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第一議題


 とある木曜日の午前中、まだまだ人が多いとはいえ押し固まって身動きがとれない朝の通勤ラッシュより、幾分か余裕のある電車の中。


 はねた寝癖を必死に手ぐしで整えながら就職活動中のリクルートスーツのシワを伸ばし『飯塚 輝(いいづか あきら)』はため息をついた。


「…はぁ。」



 窓に写る自分を睨み付け、髪の毛を握る手に力が入る。輝はルームシェアをしている親友にオススメされた新たな職場の面接を受けに行くところであり、緊張と不安が輝をイラつかせていた。



(有名な…しかも憧れの作家さんのアシスタント何て……でも、アシスタントなら、人数も多くないし…イジメなんて無いよね…。)



 現在22歳の輝は、小学校の頃からイジメにあいやすい類いの人間だったが、いつも持ち前の図太さと自信から心を強く保っていたし、側には親友もいた。


 二年制の専門学校を卒業してから社会人となっても、輝は変わらなかった。


 しかし、社会人になると状況の方が変わる。

そこで初めて輝の心は折れてしまった。


 既に三社の会社を退社した。仕事ができないわけではない、むしろ仕事だけなら優秀な部類に入るだろう。どれもこれも、人間関係が関係している。


 輝の心を折った原因は『化粧』。学生という役職から離れて初めてぶつかった壁。



 輝は昔から化粧やお洒落には興味も無く、勉強をしっかりして、間違った事は指摘できる模範的な少女。それが輝だった。



 学生であった今まではそれが表立って輝を追い詰める原因にはならなかった。社会人になって突然、長所だった輝の生真面目は短所になる。


 もちろん、輝にも身だしなみなどを整えるという常識はあった、だからこそ今まさに寝癖を気にしている。


 しかし、どんなに身だしなみを整えたところで正しい化粧の仕方を、輝は知らない。


 片親で父親しか居ない輝に、誰も化粧を教えてはくれなかった。そして誰も化粧をしない輝を咎めなかった。


 今まで化粧していた人達は怒られていたのに、社会に出た途端に全てが逆転したのだ。



(また、化粧もできない様な無能とか言われてしまうのかな…。)



 ガタン、と一際大きく電車が揺れたかと思うと。




「何してんのよ!!!!!」



 電車の中に響いた女性の大声で輝の思考は止まった。空気が不穏なものに変わる。


 ざわつく車内、いかにも気の強そうな20代前半くらいのOLが、爽やか系の割りと容姿の整った若者の手を掴みながらけたたましく怒鳴っていた。



「今!私に痴漢していたでしょ!!!!あと盗撮も!!さっきから気づいてんのよ!」


 そんなOLに怯えながらも若者は腕を振りほどき、怒鳴り返す。


「何の事ですか!?僕はやってません!」

「嘘言わないで!私の後ろには、貴方しか男性は居なかった!!」

「だからって何で決めつけるんですか!」


 派手なキラキラしたキーホルダーが付いたブランド物の鞄を持ち直し、OLは再び若者の腕を掴んだ。


 その手にはOLの言う通りスマホが握られている。


 その若者はいわゆるイケメンという部類で本当に痴漢をしたとも思えない、かといってOLの怒り様から嘘をついているようにも思えなかった。

 もちろん、人は見た目ではないが。二人のやり取りにどうにも違和感を覚える。


「だったらメディア欄見せてみなさいよ!!何もやましい事が無いなら謝るわよ!」

「嫌ですよ!!何で赤の他人にそんなの見せなきゃいけないんですか!!!いい加減にしてください!」


 輝は巻き込まれまいと見ないようにしていたが、近くに居た小さな女の子が怯えて母親にしがみついている光景が目に入った。



(……どうしよう…。)



