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2.植樹 2022/6/1水

 高校入学はちょうど良い機会だと思った。このままではいつか自分が他人に置き換わってしまいそうな焦燥に駆られ、本当の自分を取り戻すための浄化期間を求めていた。

 それを得るためにはどうすればいいか?あたしはよく理解していた。持ち前の金髪は周囲の誤解を得るのに十分だとこれまでの人生で思い知らされていたし、その誤解を本物にするだけであたしは一人になれると予想していた。

 その目論見は上手くいき、あたしは周りとの関係を断てた。そうして得られたものは存外快適だった。一人でいると衰退はなく、進展もなかった。今まで他人に通わせていた血が、他に巡る場所が無くなり、常にそのまま自分の中を循環していた。

 その抑揚のない心拍数に身を浴し、早一年。血管が、再び外へと繋がろうとしている。……急に外に出たら、日焼けしてしまわないだろうか?何分日当たりが良すぎる場所に向かう訳だから、気を付けないと。


 今日の弁当は気持ち少なめだった。食べるのに時間がかかると置いていかれそうだから。先に屋上へ行っても開いてないから意味がないし、一緒に行くわけでもないから、早く食べ終えることにあまり意味はないと今になって気付いている。

 唄陽の様子を確認する。彼女はいつもの如く隣で机5つ分の大きな領地を作っていて、あたしの貧しい領地の圧迫感を増させていた。

 昨日の唄陽の誘いに、あたしは『いや、まあ、別に』と肯定とも否定とも取れる曖昧な返事を返していた。あたしは否定のつもりで言ったが、こいつはお気楽そうだから肯定と受け取ったと思われる。ふふっ、て心の隙間をくすぐるように笑ってたし。伝わってないのが分かった上で行かないけど。

 行かないけど。って思いながら帰って家事を済ませてベッドに入ったところで、異変が起きた。眠るために瞑った瞼の裏に昨日一日のことが焼き付き始め、その大抵が唄陽の顔だった。否応に印象深いあいつの存在感に当てられてしまったらしく、それを振り払うことはできない。このままでは唄陽と見つめあったまま夜を明かすことになると悟ったあたしは、前言を撤回し、明日本物を拝みにいくからというよく分からない約束を自分にすることで安寧を得ようとした。よく分からないのに効果はてきめんで、そこからはぐっすりだった。()せない。


 唄陽が教室を出て行くのを見届けて、あたしも席を立つ。距離を置いて後をつけると、唄陽は鍵を貰うために職員室へ向かうことも無く、階段の影に消えて行った。まあ、屋上を使うのが彼女だけなら、鍵の管理が彼女に任されていてもおかしくはない。

 そのまま屋上までつけていき、そっとドアノブを回す。音を立てていないにもかかわらず、ドアの先には見返った唄陽の姿があった。


「ストーカーさんですか?」


 悠然と紡がれたその言葉にぎょっとする。後をつけていることに気付いている素振りは一切なかったのに、最初から知っていたという風で。

 同時に納得する。この底知れなさが、昨夜あたしを悶々とさせたのだろう。普段教室で見せている無欠な姿以上に深遠なものが瞳の奥に宿っているような。そのブラックホールに吸い寄せられたのがあたしなのだ。


「あぁ」


 返事ではなく、ぽろりとこぼれた感嘆のようなものだった。


「きゃあ」

「なんだよ」

「ストーカーに屋上まで追い詰められた女の子の声です」

「演技にしては下手過ぎる」

「次回までに改善しておきます」


 次回って、次もこんな茶番をするのか?というか次があるのが確定してる?ここでツッコまないと本当に次が確定しそうだけど、まぁ、別に。この笑顔を遮ってまで茶々を入れる事でもない気がした。自分の笑顔には疎くても、彼女の笑顔が真実のものであるのはしっかり伝わったから。

 不思議なことに、こいつの余裕あるペースに合わせていると、あたしの方もちゃんと心に余裕が生じる気がしてしまう。あたしの錆びていた発話のギアも、昨日よりは軋んでいないように思う。


「さてさて、戯れはこの程度にして。今日は手伝って欲しいことがあるんですよ」


 唄陽はステップを踏むように、畑の枠の間を進み始める。こっちは手伝うともなんとも言っていないのに、勝手に話を進められるのは癪だ。


「んだよ……」


 癪なので、せめてもの抵抗にボソッと悪態のつもりで言った。渋々についていく足取りが釣られて軽くならないように、足首に重りを付けるイメージを浮かべる。


 フェンスもなく心ばかりの低い縁があるだけの危なっかしい屋上の端まで辿り着くと、そこには小さな鉢植えが並んでいた。唄陽はその内の一つを手に取り、見せびらかすようにあたしに差し出してきた。


