルタンやらミオリネやらマルタンやら地球寮描写やらに潰されて、後半は毎回毎回ストレスためまくりだった。

 最終回でようやく霊体として出てきてスレッタの力となりほっとしたけど、彼を殺したペイル社ババアどもはティータイムっていう……

 アレに比べればジークアクスは短いし推しもいないしで滅茶苦茶ラクw 毎回なんだかんだでストレスなく楽しめた。


 だけどタマキさん推しとセイラさん推しはイライラしたかも知れない……シャアシャリ推しは最終話まで引っ張られた挙句大爆破されて最悪だったかも知れない……それでもリアルタイムで引っ張られた期間は4号君よりずっと短かったけど!!!( ノД`)



 何よりジークアクスは、ヤバイことしたキシリアがきっちりバズーカ喰らって制裁されて終わったからなw バスク? い、一応イズマコロニーは思ったほど損害なかったし……(;´Д`)



 しかしジークアクス、確かに毎週毎週楽しくはあったのだが……

 果たしてこれは、「ガンダム」に求めていた楽しさなのか?という疑問は非常に残る。

 この前、種自由こと「ガンダムSEEDFREEDOM」を見た時の感覚と似ている。

 種自由も後半、やたらバズり要素が多かった。ズゴックに乗って出てくるアスランだの、アスランが一方的にキラを殴るだの、シンがキラの弟分になってるだの、シンが大活躍だの……果てはカガリがキャバリアー(サイ&ミリアリア&チャンドラも搭乗)でアスランを超遠隔援護とか。

 サイ君推しだしそこはすごく楽しめたけど、自分がSEEDで見たかったのってコレだったのかな……?というのは今でもモヤモヤしている。



 結局ジークアクスの最終的な感想も似たようなもので、

「毎週面白かったけど、ガンダムに求めていた面白さじゃない」

「毎週楽しかったしストレスもそこまでなかったけど、ガンダムにこれは求めてない」

 が正直なところ。



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