望郷のコーヒー 01
「先輩! コーヒー要ります?」
二回り歳下の後輩がブラックの缶コーヒーを二つ持って隣に座った。
新卒時代に教育係をしていた影響か、今でも私を慕ってくれており、昼休みにはランチに誘い合う程度には仲も良い。
「ありがとう。コーヒーか……」
「あ、苦手でした? そういえばコーヒー飲んでるとこ見たことないですもんね」
「あぁいや、そういう訳じゃないんだが。昔飲んだコーヒーが忘れられなくてね、どうも飲む気にならないんだ」
「そうなんすね。だったら――」
後輩は私の手からコーヒーを取る。
「コーヒーは自分が飲みます。代わりにコーヒー代として、そのコーヒーの話してくださいよ。先輩そういう話一切しないじゃないですか〜」
「いや、上司の昔話とか聞きたくないだろ……」
「そりゃあ他の人ならアレですけど、先輩の話なら別ですよ!」
なんだこの先輩殺しは。新卒一年目のときと変わらない、キラキラした目で見てくる。
「そんな面白い話じゃないぞ?」
「良いですから!」
「分かったよ。どこから話したもんか――」
私があのコーヒーに出会ったのは高校三年生の春。どこもかしこも勉強禁止で締め出されていたときに見つけた、寂れた商店街にポツンと建つ喫茶店でのことだ。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥から白髪の店主がこちらを見る。
「好きな席にどうぞ」
店内はカウンター席が五席にテーブル席が二席と、そこまで広くない。ノートを広げることを考えて窓際のテーブル席に座った。
「ご注文は?」
「じゃあ、コーヒーで」
席に着き、メニューの一番上にあったコーヒーを頼む。パッとメニューに目を通した感じ、それが一番安かった。理由なんてただそれだけだった。店主がカウンターに戻ったのを確認して、参考書とノートを広げた。
「宿題ですか?」
コーヒーを持ってきた店主に話しかけられた。
「いえ、受験勉強です……今年受験なので」
どきどきとしながら答えた。受験まであと一年を切っている。家では兄弟たちが煩く勉強どころではない。ここを追い出されたら絶体絶命だった。
「そうかい……」
「あの、勉強させていただけませんか?」
「構わないけれど。ひとつだけ、交換条件があるんだがいいかい?」
「交換条件?」
「もしそれで良かったら、今後閉店までここで勉強することを許可しよう。もちろんコーヒー一杯でね」
「え!?」
ここの喫茶店の閉店時間は夜七時。休みの日に開店から来れば勉強が進みに進むのは明白だった。
「それで、条件というのは」
店主はガラケーを取り出して、その画面を私に向けた。そこには生意気そうな赤髪の子どもが写っていた。
「私の孫なんだけどね。どうやらあまり成績が良くないようで……合間で良いので勉強を見てくれないかな」
「……そのくらいで良ければ」
正直、めちゃくちゃ面倒くさいが、この快適空間を手放すのに比べたら、子どもの面倒を見るくらいなんてことはない。
「それは良かった。今度挨拶させますね」
店主がいなくなって、やっと机に置かれたコーヒーを飲める。
「……にげぇ」
ぼそっと言うと、すっと角砂糖がひとつコーヒーに入った。
「どうぞ。もう一度飲んでみてください」
角砂糖一つでそう変わるか? コーヒーをかき混ぜて一口飲んだ。
「――え?」




