第七十一話 変化
「丁重にお断りしておいてくれ」
王都ホルスの冒険者ギルドマスターが会いたがっている――ミロスラフに告げられた俺は、さして迷うことなくそう答えた。
それを聞いてミロスラフが目を瞬かせる。
「……よろしいのですか?」
「かまわない」
現在実行中である俺の計画は「平和的にギルドに喧嘩を売る」ことを主眼としている。
ギルド内の暗闘に加担してしまえば、それはもう平和的でもなんでもない。だから俺はここで静観を選んだ。
……まあ、エルガート(イシュカのギルドマスター)やリデル(受付嬢)の苦境を遠くから見物して「ざまあみろ」とせせら笑うくらいのことはしますけどね! このていどであれば「平和」の範疇から外れることはないだろう、たぶん。
もちろん、俺はただ字面にこだわって静観を選んだわけではない。今へたに動くと本命の計画がギルドに漏れる恐れがある。それを避けたかったのである。
その計画とはすなわち『平和的にギルドに喧嘩を売る方法(急)』
内容は、蝿の王との戦いにおいて『隼の剣』が俺をおとりにした一件を公表し、正式に謝罪させる、というものだった。
リーダーであるラーズはイシュカを留守にしているので、代理として謝罪するのは実行犯であるミロスラフ。
ミロスラフが『血煙の剣』に加わるのは、この一件の責任をとるためである――対外的にそう説明すれば、ミロスラフの行動の不自然さもぬぐえるだろう。
加害者が謝罪し、被害者が許す。実に平和的な解決だといえよう。
――さて。
事実が公表されれば、必然的にイシュカ冒険者ギルドとその職員が、今回の件でどういう言動をとったのかも明らかになる。
冒険者の評判を守るために道理をねじまげた者たちの面目は丸つぶれになるだろう。
だが、それは俺の知ったことではない。
俺はあくまで『隼の剣』と和解するだけだ。その結果、ギルドの面目がつぶれようと、恥をかこうと、あるいは他都市のギルドマスターから弾劾されようと、俺の関知するところではなかった。
エルガートにせよ、リデルにせよ、せいぜい「イシュカのために働く義務」を心に刻み、それにふさわしい行動をとってほしいものである。ふふふ。
今回の話を持ってきたミロスラフとしては、セルゲイとかいう王都のギルドマスターを利用することでイシュカ支部にとどめを刺せる、と考えたのだろう。
だが、そこまで踏み込むと俺の存在が前に出すぎてしまう。
あくまで平和的に。あくまで結果として。それでいて関係者には俺の意思が伝わるように――そう考えていくと、このくらいがちょうどいい塩梅だと思えた。
そう考えるに至った理由は他にもある。他でもない、鬼ヶ島のことだ。
慈仁坊の死が御剣家に伝わり、代わりの人間が派遣されてくるまで、まだしばらく猶予があるはずだが、それでもモタモタしてはいられない。
これ以上ギルドにかかずらわって時間を浪費するのは避けるべきだった。
「そういうわけで、ギルドに関してはしばらく様子見だ」
「かしこまりました、マスター」
俺の言葉にミロスラフがうやうやしく応じる。
ちなみにこの「マスター」はルナマリア言うところの「ご主人さま」ではなく「クラン『血煙の剣』の盟主」という意味だそうな。
あのミロスラフに丁寧に接されるだけでも落ち着かないというのに、公然と人前で「マスター」なんぞと呼ばれる日が来ようとは。蝿の王の巣に閉じ込めていた時でさえ、ここまで従順ではなかった。
正直、とても落ち着かない。尻がむずがゆい。
まさかミロスラフなりの「平和的に盟主に喧嘩を売る方法」ではあるまいな、と邪推してしまったくらいである。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、ミロスラフは落ち着いた声音で先を続けた。
「もうひとつ報告がございます」
「ん? なんだ?」
「わたくしの父が、一度盟主にお会いしたいと申しております。ご一考いただければ幸いです」
「サウザール商会の会長が? お前を助けた礼か?」
「当人はそう申しておりましたが、実際は盟主の人脈を欲してのことでございましょう。盟主は今回の件でエルベ伯爵と面識を得られました。王都ではドラグノート公爵とも誼を結ばれたとか。それを聞きつけてのことだと思いますわ」
「さすがに耳聡いな。お前としては応じてほしいわけか?」
「盟主の御心のままに」
男嫌い、父嫌いの魔法使いは冷静な口調で応じた。
「父としては『隼の剣』に代わる援助相手として盟主に目をつけたのでしょう。応じてくだされば、今後、父から援助を引き出しやすくなります。ただ、その対価として貴族との顔つなぎに利用されることも増えましょうから、盟主がそれを厭われるのであれば、断った方がよろしいと存じます」
「どちらでもかまわないと?」
「はい。わたくしは盟主の決断に従うのみです」
