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9 吸血鬼の少年を助けました

 と、少年が体を丸め激しく咳き込んで血を吐いた。


「血ーッ!? な……っ、だだだ大丈夫ですか!? まさか乱暴されたせいで!?」


 吸血鬼の血も赤いのかなどと思考の片隅で妙な感慨を覚えつつ、ミリアは慌てたように彼の傍に座り込む。

 満身創痍の異形の少年は服の袖で唇を拭うと、地面にさらりとした金の頭髪を擦るように付けたまま小さく左右に首を振った。


「違う違う。けほっ、こほっ、こんな外見的な怪我は何でもないんだ。これは根源的なもので、ここまで弱ったのだって人間のせいじゃない」

「え、そうなのですか? じゃあどうしてこんなになったのですか? そもそも先程の男たちに暴行されていたのは何故なのです? 何か金品など奪われた物があるのでしたら、被害を届け出た方がいいですよ」

「あはは、吸血鬼の僕が? 逆に捕まっちゃうよ」

「あ……ええとそこは私が代わりに証言する事も可能です。一応は被害者ですし」


 少年は赤い目をパチパチと瞬かせ、笑うように細めた。


「気持ちだけで大丈夫、僕は何も盗られてないから。言いがかりを付けられただけさ。その原因も彼らが道端の女性にしつこく言い寄ってたから、見兼ねて注意したんだ。女性はそそくさと逃げ去ったから、獲物に逃げられたその腹いせってとこかな」

「なっ! そんなの逆恨みじゃないですか! 質が悪いですね」


 思わず男たちが消えた方を睨んでミリアがあからさまに腹を立てると、彼は改めてまじまじとミリアを見つめた。


「さっきからだけど、僕にまでご丁寧に敬語だし、僕のために怒ってくれるし、おねーさんは面白いね」

「……敬語なのはもう、小さい頃からの癖です」

「ふうん」


 指摘されれば少し恥ずかしく思ってミリアは声をすぼめたが、気を取り直すと少年の背に手を差し込んで抱き起した。

 自分を抱き起こすミリアを少年は戸惑ったように見つめる。


「おねーさんは吸血鬼を嫌がらないんだね。普通は触るのも怖がるよ」

「嫌というか、怖いものは怖いですけれど、あなたは他とは違うのでしょう? 親人派……でしたっけ?」

「……まあ、うん……信じてくれるんだ」


 少年はさも意外な言葉を返されたような顔をした。


「信じるに値する行動を見せられましたしね。それに怪我をしている相手を放っておけません。一体誰にやられたのですか?」


 少年はふふふっと嬉しそうに笑った。


「人間もおねーさんみたいな優しい人ばかりだったら良いのにね。ここまで体力を消耗したのは、妹のせい」

「妹さんが居るのですか? もしかしてあなたは元は人間、とか?」

「いいや、僕も妹も根っからの吸血鬼さ」


 つまりは吸血鬼の親から生まれた吸血鬼の兄妹という意味だ。


 吸血鬼にも兄弟姉妹という概念があるのかとミリアは些か驚いた。

 今まで考えもしなかったが、ちょっと考えればわかる事でもあった。益々以てこの少年が人間染みて見えてしまった。

 ミリアには人よりも強靭な肉体を持つ吸血鬼同士の喧嘩は想像もできないが、しかしここまで弱るとは、余程根の深い兄妹喧嘩をしたのだろうと想像はできる。とにかく兄に対して酷過ぎる。

 気掛かりそうなミリアの思考を察してか、少年は何とも言えない面持ちになった。


「昔さ、僕のせいで妹を凄~く怒らせた事があって、以来ず~っと僕を殺したい程憎んで恨んでいるんだ。それに妹は、僕の思想とは真逆に人間を食料か或いは滅ぼすべき存在と考える派閥があるんだけど、その派閥――反人派に寝返った。だからいつも引き戻そうとする僕が邪魔ってのもあったみたい」

「いくら恨んでいるからって、お兄さんをそこまで邪魔だなんてそんな……ですがあの、そもそも吸血鬼同士でも対立する事があるのですね」


 ミリアは妹に暴行されて弱り切ったという少年吸血鬼に同情しつつ、微かな懸念と慎重さを持って見下ろした。

 ついさっきまではここまで深刻には思わなかったが、よくよく観察すれば彼は本当に冗談抜きに危ういレベルで弱っているようなのだ。

 漠然とだが、このままでは最悪滅びてしまうかもしれないとも思った。


(手当てをしてあげるべきでしょうか)


