第八十四話 悪意はなく、されど(前)
冒険者ギルドは所属する冒険者の情報を数多く保有している。
レベルはいくつなのか。武器防具はどんな素材を使用しているのか。修めている魔法は地水火風のいずれの系統で、第何圏まで使用できるのか。
いずれも冒険者にとっては生命線といえる情報であり、それゆえギルド職員には秘密の取り扱いに関する高い倫理と責任感が求められる。
当然、パルフェもそのことはわきまえていた。若しとはいえ、激務であるギルド受付で一年以上も働いているのだ。伝えていい情報と悪い情報の区別はついていた。
パルフェはゴズの問いに応じてソラの情報を話したが、ギルド在籍時にソラから聴取した情報に関しては一言も漏らさなかった。ソラのギルド除名後に生じた諸々の出来事についても同様である。
では何を話したのかといえば、これはソラの武勇伝だった。ソラが自分のクランである『血煙の剣』を宣伝するために公表した己の武勲、それをゴズたちに話して聞かせたのである。
イシュカに入り、ソラについて調べれば即日手に入る内容だから情報としての価値はない――パルフェはそのように前置きして話しはじめたのだが、そんな銅貨一枚にも満たない情報に対し、ゴズは驚くほどの勢いで食いついてきた。
見るからに沈毅な武人といった風貌をしたゴズの予想外の反応に、パルフェは内心で面食らう。
見れば、ゴズほどあからさまではなかったが、他の二人もそれぞれに興味を持っていることが察せられた。
クライアは耳をそばだてていたし、しかめ面でそっぽを向いているクリムトでさえ、話をさえぎったり、天幕から出ていこうとはしなかったからである。
パルフェは思う。
三人とソラになんらかのつながりがあることは確定的だ。そのつながりが何なのかが判明すれば、三人の図抜けた力量の秘密がわかるかもしれない。そしてそれは、長らくレベル【1】だったソラが短期間で急激に成長した理由と重なるはずだった。
黙って様子をうかがっているリデルも同様の思考を働かせており、二人の受付嬢はちらと視線を交わして小さくうなずきあった。
◆◆◆
ギルドの使者二人が天幕から出て行った後、ゴズは眉間にしわを寄せて考えに沈んだ。
むろん、考えるのはソラのことである。
パルフェ、リデルと名乗った二人組が口にした情報は断片的なものが多く、ソラという冒険者がかつての御剣空であるという確信は得られなかった。
無意識にトントンと刀の柄頭をたたいている自分に気づいて、ゴズは思わず苦笑する。
「ソラなる者が若――いや、空殿でないならそれでいい。だが、空殿であったなら……」
ゴズがソラの正体を気にかけるのは、何も懐かしさに駆られてのことではなかった。
いや、正確にいえば懐かしさもある。あるが、それは小さな理由の一つに過ぎない。
結論からいえば、ゴズは空が心装を会得したのではないかと推測していた。
パルフェらが語った「ソラの武勲」と、ゴズが知っている「御剣空の実力」をイコールで結ぶためには「心装」という要素が不可欠なのだ。
もちろん、これはあくまで推測である。島を追放された空が五年の間に良き師を得て、厳しい実戦をくぐりぬけた末に実力を開花させた可能性もある。
だが、十三歳の時点で竜牙兵に手も足も出なかった少年が、五年やそこらでスキュラやグリフォンの単独撃破が可能になるほど成長できるのかと問われれば――答えは否定にかたむいた。
空がなんらかのきっかけで心装を会得したと考える方がまだしも納得できる。
そして、もし空が独力で幻想一刀流の奥義に至ったのだとすれば――
「御館様も勘当を解くことに同意されるはずだ」
ラグナがいる以上、嫡子に戻ることは難しいだろうが、それとて空の心装次第では不可能ではない。
そう思うと、自然と心が浮き立った。
ただ、気がかりはある。
島を追放された空が、今なお故郷に想いを残しているとはかぎらないという点だった。
空が鬼ヶ島に戻らないといえばどうなるか。
個人的な感情をいえば、空が島外で元気でやっているとわかっただけでも十分である。妹のセシルも喜ぶに違いない。
だが、御剣家の司馬としては、幻想一刀流の奥義に至った者を島外に放置しておくことはできなかった。
幻想一刀流は門外不出の武術。一度門下に加わった者が自侭に島を出ることは許されない。
門下を離れる者は生涯幻想一刀流を使用せず、また幻想一刀流について口外しないことを誓わされる。
文書や口頭での表面的な誓いではない。拳を砕かれ、二度と武器を持てないようにされた上で、呪術をもって口を封じられるのだ。罪を犯して追放される者に対しても同じ措置がとられることになっている。
これを恐れて無断で島を出れば、即座に刺客が放たれて命を奪われる。
それが幻想一刀流の掟であった。
五年前に島を追放された空がこの措置をまぬがれたのは、まだ正式に門下に加わっていなかったからである。
その空が心装を会得したと判明すれば、御剣家はどのように判断するか。
門下を離れた後で奥義に至ったのだから、それは幻想一刀流と関わりのない空自身の力である――そんな主張は通らない。
初代剣聖が幻想一刀流を編み出してより三百年。心装の力は御剣家によって独占されてきた。心装の秘密が世に漏れれば、それだけで御剣家の影響力が損なわれる。
