第七十三話 ギルドからの招請
なかば抱きかかえるような体勢で、スズメと共に森に分け入っていく。
当初はジライアオオクスの実を収穫してから鬼人の里に向かうつもりだったが、今の状況と、スズメの心情を考慮して里に直行した。
そうして到着した里は――案の定というべきか、見るかげもなくなっていた。
そこにあったのは、かつて建っていた家々の残骸。黒こげになって焼け崩れた家があり、大型の魔獣に踏み潰されたとおぼしき家がある。元の形をのこしている家はただの一軒もなかった。
スズメはそんな家々を哀しげに見やりながら、里のはずれに向かって歩いていく。
どこにいくのだろうと不思議に思いながらついていくと、やがてスズメは小さな石塔が立ち並ぶ一画で足を止めた。
そこが鬼人族の墓であると気づいたのは、スズメが一つの石塔の前で膝をつき、目をつむって祈り始めてからである。
おそらく両親の墓なのだろう。以前に聞いた話では、父親はスズメが幼かったころに行方知れずとなり、母親も何年も前に亡くなっているそうだ。
いくら結界に囲まれていたとはいえ、ティティスの深域で子供がひとり生きていくのは大変なことだったろう。そのことは亡くなった母親もいやというほどわかっていたはずだ。
幼い娘を残していかざるを得なかった心境を思い、俺は自然と頭を垂れた。
――と、不意に俺の感覚に触れてくるものがあり、黙祷を中断して素早く周囲を見渡す。
殺到してくる複数の気配と咆哮。
人間の臭いに気づいたか、あるいはバジリスクのように鬼人の魔力に反応したのか。いずれにせよ、魔物が明確な意思をもって迫ってくるのがわかる。
……できれば、スズメが納得のいくまで両親への報告を続けさせてやりたかったのだが、そういうわけにもいかなくなった。
申し訳なく思いながらスズメに声をかけると、いつの間にか立ち上がってこちらを見ていたスズメが、こちらも申し訳なさそうな声で謝ってきた。
「ごめんなさい。やっぱり、迷惑をかけてしまいました」
「気にしないでいいよ。本気を出せば余裕で勝てるからな」
スズメが安心できるよう、せいぜい自信ありげにふるまってみせる。
実際、心装を使えば、スズメをかばいながらでも深域の魔物に勝てる自信はあった。
ただ、鬼人族の墓を魔物の血肉で汚すのはためらわれる。
ティティスの森の異常を自分の目で確かめる、という目的も果たせたことだし、ここは逃げの一手だろう。
できれば結界の一つも張ってスズメの両親の墓を守ってあげたいのだが、あいにく俺にそんな器用な芸当はできない――あ、そういえばミロスラフがスキム山で結界を張る道具を使っていたな。次に来るときはあれを持ってこよう。
そんなことを考えながら、俺は再びスズメを抱きかかえ、全身に勁を行き渡らせた。
◆◆◆
その後、スズメと共にイシュカの自邸に戻った俺はルナマリアたちの出迎えを受けた。
そして、思わず目をみはった。
ルナマリアたちに混じって予期せぬ顔が並んでいたからである。
「ティティスの森に関する情報を共有したい、とマスターが仰せです。ご足労をおかけして申し訳ありませんが、ギルドまでお越しいただけませんか?」
丁寧に頭を下げながら申し出てきたのは、冒険者ギルドの受付嬢リデルだった。
どうして俺がティティスの森に行ったことを知っているのかと疑問に思ったが、考えてみればクラウ・ソラスの巨体が人目につくのは当然のこと。
リデルはクラウ・ソラスがティティスの方向に飛び立ったことを知り、俺の家を訪ねたのだろう。
誰が冒険者ギルドなんぞと協力するか――そんな思考が脳裏をよぎらなかったといえば嘘になる。
用があるならそちらから出向け、とも思った。
ただ、リデルの態度は(内心はどうあれ)丁重なものだったし、ギルドマスターであるエルガートが、この異常事態にギルドを空けるわけにはいかないという事情は理解できる。
なにより先刻のスズメの姿を見た以上、過去の意趣返しと異変の解決を天秤にかければ、どうしたって秤は後者にかたむいた。
誰だって家族が眠る地は静かであってほしいものだ。
「承知した。すぐに向かえばいいのか?」
「え……は、はい。そうしていただければ、こちらとしても助かります」
即答すると、リデルは意外そうに目を丸くした後、あわてたように表情を改めた。
おお、いつも取り澄ました顔をしている受付嬢が慌てている。
おおかた、俺がしぶると予測していたのだろう。これはこれで意趣返しになったな、と内心で苦笑しつつ、俺はさっさとギルドに向けて歩き出す。