「なんだこれ。何かの枝か?」

「ブルーベリーの苗です。大きくなってきたのでそろそろ畑に植え替えようかと」

「ブルーベリーって、野菜だけじゃないのかよ……」


 屋上に果樹園でも作るつもりなのか、他にもリンゴやレモンの写真が貼られた鉢植えまであった。ブルーベリーは知らないけど、リンゴとレモンは無理だろと常識的に思う。なんかでっかい木のイメージがあるし、こんな薄い畑ではそれを支える根が存分に伸ばせないと素人目にも分かる。


「カラフルな方がいいと思いませんか?」

「思考が陽キャ通り越してパリピだな。どの道あたしらの在学中には実らないだろうけど」

「どこかの自称不良さんが留年して見守ってくれないかな、なんて」

「おい」

「冗談です。はい、これ持っててください」


 どこからどこまでが冗談なのか問い詰める間も与えられず、鉢植えをぐいっと押し付けられる。か細くも育ての親に似て真っ直ぐ育ったらしい苗木と目が合った。それはあたしの身体の内側から冷たい渇きを湧き上がらせ、あたしはつい目線を唄陽の上靴に移す。


「いやだ」

「なにゆえ?さっきのは本当にほんの冗談で、だから怒らないでください」

「そうじゃなくて、いや、そういうことで」

「怒ったわけではないんですか?だったらどうして。……いえ、言いたくないならいいですけど」


 あたしが何かを隠したのは当然バレて、その上で気を遣われる。

 言いたくない話なのはそうだ。だって、聞いて楽しい話じゃないし。でも、だからこそ、話せばこいつの底が見えるかもしれない。


「……聞きたいなら話す」

「それはぜひとも。あ、私に対する否定が含まれる場合はオブラートに包んでくれると助かります」

「大丈夫。最近の話じゃなくて、みんなを笑顔にした女の子の昔話だから」


 重い石を転がすように、あたしは話始める。


 あたしは昔から周囲との関係作りにコツがいるタイプだった。大体この金髪が周囲のあたしへの評価をマイナスから始めさせるからだ。小学生の時からあたしは浮いていて、異物としてみんなと離れた場所に居た。先生からは、もっとみんなと積極的に話しなさい、と怒られた。

 先生に言われたことは守らなければいけない。あたしは勇気を出して自分から他の子に話しかけた。すると、確かにそれは効果的で、たどたどしくも繰り返す内に、何人かの話をする友達を作ることに成功した。みんな、あたしの金髪や周囲との距離を測る目つきを怖がってたみたいで、だったら怖がられないようにすればいいんだと簡単な答えに辿り着いた。

 周囲との交わり方を覚えてからしばらく経ち、4年生になり、平穏な日々が延長していく。そう思っていた時に始まったのがプチトマトの育成だ。一人一つの鉢植えを持ち、苗を植え、毎日水を遣るだけの簡単な活動。水を遣りすぎたり、水やりをサボったりしてる子がちらほら居る中、あたしは毎日欠かさずちゃんと水を遣り続けた。

 結果、あたしの苗だけが茶色く崩れた。

 並んだ鉢植えの中での駄目な見本に、みんな笑っていた。サボりの子も、友達と思っていた子達も含めてだ。それを見てあたしも笑った。本当は泣きたくて胸が苦しくて、嫌なものが肺にグサグサ突き刺さっているのに気付いていたのに。あたしが泣けば怒れば、みんな怖がるだろうと思って。

 笑顔はみんなと繋がる魔法で、どんな時でも効果的で、みんなで輪を描けて。


「――つまり、プチトマトを枯らせたのが今のあたしの始まりで、あたしが育てた植物は全部枯れるって話」

 

 その後の花壇作りや田植えの話は大分と端折って伝えた。枯れて笑われるのを繰り返すだけのつまらない展開だから。


「ほほーう……」


 貯水タンクの影に移動して体育座りしながら話を聞いていた唄陽は、途中で口を一つも挟んで来なかった。ただ、最初は真面目な顔をしていたのに、プチトマトが枯れた辺りから瞼の開きが大きくなっていき、キラキラ輝いているように見えたのは、錯覚でなければとても嫌な奴だ。


