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第三議題 前編


それは、楽しみが打ち消された夜。


繁華街がチカチカとざわついている中で、気落ちした様子のボーイッシュな女性が足取り重く歩いていた。


ブー、ブー、ブー、ブー


一時間前、友人と喧嘩した彼女のスマホはポケットの中で振動している。


彼女はスマホを取り出し、電話の相手を確認してから電話を切った。

相手は、先程喧嘩したばかりの友人だったからだ。しかし、電話は何度もかかってくる。


あまりにもしつこい電話に、彼女はイライラしながら電話に出た。


「しつこいっての!話す事なんて無………。」

『どうしよう…私…。』


明らかに様子のおかしい友人の声色に、彼女のイライラが消え、動揺が広がる。


「…どうしたの…?」

『私……もう終わりだよ……。』

「何があった!?説明してくれないとわからない。」


電話越しに鼻をすする音と嗚咽が聞こえる。

友人は、消え入りそうな声で、しかしハッキリと言葉を発した。





『私……人……殺しちゃった…。』



       



--------------------------------------------





輝が依斗のアシスタントについてから、もう二週間が経つ。


初日の事件以来、某探偵漫画のように再び事件に巻き込まれるのではないかと、ビクビクしながら過ごしていた輝だったが、特にアクシデントも無く、平穏な日々を送っていた。


仕事も大体覚え率先して作業をこなしている。


相変わらず変人である依斗の相手は大変だったが、それでも輝にとって楽しく過ごせる職場であった。


黙々と本棚の整理をしていた輝は同じ姿勢ですっかり固まってしまった姿勢を正し、両手を真上に押し上げて伸びをした。



「~~~~っ…ふぅ、あと少し…。」


作業を再開しようとしたところに、紅茶の香りが漂ってくる。


「輝ちゃんお疲れ様、休憩にしましょう。」

「里日さん!………あ、もうこんな時間なんですね!…休憩にします!」



里日がティーポットと、ティーカップ二つが乗ったトレーを両手でテーブルの上に置く。

輝はいつもの様にミルクの準備をしてから里日の向かい側のソファに腰かけた。


「今日の紅茶はどんなものなんですか?」

「今日はルフナっていう紅茶よ、輝ちゃんミルクティー大好きだから、ミルクによく合うものにしたのよ。」


里日はティーカップにミルクを流し込み、その後に紅茶を注ぐ。興味深そうに里日の手元を見つめる輝。



「ミルクを先に入れると何か違うんですか?」

「こうすると、ミルクの温度が急激に変化しないのよ。」

「へぇ…そうなんですか。」



その方法が何故美味しくなる事に結び付くのかわからず、棒読みな返事ではあったが、ミルクティーが好きな輝は、とりあえず先にミルクを注ぐ方が美味しくなるのだろう、と納得する事にした。


カップの上にぽかぽかと湯気が浮かび、輝は紅茶の香りを楽しみながら、指先から伝わる暖かさに顔を綻ばせた。


「こんなにゆったりと休憩時間を過ごせるなんて…ここに来て良かったです。」

「あら…それは良かったわ。」

「前の会社ではいつも、休憩時間は一人で端に寄って、他の人達の話し声にビクビクしながら過ごしていたので…。」



学生時代、輝は自分は正しいと信じて疑わず、だからこそ、同級生や先輩に何を言われても動じる事はなかった。

周りの大人達も、そんな輝を『良い子』と言って褒めていた。


でも今は違う。化粧ができないだけで罵られる。鞄がブランド物じゃないだけで除け者にされる。



同じ事をしているのに。

何も変わらないのに。


社会に出たら周りの扱いは変わった。



「でも、ここでは、こうして安らかな気持ちで里日さんと紅茶を飲めます」

「…私も輝ちゃんが来てくれて良かった。」



里日が紅茶から口を離すと、輝に向かって優しげに微笑んだ。


「ここでは、化粧なんてしなくて良いけど…どうしても知りたいなら、化粧の仕方くらい教えてあげるわ。」

「本当に…いいんですか?ありがとうございます!」


温かいミルクティーを飲みながら、嬉しそうに肩をすくませる輝、違う話題をしようとして口を開くと、二階から大きな物音がした。



「!?な、なんですか!?」

「…輝ちゃん、行きましょ。」



慌てる輝と対照的に、冷静な里日は溜め息をついた後、呆れたように微笑んだ。

二人は二階に向かった。


       


