2 恋に暴走しました
両親も快復し状況が落ち着いた頃ミリアが知ったのは、あの夜の少年はマスタード侯爵家の令息だという事実だった。
マスタード家は代々吸血鬼ハンターをしている名門一族で、彼は名をジェスターと言った。
年はミリアの四つ上だった。
彼の素姓が特定されたその日から、恋するミリアの彼へのアプローチは始まった。
感謝を示したいと事あるごとに半ば押し掛けるように王都にあるマスタード家のタウンハウスに会いに行き、運よくマスタード家領地にある本邸ではなくタウンハウスに彼が滞在中であれば、日がな一日、もう帰れと無理無理馬車に乗せられるまでずっと彼にくっ付いて回った。
しかも七歳に続いて九歳でも、今度は夜の公園で両親と散歩している所をはぐれ吸血鬼に襲われて再度ジェスターたち吸血鬼ハンターに助けられた。
また、十一歳の時にも迷い込んだ森の中で吸血鬼に遭遇し、逃げられないもう駄目だと思った時にジェスターが現れて吸血鬼を弾丸一発で灰にした。
そして十三歳、十五歳とこれはもう何かの呪いなのかという頻度で吸血鬼に遭遇し、その度に何度もジェスターから命を救われたのだ。
彼は彼で家業の関係で吸血鬼の情報を掴んでただ追っていただけだったが、その追跡中にたまたま何度もミリアが関わっていたという次第だった。
本当に何かの呪いかもしれないとジェスターも思ったという。
こうも有り得ないような偶然が重なれば、奇跡の確率で偶然だったとしてもそれは最早偶然ではない……と思う人間がいるのは致し方ないだろう。
――当事者のミリア・フォースターのように。
「ジェスター様は天地が引っくり返っても、私の運命の相手です! お慕いしています!」
衝撃的な出会いから始まり、彼から幾度となく助けられてきた彼女が一点の曇りもなくそう思い込むのは無理もない。
暇があればジェスターを追い回す彼女の恋は、今や止まる所を知らない。
元より幼い頃から姫と王子の恋物語を毎晩母親から読み聞かせられていたおかげで随分と夢見がちな性格に育ったのも、彼女がジェスターに執着した要因の一つかもしれない。
「ジェスター様! 今日もご機嫌麗しく! 心から大好きです! 手作りのお弁当を作って参りました。朝ご飯にどうぞご笑納下さい!」
ミリアは今日も朝っぱらからマスタード家に押しかけてきて、勝手にジェスターの部屋に入ってくるや机の上に弁当箱を広げた。
早朝から何となく目が覚めて侯爵家の執務に励んでいて良かったとジェスターは思った。そうでなければこの吸血鬼以上に油断の出来ない令嬢から寝込みを襲われていたかもしれない。
ジェスターは溜息を一つ吐き出した。
「……これに髪の毛とか唾液は?」
「勿論そんな不衛生な物は入っていませんけれど、噂の森の魔女から取り寄せた惚れ薬入りです!」
「惚れ薬? そんな何の成分が入っているのかもわからない物を入れただと? ライアン、廃棄に回せ」
「ああああ冗談ですよ~~っ! 朝五時に起きて手作りしましたのに~~~~っ!」
部屋に控えていた彼付きの従者にそう命じるジェスターは罪悪感一つ湧かないようで、眉一つ動かさず淡々として冷然としてにこりともしない。
むしろ彼は笑えるのかとミリアは実は疑問を抱いた事もある。
しかも日によっては嫌そうにミリアを睨むだけだ。やはり笑う筋肉がないのかもしれないと彼女は失礼にも不憫に思ったりした。でも大好きだと最後にはそこに帰結するのだが。
「用が澄んだならさっさと家に帰れ」
「嫌です! 来たばかりですし」
「ライアン、彼女をしかと自宅まで送ってやってくれ」
しかと、という部分を強調し、ジェスターはまたもや従者に命じた。
そうしてこの日もミリアは強制送還された。
そんな彼女は現在、恋に恋する花の十六歳。
ジェスターは二十歳。
年齢的に貴族の二人はそれぞれ婚約や結婚をしていてもおかしくないのだが、二人共まだそんな相手はいない。
ジェスターを追い回す以外にミリアに浮いた話の一つもないのは、彼女は迷惑なレベルで彼にゾッコンだと社交界では周知なだけに、どうせ無駄骨に終わる彼女へのアプローチをする奇特な男性がいなかったからだ。
