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第五議題 回答




「…それで、私が疑われている…ってこと?」

「……正直に言えば、そうなります。」

「…そう。」


沢倉は特に動揺した様子も無く、無表情で自宅のソファーに腰掛けて紅茶をすすった。


「アリバイが無い容疑者候補の中で、一人だけ岩浦を殺害する動機が不明だったのは沢倉さんだけ。…だけど、君には誰よりも確かな動機があった。」

「…流石、佐久間先生。…でも、この非力な私にあんなにガタイの良い岩浦先生を殺害できるの?」

「殺害された岩浦は、スタンガンで気絶させられてから水の中に押し付けられて溺死しました。女性でも容易に犯行は可能です。」



紅茶専門店を出てから、待っていた町田と一緒に沢倉乙女の自宅にやってきた依斗と輝。

沢倉はおそらくいつか誰かが自分と霧島正樹の繋がりを突き止める事を想像していたのだろう。


一切驚かなかった。


「はぁ、そうね。…たしかに、恨んでた。ずっと。」

「……沢倉さん。」

「あんな男、早く居なくなれば良いのに。って。」

「それじゃあ…やっぱり……。」

「いいえ、生憎だけど私はできなかった。したくても、できないの。……できなかった。」


沢倉は噛み締めるように言葉を繰り返した。

『したくても、できない。』と何度も何度も。


「貴女達、正樹のお父様に会ってここまで来たってことは……まだ調べてないんでしょう?」

「それは…どういう…?」

「私ね、正樹の自殺を目の前で見てるの。」


精気のない微笑を浮かべて沢倉は遠くを見つめた。視線の先の写真の中で霧島正樹が笑顔で立っている。


「…止めようとして一緒に落ちた。いえ、正しくは止めようとして私が先に落ちたの。」

「…え……?」

「……。」


自殺を阻止しようとした沢倉を振りほどいた霧島正樹は、誤って沢倉を水の中に落としてしまった。霧島は沢倉を助ける為に自分も飛び込んだ。


沢倉乙女が、泳げない事を知っていたから。



「目が覚めた時には、もう正樹は居なかった。……私を助けて、そのまま…ね。遺体が見つかったのはそれから二日後。」

「そんな……!」

「私は一緒に居られるなら生きても死んでも良いと思ってた。だから、私が落ちなければ彼は死ななかったかもしれない。」

「沢倉さんのせいじゃないだろう。それは。」

「佐久間さん…ありがとうございます。」


沢倉は恐縮した様に困った顔をした。心の中では自分のせいだと思っているからだろう。


「岩浦ももちろん憎い。でも、何より自分が一番憎いのよ。」


自分さえあのとき落ちていなければ。

そんな後悔が沢倉の中で渦巻いていたのが、輝にはひしひしと伝わっていた。愛する人に去られ、置いていかれる。

世界が色を失うには十分な理由だった。


「それにね、私はどう頑張ってもこの犯行はできない。…刑事さんから聞いたけど、犯行は夜のプールサイドで行われたんでしょう?」

「…は、はい、そうですが…。」

「私は、正樹の自殺を止めた時に後頭部を水面に強打したの。そのせいで視神経に異常をきたしてしまったのかしら、暗闇では殆ど何も見えないの。運ばれた病院で眼科を受診したから、調べてくれればわかるわ。」


