第三議題 後編
【紅茶と鉄の香り殺人事件 後編】
警察署から帰る途中、無言の二人の間で輝のスマホが鳴った。
画面を開くと、そこには大きく「葉月刑事」の文字が浮かんでいる。警察署では途中でどこかに行ってしまい話せなかったが、電話してくるなんてよほど重要な案件なのだろうか。
それとも何か事件の手がかりが?
輝は緊張して汗ばんだ手を拭い、電話に出た。
「・・・?・・・もしもし。」
『もしもし、飯塚さん?』
「あ、はい。どうされましたか?」
『さっき鑑識から気になる結果が出たから、依斗さんや飯塚さんに報告しようと思って・・・。』
事件についての手がかりが増えた事にも驚いたが、葉月が自分に敬語を使って居ないことにも驚く輝。
「そ、そうなんですか・・・!先生に代わりますか?」
『いや・・・飯塚さんから伝えてもらって良いかな?』
「わかりました!」
『・・・えっと、メモとか取らなくて良い?』
「大丈夫ですよ、どうぞ。」
輝が話を進めるように促したところで、依斗が輝のスマホに耳をくっつける。
端から見れば真顔で耳をくっつけ合っている異様な光景だが、依斗も輝もそれどころではなく、葉月の声を聞き取ろうと、電話の音声に集中する。
葉月は少し咳払いすると、滑舌よく正確に内容を話しはじめる、その声は真剣さが電話越しにも伝わってくるほどハッキリしていた。
『まず、鑑識からの情報。遺体の体の至る所に、小さな低温火傷があり、ほぼ間違え無く他殺だろうとのことだよ。』
「低温火傷・・・?」
『そう、脇腹、背中、腰、首元など複数箇所にね、おそらく、死亡推定時刻をずらしたんだろうと思う・・・温めたって事は遺体の腐敗が進むから、本来の死亡推定時刻は十時~十一時じゃなく、十一時~十一時半に絞られる。』
「そうなると・・・やっぱり美琴さんが?」
ページをめくる様な紙音のあと、葉月が続ける。
『それが・・・谷嶋美琴にはその時間にもアリバイがあるんだ。』
「どういう事ですか?」
『実は、犯行が行われた時刻に近くのファーストフード店の監視カメラに写ってたんだ。そして通報してきたのが、十二時二分、警察が到着したのが、十二時十七分・・・十五分足らずでここまでの偽装工作はできないし・・・。』
葉月の話によると、谷嶋美琴はその日、居酒屋にて関根春と喧嘩をして、十一時過ぎに居酒屋を退店。
その後、店から約十分の距離にあるファーストフード店に十一時半頃から約二十分ほどコーヒーを飲む。
監視カメラに写っていない十分間に家に帰るのは不可能であり、警察を呼んでから殺害したとも考えにくい。
どちらの犯行時刻であってもアリバイが存在する。
葉月からの情報を元に、依斗はまた静かに足を進める。
「完璧すぎる、あまりにも。」
笑顔で頭を悩ませる依斗だったが、情報が増えた事によって、その表情は少しだけ緩んでいた。
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得た情報を元に答えを探すが、一向に見つからない。
気がつけば、二人して依斗の自宅の玄関の前で佇んでいた。
玄関のドアを開けると、帰ってきた二人を里日が出迎える。
「おかえりなさい、二人とも。」
「………」
「里日さん、ただいまです。」
二人揃って随分とぶっきらぼうに一言返し、室内へ入っていく。
空気の重さから見ても喧嘩をしたわけではなく、何となくお互い個々の世界に入っているのだろうと里日は勝手に解釈した。
「紅茶入れるわね…!」
「……。」
「あっ……私もお手伝いします。」
「いいのよ!輝ちゃんは座ってて。」
輝も依斗も、真剣に一点を見つめて考えを巡らせている様子だった。
それを眺め、里日は急いで紅茶の準備をする。