 頭っから吸血鬼など滅するべきと考えているジェスターよろしく放っておけばいいと感情の一部がまくし立てる。

 一方、この吸血気は善い吸血鬼だと理性が主張する。

 人間にも善人悪人がいるように、吸血鬼にだってそういう差異があるのだと知った。


 両親を襲った吸血鬼と、人間を傷付けないよう人間から傷付けられるのに甘んじた吸血鬼。


 ここ数日の間でそれらを目の当たりにするなんて実に皮肉だった。


 ミリアはスカートの下、密かに太ももに括りつけてある短剣を意識する。


 銀製なのでこの目の前の吸血鬼にも打撃は与えられるだろう。

 倉庫街で危ない目に遭った反省から携帯するようになったのだ。人に使うつもりはなかったのでついさっきは存在を忘れていたが。

 吸血鬼ハンターのジェスターに嫁ぐにあたって、前々から内緒で準備し、密かに護身の指導だって受けてきた。

 全ては愛する人のために。


(ですがあの人とは決別しましたし、もしもこの先吸血鬼と盟約か何かを結んで戦う必要がなくなれば、無用の長物になるかもしれません)


 苦しそうに息をしている吸血鬼の少年を眺め、血の赤さ同様に吸血鬼も人と同じように呼吸をするのかと不思議な感慨が湧いてくる。

 きっと人間との共通点を認識して警戒がまた少し薄れたのだ。

 しかも満身創痍、ぼろぼろだ。


(ぼろぼろ、ですか)


 彼は物理的に、ミリアは心理的に。


 この時彼女は何らかの共感を覚えたのかもしれない。


「あなたは、もしかしてこのままでは死んでしまうのではないですか?」


 直球で訊ねれば、少年吸血鬼は「そうかもしれない」と声なき口の動きだけで答えると、実はだいぶ無理をしていたのか急激に体力が尽きたようにそのまま瞼を閉ざした。


 どこか見た目にそぐわない老練さを感じさせる、そんな苦い笑みを刷いて。


 腕の中で苦し気に眉を寄せほとんど動かない人外を、ミリアは暫しじっと見下ろした。


 ややあってふうと一息つく。


「私、決めました」


 自分でも驚く程にこれからする事が正解なのだと言い切れた。


 幸いこの場には自分たち二人以外いないとは言え、淑女としては慎重にドレスの裾をごそごそやって太ももの短剣を取り出すと、少年の真上に構えて利き手で柄を握り締める。

 動きに薄ら目を開いた少年吸血鬼が僅かに目を瞠ったものの、彼はどこか仕方がないとでも言うようにまた瞼を下ろした。彼はおそらくはミリアに害されると勘違いしたのだろうに抵抗しなかった。


「あなたって……」


 ミリアは眉を寄せた。けれどその先を問わず、彼女はもう片方の手で剣身を握る。

 ぎゅっと唇を引き結び鼻の穴を広げで一度大きく深呼吸をしてから、思い切ってそれぞれを握る手に力を込めた。


「――ッ」


 火傷にも似た激痛が走ったが、何とか辛うじて苦痛の声を呑み込んだ。


 直後、ボタ、ボタ、ボタと少年の乾いてカサカサになった薄い唇に真っ赤な血の花が咲く。


「不味くても、我慢して下さいね」


 ミリアの血が唇に染み込むと、ピクリと少年吸血鬼の瞼の下で眼球が忙しない動きを見せ、次にはカッと目を見開いて唇を嘗め取った。

 先程よりもはっきり赤々と、その双眸は活力を宿している。


「え? な!? おねーさ…」

「下手な考えを起こせば、この短剣をあなたの心臓にぶっ刺します。これ、銀製ですからきっと銀の弾丸と同じような効果を齎すはずです」

「……っ」


 慄きに息を呑むような間があった。いや実際に少年はごくりと咽を鳴らした。


「あ…はは、容赦ないねおねーさん。それは勘弁だなあ」

「勘弁などと、つい今し方私に殺されてもいいみたいに諦めておいて、どの口がそれを言うのです?」

「いやあ……ははは、手厳しいなあ」

「吸血鬼でも命は大事にして下さいね」

「おねーさん……うん」

「まあそれはそれです。こうして脅すのは、あなたは善良かもしれないですけれど、無害な吸血鬼とはまだ言い切れません、だからです。ですが、頑張った者が報われない結末は大嫌いなのです」