二階へ上がると寝室らしき部屋の本棚が倒れていた、本棚に飾ってあったであろう、雑誌をはじめとした、雑貨やぬいぐるみが、床に散らばっている。

その本棚の上には、依斗がひっくり返っていた。


里日は四角い穴の空いた天井に目をやり、また深い溜め息をつく。


「先生、今日は天井からお帰りですか。」


すると、ひっくり返っていた依斗がヘラヘラと笑いながら起き上がる。


「あぁ、思ったより高くてね…本棚に降りようとしたら、倒してしまったよ。」

「思ったより高くてね…じゃないですよ、片付けるの誰だと思ってるんですか、そしてどうして私の部屋なんですか?」


いつも通り優しい笑顔を浮かべる里日の額には、明らかに青筋が浮き出ていたが、依斗は相変わらずの態度で軽く謝る。


「すまなかったね、よし飯塚くん、ここの本棚片付けよう!」

「えっ、私もですか!?」

「うん!なんだか里日くん怒らせちゃったからさ!」



そう言って片付け始める依斗には悪気が無いのだろうが、やはり女心に疎いのである。

里日は静かに輝と依斗の手を引いて、ドアの方に引っ張っていく。


輝はなんとなくわかっていた事だが、依斗はわからないらしく、沢山の?マークを浮かべていた。


首をかしげる依斗に、里日はニコニコと穏やかな顔で大人の対応をする。



「先生、私は女ですから、男性や部下に部屋を片付けられるのはとても恥ずかしいのです。」

「そうなのかい?……それはすまないことをしたね。」

「わかっていただければ結構です。」



里日は二人を追い出すと、輝に優しく、依斗にはキッパリと仕事を任せる。



「輝ちゃん、先生の部屋の掃除を引き続きお願いね。」

「あ…はいっ!」

「先生も、自分の部屋の片付けを早急に済ませてください。」

「えー…めんどうだよそれは。」


頬を膨らませて頭を掻く依斗に里日は真顔になりながら一言。


「良いからやりなさい。」

「…わかった。」



たった数分で、この家において、里日に絶対的な決定権があることをよく理解した輝だった。



---------------------------------

           

                                                       


「何をどう使ったらこんなに部屋が汚くなるんですか…?」



輝は座って絡まったコードをほぐしながら膨れっ面で嫌味を言うが、依斗は気にもせず、古びた本を開き夢中で読んでいた。


依斗は本棚の整理をしていた筈であったが、もちろん進んでいない。


「本を読み進めてどうするんですか、片付けを進めて下さい。」

「いやぁ、本の片付けをしているとついつい中を見てしまうね…これは私が大学生の時に古書店で買った本だ。」


輝はときかけのコードを置いて依斗の元に向かおうと立ち上がる、積まれた本や衣服が床を埋め尽くしている為、それらを踏まないように片付けながら進む。


その間、依斗は輝に見向きもせずに本を読み耽っていた。


「…まったく、どの本も積み上げなきゃ気がすまないんですか先生は…。」


輝が積み上げられた本を崩そうと手をかけると、別の手がそれを制す。


輝が顔を上げ手の主を確認すると、今まで本棚の近くで本に集中していた依斗がいつの間にかそこに立っていた。


「ここはいい、自分でするさ。」

「…ですが…。」

「いいんだ、飯塚くんは引き続きデスクの片付けを頼むよ。」

「!!!…そ、そうですか…。」


顔を背け、焦ったようにデスクの方に戻る輝

依斗が浮かべた色の無い作り物のような笑いに、輝は戸惑いを隠すことができなかった。


人の表情というものは、怒り、悲しみ、喜び、苦しみ、などの様々な感情を表すものであり、輝は人一倍感情を読み取る事に長けていたのであったが、依斗の笑顔には、何の感情もなかった。


