嵐の前の静けさⅡ
「それにしても遅いね」
「とっくに時間過ぎてますね……」
そしてそんな話題を上げたとき、ちょうどタイミングよくカフェの入り口が開かれる。
そこからは耳にピアスを開け、後ろ髪を一つにまとめたいかにも軽薄そうな男、小倉が出てきた。
その男、小倉が周囲を確認するようなそぶりを見せ、店員に問いかけるとついに二人の元へと向かう。
「いや〜すいません。ちょっと用事があって遅れちゃいました」
「そうでしたか。もう少しで連絡しようと思っていたのでよかったです」
「あ〜そうでしたか。それなら良かったです。じゃあ失礼しますね〜」
小倉がそう言うと、平然とした様子で紫音の方ではなく、柚月側の椅子へと座る。
その行動に柚月が難色を示したのを紫音は敏感に感じとる。
「すみません。今回からお世話になるのは私の方なので、是非こちら側でお話しさせていただけませんか?」
そんな風に遠回りに紫音は指摘する。
「ん?あぁすいません、いつものくせで」
そして小倉が席を替え、互いに自己紹介を済ませる。
「いやぁ、にしてもお二方とも綺麗ですね。お付き合いとかされてるんですか?」
「いや、先ほども言いましたが私たちはタレントとマネージャーという関係で今回は収録に来たんです」
「ん〜もったいない。せっかくこんなに容姿が整っているのならモデルをやればいいものを」
「すみませんが、ボイスの収録についてお互いに知っておくべきことを確認したいのですが……」
そんな風に自然と誘導しようと柚月は奮闘するも、その言葉に食い気味でかぶせてくる。
「あぁ、じゃあその前に。この後に予定ってあります?」
「……私はありませんが」
「私もありません」
「なら、ちゃっちゃと終わらせてパーっと飲みましょうよ!いやぁ、昨日いい店を見つけたんですよ。是非一緒に行きません?」
「いや確かに顔合わせの意味も含んではいますが、あくまでもボイス収録が本目的なので、そちらの方を重要視してもらっていいですか?」
「あぁちゃんとわかってますよ。ちゃんと編集もこちらでするんですから、悪い出来になることはありませんよ」
小倉はこれまで会社の実績をまるで自分の功績かのように語る。
「なら今回は台本にあるような進行になるので目を通してくれると助かります」
その言葉に渋々といったように目を通す小倉。
「あ〜はい。オケです。このくらいならリテイク込みで三十分以内で簡単にできるでしょう」
「……ずいぶんと早いですね」
「対して量もありませんしすぐ終わりますって。それより終わったら店行きましょうよ。いい酒あるんです」
「私は飲まないので、それに彼は未成年ですから」
「え〜、そんな大人っぽいのにまだ未成年っすか?なんだ、年上かと思いましたよ。緊張しぞんじゃないですか」
「これも以前話したんですがね」
「そうでした?まぁそういうことなら居酒屋よりファミレスとかの方がいいですよね!」
「あや、そもそも私たちは……」
「じゃあ早速スタジオいっちゃいますか」
小倉はまるで人の話を聞いておらず、会話を交わそうとする柚月の言葉を何度も遮る。
そしてすぐに会計を済ませてしまうと、近くにあるスタジオへと二人は連れて行かれた。
場所自体は他のライバーも利用させてもらっている、いわゆるいつもの場所なのだがそんな場所に小倉はまるで土足で踏み入っているようだった。
「じゃあちゃっちゃっとやっちゃいましょう!」
それからの時間はただの作業だった。
小倉がいうようにパートごとに一度読み合わせた後すぐに本番に入り取り直しはなし。
これには紫音の力もあって取り直す必要もないレベルではあるが、小倉はたとえ紫音が下手であっても取り直すことはなかっただろう。
そしてこれを作業たらしめているのは、小倉の出す声にある。
収録を終えても次、その次、次はこう、とただ流れのままに収録してその中になんの感想もなく、良いのか悪いのかさえ口にしない。
そんな様子を柚月は小倉の背後からただ覗いていた。
紫音が長いセリフを収録している間は、小倉は暇だと言うようにあくびをしたり、後ろでただ立っている柚月に話しかけたりもする。
どう見ても不誠実な小倉に顔をしかめながら柚月は小倉を嗜めている。
そんな様子を仕切られたガラスの向こうから雫は見ていた。
「よし、終わり〜〜。うーん四十分かかりましたか。もうちょっと読み合わせは削って良さそうですねー。ってことでパーッとファミレスにいきましょう!」
「あの、リテイクはなしですか?」
「大丈夫でしょう。特に気になる点はありませんでしたし」
その言葉に二人は心の中で聞いてすらいなかっただろう、と言っていたが口にはしない。
「それに納期まで時間ありますし、全く問題なしです!」
「はぁ」
「では行きましょう!」
収録を終えたと思うといきなりそんなテンションの上げ方で小倉は言う。
そしていの一番に部屋から飛び出していった。
「柚月さん。ここの方ってああいう方が多いんですか……?」
「いや、そんなはずないんだけどね。前僕が同伴させてもらった時は年も経ってて、結構ベテランな優しい人だったはずだよ」
「じゃあ、もしかしてあの人が特別……?」
「あぁ、随分と僕たちのことを舐め腐っているようだね」
そんなことを言う柚月の顔は明らかに嫌悪の色を浮かべている。
「別にこういう食事も関係上仕方なく行くこともあるけど、あの男はダメだ。仕事を蔑ろにしてまですることじゃない」
