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財務卿付き書記官は飴を呈する

 ──カツン。カツン。


 いつも通りの廊下のはずなのに、俺の靴の音が響いている気がする。

 ……分かってる。それが俺のせいだってことくらい。


 手に持っているのは2枚の紙。書記官長様から、いや、宰相様から預かった紙だ。

 そして、もしかしたらドレイモン公爵家の裏切りになるかもしれない紙……。



 財務卿執務室の扉が見えてきた。

 いつも通り、木製の重厚な扉。けれど、今日は少しだけ重苦しく感じる。


 開けたくない。……それでも、進むしかない。

 ノックをしようとするその手が、かすかに震えているのが分かった。紙を持った手を背に回す。ドアノブの真鍮が指先をさらに冷やした。


「──カイル、戻ったか。」


 部屋に入るとすぐ、叔父上に声をかけられた。財務卿たるその人は、威厳のある佇まいで執務室の中心にいる。隣の補佐官の机には、父の姿もあった。

 手に持った紙は体の後ろで、まだ気づかれていないはずだ。


「ただいま戻りました、叔父上。遅くなってしまい、申し訳ありません。」

「構わん。丁度昼だったろう。」


 普段手汗なんかかないのに、手に持ったものが濡れてしまうんじゃないかと錯覚する。

 今は、まだ扉のすぐ前にいるから誰にも見られていない。でも、俺の政務机に行くにはあそこにいる先輩方の前を、そして叔父上の前を通らなければ……。


 やるなら今、か……?


「財務卿。後ほどお時間いただいてもよろしいでしょうか。」


 部屋の中にいる先輩が、数人顔を上げる。


「……お前からなんて珍しい。カイル、どうした。」

「宰相様より言伝を頂戴しております。」

「成程。」


 そう言った叔父上は、しばらく黙り込んだ後、一つ鼻を鳴らした。


「——またあの若造が言ってきたか。早めに対処するか。今度はどんな無理難題を突き付けられた。」


 どうやら今話せということらしい。


「こちらをご覧ください。」


 それのみを言い、背に隠した紙のうち、許可願いのみを机に流す。

 余計なことは言わない。叔父上はここで言葉を発せられるのをひどく嫌うから。机に上の、その紙を読み終わるのをじっと待つ。


 おもむろに顔を上げた叔父上は、微かに首を傾けた。


「──ふうん。……これで、儂が印を押すと思ったか。」

「それはっ…!」


 叔父上が申請書を人差し指と中指で挟み、ぴらりと振った。父が、その紙を受け取って中身を見る。


「……っお前、こんなもの持ってきて何を考えているんだ!」


 父の大声に、今度こそ部屋中の人間の目線がこちらを向いたのが分かった。好機に満ちたもの、俺を蹴落とすネタができたと喜ぶもの。向けられる色も様々だ。


 ここが正念場だ。正直、ここまでは予想がついていた。叔父上が一発で許可なんて出さないことも。これを見た父が必要以上に騒ぐのも。

 しかし、父が騒いでくれたおかげでここからの流れは皆見ていることになる。


「父上、私はただ伝言を頂戴しただけで内容は存じ上げないのですが?」

「知らないわけないだろう!今日戻りが遅かったのだって、あいつ等と談合でもしてたからじゃないのか?!」

「……そうだったら何か問題でも?」


「──は。」、と父が口を開けたまま言葉を発しない。

 ふぅ、と心の中で一息ついて、黙って成り行きを見ていた叔父上の方へと向き直った。部屋の中の視線は、いまだに俺へと注がれている。


「──さて、叔父上。先ほどまで私は宰相様の部屋におりまして。同期と昼を一緒に摂っていたのです。それを談合と言えばそれまでですが、そこで面白いことを聞いたんですよ。」