加えてミリアの実家は毒にも薬にもならない貴族の家なので、躍起になって彼女を落とす必要性がなかったのも、彼女に男が寄り付かない理由の一つだろう。
反対に、ジェスターの方は危険で物騒な家業があるとは言え、それは国王直々に認められた職業であり、普段は麗しの青年貴族として生活しているし、マスタード侯爵家という歴史ある家柄も貴族の中では一目置かれる存在だ。
黙って澄ましていればかなりの美男という見目の良さもあって、夜会などの集まりでは彼の周りに女性が群がるのは常だった。
しかし、ジェスター・マスタードという男は吸血鬼を狩る事以外にはまるで興味がないようで、頬を染める令嬢たちに対しても冷めた眼差しで塩対応が日常の光景でもあった。
だが、ミリアを含めた令嬢たちは誰が彼を落とすかで張り合う事もしばしば。
彼は侯爵家の嫡子でもあるので、家門存続のためにいつかは誰かを娶らなければならない身の上にあるからだ。
しかしそんな貴族の中にも、生涯伴侶は持たずに兄弟姉妹や縁戚の子を養子に迎えた例もある。けれども恋に夢中な乙女たちはそこまでは頭が回らないようでもあった。
そうは言っても、大半が一度二度、多くて三度素っ気なくあしらわれて諦める。
しかし世の令嬢の数は決して少なくはないので、次から次へと新手の令嬢が彼を囲むがために、周囲から花たちが居なくなる集まりはないというわけだった。
いつも一様にご機嫌を窺う猫なで声で近付く娘たちの存在は、余計ジェスターを苛立たせ、女性を遠ざける原因ともなっているようだった。
同時に、ミリアを余計に奮い立たせる要因にも。
あしらわれても放り出されても懲りないミリアへは、全く以って学習能力がないと彼は呆れて物も言えない心地だったが、彼も鬱陶しい熱意に絆されて優しくするような男ではないので相も変わらず冷たい対応を続けた。
ただそれはその他大勢の令嬢たちへのものとは些か異なり、塩対応どころかドライアイスの如く冷たかった。激辛唐辛子もプラスの対応だった。
それもこれもミリアの常軌を逸しているとも言える求愛行動のせいだ。
とある日など、ジェスターは舞踏会場で誰にも寄り付かれないようにと、彼女から香水でも振りかけるように服に臭い液体を付けられた。
クリップで鼻を抓んでダンスをしましょうと笑顔で誘ってこられた時は、さすがにドン引いた。
この時初めて自分は質の悪い女に好かれたのだと、ジェスターは確信したという。
とある日など、女人禁制の会員制のクラブで友人たちと寛いでいると、何と付け髭をくっ付けた不自然な男装をしたミリアが紛れこんでいた。親しげに隣の席に座られた時は本当に彼女がこの場に居るのかと、もしや悪戯好きの妖精の類に化かされているのではと、持参のステッキで彼女の頬をつついたものだった。
しかも堂々とイチャ付こうとしてくるその姿勢には辟易とした。
会員証を誰から調達し、厳しい入店時の検査をどうやってやり過ごしたのかは不明だが、クラブの者に申し付けてさっさと放り出させた。
しかし運悪く周囲から男色かとの誤解を生み、以後何となくそのクラブへ顔を出せなくなったのは痛かった。
来るな、近寄るな、鬱陶しい、五月蠅い、煩わしい、などなどと何度突き放してもめげないミリアの神経は人としてどうかしていると思うジェスターだ。
吸血鬼にだって中々いないしつこさだろう。
逃げても身を隠しても勘が良いのか、はたまた犬のような嗅覚の持ち主なのか、居所を嗅ぎ付けて追ってくる情報収集能力も普通の令嬢としてはどうかしている、ともジェスターは思っていた。
どんな人混みの中からでも自分つまり標的を見つけられるミリアの超能力とさえ言える神業は、ハンターにもほしい能力で時々称賛に値するが、自らに関わるので素直に口にはしない。
何であれ、常にハンターに動揺は命取りと教えられてきて冷静沈着を心掛けているジェスターにとって、ミリアの存在は試練でもあった。