輝はようやく沢倉の心はしっかりこの場にあるのに、ずっと遠くを見つめているような眼差しをしていた理由に気づく。

やや濁った瞳も遠くを見つめる目も、視力が関係していたという事を聞けば深く納得した。


「それに、私ならたとえ仲良くても、目撃されてしまっていたからには筆井先生も殺害するわ。」

「…!」

「だって、二人同時にスタンガンで気絶させる…なんて、無理でしょう?」


沢倉が眉を潜めて首をかしげるのを眺めながら、依斗からフッと苦い表情が消えていく。

心に引っ掛かっていた違和感と、バラバラになっていた情報や風景が一つに繋がっていく。


「……飯塚くん、君ならどっちを先に気絶させる…?」

「…私ですか…?…えっと…。そうですね…気付かれたら男性には勝てないので、不意をつくために男性を先に気絶させたいです。」

「じゃあ、逆に……君が、私と夜中に立っていたとして、目の前で私が気絶させられたら、どうする?」

「…えっと…そうですね、逃げると思いますけど…咄嗟に動けなさそうなので…悲鳴を……上げ……」



言葉を続けようとしても声が出ない、輝は喉から息が漏れ出るのを感じた。


そう、あの夜響き渡った悲鳴は山木文香の悲鳴だけ。

それならどうして?恐怖で声が出なかったと言われればそこまでの話だが。


そもそも筆井は何故悲鳴も上げず、犯人が山木文香である、等と嘘の証言をしたのか。



新たな疑問が浮上した話の中で、町田が大切に秘密を抱えるかの如く持った鞄に、静かに両手で力を入れていた。


--------------------------------------------




日も落ち始め、牛丼を買って町田の家に着く頃には既に夕飯時となっていた。


「親御さんには私から説明するよ。」


依斗がインターホンを押すと、中からは女性が応答した。


『どちら様でしょう?』

「町田くんとお家でお話させて頂きたく訪問致しました。佐久間依斗と申します。」

『息子は今、留守でして…。』

「お母さん…!俺、一緒に居るから。この人達部屋入れてもいい?」

『ちょっと…!家にも帰らず何処ほっつき歩いてたの…!!!すみません、今出ますね。』


インターホンが途切れてすぐに、慌てた様子で町田の母親が玄関から姿を現す。


「すみません、息子がご迷惑を!!!」

「いえいえ、そんな。」

「お母さん…ごめん、心配かけて。」

「あんたね、学校大変な事になってるのよ!!連絡来たんだから!……朝になっても帰って来ないから、あんたが何か巻き込まれたんじゃないかって…!!!」

「…ごめんなさい。」

「とにかく、無事で良かった…!早く家に入って。お客様もさぁどうぞ。」


町田の母親は何度も依斗と輝に頭を下げながら、家の中に案内した。

中は一般的な住居であり、特別広いわけでも狭いわけでも無いが、生活感のある暖かい部屋だった。


廊下を通る途中、町田の母親はチラチラと依斗を見ながら、小声で町田に耳打ちした。


「ねぇ、人違いかもしれないけど……佐久間依斗って…あの小説家さん…?」

「そうだよ。」

「どうしましょ、今日もっと隅々までお掃除したら良かった…!」


なんとも微笑ましいやりとりに輝の頬は思わず緩んでしまう。依斗は見向きもせず、お構い無しに牛丼を確認してニコニコとしていた。


「私はネギだっけ。」

「先生はチーズです。」

「ええ?ネギは誰の?」

「私のです。」

「じゃあ、交換しない?私なんだかネギの気分になってきたんだけど。」

「…嫌です。」


町田は先に母親と話があるから、と自室に二人を案内した後部屋を出ていった。

二人になった空間で、今まで牛丼の話をしていた依斗が突然真剣な眼差しになって会話を変えた。


「さっき、町田くんのお母さんが言っていた事を覚えてるかい?」

「……えっと、朝まで帰ってこなかった。って話ですよね。」

「そうだ。…つまり、町田くんは犯人である可能性が高い訳だ。」

「…!!!そんな事……!」



無い、とは言い切れない。

それが輝の正直な感想だった。

もし犯人だとしたら、輝と依斗を見かけた時に逃げ出した事も説明が着く。