 こういうのを放っておけない性格なのが輝の良いところであり、悪いところでもあった。

 輝は恐る恐る二人に近づき、できるだけ声を張って喋りかける。



「あ、あの…!」

「なによ!!!!」



 きつく睨み付けるOLに小さく震えながらも、間違った事はしていないという態度で精一杯声を振り絞った。



「こ、ここには…小さなお子さんもおられますし…次の駅で降りませんか…?え、駅員さんも呼んで…話はそれからでも遅くないかと…。」



 輝の言葉でOLが女の子に目を向けると、少し冷静になったのか、おでこに手をやり短く息を吐いた。


 そして、金切り声でなはく落ち着いた声になり


「そうね、痴漢犯を前に一人で不安で。少し取り乱しすぎた…ありがとう。」


 呟き静かに呟きながら若者を睨み付けると、今度は輝の方を向いて威圧的に喋り出した。


「私、痴漢した奴と二人で駅員の所に行くの嫌だから。」

「なッ…!?また勝手に決めつけて…!!」


 若者が睨み返すのを無視してOLは続ける。


「首突っ込んだからには、一緒に来てもらうわよ…!」

「ぇ、ええ…!?(そんな…これから面接なのに…!!)」




 OLは若者と輝の手を掴み逃がさないように両者を睨み付けながら、ぐいぐいと引っ張っていく。


 最初の威勢は既になくなり、輝は縮こまって怯えていた。そして言われるがまま、引っ張られるままに次の駅で降りる事になる。



(面接…間違いなく…落ちちゃう…。)



 半泣きで肩を落とす輝の後ろで一部始終を眺めていただけの風変わりな男が、張り付けたような微笑みを浮かべ、その美しさで周りの人間をざわつかせながら、静かに立ち上がった。



      

---------------------------------



 某駅にて、駅員が間に入ったとはいえやはりもめていた。

 話は平行線、終結する様子もなかったため駅員は困り果てたように声を荒げる。



「用件はわかりました…!とりあえず、警察に連絡をしましょうか…!」

「待って下さい!!!冗談じゃないですよ!!本当に誤解なんです!!!」



 若者が必死に叫ぶが駅員は顔をしかめ、輝の方に目をやった。


「でも、彼女の後ろには、彼しか男は居なかったのでしょう?」


 確認するように問いかけられ、輝は一瞬若者のつらそうな顔を見て申し訳なさそうに、ありのままの自分が見た光景を答える。



「…たしかに、彼しか男の人はいませんでした…後ろには、子連れの親子と、大きな荷物を足元に置いて後ろを向いた女性……そして、その横に私が居ましたから…誰かが移動する様子もありませんでした。」

「ほら見なさいよ!…ここに証人もいるじゃない!」



 輝の言葉に続いてOLも得意気に声をあげた。若者はそれでもなお、認めない。

 痺れを切らした駅員が怒鳴り付ける。


「とにかく!もう警察に連絡しますから!話は署に行ってからにしてください!」


 イライラしたように電話に手をかけようとしていた。


 輝は考えた。


(もし、この若者が痴漢じゃなかったら…?

警察が来たら、OLが手を掴んでいる時点で

現行犯扱い確定…OLが若者を犯人と言い張る以上、無実を証明できる決定的なものがなければ

若者は…)