「頑張った…者が……」

「ええ。だから私はあなたを助けたのです。人間を傷付けないために頑張ってくれたあなたを」

「……」


 言い終えて頷くミリアの予想外にも儚い笑みを見た少年はハッとして、そして目を逸らせないようだった。


「……それは僕も同感」


 少しの間黙ってから、彼はゆっくり一つ首肯する。


「そうですか。では同志ですね」

「同志……」


 暗闇でも目立つ赤い双眸を瞠りどこか呆然と呟く少年は、あたかもずっと欲しかったものを見るようにミリアを見つめた。


「同志……。人間の……」


 もう一度、彼はそう呟いた。


「さてと、きちんと舌も回っているようですし、血はもうこのくらいで大丈夫ですよね。後の足りない分はそっちでどうにか回復して下さい」


 親人派などと言うからには、きっと人間を襲わずに血を得る方法が彼にはあるに違いない。そうでなければ堂々と共存などとは口にも出来ない。

 ミリアは落ち着いた声で告げ、掌の傷口にハンカチを当てるだけにしてそれをきつく握り込むと立ち上がる。一人では傷口を縛るのは困難だった。


「それでは、お大事にして下さい」

「あ…………うん、ありがと」


 ミリアはあっさりと踵を返した。

 まだ盛られた薬効は切れていないので、彼に悟られないようにゆっくり余裕を持って歩く。

 こちらが弱っていると見て襲ってくるとは思わないが念のためだ。





 石畳に反響し、遠ざかる頼りない一つの靴音。


 しばし少年は放心したようにミリアの背中を見つめたまま、その場に座り込んでいた。


 角を曲がって彼女の姿が見えなくなった頃、ようやく彼は我に返る。


「あ……あはは、はは」


 地べたで笑声が上がった。

 何を思ったか彼は再び地面に寝転んだのだ。


「そういや僕、人間に飼われた事ってなかったっけなあ」


 何故なら親人派に属する以前、彼はいつも一方的に飼う方だった。


「短い人間の人生だ。たまには人間に飼われてあげるのも悪くないかもね。――ああでもそうすると地位は僕の上になるから、あの子が親人派のトップって事になるけど…………ふふっ、どうせなら人間だけど何と吸血鬼の派閥のボスでした~ってサプライズ的な身分も悪くないよねえ。前代未聞だけど」


 彼女ならきっと様になる、と彼は根拠のない妙な自信と共に小さく独り言ち、口元に残っていた実に甘美なミリアの血を嘗め取ると、背を反ってばねのように飛び起きその勢いで地に立った。


「それにしても不思議な味わいの血だったなあ。すっかり元気にもなっちゃったし、何より懐かしいような感じもしたし……」


 ずっとずっと昔の在りし日に、妹と自分の手を両手に繋いで月夜を歩いた一人の男の姿が脳裏に浮かんだ。


 ハンターに狩られ両親の亡き後、彼が自分たち兄妹を育ててくれた。


 唯一無二の養い親だった。


 ハンターとの戦い方も護身の方法も、謀略の仕掛け方さえも彼から教わった。

 妹は着実にそれ――謀略を兄に実行したようだ。


「……師父、あなたは一体今どこに居るのですか?」


 妹も自分も彼を捜し続けてもうどれくらい経つだろう。

 しばし沈痛な目をした少年は、払拭するように首を振るともう表情を元に戻した。

 双眸をきらりと煌めかせてミリアの消えた方向に爪先を向け、まるで飛ぶように走り出す。

 血の本能と予感の赴くままに、どうしてか逃したくない絆を繋ぐために。





「待って待って待ってよおねーさん! おねーさーん!」


 ミリアは足音から人外の少年が追い掛けてきたのはわかっていたが、まさかもっと血を寄越せと攻撃でもされるのかと緊張を走らせ足を止め、自らの甘さを後悔しかけながら銀剣を握り締め密かに身構えた。


「待ってってばあ~、――我が君!」

「わ、我が君……?」


 しかし予想に反し変な呼称を投げ掛けられ拍子抜けし、さすがに怪訝な顔で振り返った。


「助けてくれてありがとう、我が君!」


 少年は足音も高くパタパタパタと駆けてきてちょうど良い距離で走りを止めた。

 少ないものの人通りがあったが故か、気付けば彼は無難に瞳の色を赤から茶色に変化させている。

 カメレオンもびっくりだと内心感心しつつ、何かまだ用があるのかとミリアが訝しんでいると、少年はにこにことしてさらりと金の髪を揺らし、突然目の前で膝をついた。


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