緊張感に満ちた部屋の扉が開き、町田が飲み物を持って入ってきた。


「お待たせしました。」

「いや、待ってないよ。ありがとう。」

「先生ったら、急にネギの方が食べたい、なんて言い始めて…ハハハ…。」


愛想笑いにもこんなに乾いた笑いは無いと思う。輝は自分で笑っておいてなんだかいたたまれなくなり、笑いは小さくなって、終いには消えた。


凍りついた空気の中で町田はごそごそと鞄を漁り、ハンカチにくるまれた片手ほどのサイズのものを取り出してきた。


「…これ…。」

「…スタンガン……だね。君が持つには少々物騒な物だ。」


気がつけば町田は涙を溜めながら、必死で何か伝えようと言葉を考えている様だった。


「俺…が……!岩浦先生を……!」

「…町田くん。」


そこまで言った町田の肩を持ち、依斗は無言で首を横に振った。そして、仁に電話をかけようとスマホを取り出して耳に当てる。


「仁くん、スタンガンが見つかったよ。それと、重要参考人もいる。すぐに来てくれないかい?」


依斗はようやく事件の真相がわかった。

いつもなら自分のすごさにはしゃぎ回る依斗なのだが、この時は近くで見ている輝ですらそれ以上何の言葉も発することが出来ないほどに、無表情だった。


輝だからこそ、感じ取れた。

依斗の無表情の奥底で煮えたぎる怒りの感情を。


--------------------------------------------




近くの総合病院の一室、大きめのスケッチブックに静かに鉛筆を滑らせながら鼻唄を歌っているのは、岩浦と一緒に襲われた被害者の筆井立子。


窓が開いている病室に涼しい風が流れ込み、入ってきた依斗と輝の髪をなびかせた。



「身体の具合はどうですか?」

「佐久間先生……。来てくださったんですね。輝ちゃんも、ありがとう。」

「……筆井さん。貴女はあの日、何故襲われた岩浦を目の当たりにして、悲鳴も上げず、逃げなかったんですか?文香さんをストーカーだとわかっていたのなら、殺される可能性もありましたよね?」

「暗かったので、顔が見えたときにはもう逃げられなかったんです。」

「あなたが立っていた場所と向きなら、プールの入り口は丸見えですよね?あなたは犯人が岩浦を標的にしているのをわかっていたから何の声も上げなかったのではないですか?」

「…………もう、隠し通すことは…できないですね。」


スケッチブックを閉じて筆井はゆっくりと振り返った。眠れなかったのだろうか、目には微かに隈ができている。



「…あの夜、私が見たのは山木先生じゃありません。」

「……。」

「まさか、町田くんがあそこまで岩浦くんを恨んでるとは思わなかったんです。」


筆井は下を向いて苦しそうにそう述べた。

握っている鉛筆は今にも折れそうな程に、拳に力を入れているのがわかる。


「私は、岩浦さんとお付き合いをしていました。…だけど、彼が間違っている事もわかってました。だからこそ、町田くんを止められなかった…。」

「…筆井さん……あなたは…!!」

「私が間違ってました。…早く…本当の事を言って罪を償わせるべきでした……!教師失格です…私は………。」


ボタボタと涙をスケッチブックに落とす。表情は髪の毛に隠れて見えないが、嗚咽を出しながら筆井は背中を丸めて肩を震わせた。


依斗は、その光景を無表情で見ている。


「…戯れ言は終わったかい?」


あまりにも冷たくて無機質な声に思わず依斗の方を向いた輝は、全身の毛が逆立つ程ゾッとした。

まるでゴミを見るような眼差しで筆井を見ている。


いつも無表情ながらも優しさを持っていた依斗が、こんな表情をできるのかと驚きを隠せなかった。



「…………。」

「昨日、町田くんは家に帰っていない。そして、制服のどこからも塩素は検出されなかった。」

「…それで…?」

「山木文香をストーカーだと思い込んでいたあなたは、彼女に罪を着せる事を思い付いた。しかしそれをするためには協力者が必要。もし山木くんに罪を着せる事に失敗しても、スタンガンを持っている者に罪を着せれば良い。尚且つ…その相手が自分を慕っていて自ら罪を被ってくれれば一番だ。」


