6 婚約式で薬を盛られました
その後パーティー開始の時間になると、招待状を出した時点でこの集まりの趣旨は知らせてはあったが、それでも集った招待客たちに二人の婚約を宣言した。
豪華な食事もふんだんに振る舞われ、ミリアはジェスターに付いて招待客たちへの挨拶に勤しんだ。
ミリアの望む幸せの一つはここに叶った。
彼女はこの時間を精一杯楽しもうと終始にこやかさを崩さず、夢のような煌びやかな婚約式は何事もなく進行中だ。
社交の場での主役と言うわけで、多くの会話をこなしたミリアは少し疲れを感じて席に着いていた。
まだ夢現な気分で一人ぼーっとして会場内を眺めていると、グラスを二つ手にしたジェスターが傍に来る。
「ミリア、俺たちのこれからを祝して一杯どうだ?」
「ええとお酒はちょっと苦手で……」
そうは言いつつ、彼から何かを勧められるのは初めてで、ミリアとしてはとうとうジェスターが優しくしてくれたと、内心とても感激していた。妥協でも何でも、彼が自分たちの婚約を受け入れてくれたのが純粋に嬉しい。
それでもこの後大事な用がある彼女は渋った。しかし、これまでのミリアを見習ったのか存外ジェスターは食い下がった。
「俺も腹を括ったんだ。近いうちに夫になる男からの一杯も飲めないのか?」
「……っ、ジェスター様! で、でしたら折角ですし、一杯だけ頂きますね」
「そうこなくてはな」
ミリアは手渡されたグラスをジッと見つめ、意を決して一気に飲み干した。
「ご、ご馳走様でした」
(たぶん、挨拶や会話の合間にちょこちょこ物を胃に入れていましたし、すぐに酔いが回る可能性は低いだろうとは思いますけれど)
ジェスターは空になったミリアのグラスをわざわざ片付けてくれるつもりなのだろう、極々自然な動きでグラスを引き取った。
お礼を言うと彼はとても満足そうに彼女へと初めての微笑みを向けてくれた。
(ジェスター様が、ジェスター様がついに笑いかけてくれました~っ。ああ至福の笑みです~っ)
それだけでこの世界上で一番の幸せ者だと感じた。
「正直少し驚いた。中々に良い飲みっぷりだな」
「え、そうですか? ジェスター様からの一杯ですし、ワインの香り一つとして逃がしたくありませんから!」
「……」
こんな公の場で変な事を言う娘だとでも思ったのだろう。加えて、ミリアの声が少し大きかったせいで注目を浴びている。
不本意そうにジェスターはちょっと眉根を寄せた。
(ああ、うふふふ、ジェスター様は今日も凛々しくてカッコイイです)
しかめっ面でも大好きだとうっとりしていると、彼から顔を覗き込まれた。
「ところで、そろそろどこかで休憩でもしないか?」
「え? ……ああええ、そうですね。挨拶は一通り済ませましたしね」
何の疑問もなく、ミリアはジェスターに連れられて休憩のために用意された部屋の一つに引っ込んだ。
「君はここで休んでいろ。俺は何か軽食でも取ってくる」
「わかりました」
給仕係にでも頼めばいいのにとは思ったが口には出さず部屋を出て行くジェスターを見送って、ミリアは少し長椅子で寛いだ。
前日からの疲労も影響している。
そのせいかミリアは猛烈に眠くなるのを感じた。
(どうしてこんなに眠いのでしょう。眩暈にも似て……)
そして疑問を抱く間もなく、直後彼女はこてんと長椅子に凭れて眠りに落ちていった。
――どれくらい経ったのか、ふと、目が醒めた。
周囲は照明が落とされているのか暗い。
(え? どこでしょう?)
