キミの思うキミであれ
朝はいつもと同じだった。
なんだか習慣みたいなものになったらしい朝の運動は、俺の体を朝六時に起こして外へと誘う。
一度格好を見てみれば頭はボサボサで、体は適当に拭いた程度のものだからまだちょっと寒気が残っていた。俺は格好を最低限に留めて外に出る。
春とはいってもまだ朝は寒い。
大体いつもはジャージで行っているのだが今日はパーカーを羽織り、ジョギング気味で河川敷をゆっくり走ろうと思う。
平日でも結構な人が朝にジョギングをしているもので、しっかりスポーツウェアを着込んで走っている。
その中にここ最近見ていなかった人を物陰を通して瞳に写すと、彼女は久しぶりというように手を振ってみせた。
「やぁ。その様子じゃ約束は守れてないのかな?雫君」
まるで何事もなかったかのような明るさが彼女にはあった。
「一応、土日も行こうとはしたんですけど、いろいろあって」
「なんだぁ?さては女か?」
「違いますよ」
「私というものがありながら、いけない子だね」
「その設定まだ生きてたんですか……」
「当たり前だろう?私が君を何者からも守ってやろう!」
「元気ですね、先輩は」
「そういえばちょっと疲れているのかい?珍しく顔色が悪い」
彼女は俺の顔を覗くようにして見てきていた。
彼女はかなり身長が高いものだから、こうも顔を近づけられると恥ずかしい。物理的に近い。
「いえ、ちょっと風邪ひいちゃって」
せっかく綾香にシャワーを貸してもらったのにもかかわらず、あのあと俺は雨に塗られながら帰り、風呂にも入らずに体を拭いて寝てしまった。そのせいで土日はほぼ寝たきりだった。
「もしかしてあの後ずっと外に……?」
「あ〜いえ、あの後帰ったんですけど、忘れ物をとりに行く時、傘を持っていかなかったせいでまた濡れる羽目になっちゃって。多分そのせいかと」
「じゃあもしかして、ご飯もしっかり食べていないんじゃないか?」
ふと一昨日、昨日と記憶を探ってみるが水と残り物のサラダを二回ほど摘んだくらいしか覚えていない。
「水とサラダをちょっと」
そういうと彼女は血相を変えたように俺の腕を掴みよし行こう、と言うと来た道を遡っていく。
「ちょっと……せっかく来たのになんで帰るんですか」
「もちろん君の栄養をとりに、だよ」
「どこに?」
「君の家に」
なぜだ。うちじゃなくともどこかカフェとか、飲食店とかあっただろう。
「その顔。さてはなぜだって思っているな?」
「いや大抵の人はここで疑問に思うもんでしょう」
「それはずばり、私が君のお世話をするためだよ」
それを聞いてさらに疑問符を浮かべる俺。
「っていうか先輩、お世話って何するつもりなんですか」
「それはもう料理に洗濯に、掃除?」
「なぜに疑問形」
「いや、もし雫君が見た目に似合わずとてもガサツで整頓できていなかったらって考えるともしかしたら、掃除はするのが大変なのかもと思って……?」
「いったいどんなことを想像してるんですか……」
俺の部屋はほぼ毎日掃除をしているし、家事一通りはできると自負している。
この二日間はあまりできていなかったが、そこまで酷いことにはなっていない筈だ。
「とりあえずいくぞ〜!」
「それより、待ってください」
彼女が無理やりに進もうと俺の手を引こうとするが、俺が足を止めて声をかける。
俺の手を掴んでいた先輩の手が突っ張ってしまった。
「いったいなんだい。まさか、料理の腕を疑ってるのか?言っておくが私は料理ができないんじゃない。しなかったんだ!」
「まぁ、それも不安要素の一つですけどそれより食材、ないですよ」
普段UE頼みの生活を送っていると自供した彼女だが、そのことから俺はどうしても彼女が料理をしている姿を想像できない。
「えっ」
彼女は面食らったような顔をするが、すぐに切り替えて俺に案内してくれ、と言ってきた。
どうやらこの辺りはストーカーの甲斐あってから、どういう道をしているのかは知っているらしいが、スーパーの位置とかそういったものはサッパリらしい。
「それより何を作るつもりですか?」
今日はもとより買い物のつもりで来ていなかったからエコバッグも持っていない。
「うーん、やっぱりここはおかゆじゃないかな。病人には食べやすいものがいいっていうしね」
「俺は病人じゃありませんし、どちらかというと病み上がりですよ」
「じゃあ病み上がりにはおかゆがいいと思うんだよね」