「それにしても、輝ちゃんったら随分この仕事に向いてるのかもしれないわね~…先生のアシスタント!」
「……そ、そうですか!ありがとうございます。」
「……」
二人がやけに静かであるため、気まずくなった里日が無理に話題を探して喋ろうとするが、どれも続かない。
冷たい空気に反発するように、紅茶も湯気を上げながら香りを放つ。
しかし、里日は自分が邪魔になっている気がして途中から喋るのを止める。
静かに紅茶の味をたしかめるが、その味を正確に感じることができない。
「…………あの。」
そんな空気の中、次に口を開いたのは輝だった。
「美琴さんは………どこか一部分だけ、嘘をついてる気がするんです。」
「………。」
「どの部分なのかは…正確にはわかりませんが……。」
美琴の言動からわずかな嘘の香りを読み取った輝であったが、彼女の心から嘘をついた時によく見られる動揺や焦りなどは感じられなかった。
むしろ逆、彼女の心には安心感と決意のようなものが感じ取れた。
「…彼女が…嘘をついたときに…安心感や何かの決意を感じました。」
「…………。」
「…もしかしたら、誰かに助言を受けているのではないでしょうか?」
「……。」
輝がそう思ったのは当然だった。
あまりにも完璧なアリバイ、誰か協力していなければまず不可能に近い。
輝の話を聞いているのか聞いていないのか、依斗は微動だにせず、相変わらず一点を見つめている。
「…先生…!」
「どうして、そう思うんだい?飯塚くんは人の心でも読めるのかい?」
ここへきてようやく依斗が口を開いた。
その表情は相変わらず貼り付けたような笑顔であったが、声色からみてもおちょくっている訳ではない事はよくわかる。
「・・・心を読める訳じゃありませんけど、私は他人の感情や感覚に同調してしまいますから・・・わかるんです。」
「・・・なるほど。」
依斗は最初の事件での現場での輝の様子を思い出して納得する。
死因や殺害方法を聞くと苦しそうにしていたのは、輝がその感覚に同調していたから。
他人の感情や感覚が輝を塗りつぶしていたのだ。
輝はさらに続ける。
「・・・葉月さんから、あのアリバイを聞いたとき、まるで、『シナリオでもあるかのような正確な時間配分』だと思いました。」
「つまり、一緒にいたシュンくんが、谷嶋美琴に助言しているって?」
「違います!シュンちゃんじゃないです!彼女の周りの誰かです!」
「じゃあ聞きたいんだが、シュンくんから、何か嘘を感じ取ったりしたかい?」
依斗は再び疑問を投げかけた。
その笑顔から、輝は何の感情も読み取れなかった。
いくら輝と言えども、依斗のように感情が薄い人間には同調なんてできない。
「シュンちゃんを疑ってます?・・・でもあいにくシュンちゃんからは何も感じ取ったりしてま・・・せ・・・ん。」
輝の背筋にゾクリと悪寒がし、全身の毛が逆立つのを感じる。
輝は信じられないといった顔で依斗を凝視する。
「飯塚くん、君の感覚は限りなく正解に近い。」
いつもとは違うどこか悲しげな笑顔で、依斗は輝の目を見つめる。
紅茶の上には、もう湯気は立っていなかった。
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次の日の朝、いつもより大きく重たいゴミ袋を持ち上げ、春は一息をついた。
「ふぅ・・・。」
この後、春は十時からバイトがあるため、ゴミ収集車が可燃ゴミを回収していくのを見届けることはできない。
しかし、今日になっても警察どころか依斗でさえ春を訪ねてはこなかった。
「念入りに偽装工作する必要も無かったなぁ・・・。」
春は部屋に戻り、バイトに行く準備をする。
いつも通りの日常に戻るためにも、すべて忘れなければならない。