筆井は先ほどの涙が嘘のように、真顔で依斗の方を見ている。

そんな筆井を依斗は睨み付ける様にして話を続けた。


「…だから君は、町田くんに目をつけた。」

「………。」

「君は山木くんが岩浦をつけ回して居ることを知り、彼女が近くに来ていることをわかっていた上で岩浦をプールサイドに呼び出してスタンガンを使って気絶させ、プールに押さえつけて殺害。袖だけに塩素が付いているのでは不自然だし逃げては証拠も隠滅できない、だから君はあの日あの場所に四人以上出入りするように仕向けた。岩浦、町田、山木、そして貴女だ。」

「……。」

「元々は岩浦殺害後、貴女はプールの中に居たまま町田くんにスタンガンを渡して現場から持ち去ってもらう予定だった。しかし、何かの手違いで予定外に貴女はプールサイドで本当に気絶してしまい、全身ずぶ濡れのままプールサイドで気絶してしまう…という、貴女が犯人でなければ説明のつかない状態になった。」


全身がずぶ濡れで生きているのは、プールの中で意識がなければ成立しない。本当に気絶していたのならば、プールの中から出ることはできない。


つまり、筆井は何らかの理由でプールサイドに出てしまい、気絶してしまった事になる。


「私が岩浦さんを殺す動機は…?私達…不倫とはいえ恋人関係だったんですよ…?」

「あなたの履歴や過去の住所を調べさせて貰いました。……動機は、霧島正樹…の家族。」


動機が合っていたのか、筆井はため息をつきながらスケッチブックをペラペラとめくる。遠目から見てもハッキリとはわからなかったが、どうやら人物画が描かれている様だった。



「…本当は……第一発見者になる予定の山木先生に、プールから救出してもらう予定だった。…人って絶対、息がある人を助けてしまうでしょ?」


筆井はフッと鉛筆を握りしめていた手をほどき、リクライニングのベッドに寄りかかる。

手に持っていたスケッチブックがするりと抜け落ちた。



「…岩浦を、殺したのは…私。…でもその後誰かに本当に気絶させられるとは思ってなかった。気がついたら病院のベッドの上。何もかも予定外で…。困ったもんね。ホント。」

「何故町田くんに、罪を着せようとしたんですか…!?」

「あの子が、それで良いって言ってくれたの。…先生だけが俺の味方になってくれたから、恩返しだ、って。」

「それを聞いて何も思わなかったんですか…!?自分を慕ってくれている生徒に…!」


輝が必死で話しているのがわかるのか、静かに語っていた筆井が、突然声を荒らげる。


「私は間違ってなんかない!!仕方なかった!こうするしかなかった!!」


    


---------------------------------------------------



   

筆井立子の自白




私は昔から絵を描くことが大好きだった。勉強や運動よりも絵。料理や友達よりも絵。

そんな私を両親は全く相手にしてくれなかった。


両親から愛されず育った私はずっと孤独だった。


だけど、私が高校生になった春。

近所にある一家が越してきた。


霧島一家は理想的な家族だった。

ご両親はいつも優しくて、誕生日には実の両親からも貰えないプレゼントをくれて、私を娘の様に大切にしてくれた、正樹くんも妹ちゃんも私の事もまるでお姉さんのように慕ってくれた。


