第四議題 前編
輝は自信作のトマトクリーム煮込みの鍋の火を消し、手際良く夕飯の準備をしていた。
蓋を開けると、酸味のあるトマトに混ざってほんのりバジルも香って食欲をそそった。
二人分の量を皿に盛り、良い出来に少しニヤリと笑う。
ブロッコリーは程よく煮崩れており、鶏肉もホロホロになっている、上手くできたと満足しながら、架名が待つ食卓の上に最後のおかずを並べた。
「おー美味しそう!」
「今回は結構自信作なんだよね。」
「いただきます!」
さっそく架名が料理に箸をつけ、その様子を眺めながら輝もコンソメスープに口をつける。しばらく料理を味わってから輝は春との面会での話を思い出し、それとなく架名に話を振った。
「そういえば、石際真由美って聞いたことある?」
「急にどうしたの?誰それ??」
「んー、なんか私と同じ大学だって聞いて…聞いたことない名前だったから気になって…」
「後輩でそんな名前聞いたことないなぁ…。」
「そっか…。」
情報の早い架名でさえ知らないということは、もしかしたらあまり目立たない人だったのかもしれない、と輝は表情を曇らせながらブロッコリーを頬張る。
「アタシの店に大学の後輩が頻繁に来てくれるから、その…石際?だっけ?みたいな人知ってるか聞いといてあげる!」
「架名…!ありがとう…すごく助かる!」
「いーのいーの!アタシ輝の為ならなんだってするから!親友だもん!」
架名は屈託のないとびきりの笑顔を浮かべている。
輝はそんな笑顔を見ながら、心から架名と友人であって良かったと感じていた。
「その代わり…!佐久間さんに会ってみたい!」
「え?」
「だって今人気の作家でファンの間では絶世の美男子とか、美しすぎる男性作家とか…!めちゃくちゃイケメンなんでしょ!?」
架名は昔から面食いで、イケメンに目がない事を思い出し、そういうことかと輝はため息をついた、一瞬でも架名に感謝の気持ちを持った自分が恥ずかしい。
「はいはい、知ってた…絶対架名はそれが本音ってわかってた。」
「あれ、バレてた!?」
架名は悪びれもせずに楽しそうに笑う、輝は納得しながらも、一つ不思議に思った事を口に出す。
「この仕事って架名の紹介だけど…先生に会った事無いの?」
「無いよ!常連のお客さんで来てためちゃくちゃ美人のお姉さんとお喋りしてたら仕事の話になって…それで紹介したんだよ!」
「だから先生には会ったこと無いんだね…。」
佐久間依斗という名前や顔はテレビや新聞、雑誌などでもよく見かけるが、どれもビシッとスーツを着ていて、いつもの依斗とは全く別人の様であったからか、実際会ったとき本人だとは思えなかった。
「がっかりしそうな気がするなぁ~。」
「えー!どういうこと!?」
「カッコいいんだけど服装がね…。」
「服装なんでどーでも良いの!顔!顔が大事!」
架名のさすがの面食いに苦笑いしながらも輝は穏やかに頷く。
「だったら申し分ないかな~、顔はめっちゃ綺麗、顔は!!」
わいわいと話しながら冗談を投げ合っているうちに、気がつけば食卓に並んでいた皿は殆ど空になっている。
ここがやはり輝にとっての家であり、居場所なのだと架名のキラキラした笑顔を見ながら感じた。
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次の日、依斗の家に出勤した輝は午前中の仕事を終え、里日と共にお昼ご飯を食べていた。
いつもフラフラと外出してしまう筈の依斗は珍しく部屋にこもっている為、不思議そうに輝は依斗の部屋のドアを眺めている。
その横で里日がため息をつきながら出前で頼んだピザを皿におろした。
「先生ったら、ずっと部屋から出てこないのよ…何してるのかしらね。」
「鍵閉められてますから、部屋の掃除もできなくて困りますね。」
「先生が部屋から出てきたら覚悟しておくことね…大掃除になるわ。」
里日の言葉が終わるのと同時に、ドアノブがカチャカチャと音を立て、大きなあくびをしながら依斗が現れた。
「いやぁ、随分と有意義な時間だった。」
「何をしてたんです?」
