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激動の一日Ⅶ


 ポツポツと雨が降り、その雨粒を一身に受けていたはずだった。

 全身に当てられた水滴があの頃の熱意を思い出させてくるようなそんな感覚。それがピタリと止まった。


「ーーねぇ、風邪……引いちゃうよ?」


 それが何者かによって遮られた傘だと気付いたときには俺はその瞳を開けていた。


「綾香……か?」


「うん、お久しぶりです、片桐君」


 そう言ったのは、先月あたりに再会をはたし、ちょくちょく連絡もしあっていた一ノ瀬綾香本人だった。最近の会話では、彼女が最近大学の友達と買い物に行ったらモデルのスカウトをされたんだとか、そんな話だった気がする。中学の頃とは全く違う綾香に少し驚かされたくらいだ。


「それより片桐君。どうしてここで、傘もささずに座ってるの?」


「ーーいや、特に意味はないよ。ちょっとこうしていたかっただけ」


「なにそれ。余計に気になるじゃん」


 少しその声に弾みが見えた。


「それより、どうせ傘も持ってないんでしょ?うちに来る?」


「いや、このまま帰るよ。このくらいじゃ風邪はひかないし」


「そんなに濡れてるのに?」


「あぁ」


「雨が降ってからずっといたんじゃないの?」


「あぁ、そうだな」


「え、じゃあ一時間もずっとここにいたんじゃない!?」


 その言葉でようやくそれほどの時間が経っているのを自覚した。通りで全身も冷えていると思った。そのせいで昔のことを思い出させていたのかもしれない。


「……そう、なのかもな」


「いや、もう体冷え切ってるじゃない!?」


 彼女はそう言いながら俺の手を触れていた。


「ーー俺の手がもともと冷たいかもしれないだろう……?」


 俺がそう返すと、彼女はその温かい手で頬を触った。


「やっぱり冷たいじゃん」


 その手の温もりは冷え切った俺の体に染み渡るようにして伝わった。そして俺はどこか空な気持ちが少しだけ和らいだ気がした。


「はぁ、綾香は世話焼きなところだけは変わってないな」


「そう、かな?やっぱり片桐くんから見ても私って変われたかな?」


「前にあった時も言ったろう?見違えるようだったって」


 はっきり言って中学の頃は彼女は今からでは想像できないほど、容姿に無頓着だった。

 髪の毛はお風呂に入った後髪を乾かしていないのか、長いもののボサボサなままの時があったり、夜寝るのが遅いのか目にくまを作ることもままあり、それをメガネで隠していたりした。