絵が苦手だった正樹くんに、私は絵の宿題を手伝ってあげた事もあった。


『立子ちゃんは、絵の先生だね。』

『…私が?』

『うん、きっと優しい先生になれるよ。』


その時から私は学校の美術教師を目指す様になる。


教師を目指す事になってから、実の両親が私を見てくれるようになり、家族関係はスムーズになった。

それでも私の中で一番大切なのは霧島の家族達で、誰よりも恩返ししたい人達だった。

正樹くんのお陰で、私は孤独ではなくなった。


私が新人教師として働き始めた頃正樹くんは大学生で、水泳の国体選手を目指して猛特訓していた。

私も陰ながら応援してたし、本当に着実に私達は夢に向かって進んでた筈だった。


あの事件が起こって、世界から色が無くなった気がした。


正樹くんが飲酒運転で事故を起こして、足に重症を負って選手生命を絶たれた事を知った。


その後の正樹くんは脱け殻の様だった。


私は、正樹くんの恋人の様に自殺を止めることもできず、残された家族達を支えることもできなかった。


正樹くんのお母さんは精神的に不安定になってしまったし、妹ちゃんは一時的だったけど不登校になった。

そんなことになったとき、正樹くんのお父さんとお話しする機会があった。


『ごめんね、立子ちゃん。……立子ちゃんにも色々心配かけちゃってさ。』

『そんな…ご自愛下さい…!』

『…正樹は…お酒に呑まれるような子じゃない…。こんなの、ありえないと思ってる。』


その言葉で私は確信した。何者かが正樹くんを陥れたんだって。


私はすぐに調べた。だけど正樹くんが未成年だった事もあって、事件自体が公になっていなかったから、関係者も全くわからず、月日だけが流れていった。


美術教師として慣れてきた頃、私は岩浦と出会った。岩浦の事は水泳の選手で有名だったから知ってたし、既に結婚してたから最初は特別な感情も持ってなかった。


端から見たら、水泳に対して情熱的で優しくて、まるで正樹が大人になって現れたみたいに見えて…気がついたら惹かれていた自分がいた。

黒い噂があっても、気のせいだと思って聞こえないフリをして。


そして、岩浦と不倫し始めて数ヶ月経った頃、酒に酔った岩浦が学生時代の事を話し始めた。


『立子…俺ねぇ……昔さ……面白いことしたんだよ。』

『面白いこと…?』

『うん。…すっげぇウザいが奴居てさ。目障りだから……二度と水泳できない様にしちゃったんだよ。そしたらさ、アイツ自殺しちゃってさ。』


すぐに正樹くんの事だってわかった。


憎かった、こんな奴に一瞬でも惹かれていた自分が。そして、正樹くんを死に追いやった岩浦が。


しかも、奴は反省するどころか何度も同じ過ちを繰り返して居た。教師になったにも関わらず、弱いものをイジメ、自分より優秀な人を嫉妬して…。


何も学ばない。

成長もしない。



だから私は、自ら手を下すと決めた。


どんな犠牲を払おうと、アイツの犠牲者を増やさないために始末すると決めた。


私は間違ってない。



「何も、間違ってなんかない。」



     



----------------------------------------------------



「…ホントは、気絶したフリをしてしまおうと思ったんだけど。きっと町田くん、それじゃバレてしまうと思って本当に気絶させたんだと思う。……プールの入り口からガチャガチャ音がしたから、慌ててプールから出て確認しようとしたら…気絶してしまった。……それが仇になちゃったなんて。…もっと入念に町田くんに確認しておけばよかったですね。」


淡々と語る筆井は、一切後悔なんてしてない風に見てとれる。

犯行がバレたというのに、ひどく晴れやかな顔をしていて、輝としては不快極まりなかった。


「捕まることも、想定はしてた。後悔してない。……私は教育者として、生徒を救ったんです。岩浦という悪魔から。」

「…っ……!!」


輝が何か言おうとした瞬間に横を誰かが通り過ぎ、気がつけば依斗が筆井の胸ぐらをつかんで引き上げていた。



「自分の生徒の弱みにつけ入って犯罪の片棒を担がせといて、何が教育者だ。笑わせるな。」


依斗の行動にも驚いたが、何より今までここまで怒ったところを見たことが無かった。


筆井の何が依斗の逆鱗に触れたのかはわからないが、過去の事もあって相当トラウマなのかもしれない。

現状がマズイとは思いつつも、輝は止める事ができなかった。


「人を殺す手伝いをさせられた町田くんは、今後ずっとその傷を抱えて生きていくんだ。お前が…!殺すなどという選択をし、町田くんをそそのかしたからだ!」

「…!」

「私から言わせれば、お前も立派な悪魔だ。…間違っても自分が正義等と思うな…!」

「だけど…!じゃあ……私はどうしたら良かったんですか!?」



普段の依斗からは想像できないほど乱暴に、筆井から手を突き離し、舌打ちをしながら窓枠に寄りかかる。


筆井は本心からの涙を流しながら、悲痛な声を上げた。


「こんな方法しか…!だって、誰も何もしなかったから…!皆が岩浦を野放しにしていたから…!私は……間違っていない筈なのに!」

「……山木くんは岩浦の罪の証拠を毎日必死で集め、校長は学校を守りつつも社会的制裁を与えるために尽力していた。岩浦の妻である佳代さんは、夫が変われる様に支えようとしていた。」