隣に座った依斗に輝が質問をすると、依斗は輝の皿の上の食べかけのピザを手に取り頬ばった、隈のできた目からは似つかない生き生きとした表情で質問に答える。
「ファンレターにとても興味深い考察が書かれていてね、考え始めたら止まらなくなったのさ!夢中で自分なりの考察をまとめていたが…こんなに時間がかかるとは思わなかった!」
若干興奮ぎみに語る依斗は、心底考える事が楽しいのだろうと誰が見てもわかる。
「『先生にとって美しいの定義は何だと思われますか?』という質問でね!確かに考えてみれば美しいの定義は千差万別…!これといった定義は無いのだよ!ハッキリとした区別はあれど…それを締めくくる『基準』はぼんやりとしていて…。」
熱弁する依斗の話の八割以上を聞き流しながら、里日の淹れてくれたジンジャーティーを味わう。
もちろん輝のカップにはミルクがたっぷり入っている。
依斗は一通り語り終え、いつの間にか席を立っていた里日が用意しているジンジャーティーを口に含む。
里日が依斗に封筒を一つ渡し、依斗の前に皿を置きながら座った。
「先生、また例の大学から講義の依頼が来ていましたが、どうされますか?」
「……………あ、そうなのかい?ならば、何時ものように断っておいてくれ。」
おかしな間があったことが気になって依斗の顔を覗くと、何のタイミングなのかバッチリと目が合う。
「なんだね?」
「い、いえ…。」
「何故大学の講義を断ったのか、理由が知りたいのかい?」
「!!」
輝にとっては何故断るのかより、何故変な間があったのか、に気をとられてしまっていたが
知りたいことは概ね合っていた。
「簡単な事さ、面倒だからだ。」
一見真意の様に聞こえるが、はぐらかされていると直感していた輝は、なるべく依斗の顔を見ないように。
「そんな理由ですかー?先生…は相変わらず変わり者ですね。」
と、冗談混じりに返す。
恐らく理由は里日も知っているのだろう、自分だけ何も知らないという、ほのかな疎外感を感じながらも、輝はそれを見ないように二人から目を背けた。
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里日の予想通り依斗の部屋はゴミ溜めと化していた、あちらこちらに丸めた紙が散らかっており、ゴミ箱はゴミ箱の役割を果たしていない。
「ゴミ箱の存在意義…。」
輝は頭痛がしてくるのをぐっと堪えて足元の紙くずを集め始める、この調子では随分と時間がかかりそうだとため息をついたところに、里日が依斗の手を引っ張ってやってくる。
「あ、里日さん!」
「輝ちゃん!先生捕まえたわ!散らかすだけ散らかして全部投げ出すなんて許しませんよ~。」
「里日くん!放してくれ!嫌だ!!私にとって片付けなんて一番無駄な時間だ!掃除!恋愛!着るものを考える時間!この三つは私には不要だ!!」
バタバタと暴れる依斗だが、里日の手はびくともせずに振りほどけない様で、依斗が立派な男性であるからこそ、その光景は不思議だった。
依斗が酷く非力なのか里日が酷く怪力なのか
輝には知るよしも無いが、おそらく後者だろう。
「先生、片付けをしないなら家にあるお茶を全部ご近所に配って、専門店を出禁にさせますよ。」
「…!」
依斗にとってお茶という物はよほど大切なものなのだろう、抵抗を止めた依斗は大人しく片付けを始めた。
「さすが里日さんです…!先生も里日さんには頭が上がらないんですね…!」
輝の言葉に、里日は少し照れたように笑う。
「そんなこと無いわよ、あぁ見えて先生、いざというときはカッコいいんだから。」
「そ、そうなんですか…?」
「えぇ…先生ったら…。」
「里日くん!もういいから片付けをさっさと終わらせるぞ!」
掻き消すように大声で叫ぶ依斗は何処か拗ねている少年様に見え、輝は微笑ましく感じながら
いつの間にか消えた頭痛に首を傾げて片付けを再開する。
しばらく片付けを進めていると、輝はふと架名との約束を思い出した。
「先生、そういえば私の友人が先生のファンで…一度お会いしたいと言っていたんですが…。」
当然断られると思いながらもダメ元で頼んでみると、依斗はポカンと呆けた顔をした後、すぐにいつもの笑顔を見せる。
