第42話 商談
ドアを蹴破り室内に飛び込むなり、侍は刀を抜いて周囲に警戒を張り巡らせる。
右、左と視線を飛ばしたが、そこには誰の姿も見当たらない。
そこにあるのは古今東西、世界各地から集めたと見える骨董品の数々だった。
姿形は違えども、そのどれもに共通する禍々しさが、無言で用途を主張する。
不気味な顔が天辺に設けられた棺の内側には鋭い棘がびっしりと並んでいた。
同じく棘の生えた木の椅子や、不気味なマスクの類が置かれたガラスケース。
様々な形状の鞭が吊るされ、開きかけの木蓮の花を連想させる使い方のよくわからない金属の器具もある。
拷問具……
部屋を埋めるおびただしい数の拷問器具に、さくらは思わず総毛立った。
器具の間に真っ直ぐできた空白の先には重厚なマホガニーの扉がある。
奥に見えるその扉を侍が睨みつけると、それに呼応するように冷たい殺気が靄のように戸の隙間から漏れ出してきた。
「さくら……行くわよ……」
侍はそう言って刀を鞘に戻すと胸を張り大きく手を振りながら大股で扉へ近づいていく。
銀の取っ手を回すなり、勢いよく扉を押し開けた。
「ようこそ青龍商会へ……私の名は劉・青龍。君たちを歓迎しよう」
広い部屋の奥で巨大なソファに深々と腰掛けた大柄な男が組んだ足の上で指を回しながら言った。
仕立ての良いストライプのダブルスーツには金のボタンが光っている。
葉巻を咥え長い髪をベッタリとオールバックにまとめた顔には、左目が無かった。
男が放つ圧倒的な威圧感にさくらは思わず息を呑む。
南地区を牛耳るユーン・アーティットとも違う底冷えするような冷たい悪意……
それに当てられいつの間にかさくらの奥歯はガチガチと音を立てていた。
にも関わらず男から目が離せず息が止まりそうになったその時、突如春の日向のような温かさがさくらを包んだ。
「安心なさい。あたしがついてる……」
金ちゃんは囁くようにそう言うと、ゆったりした歩みで男に近づいていった。
「あたしは金ちゃん!! あんたの言う通り来てやったわよ? そんなことより……」
「ママは何処……!?」
侍の言に呼び寄せられたかのように、開け放った扉から突風が吹き込んだ。
男は一瞬右目を見開くと、すぐにもとの表情に戻りククク……と喉を震わせる
「黒華……!!」
その声を合図に、男の後ろから妖艶で美しい女が姿を現す。
その手には古い鉄製の車椅子に拘束されたママの姿があった。
口をテープで塞がれたママの姿に金ちゃんとさくらは声を揃えて叫ぶ。
「ママ……!!」
「良かった……生きてた……」
そう呟いたさくらに向かってミスター劉が言う。
「殺すと思っていたのかね? お嬢さんは私をマフィアか何かと勘違いしているようだ。私は商人。《《利用価値のあるものを》》殺すなどという無益なことはしない……」
口をテープで塞がれたママはその言葉に首を振って二人に何かを訴えていたが、金ちゃんはちらりとママを見ただけで、男に向かって切っ先を掲げて言った。
「お上品ぶるんじゃないわよ! 要は人質でしょうが!? 手下を何人もぶつけたり、人質取ったり……くだらない!! あんたも《《漢》》なら……正々堂々戦いなさいよ?」
「我が社を狙う輩は多くてね。アレはちょっとした手違いだよ。私は君たちと取引がしたいんだ……」
組んだ手の上に顎を乗せ、ミスター劉は不敵に笑う。
「取引ですって……?」
金ちゃんが目を細めて言うと、ミスター劉は立ち上がり、ママの乗った車椅子に手をかけ歩き出した。
「そう! 取引だ! 今回の件で私は酷く落胆している。必死に集めた私設兵が、ほとんど君一人の手によって崩壊した。初めは腹が立ったよ。どうやって君をすり潰してやろうかと思った。手足の腱を切り裂き、舌を抜き、目玉を抉り出し、永遠とも思えるような苦痛を与えてやろうかとも思った……」
握りしめた車椅子の持ち手がミシミシと音を立てた。
怒りを露わにしたミスター劉が言葉を発する度に、部屋の気温が下がっていく。
しかし男は唐突に表情を崩して侍に笑いかけた。
ゾッとするような冷酷な笑みを浮かべて。
「しかし私は思った。そうだ……! 使えぬ部下に固執する必要はない。その部下が束になっても敵わない逸材がいるではないか!? おまけに凄腕のハッカー、それも若いお嬢さんまで付いてくる……それで損失はチャラ。むしろ利益が出るではないかとね……」
ガチャリ……と冷たい音が響いた。
ミスター劉はママの車椅子を床に付いたレールに嵌めると、静かにママから距離を取る。
「さあ商談を始めよう……私の部下になれ。そうすれば君たちの大事なママも、店も、店の連中にも今後二度と手出しはしない。君たち二人の命で、皆が幸せになれる。悪くない取引だろう?」
余裕の笑みを浮かべる男と、鋭い目付きで睨む漢女。
両者の間で大気が擦り切れ、窒息しそうな真空が生じた。
その真空を切り裂くように、侍が口を開く。
「断る……と言ったら?」
その言葉でミスター劉から笑みが消えさり、冷酷な素顔が面を出した。
ミスター劉は黒華に目配せし、ママが乗ったレールに繋がるレバーを握らせた。
「そうなれば……婆の利用価値が無くなって……丸焦げのゴミが出来上がる」