早足でついてくるリデルの足音が、うしろから追いかけてきた。
久しぶりに足を踏み入れた冒険者ギルドの建物は大勢の人間でごった返していた。
ギルドの職員服を着たリデルが先を歩くと、それに気づいた冒険者たちが道をあける。その際、リデルの後ろを歩く俺に気づいて驚く者もいたが、声をかけてくる者はいなかった。
俺としても、別に再会を喜びたい相手はいない。
客室とおぼしき一室に俺を案内したリデルは「すぐにマスターに報告してきます」といって退出していった。
さて、どのくらい待たされるのかな、と皮肉っぽく考えていると、すぐに扉がトントンと叩かれる。リデルが出て行ってから三十秒と経っていない。
さすがに早すぎるだろうと首をかしげていると、入ってきたのはリデルとは別の受付嬢だった。
どこかで見た記憶がある顔だなと思い、すこし考え込む。そうして、すぐに思い出した。
蝿の王の巣から生還した際、最初に事情聴取をしたのがこの職員だった。名前はパルフェといったか。
落ち着いた物腰のリデルとは異なり、こちらはいかにも溌剌とした印象を受ける女性だった。年もリデルより四、五歳くらいは若そうである。
まあ、落ち着いていようが溌剌としていようが、俺への軽蔑を含んだ態度はどちらもかわらない。その点、態度を使い分けなくていいのは気楽である。
パルフェが持った盆の上には湯気のたちのぼるカップが置かれていた。どうやらお茶を出すくらいには歓迎されているようである。
……どうしても、ここに来ると皮肉な気分が先に立つなあ。
苦笑しつつ、出されたカップの中身を見やる。紅茶は澄んだ琥珀色をしており、ずいぶん良い茶葉をつかっている。添えられた焼き菓子も上品だ。
ほんの数ヶ月前、誰に惜しまれることもなく追い出された場所で、こんな出迎えを受ける日が来ようとは。あのときの俺に教えてやりたい。
そう思いつつも、俺は紅茶にも菓子にも手をつけなかった。
出されたものをすぐに食べるのは貧乏くさい――などと見栄を張ったわけではない。単純に、自分を除名したギルドが出すものに口をつけたくなかっただけである。
見栄というよりは意地だった。上に「つまらない」という形容詞をつけても可。
それを自覚していても、改めようとは思わなかった。
と、そんな俺を見てパルフェが明るく声をかけてくる。
「どうぞめしあがってください。一服盛ったりはしてませんから」
ぶふ、と口から変な声がもれた。
思わず半眼で新しい受付嬢を睨むと、パルフェはくすくすと笑いながら見返してきた。
「そのお菓子、女の子に大人気の『ククリ堂』の最新作なんです。受付嬢の職権を濫用して仕入れておいたんですよ」
人差し指を頬に添えて、いたずらっぽく言ってくるパルフェ。
お客様用の茶菓子は期限が切れると処分しなければならない。当然、処分するのはギルド職員である。なるほど、策士だ。意地汚いと言い換えることもできるが。
「ギルドの給料なら菓子の一つ二つ安いものだろうに」
「ふふ、自分のお金で買うお菓子と、職場の経費で買うお菓子は別物なんです。男の人におごってもらう食事にも同じことが言えますね」
そんなことをにこやかにのたまうパルフェ嬢。その視線が何か言いたげに俺の顔に向けられている。
…………これはあれか、じゃあ今度食事でもどうだい、と誘う場面なのか?
化粧も髪型も控えめなリデルと異なり、パルフェは受付として下品にならないぎりぎりのラインで自分を飾り立てている。ミロスラフの話ではけっこう上昇志向も強いようだ。
竜騎士であり、ドラグノート公爵ともつながりを持つ俺は、そんなパルフェのお眼鏡にかなったのだろうか。
………………いや、いやいや、これはそう、あれだ。好意をちらつかせておいて、いざ誘ったらこちらをバカにしてくるつもりに違いない。
ふん、その手には乗らんぞ!
まったく、魔物が出るのは街の外だけにしておいてほしいもんである!
そんなことを考えながら、相手の言葉をいなそうと口を開きかけると、再び扉が叩かれた。
入ってきたのは今度こそリデルだった。
リデルはパルフェがいることに驚きつつ、俺をギルドマスターの部屋まで案内すると告げてくる。
どうやらエルガートは報告を受けるや、すぐに時間を空けてくれたようだ。わずかでも待たせると俺が帰ってしまいかねない、と判断したのだろう。
リデルの言葉に応じて立ち上がった俺の胸には、何故だか安堵の感情がわきあがっていた。
書籍化にともなうたくさんの応援、祝福メッセージ
ありがとうございます!
この感謝の気持ちは更新という形で示していく所存!