「や、やっぱり駄目ですよね…?」
「構わないよ。」
「…え?良いんですか?」
「それより!君のご友人は私の何処に魅力を感じたのか聞きたい!」
目を輝かせて食いついてくる依斗、輝はどう答えたら正解なのか必死に思考を巡らせるが、依斗に下手に取り繕ったところで意味は無いと感じ、依斗から目をそらして正直に答えた。
「顔だそうです…。」
「顔…?」
普通ならば不快になる答えだろう。
輝は反応を伺うようにそっと顔をチラ見する。
依斗はやはり普通とはかけ離れていた。
「顔か…!」
この上ない笑顔を浮かべ、両手で顔を包み込むようにうっとりとした表情を浮かべる。
「お、怒らないんですか…?」
「怒らないさ…!むしろ褒められるのは嬉しい、変に取り繕って私の文章に興味も無いのに語ってくるのは嫌だが、潔く顔が魅力的だと言ったそのご友人は見処がある…!」
依斗はかなり乗り気で架名と会うことを承諾した、予想外の転回ではあったが輝はホッと胸を撫で下ろす。
「此処では難だから、何処か店に食べに行こうじゃないか!そうだ、どうせなら皆で行こう。」
「良いですね…たまには!あ、輝ちゃん、私も良いかしら?」
「もちろんです!」
こうして、週末に依斗と架名を合わせる日程を取り付けた輝は、架名へのいい報告を手土産に帰路につくことになる。
もちろん、ゴミ溜めと化した依斗の部屋の片付けが終わってからの話だ。
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週末、少し証明の暗い雰囲気のある居酒屋の個室の引き戸の前で、輝はなんとも言えない表情で呟いた。
「あの、すみません…突っ込んでいいですかね?何故ここに…刑事さんが…?」
「依斗に呼ばれたんだよ『仁くーん、飲みに行かないか~!?』ってな。」
依斗のモノマネのつもりなのか、仕草を付けながら仁が声色を変えて台詞を吐くが、全く似ていない。
「先生はそんなに頭が悪そうな声は出しませんよ?」
「常に頭悪そうな行動してんだろ。」
「その頭悪そうな人に頼らないと事件解決できないのは何処の誰だったかしら?」
目付きが悪くなっていく仁と笑顔を崩さない里日、相変わらず二人は反りが合わない。
モノマネされた当の本人は二人を気にも止めず、ずんずんと上座に座り、メニューを見ている。
「お、お二人とも!あの!座りましょう!?」
びくとも動かない二人の背中を押して席に誘導する、そして架名を先に座らせ、輝は下座となる出入口の所に最後に座った。
店員が五つのグラスを持って入ってきたところで仁が店員に話しかける。
「悪いんだけど、水もう一つ頼む。」
「かしこまりました。」
店員は軽く頭を下げるとまた出ていった、輝はすかさず仁に向かって首傾げた。
「まだ誰か来られるんですか?」
「あぁ、岩倉も少し遅れるが来るって。」
「葉月刑事ですか…!」
ちょうど葉月には春との会話の事で色々と話したい事があったところだったが、どうにも電話をかける事には抵抗があった為、輝はその必要がなくなり安堵する。
皆が座ったところで食事を頼む前に里日が話し始め、皆の視線が無意識に里日に集まった。
「輝ちゃんって、架名ちゃんのお友達だったのね~。お友達の紹介でアシスタント志望したって聞いてたから、もしかしたら、とは思ったけど!」
「いやぁまさか輝が採用されると思わなくて!上司が里日さんだったなんてびっくりです~!」
架名はサラリと酷い事を言うが、架名に弄られるのは悪い気はしないしいつもの事なので輝はスルーし、向かい側の仁に灰皿を差し出してみる。
「刑事さんはお煙草吸われますか?」
「…いや、俺は大丈夫だ。」
「そうですか…!」
「…おい。」
灰皿を引っ込めると、仁が輝の服の裾をくいっと小さく引っ張った。
「なんでしょう?」
「刑事さんって呼ぶのやめろ。」
「あっ…ごめんなさい…!では、なんとお呼びしたら良いですか…?」
「仁でいい。」
キョトン凝視してくる輝の目線にいたたまれない気持ちでそわそわと目を反らし、仁は自分のカッターシャツの袖のボタンをおろおろと触る。
「仁……?」
「…!」
