02
「来週の夜、暇?」
話題を探すのを諦め、この心地よくも浮ついた小煩い静寂を楽しもうとした矢先。
それは彼女によって破られた。
「えっ、あっはい。暇です」
僕は完全に油断していて、反射的に答えた。
予定など確認していないが、どうせない。
もしなにかあっても、僕はどうにか時間を作るだろう。
どうせ家に帰ったって遊ぶ友人もいないんだから。
「そう、なら丁度一週間後。零時に山の下公園で集合ね」
「えっ、夜っていうかそれ深夜――」
彼女は僕の返事も聞かずに部室を後にした。
僕は行き場を失い、空を切った手を下ろした。
山の下公園は、文字通り山の下にある公園だ。
いや、公園と呼ぶのも少し怪しいくらいにはなにもないのだが。
周辺には街灯もなく、夜は相応に暗い。
そんな時間に一体なにを……。
僕の中に芽を出した疑問は強く根を張っていった。
どれだけ不審でも、結局のところ行かないという選択肢は僕にはなかった。
夜のデート。そう考えればむしろ楽しみというものだ。
僕は疑問を無理矢理放り捨てた。
深夜のデートに誘われた翌日。
彼女は部室に来なかった。
外はもう夜が夕方を片付けていた。
運動部の掛け声が聞こえなくなって、僕はやっと帰り支度を始めた。
棚に文庫本を仕舞おうとするが、滑って床に落としてしまう。
机の下に滑った本。
僕は気だるい動作で机の下を覗き本を拾うため屈む。
机の下にもう一つ、何かが光っているのを見つけた。
青色の塗装が剝がれかけて、銀色が錆の様に表面を覆うボールペン。
随分と年季が入っている。
僕のじゃないが見たことある。
先輩がこのボールペンを使っていたはずだ。
今度会ったときに返さなければ。
僕はそう思ってボールペンをポケットに入れた。
明日、返せれば良いのだけれど。
彼女が部活を休むのは、入学以来初めてだった。
ただの休みなら良いのだけれど。
多少不安に思うものの、上級生の教室にわざわざ向かう勇気なんてなかった。
仮に学校に来ていたのだとしていても、もう下校時間はとうに過ぎていた。
学校にはもう誰もいない。
階段以外、電気の消えた学校内を、軽くふらりと見渡して下校した。
その翌日、彼女は部活に来なかった。
その翌日も、その翌日も。
僕は流石に不安になって、彼女のクラスを訪ねた。
教室の扉を開けると、香水と清涼スプレーの臭いが鼻につく。
クラスの造りは見知ったはずなのに、僕だけ異世界に飛ばされたみたいな違和感。
そこはまったく別の空間のようだった。
「あれ、下級生? どうしたの? だれか探してんの?」
教室の扉を開けたまま立ち止まった僕に話しかけてきたのは、口紅を色濃く塗った上級生。
「えっと、その文芸部の」
「文芸部? あぁあの子。今週休んでるよ?」
彼女が指さしたのは空白の席。
机の上に花瓶が置かれていたり、落書きがされている訳でもない。
ただの空席だ。
彼女の席と言われなければ、誰の席でもないと勘違いしそうなほどに、きれいに整頓されていた。
「なんか、今週ずっと休んでるんだよね。心配だよねー」
「そう、ですか……ありがとうございます」
僕は教室を後にした。
クラスメイトの雰囲気から、その言葉から、本当に彼女を心配している雰囲気は感じられなかった。
きっと僕がクラスに来た事も、話題にすらならずにもう忘れられているだろう。
そのくらい、世界は彼女に無関心だった。
ただ、それは僕も同じだ。
彼女の家も、電話番号も知らない。
一緒になるのは部活だけ。
普段の彼女のことなど一切知らなかった。
手がかりは尽きた。僕は結局、深夜に呼び出された日を待つしかなくなってしまった。
きっとなにかが起こっているはずなのに分からない。
そのもどかしさで、その日は中々眠りにつけなかった。