「や、…やめてくださ……!」



 怯えたように止めようとする若者、その様子を、輝は只見ていることしかできない。やるせない思いから逃げるように目をつぶった。


するとそんな輝の後ろから


「少しだけ待ってくれないかな?」


落ち着き払った優しげな言葉遣いの男の声がその場の空気を止める。


 輝が振り返ると、飄々とした態度で一人の男が立っていた。


 ニット帽にサンダル、ヒートテックにアジアンテイストの七分丈、サルエルパンツ、そして束ねた長髪。

 季節感の無い個性的な装いの男。


 普通に見たら変人だが彼はそれを差し引いても女性に好かれやすそうな出で立ち。


 彼は息を飲むような美しい顔を持っていた。



「実は私、一部始終を少し離れた所で見ていたのさ、証言させてくれないか。」



 チラリと輝に目をやりながら駅員に話しかけると、心底楽しそうにニット帽の男は口角を上げた。



 突然話に割り込んできたニット帽男にその場にいた者は固まる。



「すまないね、急に話に入ってしまって…でも、あまりにも冷静さに欠けていたものだから、口を出したくなってしまったのさ。」


 皆の戸惑いを気にも止めず、ニット帽男はヘラヘラと喋りながら途中で入ってきたにも関わらず、空気の流れを完全に掴んでいる。


 誰もがそれを直感し、許可なく発言をすることを躊躇った。



「まず、そこのお姉さん、たしかにお尻を触られたのかい?」

「え…えぇ、そうよ…!」

「どんな風に?揉まれた?擦られた?わし掴みにされた?」



 OLは真っ赤になりながら驚く。

 あまりにもデリカシーのない質問に見てられなくて、輝が間に入った。


「…痴漢された被害者に、そんな恥ずかしい事を聞くなんて!非常識ですよ!」

「何故?」

「何故って…!彼女はさっき嫌な思いをしているんです!…それを思い出させるような…。」


 輝の言葉にニット帽男は自分の顎に手を当てて眉をひそめる。


「思い出してもらわなければ、この話は解決しない。」

「で、でも…!」

「考えてみてくれないか?彼がもし、痴漢をしてないのに、警察に連れていかれたら、冤罪だとわかって釈放されたとしても、きっと変な噂も立つだろう、それが原因で心に深い傷を負ったら?君は責任をとれるのかな?」



 ニット帽男の言葉に輝は反論ができなくなった。ニット帽男は再びOLに質問した。


「それで?…どんな風に、触られたのか…教えてもらえるかな?」

「…そ、それは…スカートの裾を、摘ままれるような…感じ。」

「なるほど。」


 ニット帽男は次に若者の方を向き、また質問。



「すまないが、私にメディア欄を見せてもらえないかな?…一瞬で構わない、他の者にも見せない。」

「…!!」

「…君を助けたい。」



 ニット帽男の顔を見て泣きそうな顔をしながら若者はスマホを差し出す。



「…パスワードは?」

「……1260…。」

「…ありがとう。」


 ニット帽男はスマホを二、三回操作すると、すぐ若者にスマホを返した。


「も、もういいんですか?」

「あぁ、盗撮写真なんて無かった。」

「そ、そんなの信じられないわ!!!男同士庇ってるんでしょ!?!?」


 OLがまた怒鳴り始める。

 ニット帽男は対照的な涼しげな顔でため息をついた。


「悪いが、元々触ったのは彼ではないよ…只、盗撮に関してはわからなかったからね、確認しただけさ。」

「じゃあ誰だっていうのよ!!私の後ろには、男はその人しか居なかったのよ!?」



 ニット帽男は、OLの放った言葉を受けてなにやらスイッチが入ったらしく、突然力強く喋り始める。


「いいかい?君にとって、女性は男性に、男性は女性に必ず興味がある、という固定概念がある様だが、それは、君の普通であって、それを押し付けないでほしい。」

「な……!」

「例えば、私は君の顔にも、その大きな胸にも、足にも、一切興味がない!もちろんそこの君もだ!顔、貧相な胸や美脚にも!そこに性的な魅力はカケラも感じない!私はどちらにも興味が無い!これが私の普通だ!」


 ニット帽男歩きまわりながら語り、話す口は止まらない。


「君の普通が、全員に通用するとは思わないでもらいたい…!彼のメディア欄には、ホワイトボードなんかの写真しか乗っていなかった、つまり、女性のお尻なんか撮ってる容量は無いのさ、これ以上勉強熱心な若者の未来を邪魔しないで頂きたい…!!」