「……さん、ですね!」
一瞬仁と呼び捨てにされたかと勘違いした仁は少しばかりの動揺を隠せずに跳ねた。
三十にもなってこんな事で動揺する仁の姿は意外なものであり、輝も少しだけ気恥ずかしさを感じる。
そのときめきにも似た空間に、やはり横やりをいれる空気の読めない変人…依斗が入ってきた。
「君たち、何少女漫画みたいな事しているんだい?」
「違いますー!…あ、でも仁さんってたしかに眉間にシワ寄せてなければイケメン顔ですよね!」
「そ、そうか?」
「本当に!餅田さんも佐久間さんも凄いイケメン!」
うっとりしたように歓喜する架名を見て、輝は苦笑いをしながらお冷やに手を付ける。
結露ができて少しだけ濡れてしまった右手を拭こうとおしぼりを取ったところで個室の扉が開いた。
「遅くなりました。」
「岩倉ー、早かったな。」
「思ったよりも早く仕事が片付いたので。」
ネクタイを緩めながら入ってくる葉月もまた、架名の守備範囲内に入るイケメンであり、様になっていた。
案の定、その姿を見てかなり興奮状態の架名。
「わぁ…めっちゃイケメン…。」
「君、本当に面食いなんだね。」
笑いながらお腹を掻く依斗は正直言えば仕草が完全におじさんなのであるが、その容姿ではそれすらも色気を帯びて見えるのが不思議だ。
そうこうしている内に葉月が空いていた輝の隣に座り、シャツを腕捲りしながら輝に話しかける。
「まだ皆来たところ?」
「あっ、はい。まだこれから頼むところです、葉月さんは何食べます?」
「なんで敬語なの…?ハハ、そうだなー鶏なんこつ食べたいかな。」
敬語で話すのがさも可笑しい様に笑う葉月に全力で首をかしげる輝、そんなやり取りを見て架名が突然驚きの声を発した。
「あっ……!もしかして……!岩倉さんって…あの岩倉葉月!?」
「あれ、同じ大学?」
「アタシ…堀田架名だよ!覚えてない?」
「あー!思い出した!飯塚さんといつも一緒に居た子だ!」
「二人とも知り合い?」
「何言ってんの!輝も会ったことあんじゃん!」
驚きを隠せない輝。
葉月は同じ大学の同期であり、かなり優秀かつ中心人物であった為、自分の事を覚えているとも思わなかったし、そもそも輝は葉月を覚えていなかった。
そこで輝は、同じ大学だったから春に話をしたのか、と納得した。
しばらく各々が他愛ない話をしていると、葉月が輝の方に話を振った。
「飯塚さんはあんまりお酒強くないの?」
「え・・・まぁ、普通かな。」
「そうなんだ。」
葉月も輝もほどよく酔っている為かいつものような緊迫した空気はなかったが、葉月はどこか緊張した様なほんのり赤らんだ顔で輝に話題を振っていく。
「・・・飯塚さんはどうして佐久間さんのところで働き始めたの?」
「・・・あ、架名がたまたまお店の常連だった里日さんからアシスタント募集してるって紹介してくれて・・・。」
「へぇ、じゃあ、この、再会って、すごい偶然なんだねぇ。」
葉月が鶏軟骨を頬張ったところでお手洗いに行っていた架名が帰ってきた。
後ろから輝に抱きつく架名は手を洗ったばかりであるためか手がひんやりとしている。
しかししゃべり方とほんのり香ってくるお酒の匂いで架名が酔っ払っている事は明白だった。
「あれ~二人とも仲良しじゃん~。」
「架名飲み過ぎだよ・・・!」
「大丈夫!大丈夫!・・・それにしたって三人とも顔面偏差値高いね~、葉月くんはザ・イケメンって感じだし、仁さんは大人の色気って雰囲気で、依斗さんはミステリアスで美形だし・・・!よりどりみどりじゃん!!!!!」
相変わらずの面食い様に苦笑いをする輝。しかし、正直なところを言うと輝も同じ事を思っていたのだ。
なんなら里日は美人で仕事もできるしスタイルが良いし上品、架名はオシャレで元気でフレンドリーだし、優しいところもある。
輝はまるで自分だけが場違いな気がした。
「・・・はぁ。」
気がつけばまた架名と葉月は談笑しており、仁と里日は何故か言い争いをしている。
その楽しそうな空気に再び疎外感を感じていると、奥で輝と同じように一人で、虚空を見つめて依斗がジンジャーエールを飲んでいた。
「先生はお酒飲まれないんですか?」
