04
「確かに、きれいですけど」
空に浮かぶ月はこれまで見たどの月より大きかった。
光が他にないからか、細かな星々までが僕らを遠くから覗き込んでいた。
「私ね、何かあったらここに来てるんだ」
彼女は芝生に座って隣を叩く。
「テストでいい点とったときも、お父さんと喧嘩したときも」
「そうなんですね」
僕は彼女の隣に座った。
芝生は思ったよりも柔らかかった。
そのまま横になったら気持ちよさそうだな、なんて、僕は呑気に思っていた。
「私、引っ越すの」
「え」
想定外の一言。彼女の方を向くと、彼女の顔が僕の顔にくっつきそうになる。
少し動けば彼女の手に、唇に触れてしまうほどに近い。
小うるさいほど鳴いていた虫の声が止み、一時の静寂がその場を支配した。
「どうして、どこに……また、会えますよね?」
「お父さんの事業が失敗しちゃってね」
彼女は僕の問いに答えなかった。
ただ、空に浮かぶ月を見上げて、淡々と口を開いた。
「だから、最後に君と会いたかったの」
「どうして、僕なんですか?」
僕と彼女はただの部活仲間。
こんなところにお呼ばれされるほどに、僕は彼女の中では大きな存在になっていた?
「小説読んでるときの、横顔。集中してる顔が――私だって女子高生なの。わかるでしょ?」
「はい?」
そんなの、なんの答えにもなってないじゃない。
僕はテレパシーなんて使えないんだ。
しっかり言葉にしてくれなきゃ分からない。
「私が呼びたかったから呼んだの。それだけじゃダメなの?」
「そんなの――」
ずるい。
そんなの
「だめじゃないです」
そうとしか、言えないじゃないか。
言いたいことは山ほどあった。
眉が優しく歪む。月を見上げるその横顔を見ると、まつげが光ってきれいだ。
そんなどうでもいい感想ばかりが頭を巡る。
僕は最初から彼女には敵わなかった。
これまで女子との接点なんてなかったんだ。
それが二人っきりでなんて。
部活だって、楽そうなのは他にもあった。
けど、僕は文芸部に決めた。
初めて見た時から、僕は。
空が暗くなる。月が雲に隠れてしまったんだ。
「それじゃあ、私はもう行くね。最後に逢えて良かった」
それを合図に彼女は立ち上がった。
「あ」
僕は行こうとする彼女の手をつかもうと伸ばすが、ためらってしまう。
僕がつかんだところでなんになる。
彼女の引っ越しを止めれるわけでも、父親の仕事をどうにかできるわけもない。
僕はただの高校生。親の庇護下で学校に通う、ただの子供だ。
彼女を救うヒーローにはなれない。
僕は意気地なしだ。
隠れた月は僕らの顔を照らしてはくれなかった。でも、僕にははっきりと見えた。
彼女が悲しそうな顔をしているのを。
それを、そのまま放っておけるほど、僕は意気地なしなのか?
「待って!」
僕は立ち上がって彼女の手を掴んだ。
「……どうしたの?」
変わらず冷たい手。振り返った顔は今にも泣きそうで、彼女のそんな顔は初めてみた。
「えっと」
とっさに手を取ってしまったが、結局気の利いた言葉一つ浮かばない。
なにかないか、必死に辺りを見回すと、台座に置かれたノートが目に入った。
「そうだ、ボールペン」
ポケットから色あせたボールペンを取り出し、彼女の手を引いたままノートの置かれた木の台座に近づいた。
僕はページを一枚破ってそのボールペンを走らせた。
切れ端とボールペンを一緒に渡した。
「これ、なくしたと思ってた。それに、これは?」
当然彼女は困惑していたけれど、そのとき僕に思いついたのはそれだけだった。
「僕の電話番号。落ち着いたら電話して。絶対、絶対待ってるから!」
「電話……うん。ぜったいする。それまで、待っててね」
彼女はノートの切れ端を大切そうに、ポケットにしまって笑った。
「もちろん。いつまでだって待つよ。だから大丈夫」
二人で手を繋いで車まで歩く。
手が離れたとき、もう彼女の手は暖かかくて、肌寒いなかで離すのは少し惜しかった。
彼女はそのまま笑顔で僕に手を振って車に乗った。
僕は彼女が見えなくなるまでその場で手を振り続けた。
彼女の乗ったバンが見えなくなって、やっと僕はその場に崩れ落ちた。
次第にこの孤独感が、彼女に会えないという現実が僕に覆いかぶさって、僕は高校生にもなって一人でその場で声を出して泣いた。
僕は最後まで、上手く笑えていただろうか。