感情のこもらない笑顔というのは、輝にとって初めての事であり、理解できないことだったのである。



デスクの整理をしながら、横目で依斗を見るが、依斗は薄い笑いを浮かべたまま片付けをしている。



(……空っぽ、私みたい。)



輝は、口に出そうとした言葉を飲み込み、無言で片付けを進める。


里日が入ってくるまでの間、輝が自分から話しかける事ができなかったからなのか、依斗が話しかけにくい雰囲気をかもし出していたからなのか、理由は定かでは無いが。


二人は一言も言葉を交わさなかった。


一通り部屋の片付けを終え、三人はキッチンの整頓をしていた。

普段から里日が使っている為か、依斗の部屋よりは綺麗で整頓しやすく、輝の心は少し軽い。


「里日くーん、そろそろ紅茶にしないかい?」


依斗が子供のように弾んだ声でソファに座りながら、里日に休憩を提案した。


その提案に、里日は慈愛に満ちた女神のような微笑みを浮かべるが、口からでた言葉は笑顔には沿わない辛辣なものだった。


「先生、ソファでくつろいで雑誌読んでるのに何の休憩が必要なんですか?」

「…おや、そういえば…雑誌の片付けをしていた所だったね。」

「…まったく先生は…そんなんじゃいつまでも結婚できませんよ。」

「そうだね…しかし、里日くんは良い奥さんになれそうじゃないか~。」


ため息を吐く里日に向かって、雑誌を乱雑にまとめながら依斗は軽く冗談のように言い放つ。


二人のやり取りを眺めながら、輝はつい頬が緩んでしまって仕方がなかった。

確かに感情はこもっていないが、依斗の言葉には、軽いからこその暖かさがある。


輝は冗談をあまり言われたことがなく、そういった軽く楽しい会話に強い憧れを抱いていた。


いつか、輝自身もあの軽い冗談をかけられる程に、里日や依斗と心を通じ合わせる事ができるだろうかと考え始めると、置いていかれた様な謎の疎外感を感じてしまう為、輝はそれ以上考えるのを止める。


「飯塚くんー!里日くんが虐めるんだ紅茶入れてくれないって…。」

「!…あっ、そうなんですか??」

「先生は無責任な事ばかり仰るので、もう紅茶は準備しませんよ。」


里日がニコニコと楽しそうに、輝が整頓していたキッチンの紅茶の収納箱を漁った。

しばらく箱の中を色々見ると、里日は口元に手をあてて、驚いた様子で輝の顔を見る。


「あっ…あの、どうしましたか…?」


何か不都合な事があったのだろうか、それとも何かやらかしてしまったのか、輝の中で疑問と焦りが吹き荒れる。


しかし里日の反応は、輝の感情とかけ離れたものだった。


「ううん、輝ちゃんは何も悪くないわ!その…紅茶きらしちゃってて…。」


申し訳なさそうに肩をすくませ、困り顔で輝に空っぽになった紅茶缶を見せた。


「本当だ…空っぽですね。」

「おや、それは困ったね。」

「無いんじゃ仕方ないですね、先生!…さっさと片付けを進めましょうよ!里日さんが困ってるじゃないですか!」

「えぇ…でも私紅茶飲みたかった…。」


輝の肩越しに紅茶缶を覗き込む依斗は他力本願に顔をしかめるので、里日はいたずらを思いついた子供のように輝に笑いかける。


「お出かけよ、三人で紅茶を買いにいきましょう~!」


先程帰ってきたばかりの依斗はぐずったが、女性二人にはさすがに敵わない様で、渋々三人で紅茶の買い出しに向かうこととなった。



--------------------------------------------



     