「というわけであたしは」

「ちょっと待っててくださいね」


 手伝えない、と言おうとしたのを遮られ、思い付いたように立ち上がった唄陽を目で追う。蔓状の植物に手を伸ばした後すぐに戻ってきた彼女の手にはツルツルした丸い緑の球体が摘ままれていた。


「……何それ」

「プチトマトですよ」

「それは分かる。でも、色が終わってる」

「まだ5月なので、夏野菜には厳しい季節ですね。こんなに青い顔をして。はい、どうぞ」

「え」


 どう見ても成熟しきっていないその青い実はどういうわけかあたしの口元に近づけられる。どうぞて、食べろと?今の話の流れでどうしてこんな行動に出るのか極めて理解が難しい。


「……もしかして、美味しいのか?」

「いえ、美味しくはないです。固くて渋いので」

「そんなもの食わせるとか、嫌がらせか。やっぱり嫌な奴なのか」

「ふふっ。良薬は口に苦しと言うじゃないですか。あなたの為なんですよ。友達としてできることはしてあげたいんです」

「友達……」


 胸をノックするかのようなその響きに、思わず顔を上げた。こいつとあたしは友達なのか?昨日話したばかりなのに。少なくともこいつの表情は、あたしが友達であることに疑いのない晴れやかなものだった。

 友達。それは滑らかに見えて簡単に裏切ってくる。引き留める努力をしなければ棘を残して去っていく。

 でも、こいつは違うかもしれない。これまで友達にしてきた相手と違って、あたしはこいつに優しくしていない。その上で恐がることなく、こうしてあたしと向かい合っている。それなら、あるいは。


「毒じゃなきゃいいけど」


 これは友情という名の毒入りトマトかもしれない。それでもあたしは一歩踏み出し、彼女の細い指先を見据え、受け取る。歯で擦り潰した瞬間に広がるその味は。


「うえぇぇぇ……」


 言われた通り、本当に硬くて渋い。後死ぬほど青臭い。飲み込んだら胃が泣きだしそうだ。


「良い反応ですね」

「どこが。鬼かよ」

「これであなたのプチトマトの嫌な記憶は、硬くて渋い、それだけのものになりました」

「……」


 とんでもない荒療治だった。苦しみを癒すための苦しみ。良薬と書いて毒と読むもの。でも、不思議と悪くないと思えるのは、こいつが本当にあたしのためだと心から思ってしたことだと疑えないからだろうか。それが仄かな甘みとなり、舌の上の不味い汁を幾分か和らげた。それを意識すると、また別の意味で飲み込むのが怖くなった。未だに底知れない唄陽の成分を取り入れてしまう気がして、血が湧き上がりそうに熱くなる。顔は既に熱い。毒がもう回っているみたいだった。


「はい、それじゃあこれ。そこの畑に植え替えてください」


 唄陽は小脇に置いたブルーベリーの鉢植えを、再びあたしに向けて差し出してきた。


「あの、枯れるって話したばかりなんだけど」

「それが良いんです。本当にあなたが植えたら枯れるなら、それってすごい力じゃないですか」

「いや、まあ、それはそれで才能と言えばそうなるのかもしれないけど」


 言い方の上手い奴だと思った。植物を枯らす才能、あんまり嬉しくないけど、もしそれがあたしにあるのが確定すれば、使いようはあるかもしれない。


「……枯れたら色が一つ減るけど、怒るなよ」

「その時はナスでも植えましょうか」

「てきと、いや、柔軟で結構」


 少なくともブルーベリーよりは生育が早そうな植物の名に、少し心が軽くなった。

 唄陽という少女について一つ分かったことがある。こいつはあまりにも摩擦が少ない。あたしがどれだけザラザラな接触を試みても、指先一つで受け流されてしまう。

 あたしは観念して、鉢植えを受け取った。

 畑の土盛りを軽く分けで、収まりの良い穴を作る。植え替えをし、あたしは人生で初めて、自分が植えた植物が枯れるのを願った。

 その方が唄陽の興味を惹けると思ったから。

 人の気を引き続けるのが大変なことはよく学んでいる。久々の友達という存在は、あたしの渇望を呼び起こせる程の水気を溢れさせていた。

 立ち上がり、つい額の汗を拭いそうになって、手が土塗れなことにギリギリで気付いた。見上げた空は白波のようで、どこまでも広がる無限の海が夏を連想させる。季節の移りはちょうどいい機会だと思った。この新しい関係に、少し期待してみてもいいかもしれない。


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