「そんなの…時間がかかるじゃないですか!…町田くんは!?他の苦しんでる生徒は!?耐えなければいけないんですか!?」


「町田くんは、岩浦先生が亡くなった後も、犯罪に加担した事に苦しみ続けなければいけないんですよ……?それを、わかってるんですか…?」


あまりにも自己中心的な発言に、輝は思わず声を出してしまった。


「……もちろん、岩浦先生がしたことは許されません。裁かれるべきだと思います。」

「だったら……!」

「でも、貴女は裁く人ではないです。」


筆井の喉から、声にならない空気がヒュッと抜ける音がした。



「君は教師。……正しい方向へ生徒を導く人だろう?」



初めて筆井はここで自分のした事を理解した。


正しい方向へ生徒を導く筈の人間が、弱味につけ入って甘い言葉で生徒を犯罪に加担させてしまった。


こんなの、自分だって立派な悪魔だ…と。ようやく気づいた。

あまりにも、気づくのが遅かった。



「今となっては、只の犯罪者だけれど。」



病室に吹き込んできた風が、スケッチブックのページをペラペラとめくる。そのページの全てが、笑顔の人を描いたスケッチで埋まっていたのだ。


それは全て、筆井の生徒の似顔絵だった。


後半の白紙のページは、もう二度と生徒で埋まることはない。



彼女はもう教師ではないのだから。



--------------------------------------------



筆井立子はせめてもの償いと思ったのか、誰かに気絶させられた事は言わなかった。

依然として、自分で気絶したと言い張っていた。



「…結局、岩浦先生の顔面の傷についてはこれ以上の捜査はしないのでしょうね。」

「…犯人がもう捕まっているからね。」


依斗と輝は、牛丼を買って町田の家に向かっていた。

犯罪に加担させられた心の傷は癒えないだろうが、少しでも支えてあげたいと言い出したのは依斗の方だった。


やっぱりこの人は教育者だな。と輝は綻んだ顔で、依斗の整い過ぎた横顔を見つめる。


「彼女に偉そうな事を言ったが、私にも教育を語る資格はないね。……私は優秀な教え子が道を外れていくのを、止められなかった。」

「先生…それは……」

「むしろ、もしかしたら私が彼女を踏み外させてしまったのかもしれない……。私は教育者失格だ。」


ほんの少しだったけれど、依斗が自ら過去の事を話してくれた事が輝は嬉しかった。信頼されていると実感した。

しかしあまり喜べる内容でもなく、複雑な表情をしつつも輝は何か言ってあげたかった。


「……先生の…」

「おや、着いたよ。たしかこの家だったね。」



『先生のせいじゃないです。』と、喉元まで出かかった言葉はどうしても依斗の耳に届けられなかった。

今は、なんだか言うべきじゃ無い気がしたから。


町田の家に着くと意外な人物が訪れており、依斗と輝は驚いた。


「…あれ?沢倉先生…?」

「あら、お二人とも…!」


沢倉も町田を心配していたのだろう。依斗達は改めて町田は一人ではないことに安心した。

彼には支えてくれる親も、見守ってくれる先生も居るのだ。


「俺、水泳部辞めたんだ。」

「…え、どうして?もう、イジメは無いんでしょ?」

「…うん、皆謝ってくれたけど。俺普通に弱いからさ!向いてないから……もっと勉強しようと思って!」

「町田くんね、お医者様になるんですって。」

「へぇ、そりゃまた大きく出たねぇ?」


依斗が感心したように言うと、町田は頬を赤くして頭を掻いた。


「沢倉先生の視力、治したい。」

「…え?」


ポカンと口を開けた沢倉に、町田は恥ずかしい気持ちを隠しきれずに、それでもしっかりと思ったことを伝え始めた。


「俺さ、怪我する度に保健室運ばれてたから…なんとなく沢倉先生が暗闇で視力悪いの知ってたし…さ。」

「そうだったの…。」