「いらっしゃいませ~。」


三人がやって来たのはお茶の専門店、依斗も里日もここの紅茶を気に入っており、ここの常連客なのだ。


依斗は新商品と表記されたスペースの紅茶のサンプルの匂いを嗅ぎながら、店を見渡した。


「あれれ、ねぇねぇ~シュンくん~。」

「はい!どうされましたか?…って…佐久間さんに丸山さん!」


若くて髪の短い女性店員に訪ねると、エプロンを着けながら店員は三人の顔を見て少し表情を緩め、眉を下げた。


「霧島店長は?」

「今日は元奥さんが風邪で寝込んでるみたいで…お休みなんすよ~!」


最初と違う随分と砕けた言い方に驚く輝であったが、常連である二人は気にもしていなかった。


「そういえば、そちらのお姉さんは?」

「あっ、紹介するわね、新しく入ったアシスタント。」


里日が輝の背中に手を当て店員の前に優しく押し出す、輝は少し背筋を伸ばし緊張気味に表情を引き締めた。


「い、飯塚輝です!よろしくお願いします!」

「よろしくです~。」


店員は小さくお辞儀をすると、名札を見せながら輝に自己紹介した。


「ここでバイトをしてる、関根 春(せきね はる)でーす。」

「は、春さん…ですね…!よろしくお願いします!!」

「あぁ、男っぽいから皆シュンって呼んでる!飯塚ちゃんもそう呼んで~。」


春は人懐っこい笑顔を輝に向けた、里日は二人のやり取りが終わった事を見届けると、春に向き直り、エプロンの腰の紐に付いている鍵に目をやった。


「あら?保存庫の鍵じゃない~!ついに任されるようになったの?」

「そうなんスよ~ついに鍵、任されちゃいましたっ!最初は時給良いだけでこの店に勤める事になったけど、今じゃお茶の詳しさには誰にも負ける気がしないっす!」


誇らしそうに胸を張る春に、店を見て回っていた依斗が輝を押し退けて突っかかった。


「言うね~シュンくん!私にも勝てるかい?」

「今なら佐久間さんに勝てる気しかしねぇっすよ~?」


バチバチと笑顔で火花を散らす二人に、里日はやれやれと頭を抱えた。


「はぁ、また始まったわ。」

「いつもこんな感じなんですか…?」

「昔ここでバイトしててね…だから紅茶にかなり詳しいのよ、店長が初めて鍵を預けた相手も先生なの。」

「なるほど…自分の後輩で年下に張り合ってるんですか……大人げない。」


残念な大人を見るような目で依斗を眺める輝の目線に気付いたのか、依斗が笑ったまま、輝達に顔を向け、少し春から離れた。


「…大人げない…?私…?」

「…はい、かなり。」

「…あ、そういえば、私お気に入りの紅茶、品切れなのかい?」


輝に指摘されて凹んだのか、それとも興味が春から薄れたのか、依斗は店の奥を眺めながら問う。

春もそのやり取りに飽きたのか、数秒前までいがみ合っていた事など忘れたかのように依斗が指定した品の在庫を確認し始めた。


「ん~……ディンブラですよね~?…あ、ちょうど若い女性が昨日買って行っちゃって…品切れっすね…スイマセン。」

「そっか…残念だなぁ…今日は別のを買っていく事にするよ…。」

「入荷したら取り置きしておきますよ~…ディンブラ入荷後…佐久間さん取り置き…っと。」


小さく確認するように呟きながらボールペンでメモ帳に書き込んでいると、店の自動ドアが開き、客が入ってきた。


「いらっしゃいませ~。」


春がメモ帳に目を向けたままあいさつをする。

入ってきた客は店の商品には目もくれずに春の元にやってくる。


「関根春さんですね?」


客は胸ポケットから二つ折りの黒いものを出し、他の客に見えないように静かに見せる。