 だからはっきり言って、彼女の外見がここまで変化していても気づけたことに自分でも驚いていた。


「ほんとに?」


「あぁ」


「そっかぁ。そうなんだ」


 そういう彼女はどこか嬉しそうにしていた。


「っと、それより早くうちにきなよ。ほんとに風邪ひいちゃうよ」


「いや、さすがに年頃の男女が一人暮らしの家に行っちゃダメだろ」


「なに?片桐くんは何かしようとでもしてるの?」


 ニヤニヤとしてそうな声色で彼女はそんなことを言っていた。昔の彼女はそこまで積極的でもなかったから、ここ数年で余程彼女を変える出来事があったのだろう。


「いや、そんなことはないけど。綾香はいいのか?」


「私が誘ってるんだよ?ダメなわけないじゃん。それにうち、ここからすぐだし」


「……それなら、助かるよ」


「うん!」


 彼女は全体的に一ヶ月前とはまた違った雰囲気を感じた。どこか気が晴れたかのような雰囲気を。

 まだ一ヶ月前なら彼女が綾香だと認識できていただろうが、今日の彼女のような雰囲気で再会してたら認識できていなかっただろう。


「俺が持つよ」


 俺がそれなりの身長があることからも彼女が普通に傘を持つと俺の頭が突き出る。彼女も一六〇センチは裕にある身長であるわけだからそこまで小さいわけではないのだが。


「あ、ありがとう」


 そうして彼女のいう通りに道を進んで、二分と経たないうちにひっそりと佇む三階くらいのこじんまりとしたマンションだった。


「本当に近くだったんだな」


「そうじゃなきゃこんな時間に外に出ないでしょ?」


「それもそうか」


 すでにかなり遅い時間だろうし、女性が一人で外を出歩く時間でもないだろう。

 部屋にお邪魔します、といって入り込むとそこの玄関からもうすでに女子特有の雰囲気を感じていた。彼女から右手に洗面所があるからそこで待っていて欲しい、と告げられる。


「ていうか俺の着替えなんて持ってないだろ」


「いや、それが持ってるんだよね。サイズはLで大丈夫だよね?」


「あぁ、大丈夫だけど」


 なぜ男のサイズの着替えを持っているのだろうか。

 普通の女子なら持つ必要もないものだが……。

 いや、既に彼氏ができていてもおかしくないか。中学の頃とは明らかに変わった綾香は、世間一般から見ても可愛いと言われるだろう。

 実際モデルにスカウトされたとも言っていたし。そんな人物が一人でいるはずもない。


「じゃあそこのカゴに服入れてシャワー浴びてきていいよ。その間に私が服乾かしておくから」


「じゃあお言葉に甘えて」


 そのあと俺のパンツでも見てしまったのか、洗面所から悲鳴に似た金切り声を聞くということもあったが、最低限下着を乾かしてくれたこともあって十分快適な格好になった。


「悪いな、緑茶までもらって」


「いいよ。私もよく飲んでるの。片桐君はコーヒーとかって飲める?」


「コーヒーは少し苦くて飲んでこなかったんだよな。ミルクを入れてもちょっと合わなくて」


「私も!あんまり自分から飲もうって気にならなくて。だから最近では茶葉を買ってよく緑茶を飲んでる」


 台所のほうに目を向けてみると、そこに袋に詰められた茶葉が三袋あることからも茶葉を買いだめ

ているのだろう。


「にしても、綾香はなんでこんな時間に外を?」


 自分でも言っていたが、こんな時間に外にわざわざ出ようとする必要がない。


「あー。ちょっと用事があってね。大学の付き合いみたいなものかな」


「……そうか。程々にな」


「もちろん。先輩もしっかり謝ってくれたし、今日だけだと思うから。にしても、片桐君お父さんみたいなこと言うね」


「そうか?もしかしたらそれだけ老けたのかもな」


「そんなわけないじゃん。私のお父さんなんて目元のシワがすごくて、白髪なんてもうボーボーだよ?」


「もしかしたら来年にもそうなるかもしれない」


「いや逆に怖いよ。全くあんまり片桐君は変わってないかもって思ってたけどそんなこともなかったね。片桐君もちゃんと変わってるね」


「その言い方じゃ、なんか俺が変人みたいじゃないか」


「ん〜良い意味で変人とは言えるかもね」


「変人に良い悪いなんてないだろ」


「いーや。片桐君は良い変人だもん」


 彼女は手に温かいカップを持ちながら言っていた。それに俺も苦笑いする。


「そんなに俺、変わったかな?」


「うん。始めはあんま変わってないのかなって思ってたけど、なんか雰囲気が変わったかなっていう感じ。中学の頃とはなんか自分に対する自信見たいのがなくなってる感じがした」


 自分に対する自信。なんだかどこかで聞いたような言葉だった。


「自信……か」


 復唱してそういえばつい先ほど小学生の子どもにヒーローだなんだの話をしていたのだったと思い出す。


「な、なんとなくだけどね?ほら、中学の時の片桐くんはなんでもできるって印象だったから……」


「なるほどな」


 そういえば中学の頃は彼女のいう自信を持っていたのかもしれない。いや、自覚していないだけで確かにもっていたのだろう。


「ごめんね。片桐君は多分思い出したくもないだろうけど」


「ん?中学の話を?」


「うん」


「そんなことない。そういえばあんなことあったなと、思い出す……ことはないかもしれんが、そんぐらいに思うほどのものだぞ?」


「でも、片桐君の話高校に入ってからめっぽう聞かなくなったから……。それに中学であったいろいろなことを考えたら、私のせいかもって」


 彼女は何か抱え込むような表情をして見せた。やはりまだ先月も言っていたことを気にしているのだろうか。


「いや、単純に中学の時から精神的に成長したってだけだよ」


「それなら良いんだけど……。やっぱりどうしても気になって」


 彼女は再会した時のような雰囲気を醸し出していた。やはり全てを許してもらえたとは彼女自身が思っていないのだろう。


「はぁ、それこそ気にしなくて良いって言ったろう?多分俺の方に何か非があったんだろう。それを俺自身が認識してないんだ。そんなのどちらかといえば俺の方が悪いと今になって思ったよ」


