第31話 さくら VS 脳蒐集家
卑しく光る老人の小さな瞳にさくらの全身が総毛立つ。
そんなさくらを見て、老人は気味の悪い笑い声を上げながら、猫なで声で言った。
「怖がることはないよ? 大事な客人を無闇に殺しやせんわい……」
「あんたが脳蒐集家……?」
震えそうになる声を押さえつけてさくらは老人を睨みつける。
老人は目を丸くしてから高笑いして答えた。
「ふぇふぇふぇっ……!! いかにも!! よくぞ見抜きなさった!! 拙僧の名は腐果老。確かに電脳世界では脳蒐集家と名乗っていたこともある……!」
「人から脳を盗んで……それで得た知識で頭の良い振りとか最低だね……」
さくらは周囲の棚を埋め尽くす脳味噌の瓶詰めを見ながら、吐き捨てるように言った。
「くくく……歳を取るとそんな矜持よりも大事なものが見えてくる……何だと思うね? 賢い君の脳味噌で考えて教えておくれ……?」
老人の節くれ立った十本の細い指がさくらの頭を優しく触れる。
ババロアが壊れぬように、膠質が崩れぬように、いたわるように頭蓋をなぞる指先に、さくらの息の根は止まりそうになった。
飲まれちゃ駄目だ……
さくらは震える息を吐き出して言葉を紡いだ。
「知るわけ無いじゃん……変態の考えることなんて」
精一杯の強がりも老練な不果老の前では大した役には立たない。
それでもさくらは頭をフル回転させて一時でも長く時間を稼ごうと決意した。
金ちゃんが来るまで……!!
「ふぇふぇふぇ……見るからに無粋な駆け引きだが応じて差し上げるのが年長者の務めかのう……」
そう言って腐果老は顎を掻く。
めくれた皮膚がパラパラと顔に降りかかり、さくらは思わず顔を顰めた。
「時間じゃよ。《《タイパ》》というやつじゃ!! 若い頃は知識を得るために膨大な時間を使うことが出来た。しかし今や学ぶ時が惜しい!! 有限の時間の中では一分一秒の価値が値千金……!! ならば手っ取り早く学んだ者から知識だけを抽出すればいい……クククッ!!」
そう言って腐果老は台の上に置かれた注射器を手に取り、皺だらけの顔をさらに皺苦茶にして邪悪に嗤った。
「さあ……駆け引きの時間は終わりじゃ……一分一秒が惜しいので手早く済まさせて戴こう……目が覚めた時にはお嬢ちゃんは儂の頭の一部になっている……!! 死ぬまで儂の頭蓋の中で飼いならしてしんぜよう……ぐふぇふぇふぇふぇふぇ……!!」
さくらは身を捩って逃れようとしたが、身体を拘束する医療用の拘束器具は、警告音を鳴らして拘束を強めた。
『患者の暴走を感知……拘束を強化します』
手術台から新たなアームが伸びてきて、さくらを締め上げ、口には猿ぐつわがはめられた。
腐果老は身動きの出来ないさくらの腕に点滴の針を突き刺し、サージカルテープで固定する。
「さあ……御眠のじかんでちゅよ〜?」
そう言って腐果老は点滴のゴム栓に注射器の針を刺し、透明なパックの液にどす黒い薬品を注入した。
「ん゙ん゙ん゙ぅぅ゙ぅ゙ぅ゙ぅ゙……!!」
さくらは唸り声を上げてさらに抵抗した。
あと少し……!!
もうちょっとだけ……!!
お願い……!!
その時、遠くで通路が組変わる音がした。
ガコガコと激しく通路が組変わり、微粒構造金属を制御するチップが激しく熱を持つ。
来た……!!
さくらは目を閉じ力の限り抵抗した。
医療用拘束デバイスは、患者のさらなる暴走を感知して、激しく警告を発する。
『患者のさらなる暴走を感知……電気ショックによる制圧を実行します』
薄笑いを浮かべていた腐果老の顔にさっと影が差す。
「しまった……!! いかん……!!」
バチュ……ンンンンンンン……
拘束デバイスと天井のライトから火花が散り、辺りは暗闇に包まれる。
その瞬間、さくらは閉じていた目を開き、腕に刺さった点滴を引き抜いて手術台を飛び降りた。
上手くいった……!!
マジで危なかった……!!