輝が思わずそう聞くと、依斗は目の前のオムソバを自分で取り分けて七味を大量にかけると、一気に掻き込み、むせた。
「ゲホッ・・・ゲホッ・・・酒は、嫌いだ。」
「何してるんですか…勿体ないじゃないですか!…飲めない・・・とかですか?」
「私が酒に負けると言いたいのか?」
「そ、そういうわけではありませんけど…。」
妙に不機嫌気味な依斗が七味を箸でつまんでパクパクと口に運んでいる様子は、なんだか強がっている様に見える。
輝は初めて依斗の弱味を知った気がした。
「先生にも弱味とかあるんですね、たしかに先生は変わってるけど弱いところなんて無いと思ってました。」
そう言って輝が笑ってみると、依斗は少しだけ寂しさを含んだ笑いを浮かべた。
「私は元から欠陥品だよ。」
依斗の言葉に疑問を持った輝は…強く静かに否定。
輝にとってはいくら変人とはいえ、依斗が凄い人間であるという認識は変わらない。
だからこそ、依斗なんかよりも自分が欠陥品ではないかと思った輝は、依斗の言葉を肯定する訳にはいかなかった。
「そんなこと、ないです。」
「…飯塚くんは、とても優しいね。」
「優しいんじゃありません、依斗さんみたいな凄い人が欠陥品だったら、私のような人間はどうしたら良いんですか…?」
「…前言を撤回しよう。」
依斗はジンジャーエールに口をつけながら、輝とは目を合わさずにポツリと呟いた。
「君は愚かだ。」
依斗の短くも重い一言が、ズッシリと輝の胸に押し寄せる。それがなんだか悔しくてムッとしたようにため息をつく輝。
「はぁ・・・そんなことは…言われなくたってわかってます…!」
「何もわかってないよ、君は。」
「どういう意味ですか・・・?」
「君はどういう意味だと思うんだい?」
依斗はからかう様な優しい笑顔を浮かべるとテーブルに左肘をつき、右手で輝の髪をなぞる様に触る。その手つきは少しむず痒く、輝は驚いた様に微かに身を引いた。
「な、なんですか・・・!」
「君はまだ自分の良さを見ないだろう?私には私の良さがある。比べるのはナンセンスだ。魔法使いは剣士が魔法を使えなくても見下したりしない。」
重たかった輝の心が一時的にだがスッと軽くなっていくのを感じた。
「人は誰しも欠陥品だ。完成品なんて一人も居ない。」
依斗だからこそ言える事なのだろうな、と。
輝は自分のグラスに入ったファジーネーブルを見つめた。
氷がとけてで少し薄まった酒は、まるで依斗によって不安が薄められた自分の様で、輝は少しだけ気にくわない。
全てを振り払う様に輝はグラスの酒を飲み干した。
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次の日の朝。
輝は明らかに自分の部屋ではないベッドの上で目が覚めた。
少しだけ乱れたスーツといつものごとく寝癖のついた髪。
けだるい体と重たく痛む頭を何とか持ち上げ、起き上がって回りを見渡すと、見慣れた人物が見慣れない姿で本を読んでいた。
「・・・。」
小さな風が当たる度になびく長くて黒い髪の毛は、朝の光を浴びて艶やかに暖まり、薄ら笑いを浮かべる相変わらずの美形は形が崩れる事なく真っ直ぐ本に向き、長い睫毛で見え隠れする瞳は真剣に本の字をなぞっていく。
意外にもしっかりと鍛え上げられた上半身には、余計なものは何も纏われておらず、雄々しい手からは想像もつかない程に繊細で丁寧な手つきでページをめくっていく。
「・・・先生・・・?」
本当にそこに居るのは依斗なのかと心配になってしまう輝は、声に出して確かめる。
呼ばれた事に反応して振り返る彼が、確かに依斗であるという事実を輝に植え付けた。
「飯塚くん、おはよう。」
「お・・・おはようございます。」
やけに現実離れした空間に、緊張してしまう輝であったが、自分の状況を思い出して何もかもが吹っ飛んで我に返る。
「先生!!!!なんで私先生と一緒に!?」
「君が昨日酔い潰れてしまったから僕の家に連れ帰ったのさ、掘田くんも酔っていた上に方向音痴らしくて住所がわからなかったから。」
「つ、つまり私先生にお持ち帰りされたんですか!?」