「ーーそんなこと、言わないでよ。悪いのは私だったんだもん。片桐君がそんなこと言ったら、私がもっと惨めじゃん」


「いや、そんなこと……」



「あるよ!だって私が勝手に片桐君を遠ざけたんだもん!」


 彼女はどこかその心にためたものを吐き出したように言った。それに気づいた彼女はごめん、と言って話し出した。


「最近、友達になった大学の先輩に相談してたの。その先輩結構人間関係のトラブルとか見透かしたように解決して見せる人で、みんなはよく彼女のことサイコロジストって呼んでた」


「心理学者?」


「そう。なんでも人の感情を読むのが得意って自負してて、なんでも見透かすように考えてたことを当てられちゃうから尊敬と畏怖の意味を込めてサイコロジストって」


 それはどこか皮肉めいた意味も含まれているんじゃないだろうか。


「本人もそれを気に入ってるみたいで」


「……なるほどな。で、その先輩に何か相談してたのか」


 それに彼女はうん、と肯定してみせた。


「先輩に相談してみたの。片桐君には申し訳ないと思ったけど、私が過去に離れられた男の人と再会したって言って」


 どうやら俺たちの関係の立場を逆にして相談していたらしい。


「そうしたら、とりあえず会って話した方がいいって言われた。それまでは少しでもラインとかで今とか、これからの話をするといいって言われもした」


 だから最近起こったことの話題が多かったわけだ。


「それでその機会をずっとどうしようかって考えてた時に、今日は先輩からも相談されて。でもそのおかげでこうやって片桐君と会う機会ができた。どうしてもここにきて欲しかったのはちゃんと話がしたかったからなの。あの頃の話」


 そこで一旦間が挟まったかのように話が途切れる。きっと俺たちが中学二年だったときの話をしようというのだろう。



 ただ、今の俺にはその話を聞いてあげられるだけの余裕ははたしてあるのだろうか。

 先輩の言葉を借りるなら、俺の自己否定感が俺に真摯に話してくれようとする綾香を邪魔してしまうんじゃないだろうか。現にどこかこれが過去のことだと言っても、こうなってしまった原因は自分にあるんじゃないか、と思ってしまう自分がいる。

 でもそれは、彼女が求めている応えではないし、きっとそんな言葉を聞くためにこんな話をしようとしたわけじゃないのだろう。

 でも真っ先に思い浮かんでしまったのはその言葉で、その言葉に対して彼女の不満を買ってしまった事実は変わらない。


 そんな今の俺にこの話を聞く権利など、あるのだろうか。


「なぁ、もう夜も遅いんだ。こうして十分温まることもできた。話はまた後日でいいんじゃないか?」


 考えているより先に俺はそんな言葉で話題を逸らしていた。実際既に夜は深い。もう十一時といったくらいを指している。


「で、でも……。今言わなきゃ、もう一度会うなんて……」


 彼女はどこか中二の頃に戻ったかのような雰囲気で言う。


「今はスマホだってあるだろ?それで会う約束だって簡単にできるじゃないか」


 そうポケットを探ってスマホを見せようとするが、一向に弄る手からスマホの感触を見つけられない。そういえば今着ている服は彼女から借りているものだから、という理由に落ち着こうとしたが、そもそも元の服にもスマホを入れていなかったのをようやく思い出す。


「……?どうしたの?片桐君」


「やべ、スマホ落としっぱなしだ……」


「え?」


 ごめんまた連絡してくれ、と言い残し俺は彼女の家から飛び出した。


「ちょっ……、待って、待ってってばぁ!せめて、傘持ってぇぇ〜〜!」


 そんな声が聞こえてきたがどうしても急がねばいけなかった。なぜなら、今日は俺の自己紹介のツイートをバイトの始まる時間、五時にする予定であったのだから。



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