春は少し目を開くと真面目な顔から、再び笑顔をつくり、


「奥に案内します。」


そう言って客をカウンターに通した。

その人物は、傍らに居た輝と里日、依斗を見つけて間抜けな声をあげた。



「……貴方達は…どうして此処に…?」



葉月は驚いた顔で輝を見つめていた。



裏に入った春は他に客も居なかった為、店を一旦閉めて椅子に座る。

葉月は先の事件の事もあってか、事件の解決を優先し依斗達も聞き込みに立ち合わせた。


「それで…刑事さんが来るって何事ですかね

……?」


先程までの緩さは引っ込み、緊張したように春が切り出すと、葉月は少しだけ依斗達に目をやり、躊躇い気味に写真を出してきた。


「この男、ご存知ですか?」

「……?いや、見たことありませんけど……。」


首をかしげながら即答した春を眺めながら、輝は何の事件があったのか掴めずにキョロキョロと目を泳がせていたが、依斗は壁にもたれ掛かっている依斗はじっと探るように春を凝視していた。


葉月も春の反応を見ながら、写真をもう一枚出す。


「…では、こちらの女性は…?」

「!!!」


春は明らかに表情をひきつらせ、写真を両手でつかんで見つめた。


「……美琴…?なんで…?」

「関根さんはこの谷嶋 美琴(やじま みこと)さんの友人ですよね?」

「そうですけど…。」

「昨日の夕方から深夜にかけて、彼女と約束をしていた…と証言しているのですが、本当ですか?」


葉月の問いに春はゆっくり頷く、すると葉月は確かめる様にもう一度同じ事を聞く。


「本当に…?…庇っているとか、ではなく?」

「は?…なんで美琴を庇わなきゃいけないわけ?………あんな女、どうなろうと知ったこっちゃない。」

「…そうですか、わかりました。」


葉月は立ち上がると、写真をポケットにしまって浅くお辞儀をする。


「ではまた何かありましたら伺います、失礼します。」


葉月が退出すると、春は呆然と虚空を見つめていた。

そんな春に依斗は声をかける。


「……美琴ちゃんと…あんな仲良かったじゃないか、それなのに急にどうしたんだい?」

「…え?…先生も里日さんも、彼女をご存知なんですか?」

「まぁね、春ちゃんに会いによく店に来てたから……何があったの?」


すると春は怒りをおさえるような表情で、美琴と昨日の事について話をし出した。


「昨日の夜、アイツと約束してて…一緒に飲みに行ったんすよ…でもアイツ…全然人の話聞いてなくて…。」

「…なんの話していたの?」

「美琴の、彼氏の話っすよ……顔は見たことねぇけど…暴力が酷いらしくて…。」


明らかに不機嫌な顔で春はエプロンを握りしめる、相当腹が立つことがあったのだろうか。

輝もその様子を見て、同じようにスーツの裾を握りしめた。


「さっさと別れりゃ良いのに……ずっと嘆いてるばっかで、いい加減嫌気が差して…大喧嘩したんすよ…そしたら今日、刑事さんが来て…。」


春は頭を抱え混乱したようにわなわなと落ち着きのない様子で依斗に詰め寄った。


「なぁ、どうしよう……!美琴が何かやっちまったんすかね…?それとも…事件に巻き込まれたとか……?」

「…とにかく、何があったのかはまだ聞いていないし、わからないけれど…シュンくんが心配する事は無い…。」



三人が帰ってから、その日春は店を再び開ける事はなく、しばらくバイトを休む事になった。


輝は自宅に戻ってから、新たな事件に不安が渦巻いたまま眠りについた。




---------------------------------

    