「だ、だから…!あんたの言い分なんて信用できな……!」



 パチン、と突然ニット帽男が指を鳴らした



「証拠なら、まだある、彼が痴漢をしていないという、決定的な証拠だ。」



 ニット帽男が後ろを向き、ある人物を連れてくる。

 その人物を見て輝、OL、若者は驚いた。



「もう一人の、証言者さ。」




 証言者と紹介されて現れたのは、小さな女の子だった。



「…!君はさっきの…。」


 輝は、電車の中で母親にしがみついていた女の子を思い出す。その時の女の子が、目の前に立っているのだ。

 女の子は、怯えた様子でOLの方を見ている。


 ニット帽男は女の子の両肩に手を添え、OLに向かって一言確認した。



「何が真実であっても、怒らないと約束してくれないか?」



 ニット帽男の真面目な顔と女の子の怯えた顔にOLは静かに頷く。



「じゃあ、電車で起こった事を、話してくれないか?」

「…うん。」



 女の子は顔を上げて涙ぐみながら話出した。



「おねえさんのおしりを、さわったのは、わたしなの。」

「…!?」

「でも、おしりをさわろうとしたんじゃなくて…その、キラキラをさわりたくて…。」


 女の子は、OLの鞄に付いたキーホルダーを指差す。



「そしたら、でんしゃがゆれて…おねえさんのスカートをつまんじゃって…。」


 今にも溢れそうな涙を指ですくいながら女の子がそう訴える。


 輝は女の子に目線を合わせる為に腰を落とし、優しく問いかけた。



「どうして…あの時言わなかったの?」

「おねえさんが、おおきなこえでおこってたから…こわくていえなかったの…ごめんなさい。」


 ぺこりとお辞儀をする女の子にOLは申し訳なさそうに笑いながら頭を撫でた。


「…ごめんね、怖い思いさせて、私がいきなり怒鳴ったのがいけなかったんだね…ごめんね。」


 すると、女の子の母親が慌てて頭を下げ始める。


「こちらこそ勝手に人のものを触らせてしまい、申し訳ありません…!怒鳴ってしまったのは仕方ないです。…痴漢だったら黙っているわけにもいきませんから…!」


 その様子を眺めながら駅員がやれやれといった感じで笑う。


「……じゃあ、警察には届けなくていいですね…?良かった良かった。」

「…すみません、お騒がせしました…!」


 OLがまわりに謝ってまわる間にニット帽男が若者に話しかける。


「彼女を責めないであげてくれ、もし、本当に痴漢だったら、彼女は酷い目に合っていたかもしれないんだ。」

「わ、わかってます…疑いが晴れたので、大丈夫ですよ…ありがとうございます。」


 OLが輝や若者にペコペコ頭を下げて。


「本当に申し訳ありませんでした…勘違いとはいえ…あんな暴言を…。」

「いえ…気にしないで下さい…!紛らわしい所に立ってた僕も悪いんで…。」

「貴女もごめんね…面接だったんでしょ?」

「いえいえ、良いんです!」


 お互いが謝り合っている中で輝は、ホッとため息をつきながら笑ってさりげなくスマホで時間を確認した。


(…面接の時間…20分過ぎてる…このまま…行かずに帰っちゃおうかな…。)

「君」

「ふぇ!?」


 突然、ニット帽男に後ろから話しかけられ驚いた輝。



「面接…早く行くといい、逃げるのはオススメしないよ。」



 ニット帽男は、そう囁くと輝の横をすりぬけ、さっさと電車に乗ってしまった。



「ちょ………え…!?」


 荷物を地面に置いていた輝は電車に乗れず、焦ったようにニット帽男を見る。


 すると、閉まったドアの向こうから手を振り

彼は口パクで輝に、



(お ろ か も の)



と言った後ニコニコ笑ってウィンクした。


 輝は駅のホームで呆然と立ち尽くす。

 我に返ると、急いで時刻表を確認し驚愕する。



「嘘……。」

(次の電車…快速で……この駅は通過…。)




 結局、輝が面接の場にたどり着いた時刻は予定の時間より一時間も後だった。

    




      



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