混乱する輝を気にもとめず、依斗は本を閉じて立ち上がる。
「・・・何故そうなるんだ。私は男にも女にも興味はないよ。」
「で、でも!!!服乱れてるし!先生は裸だし!」
「落ち着きたまえ。私は一人で本を読む時はいつでもこの格好だし、スーツが乱れているのは君の寝相が悪いからだよ。」
ようやく落ち着いてきた輝は、安心した様にベッドから出ようと足を投げ出した。
しかし、やけに涼しい足下に目線を落としてみる。
輝は、スカートを履いて居なかった。
「いゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ。」
「!?!?!?!?」
「なんで私スカート履いてないんですか!?やっぱりそういうことになったんですか!?最低ですよ!?アシスタントに手を出すなんて!!!」
「はぁ・・・だから落ち着きたまえ。」
依斗は爽やかな笑顔のまま半裸でデスクの上にペパーミントのハーブティーが入ったカップを置いた。
「・・・あ・・・ありがとうございます。」
「ミルクは無いから、そのまま飲むんだ。二日酔いに効くから。」
「はい・・・。」
あまりストレートでお茶を飲まない輝だったが、不思議と落ち着いてくる。
深呼吸をして冷静になったところで輝は依斗に向き直った。
「・・・昨日は何があったんですか?」
「簡単な話さ、君はこの家に着いてすぐに飲みたいと言った水を全部スカートに飲ませ、このままで寝るのは気持ち悪いからと叫んで、スカートを放り投げてそのまま眠りについた。」
「・・・・・・。」
輝は依斗の説明の途中から頭を抱えた。
何という無礼であり、何という失態だろう、と。
「穴があったら入りたいとはこのことです。」
「まぁ、そんな事もあるさ。」
依斗はさして気にしていない様子でハーブティーを飲んで微笑んだ。
相変わらず感情のこもっていない笑顔ではあったが、輝はいつも通りの依斗である事に逆に安心した。
この日、輝自身も依斗も休暇を取るつもりであったためのんびりと朝を過ごす二人。
里日も休みで今日は自宅には来ない。
輝のスカートは濡れているため、乾くまで依斗のサルエルパンツを借りている。
本当はすぐ直帰する気でいた輝であったが、せめてものお礼として冷蔵庫にある食材で簡単な朝ご飯を作った。
「・・・あの、お口に合いますでしょうか?」
「・・・・・・。」
いつもはよく語りよく喋りデリカシーの無い言葉を連発するくせに、珍しく黙々と朝ご飯を食べる依斗。
輝の質問に答える事無く皿にのった食べ物を全て平らげてしまった。
「あの・・・?」
「君は良い奥さんになるね。」
「あ、ありがとうございます・・・?」
満足そうに紅茶を飲む依斗は、いつもの傲慢で変人なキャラとはかけ離れ、落ち着いた雰囲気を持っていたので輝はなんだか緊張してしまった。
感情がこもってないのは相変わらず変わらないが、それを含めても別人のように落ち着いている。
これが依斗にとっての"OFF"な姿であると思った瞬間、輝は休日を邪魔してしまっているような罪悪感にさいなまれた。
「あの、スカートが乾いたらすぐに帰りますから・・・!先生。」
「そうかい?・・・別に急がなくてもいいよ。なんなら飯塚くんさえ良ければ、私とどこかへ出かけないかい?」
「・・・えっ?わ、私なんかが一緒に居ても良いんですか?」
正直な話、小説家の佐久間依斗の休日の過ごし方にはかなり興味があった輝は、突然の誘いに喜びと戸惑いを隠しきれずにいた。
しかし、ここ最近のネガティブが輝の喜びの感情に蓋をするため、かなり自己嫌悪的な返事をしてしまう。
「かまわない、むしろたまには誰かと過ごすのも良いかと思っただけだよ。」
「・・・で、ではご一緒させていただきます!」
「ん、じゃあ・・・少し着替えてくるよ。飯塚くんは何を着る?」
舞い上がっていて重要な事を忘れていた輝は、濡れたスカートを眺めてため息を一つ漏らした。
完全に自分の今の服装を忘れていたのだから。
「先生って、いつもの格好以外にお洋服持ってるんですか?」
「あぁ、服を選ぶ時間は私にとって最も無駄な時間だと思っているから基本は持っていない。」