鞄の中に、制服やエプロン、紅茶缶と紅茶の保管室の鍵を入れて準備は万端。
服を着替えて、上着を羽織ったところで、スマホから電話の呼び出し音が鳴った。
「もしもし?」
『あ・・・春ちゃん。』
春のことを「シュン」と呼ばないのは一人しか居ない。
「美琴か。」
『ごめんね・・・急に連絡しちゃって。』
「いや、いいよ・・・これからバイトだから、要件だけ話して。」
『あのね・・・もしかしたらバレちゃったかもしれないの・・・今、家の前に、佐久間さんのアシスタントさんが来てて・・・。』
春はまさかと思い、慌てて鞄を持って部屋を出る。
『もう、春ちゃんに迷惑かけられないから・・・本当のことを言って自主する。』
「美琴、僕の言うことをよく聞いて?変なこと考えなくていいから。」
『でも・・・。』
「大丈夫、美琴は僕が守るから。」
春は言い聞かせる様にその言葉をつぶやいた。
『春ちゃん・・・どうしてそんなに・・・?』
「・・・もう、時間だから、切るね。」
『答えてよ・・・!春ちゃん。』
「・・・絶対、僕の言うとおりにしてね。」
美琴の問いに答えずに春は静かに電話を切った
そして、オフにしたスマホの画面を見つめ、笑顔を浮かべる。
「・・・早くバイト行かなきゃ、遅刻しちゃう。」
春は自転車に乗ると、少し急ぎ気味に店に向かった。
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その日は朝から、依斗の自宅に刑事の二人が来ていた。
輝が玄関のドアを開けるなり、すでに男物の革靴二足と黒いヒールの靴が一足そろえてあり、その横にはシンプルなサンダルが散らかっていた。
「はぁ・・・先生のサンダルって一目でわかる。」
輝はそっとサンダルを綺麗に揃え、自分もヒールの靴を脱いで室内に入る。
部屋に入ると、里日がいつもの柔らかな笑顔で出迎えた。
「輝ちゃん、おはよう。」
「おはようごさいます・・・!」
輝に気付いた葉月と仁は振り返ったが、依斗は微動だにせず腕を組んだまま、感情のこもらない無表情な笑顔を貼り付けていた。
「・・・おはよう飯塚くん、遅かったね。」
「あ・・・はい、あの・・・。」
輝は鞄からビニール袋取り出し、葉月に渡した
何が入っているのかと葉月が袋の中を覗くが、慌てて顔を背けた。
「・・・!なんだこれ・・・!」
「どうした?」
「臭い・・・!」
「どういう事だ?」
葉月の様子を受け、仁が依斗の方に顔を向けると、依斗はまるで表情を変えずにニコニコしている。
「それを鑑識に持って行ってくれないかい?」
「そのためだけ?」
「そうだよ、昨日面白い事を教えてもらったお礼さ。」
「・・・ってことは・・・わかったのか?どうやって犯行に及んだのか。」
依斗は何かを企むような悪戯な笑みを浮かべ、組んだ腕をほどいて立ち上がる。
「いいや、わからない。」
「・・・わからねぇのに貴重な捜査時間を潰して呼んだのか・・・?」
「・・・でも、犯人はわかった。」
依斗は、犯人が誰であるか確信していた。
しかし、どうやって犯行に使ったものを処理したのか、そもそもどうやってアリバイを作ったのか、動機もわからず、追い詰めるための証拠も無い。
確たる証拠が無ければ、罪を立証できない事を、依斗は誰より知っている。
「もし、その中から、混ざるはずの無いもの同士が混ざって出てきたら、それが証拠になる。」
「・・・お前がそう言うなら、わかった・・・!葉月、鑑識にそれ持って行け。」
「・・・わかりました!」
葉月は依斗の家から出て行った。
残った仁は依斗に向き直って次にすることを問おうとする。
すると、依斗が顔を向けずに次の指示をした。
「・・・関根春の当日の動きを調べてほしい。」
「!・・・あの紅茶店のバイトか?」