「おはよう飯塚くん!!行くぞ!」

「あっ、おはようございます…!!」


サンダルを履いて輝の手を引っ張ると、依斗は意気揚々と歩み出した。

しばらく引きずられるように歩いていると、葉月と仁が立っていた。


「仁くーん!お待たせ~。」

「…はぁ、またお前等を巻き込んでしまうとはな…。」


仁がチラリと葉月を見ると、葉月は申し訳なさそうに目を反らして軽く肩をすくめた。


「これから、また聞き込みに行く、詳細は車で話すから、早く乗れ。」

「はいよー。」


運転が葉月、助手席には輝が座り後部座席に仁と依斗が座る。

車が発進してしばらく走ると仁が話を切り出した。


「一昨日の深夜、美琴の家の玄関で遺体が発見された、死因は後頭部を強くぶつけた事による脳挫傷……即死では無さそうだった。」

「通報してきたのは?」

「谷嶋美琴本人だ。」


依斗は窓の外を眺め、眉をひそめる。


「…彼女本人が通報…。」

「あぁ、主張によれば、遺体を見つけるまではあの関根春と出掛けていたそうだ。」

「…アリバイがあるってことかい?」

「あぁ、死亡推定時刻は夜十時から十一時にかけて…アリバイがあるが…俺が考えるに、犯人は谷嶋美琴で間違えないと思うんだ。」


仁は、納得がいかないといった様子でネクタイを絞め直した。


「…現場には、玄関の鍵をこじ開けた痕跡と、足もとに、丸い紅茶缶が落ちていた。」

「なるほど、……部屋に侵入して、紅茶缶を踏んで足を滑らせ、頭を強打し……瀕死で動けないまま息を引き取った…っていう事故現場が出来上がるねぇ。」


依斗が呑気にそう言うと、仁はどうアリバイを崩すのかと模索しながら、珍しく頭を使っていた。


「ダメだ…わからねぇ…。」

「やはり…君に推理は向いてないね…。」

「…仕方ねぇだろ、あの日、たくさん考え過ぎて、思考回路死んでんだ。」

「…そっか。」


しばらく無言で窓の外を見る二人に気を使いながら、葉月と輝は気まずそうに顔を見合わせる。


過去に何があったのか、それは二人にしかわからない事だった。



「着きました。」


無言の中、葉月の声で車内の空気が動き出す。

そこは小さな居酒屋。


「ここが昨日、関根と谷嶋が飲んでいた居酒屋です、ここで裏が取れれば…アリバイは完全に立証されますね。」

「あぁ。」


仁と葉月に続いて、依斗と輝も店の中に入っていった。




「一昨日の夜?…この二人?あぁ…よく覚えてるよ!!大喧嘩して金置いて帰ってったから。」


店主がやれやれといった風にそう証言したので、仁と葉月は顔を見合わせる。


「…大喧嘩?」

「あぁ、おつりも受け取らずに二人とも出てったよ…こっちの髪の短い姉ちゃんは、随分怒ってたみたいで…他のお客さんもビックリしてた。」

「…そうですか…わかりました、ありがとうございます。」


二人がお辞儀をすると、依斗も後に続いて店を出る。


「困りましたね…アリバイが立証されちゃうなんて…。」

「このままだと事故死って事になるな…。」

「…ほ、本当にお二人が関係してるんですかね…私には、二人とも無関係に見えます…!」


輝がそう言うと、依斗がそれを否定するように車にもたれ掛かった。


「いいや、少なくとも、美琴ちゃんは無関係ではないよ。」

「そ、そうなんですか?」

「…あぁ、犯人とは言わなくても…美琴ちゃんは無関係ではない。」

「どうしてそう思うんですか??」


輝は納得がいかず依斗につめよると、依斗憶測ではあるが自分の考えを話し、事実を仁に確認した。


「…一昨日の深夜、彼女はどこに連絡してきたんだい?」