感触からしてベッドのようだ。
しかし自分は明るい休憩室内にいたはずだと思い出す。
(あ、もしかして私が寝てしまったから、ジェスター様がどこか適当なベッドに運んで下さったのでしょうか)
きっとそうであればいいと、ちょっとの困惑を拭い嬉しさのようなものを胸に抱いていると、すぐ近くに人の気配がした。
「ジェスター様……?」
控えめにそう訊ねたものの、ミリアは次にはきゅっと息を詰める。
何故なら気配は複数。おそらくは二人だ。
「起きたようだぞ」
少しハスキーな知らない声だった。
明らかにジェスターではない男の声に、ミリアは身を硬くする。
「やあミリア嬢、気分はどうだい?」
次は掴み所のないようなふわっとした高めの男声が聞こえた。
(私を知っているようですけれど、一体どういう状況なのでしょう)
暗いしさっぱりわからないので不安だけが増大する。
「その……どちら様でしょうか?」
なので彼女は基本的な質問をしてみた。
「ああ、オレたちはジェスターの知人だよ」
ハスキー声が返って、目が暗闇に慣れそうな矢先、急にランプを一つ点けられて眩しく感じた。
「うっ……」
眩しさは痛みにも通じる。思わず小さく呻いて目元を手を覆ったが、細めた視界にはベッドの傍に佇んで見下ろしてくる青年たちの姿が映った。
その顔には見覚えがある。
(あ、確かにジェスター様のご友人の……。今夜の婚約式にも来て下さっていましたし)
しかもその二人は先日、ミリアがジェスターを尾行した夜、彼と共に任務に当たっていた二人でもあった。つまりはハンター仲間でもある。
そんな彼らがどうして現在ここにいるのかミリアにはとんとわからない。
「あの、ジェスター様はどちらに?」
「ああ、彼なら隣の部屋でお楽しみだぜ」
大好きな婚約者の姿がないのを不思議に思って訊ねれば、背も高く屈強と言っていい恵まれた体格の青年が、ハスキー声をやや大仰にも思える喋りで彩ってにやりとした。
横の一見すると文学青年のような雰囲気を醸す男性が、その品のない言いように少し不愉快そうに頬を歪める。
「お楽しみ……?」
キョトンと呟くミリアだが、彼の返答にざわざわと心の中に風が立つ。
(お楽しみってお酒とかお料理を……ですよね?)
けれど考えたくない可能性は敢えて考えず控えめに見上げていれば、二人のうちの一人がベッドに上がり込んできた。屈強な方だ。
「ええと、私に何か御用ですか?」
「そりゃあな。あっちでよろしくやってるジェスターは、親切にもオレたちにまでお楽しみをくれたんだ」
「そう、なのですか?」
ニヤニヤを浮かべるハンターの青年は、半身を起こすミリアの腕をいきなり掴んだ。
「お前さんを好きにして良いって言われてるぜ」
「え……?」
一瞬、言われた意味がわからなかった。
「君と婚約してやったからもう好きに扱ってやるって言っていてね。だからこうしたんだって」
ミリアを憐れむような微笑を湛え、文学青年風のハンターの若者もベッドに上がり込んでくる。
男性二人に迫られて、ミリアは本能的に危険を感じた。
彼らの言葉の意味を深く考える暇もなく、これはまずいと掴まれていた手を振り解いて急いでベッドを出ようとしたが、急な動きのせいかいつにない酷い眩暈に見舞われる。
アルコールのせいではなく、何か良くない薬の効果のような体調の異常を来したのだ。
「何、これ……っ」
それでも無理をしてベッドを降りようとしたら、よろけて端から転がり落ちてしまった。
一瞬の沈黙の後、男たちから笑い声が上がる。
「どうしたのでしょう、これは……?」
床に身を起こしベッドの端を支えに立ち上がる。
ふらふらして船の酷い揺れの中に居るようだった。
神経を集中しなければまともに立っている事も難しい。
「それ、自分の体がおかしいってわかるよね。ところでジェスターから何かもらって口にしなかった?」
気休めに何度か頭を振っていると、文学青年風の方からそんな問いが飛んできた。
「何かとは……? ――あ、ワイン? それなら頂きましたけれど、それが、何か……?」
そう疑問を浮かべつつも、ミリアだってそこまで馬鹿ではない。二人がどうしてそんな話題を持ち出してきたのかミリアに自覚させようとしてくるのかを考えて、信じたくない予測が脳裏を過ぎる。
「思い至ったようだな。そうさ、ワインに薬が盛ってあったんだよ」