「ああ、私の推理が正しければ、シュンくんが犯人だよ。」
依斗の顔に初めて少しだけ寂しそうな感情を見た輝。同調したわけでは無いが輝も同じ気持ちだった。
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春のバイト中、警察がやってきた。
餅田と名乗る刑事が、犯行当日について色々聞いてきた。春はいつもの『お調子者のバイト』という感じで対応する。
「今度は、僕が疑われてんスか?」
「いや・・・関係ありそうな皆さんに聞いてます。」
明らかな嘘であることは春にもよくわかった。
しかし、春は気を損ねたりせず、飄々とした態度で冗談を笑うかのように返す。
「へぇ~・・・!ははは、その日は閉店後の作業までバイト!美琴との約束は十時だったから、店長ともう一人バイトの子と・・・三人でシフト入ってましたよ~。」
「店長さんに確認取れますか?」
「あれれ、これも疑われてる・・・?そっかそっか、全部裏取らなきゃいけないんスもんね、刑事さんも大変ッスね・・・。」
あくまでも労う様に遠回しな嫌味を言ってから、春は奥にいる店長を呼ぶ。
「店長~僕疑われてるみたいだから、店長がお休みした前の日の事証言して~。」
冗談っぽくそう言うと、店長が店の奥から出てきた。
何事かと心配していた店長は、ニコニコと笑っている春と、バツが悪そうに苦笑いする仁を見て、朗らかにその日のことをしゃべり出した。
「その日はねぇ、忙しかったからよく覚えてるよ、三人でよく回せたもんだ。」
「休憩など取られたりしてましたか?」
「まぁね、八時頃に十五分、九時前に十分だったかな?・・・在庫の整理もしてくれていたから。」
「どこかで抜け出したりとかは・・・?」
「さぁ・・・娘が風邪気味だったので閉店前に私は家に帰ったのでわかりませんが・・・もう一人のバイトの子もいましたし・・・仕事の手を抜いていた様な感じも無かったから。」
「そうですか・・・。」
仁はいよいよ困ったといった感じで、頭を掻いた。
依斗はあんなにも自信ありげに春が犯人だと言い張っていたが・・・これでは関根春にも犯行は不可能だ。
そんな仁の様子を見て春は心の中でよしよしと自らのシナリオの正確さをかみしめていた。
すべてが思った通りに動いている。
そう感じていると、仁がどこかに電話をかけ始めた。
「もしもし、あぁ・・・言ってたことと違うぞ?・・・あ?・・・わかった、聞いてみる。」
恐らく依斗だろうと予想した春は次の表情を作る。仁はスマホの画面を手で覆うと、春に向き直った。
「これから、家を見せてもらってもいいですかね?」
あまりにも予想通りの言葉に、春は満ち足りた気持ちを出さない様に。
「かまいませんけど・・・仕事・・・。」
「こっちは大丈夫だから、疑いを晴らして来なさい。」
「店長!!ありがとうございます!」
春は今度こそ我慢していたとびきりの笑顔を浮かべた。
店を早退し、仁と共に春は自分の家に向かった。
二階建てのアパートに到着すると、そこの駐車場に、風変わりな服装の人物が立っている。
その人物が誰なのかすぐにわかった春は、いつもの悪戯っぽい表情で声を発した。
「佐久間さんも来てくれたんスか~!」
「やぁ、その様子じゃ家から何も出てこなさそうだね。」
「佐久間さんまで酷くね・・・?」
「依斗、大丈夫なんだろうな?」
「さぁね。」
妙に余裕な依斗に、一瞬疑問を感じた春であったが、恐らく単に依斗が顔に出さないだけだという答えに至る。
「どーぞ。」
玄関を開けると、生活感があるが飾り気が無い、まるで男性の一人暮らしのような空間が広がっていた。
「好きに調べてくださ~い。」
「ではお言葉に甘えて調べさせてもらうよ。」
「へーい。」