「今まですごく助けてくれたし、実現しなきゃ意味無いかもしれないけどさ、言わせて。」


決意を固くするように、照れや恥ずかしさを振り切って沢倉を真っ直ぐと見据え、町田は一言一言を大切に噛み締めるように言葉を繋いだ。



「俺、絶対に沢倉先生の目治す為に、頑張るから!…だから!それまで…見守っていてください!!!」


一見告白にも見えるしツッコミ所満載だが、二人が前を向いている様なので依斗も輝も微笑ましく見守った。

当事者の沢倉は驚いた様に目を白黒させている。


「えっ…もちろん、だけどっ…えっ!?」

「…沢倉先生…モテモテですね!」

「禁断の恋…うーん…悩ましい。」

「からかわないで下さいっ!!!!」


依斗は特に心配していたのだが、この様子を見て心から安堵した。


「町田くんは大丈夫だ。」


ちゃんと前に進んでいける。

正しい道を教えてくれる人が近くにいる。


柔らかい空気の中、何気ない町田の言葉に依斗と輝が凍りついた。


「そういえば、筆井先生を気絶させたのは誰だったんですか…?」

「…え?」


それはつまり、気絶させたのは町田ではないということだ。依斗は薄々勘づいてはいたがハッキリ言葉に出して言われるとやはりドキリとした。


「町田くん…一度確認するよ。君がスタンガンの回収のためにプールに駆けつけた時、筆井先生は何処にいた?」

「プールサイドに倒れてた。話と違うなぁって思ったけど、とりあえず言われた通りスタンガンを持って帰ってきたんだ。」

「何て指示されてたの?」

「十時半ぴったりにプールサイドに来て。スタンガンを渡すからそれを持って逃げて、指紋を拭き取っておいて。って。」


だとすれば、岩浦が殺害された後に誰か全く別の人物が筆井を気絶させて、岩浦の遺体の顔面をプールの側面に叩きつけて無惨な姿にした。


そういうことになるだろう。



「…また……ですか。」

「…あぁ。そうだね。」


二人は考えながらも、その場の空気を壊さないように作り笑いを浮かべた。


「ありがとう、町田くん。」

「筆井さんが、誤ってスタンガンを暴発させてしまったと言ってました。」

「あっ、そうだったんですか…。」


納得した町田は、再び沢倉と会話を楽しんでいる。しばらく話した後に沢倉は近くのコンビニの弁当を食べ、三人は買ってきた牛丼を食べた。


やがて夕暮れ時になり三人は町田の家を後にした。


帰り道、途中まで一緒だった沢倉と談笑しながら人通りの少ない道をゆっくりと歩く。

橋に差し掛かった所で、沢倉は夕日を見ながらしんみりと遠くの水面を見つめた。


「…正樹も、町田くんみたいに相談したり…頼ったり…できれてば…もしかしたら何か…変わったのかもしれないわね。」

「沢倉さん…何度も言いますけどあなたのせいじゃないですよ。」

「…いや、私が気づいてあげていれば。正樹は…。」

「沢倉先生…。」


沢倉の表情はとても穏やかに見えた。


「私、水は嫌いだったの。…でも、正樹のお陰で水を好きになった。……正樹が居なくなった今でも、私は水を好き。」

「!?…沢倉せんせっ………!!!」


まるで躊躇なく落ちてしまうかのような行動に驚いた輝だったが、沢倉は心から笑みを浮かべて橋の柵に身を乗り出していた。


「きっと、この先…正樹が居てくれた事を私は忘れないわ。」



後悔を抱えていたとしても、この先を生きていくため。強く前を向いていこう。



「だから、いつか正樹と会えたとき胸を張って話せる様な人生を歩むの。」


沢倉の笑顔は決して上手ではなかった。

悲しみや後悔やポッカリと空いた穴が消えるわけではないけれど。


きっと、生きていた事実だって消えないんだ。


脳に焼き付けるように輝は夕日が落ちるのを見つめた。



--------------------------------------------






