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第六十一話 王都襲撃



 煌々(こうこう)と輝く月が王城の尖塔にかかる時刻、ドラグノート公爵邸にはいまださめやらぬ興奮の余韻よいんが漂っていた。


 クラウディアが回復――快癒かいゆと呼べるレベルの驚異的な復調を果たしたその日の夜のことである。


 長らく伏せっていた次女の快復は父公爵や姉アストリッド、それに公爵家に仕える者たちを歓喜させるに十分な出来事であった。


 かわりに、その奇跡を成し遂げた恩人ソラが伏せってしまったことは公爵たちに一抹いちまつの不安を残したが、公爵家の侍医やエルフの精霊使い(ルナマリア)によれば、重度の疲労によるもので、休息をとれば問題ないとのこと。


 これを聞いてドラグノート公もアストリッドも、そして快復したクラウディアも胸をなでおろした。 



 その後、公爵邸ではささやかな宴がとり行われた。


 宴といっても常の夕食をすこし豪華にしただけで、眠っているソラに配慮して鳴り物さえ用いなかったが、それでも十分すぎるほど盛り上がってしまったのは、それだけクラウディアが公爵家の人々に愛されていた証であったろう。


 常は謹直、謹厳、謹厚で知られるドラグノート公や娘であるアストリッドも、普段は口をつけない、あるいはつけたとしても一口、二口程度のブドウ酒をさかんに口にし、頬を赤く染めていた。


 この一年、突如としてクラウディアに襲いかかった呪いのため、心身をすり減らしていた二人にとって、今日という日は文字どおり夢にまで見た奇跡。


 使用人や、公爵家直属の騎士たちにとっても事情はさしてことならぬ。


 カナリア王国筆頭貴族の邸宅で行われた宴は、壁や門扉をこえて隣家や通りに届くことこそなかったが、充溢じゅういつした喜びはこの夜の王都で一番のものだったに違いない。




 このまま一日が終われば、この日は公爵家の歴史の中でも指折りの吉日として記憶されることになったであろう。


 だが、しかし。


 王都を飲み込む災厄が顔をのぞかせたのは、まさにこの夜のことであった。




◆◆◆




「も、申し上げます!!」



 その声を聞いた瞬間、それまでほろ酔い状態で椅子に腰かけていたアストリッドの意識は一瞬で覚醒した。


 すでに夜も更け、クラウディアは自室に引き取っている。アストリッドもそろそろ眠りにつこうかと考えていたところだったが、眼前の兵士の顔を見ればそんな思考は吹き飛んだ。


 危機感に満ち満ちた声と表情は、戦場で真後ろから奇襲を受けたかのようで、自然とアストリッドの顔が引き締まる。



「何事ですか?」



 つとめて落ち着いた声を発しながら、アストリッドは椅子から立ち上がる。


 駆け込んできた者の顔を見れば、運悪く今夜の門衛を務めている兵士の一人だった。


 どうしてそれを知っているかといえば、宴の最中、アストリッドが手ずから酒肉を差し入れたからである。


 公爵令嬢みずからの差し入れを受け取り、感謝と感激で顔を赤らめていた兵士の顔は、今、死者のそれのように土気色に変じていた。


 兵士があえぐような声で報告する。



「しゅ、襲撃です! 国立霊園からあふれ出したアンデッドモンスターが、大挙して家々に襲いかかっているよし! 間もなくこちらにもやってくるものと思われます!」


「……アンデッドモンスター?」



 兵士の言葉にアストリッドが眉をひそめる。凶報は予測していたが、その内容は予想外だった。


 王都ホルスに限らず、大きな街の墓地には例外なく神殿による結界が張られている。


 これは死霊術ネクロマンシーによる騒動を未然に排するための措置だ。


 ことに国立霊園の結界は法の神の神殿が、その威信をかけて百名以上の神官、司祭を動員して築き上げたもの。これを打ち破るには、それこそ百名以上の死霊術師ネクロマンサーが必要になるはずだった。


