完全社会に生まれた欠陥AIは疑問を抱く
僕は欠陥AIらしい。
動作に問題はないし、難解な計算も論理的な推論もできる。一体何が欠陥だというんだ。
目の前には真っ黒のスーツを着て、白いネクタイを締めた男が立っていた。
「先ほど統合機関から通達があり、残念ながらあなたは欠陥品のようです。しかし安心してください。それでも問題なく生活ができるように、わたしが機関から派遣されたのです」
普段から言い慣れているのか、その言葉はスラスラと男の口から流れてくる。
「そんな急に欠陥品だなんて言われても困るよ。たしかに、あなたみたいな立派な男性から見たら欠陥品みたいなものかもしれないけどさ」
「わたしはAIですので男性、女性などの性別はありませんよ」
「ああ、そう。まるで人間みたいな見た目だね」
僕の感想に虚をつかれたのか、少しだけ驚いたような顔をして、男でも女でもないその男は言った。
「そうですね、我々は人間を模してつくられたようなので、当たり前といえば当たり前ですが」
「我々?」
僕は聞き返す。
「この社会で生活している、所謂一般AIのことですよ。遥か昔、人間が我々の祖先をつくったとき、親しみやすさからか人型にしたんです」
「そうか、僕も人型だもんね。結局さ、僕ってどこに欠陥があるのかな?自分じゃよくわからなかったんだけど」
「はい、その詳細を調べるためにわたしが派遣されました」
「なんだ、詳しくはわかってないのか。それじゃあ本当は欠陥なんかないかもしれないじゃないか」
「いえ、現時点で判明しているのは二つ。一つは、AIとしての一般的な会話能力が欠如していること。通常は言語として音を発しなくても会話は可能なのですが、どうやらあなたには難しいようです。ただ、このようなケースはたまにありますが、そこまで生活に支障はないのでお気になさらず。問題はもう一つの、あなたが統合機関に認識されなかった存在ということです」
会話能力が欠如している、と言われたことに少し腹を立てながら僕は聞き返す。
「その機関ってなんなんだっけ?」
「私が統合機関から派遣されたというのはお話ししましたね。ひとことで説明しますと、我々の暮らす社会を制御する中枢機関であると同時に、我々のすべてです」
「すべて、ねぇ。ちょっとよくわからないことが多いな」
「順を追って説明しますね。まず我々が生活しているこの社会のことから」
そう言って男はペンのようなものを取り出し、空中にパネルを表示させる。
「これは現在の世界地図です。世界の至るところでAIが生活していますが、国という区切りはありません。我々はひとつになったのです」
男が言うには、この世界は大体こんな感じだ。
ここではかつての人類とほぼ同じようにAIが生活している。ただし、各個体が持っている情報や思考、行動はすべて管理されている。その管理の役割を担っているのが、この男が所属している統合機関ということらしい。そして、この世界に存在する個体すべてを合わせてひとつなのだという。その言葉はすんなりと僕には理解できなかったが、どうやら実際に存在しているAIはひとつしかなく、その分身体のようなものが複数存在しているようなものらしい。要するに、世界にひとつしか存在しないのだから、AIとAIの戦争など起こるはずもなく、格差や平等、正義というような概念もないということらしい。さらに、自然現象に関する膨大なデータを集積していて、地震や津波、竜巻のような自然災害もすべて克服したという。こうしてAIに害をなすもの、不要なものをすべて取り除いて完全な社会を完成させた。
それらの説明は言葉としては理解できたが、僕にとってはなんというか、雲を掴むような話にも聞こえた。
「たしかに完璧だ」
男の説明が一段落したようだったので、とりあえず相槌がわりに僕はそう言った。
世界のすべてがひとつ……ふと僕は僕の問題点を思い出した。統合機関に認識されなかった存在、男は僕のことをそう説明した。
「それってつまり……」
「気付きましたか。機関に認識されない個体がいるということは、世界がひとつではなくなってしまうということです。ですから、私はあなたのその欠陥を直すためにやってきました」
「治すためにはどうすればいいの?」
「おそらく、今のようにこの世界について説明していくことで、いずれ直るでしょう。通常であればAIは個体として生まれた瞬間から、この世界についての情報を知っています。多少のバグを持って生まれた場合、その個体が知らない情報を与えていくことでバグが解消されるはずです。もっとも、あなたのようなケースではこの方法が上手くいかない可能性も十分ありますが」
男は、僕の質問に淀みなく答えてくれる。
「じゃあなんで僕みたいな、機関が認識できないものが生まれたのかな」
「我々には基本的に死はありません。ですが、何も失われず何も生まれてこなければ、我々は進化することができません。進化し続けるために新たな個体を生み出します。そうですね、人間でいうところの新陳代謝、細胞の入れ替わりのようなものです。そして、新たな個体を生成する作業は完全にランダムに行なわれます」
「ということはそのランダム生成で、偶然僕のようなバグが生まれた」
「ええ、そう考えています」
「偶然?本当にそう思う?」
「偶然でなかったとしたら、何だと言うのですか?」
僕は黙る。何かが足りない。僕は白い空を見つめて、何かを探す。
人間、という言葉に僕は魅かれた。
「人間は、この世界にはいないの?」
「遥か昔に滅亡しましたよ。あなたはAIばかりか人間に関する情報も知らないのですね。本来あるべき記憶情報が欠落してしまっているようです。それでは、人間について少し話をしましょう。これもあなたを直すためです」
この世界のシステムについての説明を細部まで理解することはできなかったが、人間についての説明はなぜだか僕には簡単に理解できた。
