第七話 生餌
「……ここ、は……?」
気がついたとき、どことも知れない場所で横たわっていた。
二度と目覚めないことも覚悟していただけに、助かったのではないかという希望が胸をよぎる。
あたりは真っ暗で状況がつかめないが、少なくとも蝿の王の気配はない。
その事実に安堵しながら、上半身を起こそうとした。
だが。
「……う?」
身体が動かなかった。強い痺れが手足の動きをさまたげている。
かろうじて首から上だけは自由にできたが、首から下は指一本満足に動かせない。
かつて感じたことのない感覚にぞっとした。
ぞっとするといえば、どこからか聞こえてくるこの音は何だろう?
バキバキと硬い何かを砕く音。
グチャグチャと柔らかい何かを咀嚼する音。
ジュルジュルと粘つく何かをすする音。
なぜか寒気のする音だった。
何も見えないことが、かえって恐怖心を刺激する。
必死で身体を動かして音の発生源から離れようとしたが、しびれた身体はぴくりとも動かない。
と、そのときだった。
闇に包まれていた視界に、不意に光が差し込んだ。
それは頭上から降りそそぐ月の光だった。
月明かりに照らされて、今いる場所の全貌が明らかになる。
ちょっとした屋敷ならすっぽり入りそうな巨大な空間。ゴツゴツとした岩肌に人の手が加えられた形跡はなく、自然にできた洞穴だと思われた。
ただ、洞穴といっても出入り口となる横穴は見あたらない。
ここから出ようと思えば、頭上にぽっかりとあいた穴から出なければならないだろう。
月明かりをとりいれる採光口ともなっているその穴は、こうして見あげているとずいぶん小さく見える。
だが、それは地面からかなりの距離があるせいだ。飛行能力でも持たないかぎり、自由な出入りはむずかしいだろう。
見方を変えれば、ここを利用しているのは飛行能力を持ち、なおかつ出入りに際してあれだけ巨大な穴を必要とする存在だということになる。
つまりは――
「…………蝿の王の巣か」
うめくようにつぶやく。
助かったのではないか、という期待が砂のように胸中からこぼれおちていく。
いや、それよりも、ここが蝿の王の巣ということは、先ほどから聞こえてくる音の正体は――
おそるおそる、首だけを動かしてそちらを見やる。
見れば後悔するとわかっていたが、見ないという選択肢は選べなかった。
そして、予想どおりに後悔に襲われた。
「…………ひ」
そこにいたのは一人の冒険者。おそらくルナマリアが言っていた消息不明の冒険者の一人だろう。
凄惨な姿だった。
両腕は肘より上、肩口近くまで失われている。
両足は膝より上、太ももあたりまでなくなっている。
白い骨と赤茶けた肉がむき出しになった傷口に、無数の蛆蟲がびっしりと張り付いていた。
こぶし大のモノから指先大のモノまで、数も知れぬ蛆蟲が競うように傷口にたかり、骨を噛み、肉を喰らい、血をすすっている。
「……ひぃ!?」
おぞましいのはそれだけではない。その冒険者は鼻から、口から、耳から、米粒ほどの大きさの蛆蟲をあふれさせていた。
無事なのは両の目だけ。そう思った次の瞬間だった。
――目が合った。
恐怖と絶望のきわみ、発狂寸前の光を浮かべながら、しかし、たしかに向こうはこちらの存在を認識していた。
その証拠に、冒険者は両の目を大きく見開き、何かを伝えるべく口を開いたではないか。
……口から出てきたのは言葉ではなく、大量の蛆蟲だったが。
「ヒィィィ……ッ!」
生きているのだ。四肢を喰われ、鼻を、口を、耳を犯されて、なお意識を保っているのだ。
蝿の王は生きたまま獲物を捕らえ、巣に連れ帰って幼虫のエサとする。
そして、蝿の王の幼虫は、その生餌を殺さないようにじわじわと、じわじわと、溶かすように咀嚼していく。
資料で読んだ情報はまぎれもない事実だった。
眼前のおぞましい光景は、少し未来の自分自身に他ならない。
その事実を認識した瞬間――
「ヒィアアァァアアアアッ!!!」
耐えきれずに絶叫する。
それを合図にしたように、周囲の蛆蟲が一斉に躍りかかってきた。