さくらは待っていた。自身が仕込んだウイルスが通路の制御システム行き渡り、無茶な変形を繰り返し電圧負荷を上昇させる瞬間を。
その瞬間に医療デバイスにも電気的な超負荷をかければ、電気制御系がパンクする。
そうなれば電子制御された医療デバイスは、通電が遮断された途端に安全装置が働き、全ての機能がオフになる。
それは拘束装置も例外ではない。
改造された医療デバイスなら拘束は解けずそのまま詰んでいた。
一か八かの賭けだったが、さくらは腐果老とのやり取りの中で、腐果老が医療デバイスを改造していない確信があった。
借り物の頭脳、借り物の知識、そんな頭に予想外を思い描く《《想像力》》は無い……!!
さくらは予め閉じて暗闇に慣らしておいた目で出口を探す。
後ろの闇では腐果老が大声で喚き散らしていた。
「小娘がぁあああああ……!! 舐め腐りよってからにぃぃいい……!! うぎゃぁぁあ!?」
ガラガラと激しい物音が響き、腐果老のつまずく音がする。
さくらは出口らしき隙間に指を突き刺し、両側に思い切りこじ開ける。
その時背後から怒声が響いた。
「逃がすな……!! 鵺……!!」
ぬっ……
突如黒くて巨大な影がさくらの前に立ちふさがる。
非常灯が弱々しく足元を照らす開けた空間に、ひょぉおおおお……ひょぉおおおおお……と不気味な吠え声が響き渡った。
思わず居竦んださくらの身体を、ぬめぬめとした太い大蛇が絡め取り、さくらを宙に吊り上げる。
「ひぃ……!?」
大きく開いた大蛇の口からは、毒の滴る長い牙が見えた。
しかしさくらがそれ以上に驚いたのは、大蛇がただの《《尾》》でしかないということだった。
大蛇に縛られ、運ばれた先に待っていたのは、凶悪さと狡賢さに満ちた、巨大な狒狒の顔。
黄ばんだ鋭い歯をガチガチと鳴らして雄叫びを上げる狒狒の胴体は、太くしなやかな虎の体躯。
大蛇の尾を持ち、虎の体躯に挿げられた狒狒の頭……
鵺と呼ばれるバケモノを前にして、とうとうさくらが叫び声を上げる。
「金ちゃん……!! 助けてぇぇえええええ……!!」
刹那……
激しい衝撃がさくらを襲った。
次いで数メートルの高さから落下し、重力の加速をその身に感じる。
地面に激突するのを覚悟したさくらだったが、身体がふわりと軽くなり、クチナシの甘い匂いが漂った。
抜き身の刀を肩に預け、左手と膝でさくらを抱きかかえる侍に、さくらは思わずしがみつく。
「金ちゃん……!!」
「よく頑張ったわね……さくら!!」
侍の言葉に泣きそうになるのを堪えてさくらは言う。
「余裕っしょ……!!」
ズシン……と音がして切断された大蛇が地に落ちる。
切られてなおのたうち回る大蛇に、侍は止めを刺そうと刀を構えた。
その時背後の扉から腐果老が顔を出す。
侍は止め刺しを中断し、構えた切っ先を老人の方に向けると、鋭い視線を投げかけながら静かに口を開いた。
「おぬしがこの迷宮の長か……?」
「ふぇふぇふぇ……いかにも。ミスター劉から迷宮の番人を仰せつかっておる腐果老と申しまする」
さくらを抱きかかえたまま侍は立ち上がり、ちらりと背後の鵺に気を配る。
「千里先まで外道の腐臭が漂っていたが……なるほど得心いたした……」
「何を得心なされたか……? 侍の人」
「大したことじゃないわ。クッサイ臭いの元凶が、やっぱりウンコみたいな爺だったってだけの話よ……!!」
腐果老は相変わらずのニタニタ笑いを浮かべたままだったが、その目の奥にどす黒い殺意が揺れたのにさくらは気付く。
「ふぇふぇふぇ……年寄りは敬うものじゃよ? 侍の人……鵺ぇぇええええ!!」
老人が叫ぶと鵺が天を駆けた。
目にも止まらぬ速さで、床の大蛇を咥え上げると、切断された尾の断面に押し付ける。
じゅうぅぅ……と音がして切られた尾が癒着した。
腐果老は目にも止まらぬ速さで背中から七本の細いアームを展開し、合計九本の手で五つの印を結んで叫んだ。
「雷威雷動便驚人……!!」
さくらの耳がズキリと痛む。
すると先程までの空間がぐにゃりと歪み、鉄の壁は内臓のような肉の壁に変わる。
足元には血の川が流れ、髑髏が散乱していた。
「妖術の類か……さくら……しっかり掴まってなさい!!」
「ふぇふぇふぇ……無礼なオカマは嬲りものにしてミスター劉の手土産に、小娘は生きたまま脳を摘出して、変わりの脳を詰めてくれるわ……儂に絶対服従の生き人形じゃ……!! カッカッカッカッ……!!」