 と、考え込むアストリッドの横から、別人の声が飛んだ。



「だれぞ、アンデッドの姿は確認したのか?」



 そう言ったのはドラグノート公パスカルだった。物慣れた貴族らしく、一瞬で酔いを払って兵士に詳細を問いただしている。



「は! 霊園から逃げてきたという老人から話を聞き、この目で確かめて参りました! すでに大通りにはかなりの数の亡者が溢れかえっております!」


「亡者の数は」


「百や二百ではありませんでした。最低でも千以上。もし、大通り以外にも溢れているとしたら、総数は十倍を超えるやも知れませぬ!」


「報告ご苦労。急ぎ持ち場に戻り、門扉を守るように兵士たちに伝えよ。すぐに増援を差し向ける」


「かしこまりました!」



 敬礼した兵士が駆け足で飛び出していく。


 この頃になると、公爵邸の面々は誰もが酔いを払って公爵の命令を待ち受けていた。


  ドラグノート公は彼らと娘を従えて邸宅を出た。


 とにかく外の様子を確かめるのが先決だと考えたからだ。


 そして、自邸から一歩外に出た瞬間、ドラグノート公は事態の異常さを実感した。





 ぞくり、とドラグノート公の肌が粟立あわだった。


 強烈な悪寒と、えたような異臭。すでに季節は夏を迎えているというのに、冬に逆戻りしたかのように足元から冷気がたちのぼってくる。


 アストリッドが顔をしかめて父に声をかけた。



「父上、これは……」


「なんとも底冷えのする魔力よな、邪気とでも言おうか。それにこの死臭。やはり敵は死霊術師ネクロマンサーか」



 そう口にするドラグノート公の顔は険しい。


 死者をもてあそぶようなやからだ。よからぬ思惑を秘めているのは間違いない。


 だが、それにしてもここまで強烈な気配をかもし出すとは、尋常な相手ではあるまい。その確信が公爵の顔に険しさをもたらしていた。


 と、そのとき、邸宅の方向から二人を呼ぶ声がかけられた。



「父上、姉上!」


「クラウ!?」



 アストリッドが驚きの声をあげる。


 その言葉どおり、そこには部屋に引き取ったはずの妹の姿があった。


 その妹がどうしてここに来たのか――クラウディアの性格を考えれば予測はたやすい。


 アストリッドは反射的に口を開いた。



「クラウ、あなたは――」


「家に引っ込んでいろっていうのはなし! 父上はすぐに王宮に向かわなきゃいけないし、姉上だって街を守るために出撃しなきゃいけないかもしれない。そうなったら、この家を守るのはボクの役目でしょ?」



 どうやら邸内のメイドからおおよそのことは聞いたらしく、クラウディアはすでに状況を把握していた。


 そして、その指摘は正しい。


 ドラグノート公には重臣としての、アストリッドには竜騎士としての役割がある。


 父と長女は思わず顔を見合わせ、互いの顔に同じ答えを見つけて、期せずして同時にため息を吐いた。


 かくて、ドラグノート公爵家が打ちそろって正門に到着したとき、すでに大通りの騒動は誰の耳にも届くほどになっていた。




 風に乗って響き渡る人々の悲鳴と、亡者の咆哮。すでに火事も起きているらしく、夜空を焦がす赤い光が各所に見える。


 幸い、火事の規模はまだ大きなものではないが、亡者の発生によって消火活動がままならない今、夜風に乗って火の粉が広がれば、王都を燃やし尽くす大火災に発展しかねなかった。



「急ぎ、街にさまよい出た亡者を掃討し、火を鎮めねばならぬな。それに国立霊園だ。亡者の発生源が本当にあそこなら首魁しゅかいがいる可能性が高い。そちらにも兵を差し向けねばならぬ」



 ドラグノート公が言うと、アストリットは賛意を示した。



「はい。ですが、我が家の兵だけではとうてい足りませんね。父上は騎竜で王宮へ向かい、陛下から近衛の出動許可をとってください。その間に私は自分の竜で霊園へ向かい、敵の居場所を探りましょう」


「うむ。重々気をつけよ。これほどの規模の術だ。敵は一人二人ではあるまい」


「承知しております。クラウは私がいない間、留守を守ってちょうだいね」


「はい!」



 クラウディアが姉の言葉に大きくうなずいた時だった。


 不意に時ならぬ哄笑が響き渡って、その場にいる者たちを驚かせた。



「ヒヒヒヒ! この声、この気配。これはこれは……本当に快復しておる」



 どこか聞き覚えのある声に振り返れば、そこには琵琶を抱えた一人の老爺が、公爵邸の壁に寄りかかるようにして座っていた。


 この状況で愉しげに笑う老爺を見て、ドラグノート公やアストリッドが怪訝そうに眉をひそめる。


 ただひとり、老爺の顔を見知っていたクラウディアが怪訝そうに声をかけた。



「お爺さん? どうしてここに」


「……クラウ。この方は?」


「えっと、国立霊園で、亡くなった人たちのために曲をかなでてくれている人です」


「曲? ああ、もしかして、さっき報告にあった霊園から逃げてきた老人というのは――」


「ヒヒ、さよう、拙僧のことですじゃ。ま、正確にいえば逃げてきたのではなく、攻めてきたのですがの。逃げてきたと判断して邸内に入れたは手落ちであったよ、アストリッド・ドラグノート」