ブラウンのソファに腰掛け、部屋を調べる依斗と仁を眺める。
余裕ぶったその表情を横目で確認して依斗は部屋を調べる手を止めた。
「シュンくんは大学生だっけ?今いくつなんだい?」
「急にどうしたんスか?・・・十八ですよ!」
「ほう、若いねぇ。」
「でしょ!」
雑談をし始める二人を、意外にも仁は止めなかった。
「谷嶋くんとはいつから友達なんだい?」
「美琴ッスか?・・・ん~小さい頃から知ってたけど・・・仲良くなったのは高校卒業してからかな。」
「どういう事?」
「小学校の頃、同じ学校だったけど・・・美琴が卒業した時期に僕も転校して、大学のサークルで再会した感じッス。」
「そうなんだね・・・小学校の頃は仲良かったの?」
依斗の疑問に、春は珍しく切なそうな顔をした。
二人の様子を眺める仁のスマホが振動する事に気付かず、春は話を続ける。
「いえ、美琴は学校のアイドルみたいな感じで学年も違ったし・・・サークルで会った時も出身校の話するまで、お互い初めましてだと思ってたッスから。」
「なるほど・・・。」
美琴は二十一歳、春は十八歳。
依斗からすれば二人とも若く、まだまだこれからであった。
「この先、何を目指しているんだい?」
「それはまだ決めてないッスけど・・・まぁ、あの店でもっと紅茶のことを学びたいですかね。」
知っている中でも、上位に入る程春は紅茶の知識が豊富だったし、あの店長が保管庫の鍵を任せるほどに信頼して、頼りにしていた。
そのことは、依斗が誰よりも知っている。
だからこそ
「残念でならない。」
依斗の独り言はあまりにも小さくて、春の耳には届かなかった。
依斗と仁が帰って、数時間がたった空間は、すっかり薄暗くなっていた。
誰も居なくなった一人きりの部屋の中で電気もつけずに春は、日中と変わらない姿勢でソファに座っている。
本来なら働いて居るはずの時間、突然の空き時間で何をして良いかわからずにぼんやりと時間を過ごしていた。
依斗との会話で、幼い頃の記憶を思い返してみる。
先ほどの話もすべてが真実という訳では無かった。
自分でもあんなにすらすらと嘘を述べられた事に不思議な感情を抱いていた。
美琴と出会ったのは小学校一年生の時、春が思うに美琴はその時から可愛かった。
嫌な意味で目立っている春とは違い、学校内でも地域でも美琴は愛されていた。
同学年の生徒から距離をおかれ、親に気味悪がられている春とは違って。
春も顔の造形は良い方であったし、決して性格が悪いわけでも、運動ができない訳でもなかったが、誰もが口を揃えてこう言った。
「何を考えているかわからない。」
春は勉強もでき、運動もできる優秀な生徒であり、一時期は神童としてもてはやされたが、春は調子にのるでも、更に勉強をして高みを目指すでもなく、無反応だった。
褒められて嬉しい、などといった感情はなくただ淡々と、毎日言われたことをこなしていった
そうなれば、自分の存在を認識してもらえたから。
しかし、にこりともしない春を、周りは段々と恐怖の目で見るようになった。
春はその変化を面白く感じた。自分は何も変わらないのに、周りの反応がコロコロ変わる様子を見て、春はそれを楽しんでいた。
「どうやったらもっと別の反応が見られるんだろう。」
春は夜中に小学校に忍び込み、自分の机に落書きをし、教科書を破り、上履きを捨てた。
次の日学校へ行くと春の考えた通り、恐怖の目は一転して弱い者を見る目に変わる。
それからは自分で忍び込まずとも勝手に落書きをしてくれたから随分と楽だった。
また他の反応が見てみたい、もしかしたら物でも投げてきたりするのだろうかと、とある朝に蹲って泣き真似をしてみると、これまた面白い事に、思った通りに蹲る春に消しゴムのカスや紙を丸めた物などを投げつけてきた。