「すみませんでした。私が講義を頼んだせいで事件に巻き込まれてしまって…。」


犯人が捕まった事で疑いが晴れ、ようやく解放された文香が謝罪の為に事務所を訪れていた。

深く頭を下げるが依斗は気にしてない様で、むしろ文香が持ってきたお詫びの品に夢中で半分以上話を聞いていない。


「良いのよ。先生も気にしてないみたいだし。」

「ん~~うん、うん。全然良いんだよ。」

「里日さん、ありがとうございます。」


恐縮した様に背筋を伸ばす文香をよそに、輝も午後の休憩をとるためにソファに座った。

里日が淹れた紅茶を見て文香が少し困った顔をした。


「あっ、ごめんなさい…!これ和菓子なんですよ。」

「大丈夫よ。これ、和菓子にも合う紅茶なの。」

「そうなんですか!良かったです。」

「里日さん、これは何という紅茶なんですか?」

「これは、ダージリンのファーストフラッシュ。春摘みだねぇ。」


並々とミルクを注ぐ輝を横目で見て、依斗はため息をつくがそれ以上小言は言わなかった。

今回の事件で輝はよく頑張った。トラウマになりかねない場面にも直面した。


それでも音を上げずにここへ出勤し、今日もこうして職務をこなしている。


この数ヶ月の間で四件の殺人事件に出くわし、遺体も目の当たりにしてしまった。

そしてこの仕事をこれから続ける限り、輝はきっとまた事件に巻き込まれるんだ。


『彼女を、まだ巻き込むつもりですか?』

(私だって、そんなの望んでいないさ。)


巻き込みたくない。

だが依斗は既に輝を手離す事に躊躇いを感じていた。ここを居場所だと思っている輝がここを出ていけば、きっとまた以前の暗い輝に戻ってしまうだろう。


彼女は変わろうとしている。


せめて、彼女が自分に自信を持って歩いて行けるまで。


(近くで見守っていられたら……幸せかもしれないね。)


ニヤニヤしている様に見える依斗に、輝は引きつった顔を向けた。


「なんですか先生、ニヤニヤして……いくら美形であったとしてもちょっと…気持ち悪いですよ。」

「それはあんまりじゃないか。」

「まぁ、輝ちゃんったら!先生に軽口叩けるくらいになったのね~。」

「あっ、ごめんなさい…!!」


嬉しそうに笑う里日に言われて、輝はなんだかむず痒く感じてモジモジとミルクティーに口をつける。

文香から頂いた和菓子を食べて、少しだけ落ち着いて部屋を見渡した。


(はぁ……落ち着くなぁ…。)


窓の外を眺めて、ふと依斗が塀から敷地内に侵入してきた時の事を思い出した。

いつからだろう、ここが落ち着く空間になってきたのは。


あんなことがあっても、輝は辞めようと思わなかった。



この先に待ち受けてるのがどんなものでも。

逃げないからこそ、きっと傷つく事もあるけれど。

それは前に進んでる証なんだ、と輝は思った。




【水泳部顧問溺死事件 完】 

   

     



   

どうも、水野将人です。


今回は輝だけでなく、依斗のトラウマも少し触れていきました。裏のテーマは『心の傷』です。


人は誰しも心の傷を持っていることでしょう。あの依斗でさえいくつもの傷を抱えて生きています。

心の傷とはある意味成長している証であると私は思いました。


その時には思い付かなかった選択肢を今になって思い付き、『こうすれば良かった。』『ああすれば良かった。』と後悔するのは確実に前に進んでる証拠です。


傷つかない人は学ぶこともないのですから。


これを読んだあなたが、心の傷を糧に前に進んで行けますように。



本当にありがとうございました。

まだまだ依斗先生は活躍してくれることでしょう。


次回お会いできるのを楽しみにしております。

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