そう言って、ミロスラフはじっと上目遣いで俺を見つめた。
かつては嫌悪に彩られていた双眸が、今は正反対の感情に染まって潤んでいる。
そこにぞくっとするほどの色気を感じ、俺はごくりとつばを飲みこんだ。
以前のミロスラフは、緩やかに波打つ赤毛を胸のあたりまで伸ばしていた。その髪は一度、俺にさらわれた際に――正確には解放する際に――切り落としたのだが、今では再び肩にかかる程度まで伸びていた。
見慣れた相手の、見慣れない姿。
理由のわからない息苦しさを感じた俺は、その感覚を振り払うように強引にミロスラフを抱き寄せる。
――抵抗はなかった。
◆◆◆
『血煙の剣』に加わったミロスラフは、そのまま俺の家で暮らすようになった。
いちいち魂を喰らうたびに外出したり呼びつけたりするのも面倒だったので、俺がそのように計らったのだ。
当人もそのつもりだったようで、引越しはとどこおりなく終わった。
これにともない、クラン内の面々にも多少の変化がおとずれた。
俺が一番心配していたのはミロスラフとルナマリアの関係である。
……いや、心配というのはおこがましいな。なにせ、二人の仲を裂いたのは俺だからして。
俺の命令に従ってのこととはいえ、ミロスラフはルナマリアを奴隷に落とす片棒をかついだ。そして、ルナマリアもそのことに気づいている。
どうあってもぎくしゃくするだろうな、と予想していた。
ところが、予想に反して二人の間に諍いらしい諍いは起きなかった。同じ境遇にある者同士、感じるところがあったのかもしれない。
まあ、さすがに『隼の剣』にいた頃と同じように、とはいかないようだったが、二人の会話にトゲを感じることはなかった。
次にシールとの関係だが、こちらはおおむね良好といってよいだろう。
ミロスラフはシールに対して「クランの後輩」として礼儀ただしく接し、シールはミロスラフを「冒険者の先輩」として敬意をもって接しており、二人の間に問題はまったく起きなかった。
俺が一番驚いたのはミロスラフとスズメ、この二人の関係だった。
といっても悪い意味ではなく、良い意味での驚きである。
スズメが魔法使いであるミロスラフに師事するようになったのだ。
いつかも述べたが、鬼人族の角は希少なマジックアイテムで、豊富な魔力を秘めている。
この事実からもわかるように、角は鬼人の魔力生成器官。鬼人族はおしなべて強大な魔力を有しており、さらにいえば、二本角の女鬼人は、一本角の男鬼人よりも魔力値が高いらしい。これはミロスラフに聞いた話である。
つまり、スズメは生まれながらに優れた魔法使いの素質を有しているわけだ。
これまでそちら方面でスズメに注目しなかったのは、スズメを戦わせるつもりはなかったからである。
まずは人間の都市での暮らしに慣れてもらわなくてはならなかった、という事情もある。
そのスズメがミロスラフに魔法を習い始めたと聞き、俺は驚いた。しかも、それがスズメの方から望んだことだと聞いてさらに驚いた。
おずおずと事情をうかがいにいった俺に対し、スズメは額に汗をにじませながら――魔法使いにも体力は必要だというミロスラフの指導でランニングしていた――にこりと微笑んだ。
「私も、シールさんやルナさんのように、ソラさんのお役に立ちたいです、から」
お世話になってばかりでは心苦しい、とスズメは言う。
運動の妨げにならないように紺色の髪を頭の後ろで一つに束ねた姿はとても凛々しく、嫌々ながら事にのぞむ者特有の惰気はみじんも感じられない。
それはつまり、眼前の少女が心底俺のために行動しているということ。
俺は思わず口元をおさえ、スズメから顔をそむけた。
……く! なんて良い娘なんだ。スズメを助けると決めた過去の俺よ、お前は間違っていなかった!
こっそり感涙を流していると、困ったようなスズメの声が耳朶を打った。
「……あの、ソラ、さん?」
「お、おう!? な、なにかね!?」
「あの、訊きたいことはそれだけです、か?」
それならランニングを再開したい、とスズメは申し訳なさそうに言い添える。
俺はこくこくこく、と高速で首を縦に振った。
「ああ、これだけだ! 邪魔をしてごめんな!」
「いえ、邪魔なんてとんでもない、です。お役に立てることがあったら、いつでも、声をかけてください」
そういうと、スズメはぺこりと頭を下げてからランニングを再開した。
もしスズメがイシュカの街並を走るつもりならこっそり護衛するところだが、スズメは家の敷地内をぐるぐるまわっているだけなので護衛の必要はなさそうだ。
いっそ俺もランニングに付き合おうかと思ったが――うん、それをすると間違いなく気をつかわせるな。ここはささっと退散するのが正解でしょう。
俺は家の中に戻り、しばし考え込んだ後、足早に風呂場に向かった。
訓練を終えたスズメが、すぐに湯を使えるようにしておいてあげよう。そう考えてのことだった。