第2話 劇場の白鳥達
カランコロンと扉のベルが音を立てると、場末のオカマバーに集った物好き達がじろりと扉に目をやった。
褌一丁にアイシャドーをした大漢。
普通の店なら悲鳴のひとつでも上がりそうなものだが、ここは場末のオカマバー。
少ない客からも、舞台で踊るオネエ様達からも、黄色い悲鳴が湧き上がる。
「あ〜ん!! 金ちゃん久しぶりぃ〜!!」
「何処行ってたのよ?」
「抱いてぇ〜ん?」
あっという間に金ちゃんの周りは珍獣たちで埋め尽くされた。
金ちゃんは手の甲を振りながらシッシと唾を飛ばして言う。
「いつも言ってんでしょ!? アタシは自分より強い漢にしか興味ないのよ! おどきなさい!?」
「あーん……つーれーなーいー!!」
「そんなの無理ゲー」
「でもそこがジュンと来ちゃう……」
「アンタのは尿もれでしょ?」
「失礼ね!! お黙んなさい!?」
取っ組み合いというよりも、互いのレオタードの股間を食い込ませ合って相撲を始めた白鳥達に言葉を失う少女を、金ちゃんはひょいと抱き上げて言う。
「それより注も〜く!! アンタ達、この娘に服着せてやってくんない?」
下着姿で衆目に晒された少女は、顔を真赤にして叫んだ。
「おい!! 放せよ!! 何すんだよ!?」
少女は足をバタつかせて金ちゃんを蹴るも、岩山のような身体はビクともしなかった。
「偉そうにすんじゃないわよ!! 命の恩人で服まで着せてやろうって相手に!! それにね、ここでは誰もアンタの裸なんて興味ないの!! お・わ・か・り?」
そう言われて見渡すと、確かにオカマ達の目はゲスな男たちのそれとは全く違っていた。
憐れみと羨望の混ざったどこか悲しげな光を見て取り、少女はしゅんと大人しくなる。
「分かればいいのよ」
そう言って金ちゃんは少女の脇に差し入れた手をパッと放した。
「こっちいらっしゃい……? 案内するわ」
そう言って一番背の高い白鳥が少女を手招きした。
「アンタのじゃデカすぎでしょ?」
「うっさいわね!! わかってるわよ!! 前にいた背の低い娘のが残ってるでしょうが!!」
わいわいがやがやと少女は奥へと運ばれていく。
バックルームはどこもかしこも女らしさの誇張された装飾にまみれていた。
キラキラの魔法少女のシールがあちこちに貼られ、レースやビーズの暖簾が必要以上に垂れ下がっている。
それに反して机の灰皿は吸い殻が山盛りに溢れ、ビールの空き缶が散乱し、ピンクのゴミ箱には丸めたティッシュしか入っていない。
少女はカオスな部屋の片隅でオカマ達に囲まれ熾烈なファッションショーのモデルをする羽目になった。
「これ!! 絶対これ!! だってチョー可愛いし!!」
魔法少女の衣装を持って一羽の白鳥が目を輝かせる。
「お馬鹿さんね! そんなガキみたいな恰好、年頃の女の子はしないわよ!! ボディコンで大人らしさを演出しなきゃ!」
ぬらぬら黒光りするラッテクスの布? を掲げてもう一羽が胸を張った。
「ミニスカJKコスにルーズソックス一択よ!! あ、それともスク水にしちゃう!?」
明らかにいかがわしい店で買ったと思しきハンガーが付いたままの衣装を抱えて三羽目が言った。
一通り辱めを受けた後、少女は小さな声で言う。
「あの……パーカーとか……ありませんか?」
それを聞いた白鳥たちは目を丸くすると声を合わせて言った。
「萎えるわぁ〜」
「はい。解散解散。せっかく色々似合うのにパーカーって……もう興ざめ、チョウザメ、ジンベイザメ。はいパーカー」
そう言って長身の白鳥は黒のパーカーとホットパンツを押し付けた。
「なんか……スミマセン……」
小さく頭を下げてから少女はパーカーを着ると、なんとなく居心地が悪くなって出ていこうとした。
少女が店舗スペースに戻ると、厳つい男が二人、ちょうど店に入ってくるところだった。
白いスーツにスキンヘッドの巨漢と、頬のコケた黒スーツに眼鏡の男。
二人の醸す嫌な気配に、少女は思わず立ち止まった。
「いらっしゃ〜い」
オネエ様達が元気にそう言って駆け寄ると、スキンヘッドの男が低い声で言う。
「じゃかしい……!! 気持ち悪いバケモンに相手してもらう趣味ないわ!!」
店内は一瞬しん……と静まり返ったが、直ぐにオネエ様は声を出して笑う。
「いやーんバケモンってひどーい!!」
「お兄さんもバケモンみたいなブツ付いてんじゃないのぉ〜?」
「とにかく飲も? 楽しくおしゃべりしようよ〜」
今度は眼鏡の男が机を蹴り飛ばした。
グラスが割れる音が店内に響き、再び静寂が店を支配する。
「俺等は客じゃねえんだよ……気持ち悪いゴミども……こんな客も入らねえような店が、NEO歌舞伎町の大事な土地を占領してるのが気に食わねえ……店の権利書持って来い? それで命は勘弁してやる」
白鳥たちは顔を見合わせ息を飲んだ。
誰もが口を噤んで静まり返っていると、男は小さく溜め息をついてからスキンヘッドに向かって言う。
「やれ……」