「普通この分量ならどのくらい時間がかかるんですか?」
「ベテランな人で最短一時間って言ったところだろうね。通し読みの段階であらかた情報を通わせておけるからね、ベテランの人は。でもあの男は違う。適当すぎる。あんなお粗末な対応じゃ、せっかくの紫音の初ボイスまでお粗末になっちゃうよ」
「なるほど……」
「とりあえず、今日のところは仕方ない。あの男については後日僕の方から運営に行っておくよ。だから、今日はもうしばらく耐えてようか」
「っ……、そうですね」
「ん?なんで笑う!?」
「柚月さんが耐える、なんて言うからですよ。まぁ苦痛に違いありませんが」
「君の方が表現過剰じゃない!?」
そんな会話を交わしたのち小倉は姿を現し、二人をファミレスへと連れていく。
場所はさほど離れておらず、行きに来た方向とは真逆の通りを進んでいった。
その間にも小倉は他愛もない話を振ったり、自分の功績でもない自慢話をよくに柚月に対してしていた。
基本その会話に相槌しか打たない二人であったが、小倉が話を振るのも大抵柚月に対してだ。
それに柚月自身雫たちの背後から付き添う関係上、顔を取り繕うことなく嫌悪感を漂わせながら返答していた。
ファミレスについてからも特に変わったこともなく、柚月が言っていたように二人にとってはただの耐える時間となっていた。
特に食事時間でもなく、夕方の日が落ちかけている時間。
ここのファミレスはそこまで混んではいない。
そんな店内の壁際の四人席に、カフェの時と同じような形で座っていた。
小倉の発する言葉に対して柚月が応え辛そうにしている時は雫がフォローし、なんとか遅く感じる時間が進んでいく。
そしてここにいる三人の飲み物が底をついていた頃、事件は起きた。
雫がおもむろにトイレへと向かう。
雫はこのファミレスに来てから唐突にその気を感じ、今の今まで耐えていたのだがついには耐えられなくなったのだ。
柚月と小倉が二人きりになることに一抹の不安が雫をよぎったが、さすがに問題もあるまいと結論付ける。
ここはファミレスで公共の場、自分が店員である経験からも何かあることなどない、と思ってしまってもおかしくなかった。
そして雫が手を洗っている時、どこか大きな音がした。
足早に雫はその音の方へ向かうと、壁際の雫たちのテーブルのカップが地面に散乱しているのが見えた。
その側で足を震わせて自分の手を凝視する柚月もまた雫の視界に映る。
「ん……?あ?」
小倉はどこか呆然とした様子で机の前で立っていた。
そんなのところに雫と同じように音を聞きつけて従業員が駆けつけ、割れたカップを見つけるとすぐに雫たちの安否を確認する。
お客様、お怪我はありませんか?と従業員は聞いてもう一人の従業員は清掃用のホウキ、チリトリを持って現れる。
ただ、そんな質問にもどこか怯えたように丸くなっている柚月は答えない。
「お客様?」
そんな呼びかけに柚月はようやくといった様子で顔を上げた。
しかしそんな柚月の顔は顔面が蒼白で、正気を宿していない。
どこか呼吸も散漫で、明らかに様子がおかしかった。
ただし、柚月は一度周りを見渡し、その状況を把握しようと努めるが、いきなり立ち上がったかと思うと入り口の方へと駆け出してしまった。
「お、お客様!?」
従業員はそんな柚月の行動にしどろもどろな様子を見せるが、とりあえず事態の現状を把握しようと試みていた。
「お、お客様はお怪我ありませんか?」
「はい、とりあえずは大丈夫だと思います。強いて言うならあの男ですが多分問題ないと思います」
雫は小倉の方を見て言うが、彼はどこかうわ言のように小言を並べていた。
「ちっ、なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけねぇんだよ。ちょっと触れられたくらいだろうが。なにヒスってんだっつーの。ちょっと顔がいいからってつけ上がりやがって……。危うく俺が怪我するところだったじゃねぇか。くっそ。クソが」
小倉はそんなことを小さく呟き、やがてスマホに手を伸ばしては誰かと連絡を取り合っていた。
「とりあえず変わって謝罪します。カップの弁償の方も後日用意するので、住所と電話番号を書き残しておきますね」
「あ、は、はい」
「すみません、こんなことになってしまって。私も他の店で従業員やってるので、こういうトラブルはめんどくさいですよね……。後日連絡してくれると助かります。とりあえずは精算だけ済ませておきますね」
「えぇ……」
「ほんとすみません、失礼します」
雫はそう言って精算を終わらせ、小倉に対し帰る旨を伝えた。
とは言っても今の彼はスマホに忙しいらしく、雫の声も届いていなかった。
そして店から出て、柚月を追う。
どこにいるかわからないが、とりあえず帰り道沿いに走っていけば追いつくだろうという考えで道を辿る。
やがてさっきのスタジオのある建物を通り過ぎ、雰囲気の良いカフェも通り過ぎる。
今回待ち合わせとして指定していた駅までやってきたが、ついにその姿は発見できなかった。
「柚月さん……。一体何があったんだ……」
雫はまたも走り出し、近辺を探し回る。
どこか彼女の様子はおかしかったと思いながら。
しかしそれから二時間が経ち、街が街灯によって明るさを保ち始めても彼女の影は出てこなかった。




