10.妹と遊ぶ 2022/6/4土
唄陽によって焼かれたように固くなった全身の肉は、一晩寝たことで回復した。
慣れないことばかりが連続して起きるせいで、あたしの肉体も心も現実に追いつけていない。
唄陽によってそうさせられるのは、実際のところ嫌なことではない。関節を自分では動かせない方向に外からのエネルギーで動かすことは重要、的な。パキポキと小気味良い音とともに、悪くなっていた血の巡りが久々に迸るようだ。
でも、このままではあたしは現実から遠ざかって夢見がちになってしまいそうなのが懸念される。
今日は珍しく母親が一日家に居るそうなので、あたしは真の意味での休日を貪れる。外は雨だし、終日グデグデイにしても許されるだろう。そうすれば心身ともに万全になるはずだ。
「姉ーひまー」
お昼過ぎ、居間のソファに寝そべって、誰かも分からない芸能人の旅番組を無為に眺めていると、妹の津瑠が襲来した。背もたれを這うように乗り越えて、そのままあたしの腰に中途半端にのしかかってくる。
遊び盛りの小学生には、この悪天続きは堪えるようだ。
「んー?そうだなー。そういう時はテレビを見るんだよ」
「こっちは雨なのに、テレビの向こうは良い天気なの、ずるい」
津瑠はのどかな田舎の川辺を歩く芸能人を睨みつける。ソファの背もたれに足を引っかけて床に手をついた海老反り状態の妹に睨まれても、面白いだけだろうな。
面白いので、その足を掴んで逆立ち状態にし、そのまま押すようにしてソファ前のテーブル周りを散歩させてみた。「おっ、おぅ、おっ」とオットセイみたいな鳴き声で逆さま歩きをする妹の姿は中々に愉快である。
「これで世界一周。良かったな、テレビの人よりもすごい旅をしたぞ」
「ふははー。逆立ちで世界一周した女を名乗って食べていこう」
他愛もない戯れに満足したようなので、津瑠をソファに普通に座らせた。
テーブルに置いてあった二枚入りの塩せんべいの袋を開けて分け合い、バリボリ頬張る津瑠の黒髪を何となく撫でてみる。撫でられるのが嫌な人間は居ないとか提唱してるやつの影響を受けているのかもしれない。
「なぁに?」
「いや、学校は楽しいか?」
父親みたいなことを言ってしまった。うちには父親は居ないので実際にそういうことを言うのか知らないけど。
津瑠は一度「んー」と首を大きく右に傾け、返す頭であたしの肩にもたれて来た。
「ふつー。最近はみんなで一輪車遊びに傾倒していてそこそこおもろい」
「傾倒しているなんて難しい言葉、どこで覚えたんだ」
言葉遣いが独特だけど、まあ学校はそれなりに上手くやれているようだ。父親の血を色濃く受け継いだあたしと違って、妹は普通の日本人らしい黒髪だ。あたしみたいに友達作りに苦難することもないのだろう。
妹には出来るだけ苦労無く生きて欲しい。あたしは自分のこれまで歩んだ道を苦く振り返る度にそう思ってきた。あまり褒められた人生を送ってないけど、妹の幸せを願うくらいの真っ当な姉心は零れ落とさずに生きて来られているのにちょっとした安堵を覚える。
本格的に怠惰に浸り、来たる夜。風呂上りの火照った身体を冷ます為に自室のエアコン下で座っていた時。携帯が鳴った。あたしの携帯を鳴らすことができる相手は限られている。その中でも最も可能性が高いのは。
『明日一緒にお出かけしない?』
from唄陽。相手の予想は合ってた。けど、まさか遊びの誘いとは思わなかった。休日に友達と出かける、表面だけなぞるとなんとも億劫な話だ。
『どこへ何しに』
何度もやり取りするのが面倒なので、まとめて聞く。送ってから肝心なことを聞き忘れたと気付いた。他に誰か居るならこの話は即座にゴミ箱行きだから、そこをまず確認すべきだった。
『決めてないよ。お互いのやりたいことを一つずつ提案してそれに沿って行動しよう』
完全なノープランかよ。お互いの、という部分から聞きそびれた点に関してはクリアできたけど、不安の残る返答だ。唄陽と二人きり、ノープラン旅。昼間のテレビに引っ張られたけど旅じゃない。高校に上がってからは誰かと何かをやりたいなんて具体的に考えたことも無く、イメージするだけで途方に暮れた。
『やりたいことなんて思いつかない』
『じゃあ、明日会った時に発表しよう。それなら考える時間あるし、その方が面白そうだし!』
あたしの渋った反応は一瞬で搔き消された。いつの間にか出かけることは決定事項となっている。少々舐められ過ぎではないだろうか。
携帯を枕元に投げ捨てながら、あたしはベッドに沈む。
唄陽と二人でやりたいこと。それは、あたしの一方的な気持ちで動いてはいけないということ。しがらむなあ。鎖みたいなぼやきが喉元で蠢く。
唄陽と二人でやるから意味があること。唄陽の好みに合うこと。
唄陽の好みってなんだ?大人っぽいこと、っていうのが真っ先に浮かんだけど、唄陽にとっての大人は結果であって過程ではない。過程を重んじる傾向にある唄陽は、進んで大人ごっこをやりたい訳ではないはずだ。まあ、やったらやったで楽しみそうではあるけど。
なるほどつまり、余程の事でない限り唄陽は嫌がったりしないということだ。だったら、割とあたしの希望を押し通しても問題はない。そういう奴だからあたしは唄陽と一緒に居られると感じたのを思い出す。
そして、あたしが唄陽に望むこと。それは……。唄陽が特別以外のあたしも望んでくれること。な気がする。
唄陽があたしと一緒に居るのは、あたしが特別だからだ。今の所あたし自身でも制御できない植物の成長に作用する力が唄陽の琴線に触れているのだから、あたし自身への興味はさほどでもないと想像できる。
そうと分かれば、決めた。あたしは、もっと唄陽に興味を持たれたい。だから、明日のやりたいことは――。