スキンヘッドはにやりと笑うと身軽な動作で手当たり次第に店内を破壊し始めた。
「やめなさいよ!! お店がめちゃくちゃになっちゃうじゃない!!」
「そうよ!! 帰りなさいよ!!」
無視して破壊を続ける男に向かって白鳥たちは罵声を浴びせ続けていたが、破壊が止む気配は一向にない。
とうとう一番ガタイのいい魔法少女好きの白鳥が、下唇を噛み締めてから、野太い男の声を上げてスキンヘッドに殴りかかっていった。
「邪魔じゃ!! オカマ野郎!!」
男が裏拳で殴りつけると、その衝撃で白鳥の奥歯が飛ぶのが見えた。
「舞台を壊せ」
眼鏡の男が気だるそうにそう言うと、スキンヘッドはズカズカとカウンターに向かった。
「ぬりゃあああああああああああああ!!」
メキメキと音がして、床に据え付けられたカウンターが持ち上がる。
それを見た白鳥達は舞台に立ちふさがり大声で懇願した。
「やめて!! 大事な舞台なの!!」
「アタシ達が唯一輝ける場所を取らないで……!!」
「バケモノに舞台は必要ない……やれ」
眼鏡の男の合図でスキンヘッドがカウンターを舞台に投げようとしたその時、ピタリとカウンターが動きを止めた。
「ちょっと……あたしがウンコしてる間に……あんたらお店に何してくれっちゃってるわけ……?」
見ると紫のアイシャドーをした無精髭の侍が、カウンターの端を草履で踏みつけて青筋を立てていた。
「金ちゃん……!!」
舞台に立ちはだかっていた二羽の白鳥は目に涙を浮かべて抱きしめ合って叫んだ。
スネ毛の生えた脹脛には、鋼のような筋肉の陰影がくっきりと浮かび、スキンヘッドがいくら力を込めてもカウンターはびくともしない。
「なんやワレ……? その足はよどけろや……!!」
そう言ってスキンヘッドはカウンターを手放し、侍に殴りかかった。
しかし侍は瞬きひとつせずに納刀したままの刀の柄で拳を受け止める。
「あんた……聞くけど、このカウンター何処に投げるつもりだったの?」
「あの舞台に決まっとるやろ……!! お前殺してから仕切り直すんじゃ!!」
「そう……」
小さく呟いて、金ちゃんは男の左フックを顔の動きだけで躱すと、スキンヘッドの鼻に頭突きをかまして足を開く。
「あの舞台はあの娘らの魂……それに刃を向けたからには、手前の魂を賭ける覚悟も……当然出来てんだろうなああああ!?」
金ちゃんの吠え声で、奥に通じる通路の暗がりで成り行きを見守っていた少女の身体に鳥肌が立った。
つま先から脳天まで駆け上るような強い衝撃に、少女は人知れず息を呑む。
ビリビリと空気を震わせる声と殺気に、スキンヘッドは後退りした。
「おい。誰が逃げていいと言った?」
眼鏡の男が冷たい声でそう言うと、スキンヘッドの額に冷や汗が吹き出してくる。
スキンヘッドは覚悟を決めて侍に飛び掛かった。
金ちゃんは鞘に仕舞ったままの刀を腰から抜くと、男の顎を一瞬で撃ち抜いた。
スキンヘッドは白目を向き、外れた顎からだらりと舌が伸びる。
しかしすぐに目を覚ますと、顎を無理やり両手で戻し、奥歯を強く噛み締めた。
するとスーツの背中が弾け飛び、尻尾のようなアームが現れ金ちゃんに襲いかかる。
思わず少女は片目を閉じたが、金ちゃんは慌てる様子もなく空中で半回転して抜刀すると、アームを切り捨ててしまった。
「斬り捨てごめんなさ〜い。でも今度この店に手え出したら……尻尾じゃすませえぞ?」
そう言って妖しい微笑を浮かべると、金ちゃんは真顔に戻って、眼鏡の男を睨みつけた。
その目から放たれる殺気に気圧されて、眼鏡の男も思わず後ずさる。
「あ……兄貴……」
「一旦退くぞ……」
そう言って眼鏡の男は銃を抜くと、舞台の白鳥達に銃口を向けた。
それを見た金ちゃんは咄嗟にカウンターを掴んで唸り声を上げる。
「こんちくしょおおおおおおおおおおおおお……!!」
ダン……ダン……ダン……!!
放たれた銃弾は金ちゃんが投げたカウンターに阻まれ、白鳥達には傷一つ無かったが、その隙に男たちは逃げてしまった。
いつの間にか手をきつく握りしめていた少女はそれを見ると腰が抜け、ふぅ……と安堵の溜め息が口をつく。
ふと見ると、通りがぼんやりと透ける店の一番大きなモザイクガラスに人影が映っていた。
また誰か来た……
少女がそう思っていると、真っ青な顔をした金ちゃんが、少女を抱えて店の奥へと全速力で駆けていく。
「ちょ……ちょっと!? 何!?」
「ヤバいわ!! とにかく逃げるわよ!!」
「何がヤバいの!?」
金ちゃんは少女を抱えたまま店の階段をもの凄い速さで駆け上がっていく。
屋上にたどり着くと、店の方から恐ろしい叫び声が聞こえてきた。
「ママが帰ってきたわ……逃げるわよ!!」
「はあっ!?」
そう言って金ちゃんは少女を抱えたまま隣の建物に飛び移った。
抱きかかえられたまま遠くなるミッドナイト・ルージュを眺めていると、屋上に出てきた白鳥達が思い思いに何か叫びながら投げキッスをするのが少女の目には映るのだった。