不意に二の腕を引っ張られてベッドに戻され押し倒されたかと思えば、そうした本人、ハスキー声の青年から組み敷かれた。
「な、何するんですか退いて下さい!」
「文句はジェスターにでも言うんだな。ま、花嫁候補を奪って悪い気もするが……そうだ何ならオレと結婚するか」
「……ッ、お断りします!」
「ハハハ秒で振られたぜ」
不埒な悪役上等の台詞がこうも似合う相手もいないだろう。彼は愉悦を浮かべてくつくつと嗤う。
ここまでされればミリアにも自分の身に何が起きているのか理解できていた。
何らかの薬を盛られてふらふらの状態に追いやられて、良く知りもしない男たちに手籠めにされようとしているのだ。
しかも、最愛のジェスターからそう画策されて。
しかしまだこれは彼らの証言に過ぎない。
婚約者を寝取られたなど、逆にジェスターの名誉を貶める計画かもしれないのだ。
「う、嘘です。まさかそんな……ジェスター様がこんな酷い事するわけありません! きっと料理の方に何かに入っていたのです! そうに違いありません!」
「疑うなら直接本人に確かめるといいよ。彼は隣の部屋にいるから」
「その前にオレたちとお楽しみだけどな」
この男たちは一体全体どうしてこんな自信満々に虚言を口にしているのかと、ベッドに両手を押さえ付けられて恐怖と焦りと憤りが胸中を席巻する。
何故ならいくらミリアを疎んじていても、ジェスターがこんな卑劣な手を仕向けてくるわけがない。まさかここまでされるわけがない。
彼からの仕打ちなはずがないのだ。
だから、彼らの言葉は根本的に信じられない。
自分たちを破談にしようとする何者かの陰謀かもしれないとミリアは思った、思いたかった。
このまま貞操を汚されるなど、冗談ではない。
どうにか逃げ出さなければならない。男二人相手に困難だろうがそれでも脱しなければジェスターとの明日はないも同然だ。
「放してっ!」
必死に手足をバタ付かせて思い切り暴れてやったら、思いのほかあっさり拘束から逃れられた。
「あっおいミリア嬢!」
背中からの声に、気持ちはより一層切羽詰まった。
絨毯につっかえそうになりながらまろぶようにして扉へと走り、勢いそのままぶつかるように扉を押し開ける。
幸い鍵が掛かっていなかったから出来た芸当で、そうでなければぶち当たった衝撃で跳ね返されていたに違いない。
脱出出来たはいいものの、薬のせいで上手く均衡が保てずに開かれた先の絨毯の上にとうとう無様に転んで這いつくばる格好になってしまった。
男たちから逃げるためにも、急いで身を起こしたミリアはしかし、目の前の光景に視線が凍り付いた。
「な……んで……」
隣室の二人は何故か追い掛けては来なかったが、最早そんな事に気を回している精神的な余裕は彼女にはなかった。
隣室よりは幾分明るいがこちらの室内も薄暗く、甘ったるい香水が鼻を突く。
きっと普段嗅いだなら良い香りだと思ったかもしれないが、今だけはとても嫌な臭いとして認識された。
ビスで固定されたように動かせない全身、ミリアの視界の中に、会いたかったジェスターはいた。
ただし、彼の胸にしなだれかかるようにして見知らぬ女が色香を漂わせている。
見るからに美女で、何物にも臆する必要などないとばかりに露出の激しいドレスで自らの豊満な肢体を強調していて、それが乱れほとんど脱がされていると言ってよかった。
二人は部屋の真ん中に置かれた長椅子に寛ぐようにしていて、ジェスターのシャツなどは前ボタン全開でだらしなく肌蹴ている。二人の前のローテーブルには食べかけの菓子やら酒やら軽食が広げられていて、二人がしばらく飲み食いもしていたのだろうと推察できた。
ミリアが襲われていたほんの目と鼻の先で。
女性とはまだこれからがいい所なのか既に事を済ませた段階なのかミリアにはわからなかったが、どう見ても二人はいかがわしい関係だとは認識できた。
ミリアの知る限り、彼は今までこんな風に女性を侍らせた事はなかった。
それなのに、よりにもよって婚約した当夜に見せ付けるようにそうしている。
(まさか、有り得ない……)
身を起こし絨毯を突く手が指先から冷えていく。
小さな震えから大きな震えへと変わっていき、今にも力が抜けて再び床に這いつくばりそうだった。
その女性は誰で、いつから知り合っていたのか。
だがそれ以前に、ミリアは一つ確かめなければならなかった。