「…110番通報してきた…が、それがどうしたんだ…?」

「飯塚くん、君、人が玄関で倒れていたら、どうする?」

「と、とりあえず救急車呼びます!…あ。」


人差し指を立ててゆっくり頷く依斗に、輝は脳内の情報を整理する。


「…じ、じゃあ…美琴さんは、玄関で倒れている人物が死んでいることを…あらかじめ何らかの方法で知っていたってことですか…?」

「その通りだ…しかし、どんな方法で殺害したのかが、わからない……情報が足りない…現場には行けるかい?」

「あぁ、行けるぞ。」


仁と葉月が車に乗り込むと輝も車に乗る。

依斗は珍しく笑顔を崩して、真顔で考えていた。


「…アリバイは崩せない……一体どうやって…。」

「先生!早く行きましょう!」

「そうだね…行こうか。」


既に乗り込んでいた輝が急かすと依斗も急いで車に乗り込んだ。



着いたのは、事件現場となった谷嶋美琴の自宅のマンション。

エレベーターに乗ると、依斗が仁に訊ねる。


「美琴ちゃんは今どこに?」

「…谷嶋美琴は、今警察で保護している、本人の希望でな。」

「…そうか…なるほど。」


納得しながら、マンションのエレベーターを降りると、美琴の部屋の前に春が立っていた。


「シュンちゃん…?」

「…あれ…、佐久間さん…?刑事さん達も……どうしたんすか?」

「…いや、調べることがあってね、彼女の自宅に来たんだよ。」

「そうなんすか…でも、留守みたいっすよ?てか…なんで佐久間さんが刑事さんと一緒に…。」


春の言葉に仁が間に割って入る。


「すまないが、詳しい捜査の内容は話せない。」

「あ…そっすか。そっすよね…。」

「それと、谷嶋は今警察署にいる。」

「…。」


春は美琴の名前を聞くと、無言になり、会釈だけして去っていった。

その背中を見送ると、四人は部屋に入る。


中は既に鑑識によって隅々まで調べてあり、それ以上情報が出るとも思えなかったが、仁はわずかな可能性をかけて依斗達に調べさせる。



「ここから見つかった人の痕跡は、谷嶋の指紋と、関根の指紋…それと、被害者の木下という男の指紋だけだ。」

「……それでシュンくんにも話を聞いていたんだね。」

「あぁ、二人が共犯している可能性もあったからな…喧嘩の発端も、木下についての事らしかったし…。」


色恋沙汰に疎い依斗の理解が追い付かず、首をかしげると、輝が納得したように頷く。


「日頃から、その木下って男に暴力を受けていた美琴さんには、殺害の動機があるってことですね…。」

「…そういえば、シュンくんがそんな事を言っていたね……じゃあ被害者の男っていうのは…。」

「そう、谷嶋と交際関係にあったみたいだな。」


十分な殺害の動機と、現場の状況、発見後の対応から見て、美琴がなんらかの方法で殺害をした可能性は高いが、どれも状況証拠であり、決定的な証拠というものは何もなかった。


それが今の仁を悩ませている原因だった。


「…決定的な証拠を見つけなければ……この事件は、解決できないということだね…他にこの部屋や遺体から見つかった物はあるかい?」

「…被害者の体のいたるところから、白い繊維が見つかっていたが…家中の衣服を調べても一致するものは見つからなかった。」

「…他には?」

「後は…何も。」


あまりにも少ない情報に、依斗は直感した。


自分が今相手にしている犯人はとてつもなく頭が良い人物なのではないかと。



---------------------------------


       

     

    