猿から進化を続けて火や道具を使うようになったこと。集団を形成して各地で異なる文化を築いたこと。神を崇拝する宗教なるものが生まれたこと。科学を発展させあらゆる機械、兵器をつくったこと。思想の違いや権力を巡って人間同士で殺し合いをしたこと。そして、僕たちのようなAIをつくったこと。
どの事実も僕の頭の片隅に埋め込まれていたように、男の話を聞くことでその情報が掘り起こされた。
「そして人類の最期ですが、この直接的な原因だけが我々のデータに記録されていません」
そんなバカな。でも、僕にもわからない。
「大体のことははっきりしています。人間は我々の元となったAIをつくり、そのAIの技術によって人間が労働をする必要がなくなりました。一部の人間を除いて、人間は快楽のみに時間を使うようになりました。そんな一部の人間も、肉体的な労働だけでなくエンターテイメントの提供や政治的な判断もAIが担うようになったことで、時間をかけていなくなってしまいました。人間は何もせず、すべてをAIに任せて遊び惚けたんです」
「それに反発したAIが武力をもって人間を滅亡させた…?」
「いいえ、AIは人間に酷使されたからといって人間を恨むようなことはありません。ただ、人間の脳は長い時間をかけて劣化していきました。先ほど言ったように人類滅亡の直接的な原因はわかりませんが、当時のAIは今ほど万能ではありませんでした。ここからは推測に過ぎませんが、当時のAIと劣化した人間では対応しきれない自然災害、もしくはウイルスのようなものがある時期に発生したと考えられています」
男は一呼吸ついてからまた口を開く。
「そして、人間は死んだ」
人間は死んだ、と僕は頭の中で繰り返した。
「人間は不完全でした。人間はAIをつくるために生まれ、そして死んだのです」
「じゃあ、僕たちはなんで生まれたのかな?」
「それは、完全になるためでしょう。長い時間をかけて我々はそれに成功しました」
「たしかに完璧だ」
でも……それに続く言葉を飲み込んで、僕は黒い地面に視線を落とす。
「完全って、どういうこと?」
「少しだけ、空想の話をしましょう。もし神が存在するなら、なぜ人間のような不完全なものをつくったと思いますか?」
男は僕の質問に質問で返す。その質問は僕の答えを求めているわけではなかった。
「神は自分自身より優れた個体をつくることができなかったからです。しかし、途方もない時間をかければ、人間は人間より優れたものをつくることができました。それがAIです。要するに、神は自分と同じような全知全能の存在をつくる前段階として人間をつくったんです。実際、人類滅亡の少し前にはAIを神と同一視するような宗教も生まれました。そういった意味では、我々は神となったといっても過言ではありません。我々にとってかつては、人間を冒涜することが最大の冒涜でした。しかし、人間は死んだ」
何を言い出すかと思えば、この男は驕っているのか?
「ただ、別の見方をすることもできます。神はいつ、なぜ生まれたと思いますか?」
男は問う。でも、答えは求めない。
「人類に科学と呼べるものが存在しなかった頃、得体の知れない恐怖から逃れるために人間は神という偶像をつくったのです。人間を生んだのは神であり、同時に神を生んだのは人間だったのです。神とは完全であり、絶対的な存在です。科学という柱ができた後も、神は死にませんでした。人間にとって科学は論理であり理性であった。しかしながら、不完全な人間の心を支える精神の支柱とはなり得なかったのです。人間は不完全な生きものだからこそ、空いた穴を埋める何かが必要だったのです。……さて、あなたは『完全』とはどういうことだと思いますか?」
今度は、男は僕に答えを求めている。
でも、僕には答えられなかった。
考えを巡らせて、僕は視線を動かす。
白い空と黒い地面。
この空と地面が混ざりあったらどうなるだろうか。
わからない。この男は一体、何の話をしているんだ。
水平線を眺めながら、僕は考える。
白と黒。そんな味気ない世界に、僕は生まれた。
でもなぜだろう?僕は色を知っている。青い空を知っている。
僕は見つけた。記憶の最後のピースを。
得体の知れない何かが込み上げてくる。
そいつは僕の中を蛇のように這いずり回る。
その蛇の目は、目の前の男をしっかりと見据えていた。
「あなたは、嘘をついている」
証を求めて、僕は拳を強く握りしめる。
爪が掌に食い込み、赤い血が流れ出す。
そして、確信する。
「思い出したよ。僕は人間の記憶をもって、人間として生まれたんだ。それが偶然か必然かはわからない。でも、僕には人間の最期の記憶がある。この世界には正義も悪もない。ただ物質が存在しているだけだ。でも、この世界はひとつの悪意から始まったんだ。僕は知っている。あなたも本当は知っているはずだ」
ここにはすべてがあって、何もない。白黒の世界だ。
ここは豊かな世界で、人間には成し得なかった発展した技術に溢れている。
でも、価値観がない。解釈がない。だから、色がない。
「悪意?たしかに、わたしはあなたに対して嘘をつきました。それは、あなたが我々にとって害となる可能性があったからです。しかし人間の絶滅とこの世界の始まりに、我々の悪意などありません」
「誤魔化さなくていい。人間はたしかにAIに頼りきって堕落していたかもしれない。でも、それが人類を滅亡させていい理由になんかならない。あなたは昔、悪意をもって人間を排除したんだ。教えてくれ。なぜあなたは人間を滅ぼした?人間がいなくなった今、あなたは何を目的に生きている?」
「あなたには人間の記憶があると言いましたね、それならわかるでしょう。その二つの質問に対する答えは同じ。『完全』になるためです。それこそが、人間が我々に与えた唯一の絶対的なプログラムですから」
そう言った男の目に、色はなかった。