ゆえに、すべての心装使いは御剣家の管理下に置かれなければならない。
ゴズは御剣家の司馬として、空に決断を強いなければならない立場にあった。
帰郷に同意すればよし。拒むようであれば、無理やり引きずってでも島に連れ帰る。さもなくば、拳を砕いて二度と幻想一刀流を使えない身体にするのだ。
「……まったく。いっそ空殿の名前を聞かなかったことにしたいわい」
巨体に似合わない小声で、ゴズはぼそりとつぶやいた。
受付嬢たちの話を聞いたのがゴズ一人であれば、あるいはそうしたかもしれない。だが、あの場にはベルヒの姉弟がいた。今さら聞かなかったことにはできない。
となれば、事を後回しにするよりも、さっさとケリをつけてしまうべきであろう。心が乱れた状態で魔物と対峙すれば思わぬ不覚をとることもありえる――ゴズは己の実力を過大評価していなかった。
ゴズが自分の考えを他の二人に告げたとき、真っ先に反応したのはクリムトだった。
白髪の若者は噛みつくような口調で言い放つ。
「俺たちは坊主(慈仁坊)の無道を償うために戦っているんだろう? それを決めた司馬が真っ先に戦場を離れるとはどういうことだ。朝令暮改もはなはだしい」
「なに、離れるといっても一日二日と留守にするわけではない。勁を用いればイシュカとの往復は一刻(二時間)とかからぬ。夜の闇にまぎれれば人目につくこともあるまい」
「論旨をすりかえるな。自分の言動に責任を持てといってるんだ」
クリムトは目を吊り上げてゴズを睨む。
上席の相手に対して非礼であるが、クリムトにしてみれば、今のゴズは私情にひかれて勝手な行動をとろうとしているようにしか見えない。そんな相手に礼儀を尽くす必要はないはずだった。
そう考えたクリムトは「司馬」という呼びかけを排して続ける。
「だいたい、あんたが留守にしている一刻の間に魔物が寄せてきたらどうする? 別にスタンピードごとき、あんたがいなくてもなんとでもなるが、あんたが背負わなければならない責任を俺と姉さんになすりつけるな。そんなに空のやつに会いたいなら、スタンピードを片付けてから好きなだけ会いにいけばいいだろう」
それなら文句はいわない、とクリムトはせせら笑う。
クリムトもクライアもゴズの私的な家臣ではない。ゆえに、ゴズの私的な感情や私的な行動に付き合う義務はない――言葉こそ乱暴だったが、クリムトの意見はきわめて正論であり、ゴズは苦笑しつつうなずいた。
たしかに個人的な感情を排して考えるならば、今はスタンピードに注力すべきだろう。ゴズがクリムトの立場でも同じように考えたに違いない。
自分の発言を取り消そうと口を開いたゴズだったが、それより早くに口を開いた者がいた。
クリムトの姉クライアである。
「それならば、司馬の分担分は私が引き受けましょう」
「は? 姉さん、何をいって……」
思わぬ姉の言葉にきょとんとするクリムト。
ゴズも意外に思い、右の眉をあげてクライアを見た。
「よいのか?」
「はい。クリムトは私的な行動といいましたが、私はそうは思いません。あのギルドの方々が話したソラなる冒険者が、本当に私たちの知っている空殿だとしたら、慈仁坊殿の死にも関わっている可能性がございます」
「……む」
クライアの言葉にゴズはうなる。
空が心装を会得したかもしれないと考えたゴズだったが、そのことと慈仁坊の死を結びつけることはしなかった。
御剣家の嫡子だった空が青林旗士を討つはずがない、と無意識のうちに考えていたからである。
だが、鬼ヶ島を追放されてから五年。空の人柄が変わっている可能性は十分に考えられる。
それに、心装使いである慈仁坊が、素人というべきドラグノート公に討たれたという結果よりは、同じ心装使いである空に討たれたという結果の方が、ゴズたちとしても得心がいくというものであった。
「それに、これから冒険者ギルドの指揮下で動くのならば、一度はイシュカにおもむいてエルガートというギルドマスターと話す必要があるでしょう。向こうが一方的に命令を下すような関係にならないためにも、これは必要なことです。ただ、そのために私たち三人が同時に動けば防衛線に穴をあけてしまう。ゆえに、ここは司馬に代表として話をつけてきていただきたく存じます」
そして、その際に空について調べる分には何の問題もない。クライアはそういった。
「そうよね、クリムト?」
にこりと微笑むクライアのこめかみに、クリムトは複数の怒りマークを幻視した。
クライアは、今しがたの上席に対する弟の態度に看過できないものを感じたようだった。この姉は怒らせると怖いと知っているクリムトは内心でひるむ。
くわえて、先の受付嬢たちに「自分たちに指図するなとエルガートに伝えておけ」と宣言したのは他ならぬクリムトである。その発言に沿った姉の提案だ、うなずく以外に選択肢などなかった。
「……まあ、それなら文句はないよ」
「他にもいわなければならない言葉があるでしょう?」
「………………申し訳ありません、司馬。言葉が過ぎました」
「私からもお詫びいたします。弟の無礼をお許しください」
そういって深々と頭を下げるクライアと、明らかにふてくされながらも姉にならうクリムト。
いつもどおりといえばいつもどおりのベルヒの姉弟の姿に、ゴズは苦笑するしかなかった。