そう言って彼女は今からスマホでおかゆのレシピを開いていた。俺も大概スマホ頼りだが、先輩はちゃんと作れるだろうか。
そうしてスーパーを回りきり、どうせだから少なくない食料も買っておいた。
大体週始めに買いだめて、余った食材でできる料理を作ることがほとんどだ。
だから残る食材が極端な時もあり、こないだはほうれん草が山積みになっていたのを思い出す。
米なんかは一つで十キロとするものだから、いつものようには買えなかった。
そして俺の家にやってきた先輩は、台所への侵入を果たすと開口一番に言葉にしていた。
「よし、では作ろうか!」
「待ってください」
今度はキッチンの前に立つ先輩の手を俺が掴む。
「いくらジャージとはいっても、料理する時はエプロンをしてくださいよ」
「あ、あぁ、ありがとう」
俺はいつも自分で使っているエプロンを彼女の首からかけると後ろで紐を結び上げる。
「ふふ、雫君のはおっきいな」
「さほど変わらんでしょうに」
「いや、私は女だからな。女の普通は得てして小さいものだよ」
「まぁ俺は男ですしね」
「まったく。そういうことではないんだがね」
そういった彼女はキッチンで米を早速研ぎ始めた。
その手は不器用に米の上で踊っているだけのように見えるが、多分やり方自体はわかっているのだろうといったものだった。
「本当に手伝わなくて大丈夫ですか?」
「あぁ、ここは私に任せておくといい」
「料理の話ですよね……?」
そんな軽口が聞こえてくるくらいに余裕を持った料理ができているといいんだが、はたして本当に料理ができないわけではないのか。
誰かの作ってくれる料理自体久しぶりでもあるから、少し楽しみでもある。
かくいう俺は特にすることがない、わけではない。
ディスコードで既に連絡していたが、言わずもがな日曜日にしようと言われていた打ち合わせをすることができなかったため、かなり急ピッチでデビューの準備をしなくてはならなくなった。
配信の内容や、配信するためのOBSというソフトでのテスト配信は問題なくできていたことから、そこ自体はあまり問題はない。
問題があるのは俺の少なすぎるバーチャルライバーの知識だ。
最低限配信する上でのマナーみたいなものもあるらしく、そういうものについてまだあまり学べていない。
響也やエリカといったライバーの配信やアーカイブを所々見る感じだったが、ただ漠然と見ているだけでもあり、そこのマナーなどは知る由もなかった。
だから、そこを柚月さんに勧められた動画を見ながら柚月さんに教えてもらう予定で一週間を計画していた。
しかしいきなり風邪で一日なくなってしまったものだから、余計に予定がつめつめである。
現在ユナイト所属のバーチャルライバーは俺を含めて十二人いる。
それも古参の頃からいるライバーはもう一年と活動していることもあり、その動画の本数は三〇〇を超えている。
それに企業に所属するバーチャルライバーは、良くも悪くもその企業という箱の中で評価を受けることが多く、コラボをするとなったらこの箱の中での絡みが多くなる。
そのため、企業所属のバーチャルライバーは案外特定の誰かとコラボをした時のユニット名が存在しているという。
俺の知っている中で言うと、響也とエリカのユニット名が犬猿の仲、というのだけは知っている。名前の由来は気になるが、きっとそのままの意味なのだろうと思って眺めていた。
そんな企業のバーチャルライバーになるということは、そのライバー間でのマナーもあれば俺たち本人以外が守るべきマナーも存在する。
箱の中でコラボがしやすい、と言うことは箱の中での情報が内外問わず伝わりやすいことも意味する。
つまりはライバーたち本人たちが介在しなくとも、リスナーが勝手に他のライバーの情報を伝えに行ったりする通称"伝書鳩"がいるということらしい。
この伝書鳩の問題は根深く、最初はライバーが話題に出したライバーについて伝書鳩が、今何何してるよ、と聞いてもいないことを言い出すことを意味する。
酷いものになれば、一切話題にも出していないのに、ユニットの一人が何か凄いことをした時その功績をわざわざユニットのもう一人の方に報告しに行くなど、そういったことでもある。
このような問題が他にも多々あり、配信する側としても最低限守るべきマナーというものを覚えておくに越したことはないということだ。