輝にとってあまりにも絶望的な返事だ。
依斗とのペアルックを想像し、何にも例えがたい微妙な表情を浮かべるのをよそにズンズンと自室に向かって歩き、いつもの物が散乱した部屋に着く。
クローゼットとは名ばかりの物入れの扉を開け放ち、中を放りだして漁る依斗。
物が再び散らかっていくその様子を見て輝は明日の仕事が増えると覚悟した。
「あ、あの・・・やっぱり遠慮し・・・。」
「あった。」
物入れを漁るのをピタリと止め、一着の服を出してきた。
「・・・?」
「すまない、これしか無い。」
「これ・・・なんですか?」
「・・・ツナ缶の会社のTシャツだ」
白地にでかでかとツナ缶の三文字、そしてツナの絵。
流石のセンスに輝は声も出なかったが、依斗とペアルックよりは幾分かマシだろうと、震える手を押さえながら断腸の思いでそのTシャツを受け取るのだった。
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ツナTシャツにサルエルパンツ、という個性の塊のような格好でささやかに視線を感じながら依斗の隣を歩く輝。
恥ずかしさのあまり自然に両手で胸元を隠してしまう。
「これから何処に行くんですか・・・?」
「決めてない。」
「ひ、人の少ないところにして下さい・・・!」
「??かまわないが、背中にもちゃんとツナ缶の字が入ってるから隠す意味が無いよ、飯塚くん。」
目一杯模様を隠そうと奮闘する輝を横目で見つめながら、依斗はのんびりと土手を歩く。
やがて隠すことを諦めた輝は、依斗の隣を歩きながら横顔を見た。
「先生、Tシャツのデザインはともかくとして、誘っていただきありがとうございます。」
「私こそ、誘いを受けてくれてありがとう。飯塚くんと居るのは居心地が良いし、女性を連れていれば女性から誘われることも無いからね、助かるよ。」
「もしかして・・・私って虫除け・・・?」
虫除けだとしたらあまりにも役に立たない気がする輝であるが、依斗は気にもとめない。
「冗談だよ。」
「ですよね!・・・でも、居心地が良い・・・ですか、お世辞でも嬉しいです。」
依斗は少しだけ驚いた様に片眉を上げると、また小さく笑った。
「私は本当にそう思った時にしか言わない。こうして飯塚くんと歩いて居るのも、話しているのも、言ってみれば私がそうしたいからしているんだ。」
「でも・・・なんだか先生の休日を邪魔してる様な気がして・・・しかも気を使ってくれてるな・・・って思ったので。」
すると、依斗は否定する事無く更に笑う。
「気を使うのは親愛の証だよ。私が自然と気遣いたいと思った、飯塚くんと一緒に居ることが苦痛では無く安らぎだからだ。」
「先生・・・。」
「それは私が優しいからではなく、飯塚くんが私にそうさせるんだよ。」
依斗の言葉は相変わらず難しいが、きっと輝を認めてくれているのだろうということはひしひしと伝わってくる。
「時に他人の善意は自分を写し出す鏡だ。鏡は自分が動かなければ動かない。」
「・・・私が、先生に気遣いを見せたから・・・先生はそれに答えただけ・・・ですか?」
「そういうことさ、もし君に早く出ていて欲しかったら誘わないしTシャツも貸さないし気も使わない。」
輝は少しだけネガティブになりすぎていたと今更ながら気付く、完全に自覚は無かった。
依斗はそれに気付いていたからこそ、こうして
また気遣いを見せたのだ。
「だから、お礼を言うのは私の方なんだ。貴重な休日を私の為に裂いてくれてありがとう。」
どこまで心が広くて大人なのだろう、と輝が不思議になるほどに依斗は多くの知識と景色を見ており、学んでいるのだろう。
こんな依斗が必死になる事なんてあるのだろうか?と輝は疑問に思う上に、想像するのも困難であった。
「・・・それと、謝罪しよう。」
依斗が立ち止まる。
「貴重な休日を私のせいで潰してしまった事を。」
二人の目線の先には数台のパトカーと消防車、そして全焼したであろうアパート。
「私は思考を休める訳にはいかないらしい。」
輝は頭を抱えながら戦慄した。
これが佐久間依斗の世界の日常なのだと。
【ゴールド・シャンパン事件 前編】