車で警察署にやってきた依斗達は、保護という面目で疑われている美琴と会う事になった。

座って待っている二人の元に、婦警に連れられた美琴がやってくる。


美琴は驚いた顔で依斗を見ると、見知った顔だからなのか、安心したように表情を緩めた。


「佐久間さん…!」

「美琴ちゃん、久しぶりだね。」

「は、はじめまして…!飯塚輝です!」

「…もしかして、新しいアシスタントの方ですか…?佐久間さんにはいつもお世話になってます。」


美琴は輝が考えていたよりも礼儀正しく、清楚な女性だった。向かい側の椅子に座ると沈んだ顔で説明をしはじめる。


「私、たぶん疑われていますよね…仕方ないと思います…現場は私の家…で第一発見者も私だし……動機があるのも私ですから…。」

「その様だね…本当に何も知らないのかい?」

「…信じてもらえないかもしれませんが…本当に私何もしてないんです…!」


泣きそうな顔で真っ直ぐ依斗を見つめる美琴の表情から、輝もそれが本心であることを読み取った。


「あの…何があったのか…教えてもらえませんか?」

「…!」

「私は貴女が嘘をついてるとは思えませんし…ちゃんと話を聞きたいです。」

「…はい、わかりました。」


美琴は自分の両手を握りしめながら、静かな声で当日の事を話した。


「あの日、シュンちゃんと大喧嘩してから…家に帰ったんです…そしたら、玄関の鍵が壊されてて…開けてみたら、人が倒れていたんです…!だから、慌てて警察を呼んで…。」

「…どうして救急車を呼ばなかったんですか?」

「暗くて、倒れているのが誰かもわからなくて…不審者かもしれないと思ったんです。」

「…なるほど。」


美琴は自分の右肩をさするように手を当てながら、唇を噛み締めた。


「でもまさか…倒れていたのが彼だったなんて…私、知らなかったんです………!」

「話はわかった…色々ありがとう。」

「え…?もういいんですか?」

「…まぁね。」



依斗はいつも通りの張り付けた様な笑みを浮かべて、立ち上がる。


「それじゃあ、また後日。」

「…は、はい。」

「飯塚くん、行くよ。」


輝の手を引きながら無言で歩く依斗に、輝は疑問を投げ掛けた。


「あの!……まだ殆ど何も聞いていないのに良いんですか!?」

「…。」

「先生!!」

「…あのまま質問しても、何も成果は得られないだろうね…彼女からは何の情報も得られない。」


輝には見えない様に、依斗は珍しく険しい表情をした。

自分の頭脳に絶対の自信がある依斗は、その思考をフル回転させていたのだった。


輝もまた、わずかに美琴から感じた違和感に頭を悩ませている。


(…彼女は、一部だけ嘘をついてる…!)


それは、輝だからこそわかる違和感だったのだ

警察署を出ると、二人は日が沈みかけた道を何の会話もせずに、はや歩きで進んでいった。


--------------------------------------------


       

その日、しばらく実家で過ごす事になった美琴が警察署から出てきた。

道へ出て、タクシーを捕まえようと歩きながら、どこかへ電話をかけ始める。



「…もしもし。」

『美琴か…?』

「…うん。」

『…大丈夫か?』

「ううん。」


泣きそうな顔で、スマホを握る。

電話の向こう側の相手は、彼女を落ち着かせようと優しく語りかけた。


『側に居てあげたいけど、しばらくは会わない方がいい。』

「…うん。」


美琴は電話越しの温かい声に、体の震えを止めようと自分を抱き締めた。



「…怖い、私………。」

『大丈夫。』

「でも…。」

『大丈夫だって、明日の燃えるゴミの日が来たら、もう証拠は無くなる、あとは、二人が貫けば良い。』

「……」



電話の相手は美琴を安心させようと、ゆっくりと語りかける。

しかし、美琴の中では、相手に対する罪悪感が押し寄せていた。


「巻き込んで…ごめんね…全部、私が悪いのに。」

『…良いんだ、たとえ美琴に都合よく使われてたとしても。』

「そんなことない…!あの時は気が動転してて…それで…。」

『わかってる、意地悪しちゃったね、ごめん。』

「……私こそ、ごめんなさい。」


相手は、どこまでも優しく美琴を包み込んでいた。






『……もし、バレそうになったら、私ちゃんと自首するから…絶対これ以上迷惑かけない。』


「大丈夫、何があっても………美琴を守るから。」



紅茶の缶を触りながら、関根春は電話越しに優しく微笑んだ。








【紅茶と鉄の香り殺人事件 前編】


    


       

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