イジメにあったと一言で言えば簡単であるが、
どれもこれも、春本人が誘導した結果であった
春はどんどんエスカレートし、それと比例してイジメもエスカレートした。
もちろんのこと、これも春の思惑通りだった。
冬休み前、イジメのリーダーのような男の子に、呼び出された春は、思惑通り冬休みの飼育当番を押しつけられた。
「夕方になると危ないから、早くおわらせろよ。」
先生は男の子を叱ったりせず、見て見ぬフリをしてくれた。春にとって、予想通りに動く人たちは皆、愛おしい存在だった。
そして冬休み中、飼育小屋で美琴と出会ったのである。
その日は随分と寒い日だった。
飼育小屋の動物達は、春にとって予想できない動きをする面倒くさいモノであったが、仕方なかった。
飼育小屋に入ると、うめき声と男の声がした。
完全に飼育係だけしか居ないと思っていた春は気分を損ねる。
「誰かいるの?」
すると、男の声はピタリと止んだ。
飼育小屋に入ると、女の子を押さえつけた先生が驚いた様に春を見ていた。
しかし、先生は立っているのが春だとわかると、ニヤニヤと顔を歪めて近づいてくる。
先生からしてみれば、春もただの女児であり、狙う対象でしかなかったからである。
「大人しくしなさい。」
先生からみれば、恐怖で声も出ないように見えたのだろうが、春は怒りに震えていた。
もちろん、名前も知らない女の子を襲おうとしていたからでも、自分を襲おうとしているからでもない。
自分の予想しない勝手な行動を取ったことに怒っていた。
女の子からすれば、その日は最低最悪な日であった。
信用していた先生に襲われそうになり、絶望のうちにその先生は、もの言わぬ肉の塊になった、助かったなんて思えなかった。
自分も、同じように只の塊と化すと悟った。
「殺さないで・・・何でも言うこと聞くから。」
「・・・?」
春は心底不思議そうに首をかしげた。
「殺さないよ・・・だって、君は予想通りにここに居るんだもん。」
女の子はこの日、先生から飼育小屋の係がサボっているから一緒に作業してほしいと頼まれ、人に嫌われたくないという心情からまんまと呼び出されていた。
先生に連れられて小屋に入った時には、小屋の動物は皆殺しにされており、何匹かは腐敗していた。
慌てて先生に知らせようと振り返ると、押さえつけられ、襲われそうになったのだ。
「君がここに来るのは予想してたし、その後僕を見て学校一の人気者はどんな顔するのかって想像してたんだけど、丁度そんな顔だったからいいんだ。」
春が何を言っているのか、女の子には理解できなかった。
「全く、先生はここに入ってくる予定じゃなかったのに。」
春は無表情だったが、女の子は聞いてみた。
「私が、思い通りの表情をして、嬉しい?」
「うん。」
春は素直に答える。
女の子は、春のほっぺを押し上げた。
「嬉しいときは、笑ったりするんだよ。」
予想外の女の子の行動だったが、春は怒らなかった。
「わかった」
「私が、ここでもっと教えてあげる、表情を。」
女の子は、誰よりも表情の種類が豊富だった
春は素直に頷きその日は帰る。
こうして女の子・・・美琴に出会った。
当時のことは忘れられない思い出だ。
美琴から教えてもらった事は今の春を生かしていた。
あの事件は、先生が動物を殺して居たところで誤って足を滑らせ、出っ張っていた釘が運悪く頸動脈に刺さって亡くなった事故として処理された。
表情を覚えた春は、今度は言葉巧みに人の心の移り変わりを楽しんで日々を過ごした。
「懐かしいねー・・・。」
思わずつぶやいた独り言に反応するように、春のスマホが振動した。
「もしもし・・・え?」
春は生まれて初めてのモヤモヤを感じながら家を飛び出自転車をとばしてとある場所へ向かった。
