第46話 无私的状态
迫りくる死を前にしても、右猴は極めて冷静だった。
閃光の如き居合を、肘に峰を当てた短刀で受け止める。
無駄だ……!!
受け太刀に意味はない……
この居合は何人をもすり抜ける……!!
事実、黒澤の狙い通り、刃は音もなく短刀をすり抜け、右猴の右腕に差し掛かっていた。
プツ……プツ……プツ……
一瞬、血の滴りか、裂けゆく筋繊維の悲鳴にも思えたその音は、よくよく考えれば奇妙な雑音だった。
黒澤の脳裏に過った僅かな疑念はやがて確信に変わり押し寄せる。
切られた対象が気づかぬほどの切り口を伴う居合。
そのはずが、右猴の右腕は血しぶきを上げながら宙を舞っている。
右猴は吹き飛んだ右腕を掴むと、その断面から吹き出す血で黒澤の視界を奪った。
そしてすぐさまガラ空きの腹部目掛けて、強烈な横蹴りを見舞う。
「ぐはっ……!?」
予期せぬ激痛に顔を歪めながら、黒澤は後方に吹き飛んでいく。
何が起きた……!?
俺の技が未熟だったのか……!?
床に這いつくばった黒澤が、刀を頼りに起き上がろうとすると、右猴は考えを見透かしたかのように言った。
「いや……お前の技完璧だたヨ……」
右猴は切断された右腕を傷口に押し付けた。
するといつの間にか隣に駆けつけていた左猴が傷口に何かを施していく。
黒澤と鰐淵が目を凝らすと、傷口の周囲には極細の黒い糸が、僅かに光を反射して煌めいていた。
「微粒構造金属製の鋼線か……!?」
「正解ネ……お前の居合、素晴らしかたヨ。絶対切れないワイヤー三本も切ってワタシの腕まで切り落とした……誇っていいヨ」
ワイヤーで威力を殺されただと……!?
しかもたったの三本で……!?
「その剣、硬い敵には最強ネ……だけど形無い敵には最強違う。弛んだワイヤー威力受け流してしまうネ。落ち込む無い。いい線いってたヨ」
微塵の悪意もなく言い放つ右猴の言葉は、かえって黒澤を激昂させた。
傷も出血もお構いなしに、黒澤はワナワナと震えながら叫び声をあげる。
「黙りやがれ……!! 敵に同情されるほど俺は落ちぶれちゃいねぇぇええええ……!!」
「右猴くっついたヨ」
左猴の言葉で、右猴は繋がった右手の指を動かし動作を確認した。
「やぱり違和感あるネ……後でちゃんと病院行く必要ある……」
「当たり前ネ。繋がってるだけ。治ってないヨ」
アホな……!?
兄貴の必死の攻撃で……
あんなゴッツイ技喰ろうてあの程度やと……⁉?
「舐めやがって……次はてめえの首をぶっ飛ばしてやる……」
震える膝で立ち上がりながら吠える黒澤を見ると、忍二人は顔を見合わせくくく……と嗤う。
「お前もういいヨ……!!」
「死に損ないの相手する何の楽しみも無いネ……!!」
「大人しく……」
「くたばってるイイ……!!」
スッと姿を消した二人が黒澤の両隣に現れた。
顎とこめかみに二人の強烈な肘打ちが同時に炸裂し、黒澤の脳が激しく撹乱される。
ぐしゃり……
音を立ててその場に倒れ込んだ黒澤を白い影がさらっていった。
忍二人の間から黒澤を掠め去った鰐淵が、泣きそうになりながら全力で駆けていく。
すんません……兄貴……!!
すんません……姉さん……!!
姉さんのために命張るとか言っとったくせに……
ワシ……兄貴を死なすんだけは出来まへんのや……!!
忍二人は遠ざかる鰐淵の背中を見つめて囁きあった。
「左猴気付いたヵ?」
「当たり前ネ……あのハゲも動き変わったヨ……」
「どうなってる? 一晩で二人も无私的状态目覚める聞いたこと無いヨ……」
「ワタシに聞く無いネ……それより二人追うヨ……」
「慌てるない。どうせオカマ、もうボス着いてるヨ」
「それもそうネ……」
二人は話し終えると、闇の奥へと続く血の跡を追ってゆっくりと歩き始めた。
猿面の奥では、両者とも愉快そうに笑いを噛み殺している。
それが、戦いに身を置くもの特有の、強者に出会った際に現れる愉悦の故なのか、はたまた別の何かがあるのか……
この時はまだ、誰も知る由は無かった。