 叔父上が片眉を上げる。


「どうやら今回の件、陛下直々のご要望らしいのです。」

「……新人書記官の歓迎会が、か。」

「はい。」


 そう答えると、叔父上は目を閉じた。

 ──数秒。再び目を開けた彼の眼は拒絶の色をしていた。


「ますますここに印を押すわけにいはいかないが。」

「ですから叔父上──、こちらから要求をしてやるのはいかがです?」

「……要求だと。」

「はい。勅命ですから、どうせ最後は陛下の思惑に乗ることになるのです。どれならば、初めから協力しておいてこちらのいいように持っていくのが最善ではないでしょうか。」

「成程な。……実を捨て、利を得るか。」


 そう言う叔父上は、少し口角が上がっていて。居並ぶ職員が静かにざわめくのを肌で感じた。



「──して、カイル。儂にここまで提案したのだ。何か腹案があるんだろう。」


 叔父上が俺を促す。


 ……よしよし。こっちの思惑通りだ。

 一番騒ぐ父はもう口を挟めなくなった。この件が派閥のパワーバランスに大きく関わってくる以上、他の書記官も静観するだろう。そもそもここの人たち、全員うちの遠縁か傘下の家出身だからな。本家当主の叔父上と暫定次期当主の俺が話してるところに口なんて、よっぽどじゃないと突っ込めないだろう。


「まず今回、参加者が新人書記官のみに限定されています。そこに叔父上たち大臣様方の出席を要望します。陛下主催になる以上、陛下の参加は確定なのです。こちら側の参加も妥当かと。」


 最初は「まあそうだよな」というラインから攻めていく。所謂ジャブというやつだ。

 あっちで父が「当たり前だろう!!」と言っているが、知らん。俺は今、叔父上と話してるんだ。


「……で?それだけじゃないだろう。」

「ええ。こちらが一方的に要求をすると、陛下からの心証の悪化が懸念されます。こちらからも、陛下が断り切れない改善案を提案しましょう。」

「すでに体裁は整っていると思うが。」

「はい。ですがここ。」


 そう言って、父の机の上にある申請書を取り、一か所を指さす。


「『【新人歓迎会】実施計画申請書』……。特に問題はないだろう。」

「いえ。新人と言うからには書記官だけでは。衛兵や侍女、料理人など城内の者を広く招待するべきではないでしょうか。」


 執務室内が一瞬静まり返り、そしてざわめきが満たす。……あ、父の口がわなないている。


「カイル!そんな下賤の者がいるところに陛下のご臨席を賜るつもりか!」


 あぁ煩い。そんな大きな声を出さなくたって隣にいるから聞こえるって。


 でも、ここを切りぬけないとノエル達の思惑を達成できない。自分の発言が貴族の常識からかけ離れてるってことはよく分かってる。叔父上だって、今日はやけに俺に乗ってきてくれるけど、ここで場を納得させなければ立場的に認められないだろう。

 やるか。


「父上、陛下がご臨席される場だからこそ彼らも参加してもらうのです。」

「なんだと?」

「自分がお仕えする人の顔くらい、一回は見たいでしょう。それにより、より一層職務に励みが出るというものです。」

「だがな……。」


 そう唸る父を横目に、叔父上の方へと向き直る。


「それに叔父上。この際、彼らを影響下に置いてしまうのはいかがでしょうか。」

「……ほう。」


 あ、少し面白そうな顔をしている。


「書記官への伝手はこれからいつでも作れます。それならば、『新人歓迎会』という体裁を整えつつ我々の影響力拡大を狙うべきかと。」

「成程。」

「それに叔父上。彼らは基本城内すべてが行動範囲です。つまり『裏』の情報が手に入る可能性があるのです。」


 そう一息で言い切り、叔父上を見返す。

 先ほどまでとは異なり、静寂に包まれた場に一つ咳払いが響いた。


「相分かった。お前の言う通りにしよう。派閥は儂が抑える。」

「──承知いたしました。」

「だが、儂の名で許可を出す以上失敗は許さんぞ。」

「分かっております。」


 よし。

 やることはやった。後は頼んだぞ、ノエル。

ありがとうございました!

続きか気になるって方、面白かったって方はぜひ評価や感想をお願いします。

作者のやる気に直結します!


《登場人物紹介》

財務卿

王国の財を一手に握る重鎮にして、ドレイモン公爵家現当主。

その言葉一つが市場を揺るがすとも言われ、王城内外に多数の派閥を抱える。

彼がどこまで”王国の秩序”を守るために動いているのか。それとも”ドレイモン家”のために動いているのか。

その答えは、まだ誰も知らない。

「陛下の理想は美しい。だが、美しいだけでは、国は動かん。」


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