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警察署の取調室のマジックミラーの前で腕組みをする依斗と、足を揃えて座る輝。
取りし調べ室の刑事二人と美琴を眺めながら、春が来るのを待っている。
輝が春に電話してしばらく経つと、春が勢いよく飛び込んできた。
「佐久間さん!」
「やぁ、シュンくん。」
「美琴が自主したって・・・!?どういう事!?」
依斗はあからさまに動揺する春にため息をつく。
「そのままの意味さ、自分がやったと言ってきた。」
「そんな・・・!」
依斗は、サルエルパンツの大きなポケットから
、ビニール袋を取り出した。
「これは、君の家のアパートのゴミ捨て場に捨てられていたものだ。」
「・・・え・・・?」
「このビニール袋の中身からは、紅茶の茶カスに混じって、砂鉄が検出された。」
「・・・。」
あからさまに息を荒げていた春から、表情が消える。取り繕う必要はないとわかったからなのか、春は何も言わなかった。
依斗は春に視線は向けずに続ける。
「この砂鉄は使い捨てカイロに入っていたもので、遺体から検出された白い繊維は、カイロの外側の布のもの、あの日、被害者を殺害してしまったと谷嶋くんから連絡を受けたシュンくんは、使い捨てカイロで遺体の腐敗を進め、アリバイのある時間帯に亡くなった様に見せかけるために偽装工作をした。」
「・・・」
「谷嶋美琴にアリバイがあるのも、君が助言して彼女がそれに従ったから。」
「・・・」
「・・・と、ずっと思っていた。」
依斗の言葉が予想できていたのか、いないのか
春が驚くほど無表情であることに、輝は人間不信になりそうなほどショックを受けた。
「遺体に低温火傷の痕があると聞くまでは。」
そこで春は深いため息をつきながら乱暴に椅子に座り、頭を掻きながら微笑する。
ようやく自分がまんまと此処に呼び出された事がわかったのか、それとも最初からそれを予想していたのか、輝には春の真意はわからなかった。
「最初白い繊維が検出されたとわかった時点で死亡推定時刻は当てにならないとわかった。だから私はまず谷嶋くんに話を聞き、彼女が犯人であると仮定して『シュンくんに偽装工作の道具の処分を頼んだ』と考えた、しかし、低温火傷が遺体から見つかって違和感を覚えたんだ。ここまで慎重に偽装工作をしていたのに、こんなところでボロを出すのか?とね、だから私はそこでもう一つの可能性を考えた『シュンくんはむしろ谷嶋くんを利用している』と、それを明らかにするために、飯塚くんに頼んで翌朝早くに君の家のゴミを調べてもらったら、これが出てきたって訳さ。」
「・・・輝ちゃんは美琴の家に行ってたんじゃないんすか?」
「・・・そう思ったから、君は家を出るときにちゃんと確認せずに出て行ったんだろう?谷嶋くんの家に行っていたのは『佐久間さんのアシスタントさん』つまり、里日くんだ。」
春は真顔で依斗の顔を見て拍手をする。
感動した様に肩を震わせながら笑っているように口元を歪めた。
「すっげぇ・・・!見事な言葉のミスリードだなぁ……すげぇ、すげぇよ!!」
輝は本当に目の前に座る人物が自分が知っている春なのか信じられなかった。
顔をこわばらせる輝に比べて依斗は落ち着いた笑顔のまま、もう片方のポケットから四角い紅茶缶を出す。
「これも、飯塚くんに頼んで『シュンくんが早退して私と家にいるときに』店長に出してもらった、調べたら君の指紋と、ルミノール反応が出た。」
「ディンブラ・・・。」
「在庫はないはずなのに、三缶もあったよ。」
「そっか・・・見つかったのかぁ~・・・よし!答えを聞いこうじゃないスか!」
春はまるでクイズの答え合わせをしようといわんばかりのテンションで足を組んだ。