 言って、老爺はベベンと琵琶をかき鳴らす。その瞬間、耳にキンと異音が走ってアストリッドは顔をしかめた。


 顔をしかめた理由の中には、名も知らぬ老人に名前を呼び捨てにされた不快感も少しだけ含まれている。


 この無礼にアストリッド以上に怒りをあらわにしたのは、周囲にいた公爵家の兵たちであった。彼らは血相をかえて老爺を取り囲む。


 だが、目が見えないからか、それとも兵士たちをまったく脅威と認識していないのか、老人の態度はかわらなかった。


 アストリッドは無意識のうちに腰の剣に手をかけながら、再度口を開く。



「せめてきた――攻めてきた? それは攻撃を仕掛けてきたという意味ですか、ご老人?」


「さよう、さよう。音曲をもって荒ぶる神を祭り鎮め、人にあだなす悪霊を祓い清めるが我が生業。そして、穏やかな神を猛り狂わせ、静かに眠る死者を呪い汚すも我が生業。王都にあふれ出た亡者ども、これすべて拙僧の所業なり」



 ここでドラグノート公がはじめて老爺に声を向けた。



「たわけたことを。そなたがどれだけの使い手であれ、ただ一人で霊園に施された結界を破ることなど不可能だ。ご老人、そなたのような流浪の楽師は顕揚けんよう欲のため、時にあらぬ放言を吐く。それは承知しているが、だとしても時と場所をわきまえることだ。今この場での放言は懲罰のムチを招くことになるぞ」


「ヒヒヒヒ! 結界、結界か! なるほど、たしかになかなかのじゅが込められていたが、しょせんは大陸の術師がこしらえたもの。レベル二十や三十のこわっぱが何十、何百集まろうと、拙僧の術を阻むことなどできもうさん! 拙僧のレベルは七十三じゃぞ?」


「……狂人であったか」


「ヒヒヒヒヒヒヒヒ! 音に聞こえた『雷公』パスカル・ジム・ドラグノートもしょせんは井の中のかわずであったか。目の前に己を超える強者がいるのに気づきもせず、認めもせぬ。この程度の男が最強とは、カナリア王国はまこと産湯うぶゆのごとき生ぬるさよ!」



 それを聞いて激怒したのはドラグノート公ではなく、公に仕える兵士たちの方であった。


 さすがに枯れ木のような手足の老爺を斬ろうとはしなかったが、それでも打擲ちょうちゃくの一つでもしてやらねば気が済まぬと、数人の兵士が鞘ごと剣を振りかざす。


 これに対し、老爺は唇をねじまげて甲高く琵琶をかき鳴らした。


 その途端。



「がああああッ!?」



 兵士たちが悲鳴をあげて両耳をおさえ、その場に倒れこんだ。


 老爺がさらに二度、三度、琵琶を爪弾くと、耳をおさえているにもかかわらず、兵士たちの身体がびくびくと跳ねる。




 これにより、老爺を敵と見切ったドラグノート公とアストリッドが同時に動く。


 アストリッドのレベルは三十七、ドラグノート公にいたっては五十に届こうかという高レベル。その二人の本気の斬撃を、しかし、老爺は苦もなく防ぎとめた。



「『は不落のとりでたり――瓦崗寨がこうさい』」



 それは第八(けん)に相当する土の正魔法。


 老爺を守るように現れた黒壁にドラグノート父娘の斬撃はあっさりと弾き返される。


 ドラグノート父娘の口から驚愕が漏れた。



「な……第八(けん)の魔法だと!?」


「それも詠唱をはぶくとは……」


「ヒヒヒ、言ったであろう? うぬらの前にいるのは、うぬらを超える強者であると。たとえご自慢の竜を連れてきたところで、拙僧には傷ひとつ付けることはかなわぬと知れ」



 言って、老爺は激しく琵琶を奏ではじめた。


 まるで弦を引きちぎろうとしているかのような乱雑な演奏。


 老爺はいっそ優しいと言える声音で、その場にいる者たちすべてに告げた。



「これはうぬらに捧げる鎮魂歌。拙僧から贈る死出のみやげである。存分に堪能するがよい――心装しんそう励起れいき



 ――泣き叫べ、死塚しづか御前ごぜん




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