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第五十二話 ドラグノート公爵家



 カナリア王国は、国土だけを見れば東のアドアステラ帝国の三分の一にも満たない小国である。


 領内にティティスの森、スキム山、カタラン砂漠といった魔獣の生息地を抱えているため、その被害も後を絶たない。


 しかし。


 それでも王都ホルスには多くの人々が訪れ、活気が絶えることはなかった。




 もちろんこれには理由がある。


 魔獣の被害が多いとはいっても、それはあくまで辺境でのこと。イシュカやベルカといった諸都市により、魔獣の浸透は最小限に抑えられており、城壁の中で生活しているかぎりは魔獣など影さえ見ることはない。


 都市から都市へと渡り歩く商人にしても、正規の街道を進んでいるかぎりはそうそう危険な目に遭わないとわかっている。


 カナリア王国は、北は海に、西は大砂漠に面しているため、隣国と呼べるのは東のアドアステラ帝国と南のカリタス聖王国のみ。ここ数年はその両国との関係も良好であり、他国に侵攻される恐れもない。


 王都ホルスが繁栄している所以ゆえんであった。




 もっとも、光が強ければ影が濃くなるのは道理で、繁栄する王都にも暗い影が忍び寄っている場所は存在する。


 そのうちの一つが王都の中心部に位置するドラグノート公爵邸であった。




 ドラグノート公爵家はカナリア建国から続く名門であり、王国一の大貴族であり、王家の藩屏はんぺい


 カナリア王国に暮らす者でドラグノートの名を知らない者は一人もいないだろう。


 ことに今代当主であるパスカルの令名は高く、竜騎士団を率いる『雷公らいこう』の名は他国にまで轟いている。 



 そのパスカルには二人の娘がいた。長女をアストリッド、次女をクラウディア。


 長女のアストリッドは竜騎士として優れた才覚を示し、竜騎士団の副長を務めている。この頃は、活動の場を王宮に移しつつある父にかわって『雷公』と呼ばれることも増えた。


 そのアストリッドは、現在、重苦しい表情で玄関前を行きつ戻りつしていた。


 ややあって、公爵邸の門前に一台の馬車が止まる。父パスカルが王宮から戻って来たのだ。


 早足で駆けつけたアストリッドは、馬車から降りた父の顔を見た瞬間、すべてを察して暗い顔でうつむいた。




「……父上、やはり?」


「ああ……陛下から直々に言い渡された。アザール殿下とクラウの婚約は白紙に戻すとのことだ」


「ッ……ようやく毒を断つ目処めどが立ったところではありませんか! もう少し時間をかければ、きっと!」


「わしもそう申し上げたのだがな……一年待った、これ以上は待てぬとの仰せだ」


「ですが!」


「それに、毒が抜けようとも、肝心の呪いが解けぬでは子をなすこともできぬではないか、と仰せでな……」


「それは……ッ」



 父の言葉にアストリッドは口惜しげに拳を握る。





 アストリッドの妹であり、王太子アザールの婚約者でもあったクラウディア・ドラグノートは、今、原因不明の呪いに侵されている。


 時を問わず、所を問わず、全身が激痛にさいなまれる呪い。いかなる魔法も奇跡も効果がなく、解毒薬、治療薬も、さらには苦心して取り寄せた万能薬エリクシールでさえ効き目がなかった。


 ――いや、正確に言えば効き目がなかったわけではない。苦痛を一時的に去らせることはできた。


 だが、時を置くと呪いは再発した。何度でも、何十度でも。




 クラウディアは明るく、ほがらかで、活動的な女の子だった。母親が亡くなったとき、まだ幼かったにもかかわらず、周囲を心配させないために唇をかみ締め、涙をこらえるくらいに心が強い子でもあった。


 だから、はじめは呪いにもあらがってみせた。心配する父や姉に、これくらいボクはへっちゃらだよ、と懸命に微笑んで見せた。



 しかし、呪いはそんなクラウディアをあざ笑うように、少しずつ、少しずつ、強化されていった。


 一の痛みを耐えれば二の痛みを。二の痛みをこらえれば三の痛みを与えてきた。


 三、四、五、六……幼い少女をなぶるように呪いは段階的に強くなり、それはクラウディアが泣き叫ぶようになってからも止まらなかった。




 痛みに屈し、心が折れ、ついには涙ながらに「殺して、殺して」と訴えるようになったクラウディアを見て、父と姉は決断せざるを得なかった。


 クラウディアを苦痛から解き放つため、タナシア草でつくられた鎮痛薬を使ったのである。


 この鎮痛薬は強力だったが、反面、身体に重い負担をかけるもの。はっきり言ってしまえば、死を避けられない重傷者、重病人が安らかに死ぬための薬だった。


 まちがっても十二、三歳の女の子に使うものではない。


 だが、他のあらゆる薬が効かなくなったクラウディアは、放っておけば苦痛のあまり狂死していただろう。他に手がなかったのである。




 結果、クラウディアはかろうじて生をつなぐことができた。


 しかし、タナシアの鎮痛薬でも痛みを完全に消すことはできず、一方で薬に含まれた毒が沈殿した身体は一日ごとに衰えていく。


 日々やせ細っていくクラウディアを助けるため、パスカルアストリッドは懸命に解決策を探したが、高名な薬師も、高徳の司祭も、クラウディアを救うことはできなかった。


 万策尽き、アストリッドは膝をつきかけた。


 まさにそのときだった――糸目小太りの商人がドラグノート公爵邸をおとずれ、見慣れない果実を差し出したのは。




 ジライアオオクス。蛇の王(バジリスク)の毒でさえ消し去る、大いなる解毒の効能を秘めた木の実。




 アストリッドにせよ、パスカルにせよ、フョードルと名乗ったその商人の言葉をすぐに信じたわけではない。


 むしろ疑ってかかった。


 だが、追い返すには、ドラグノートの父娘はあまりに追い詰められていた。


 だから、藁にもすがる思いで妹にその実を食べさせたのである。




 効果は劇的だった。


 クラウディアを蝕む呪いと毒のうち、少なくとも毒の影響は目に見えて小さくなったのである。


 アストリッドたちが歓喜したことは言うまでもない。


 根本的な問題は解決していなかったが、少なくとも妹の命が今日明日にも尽きるような状況は遠ざけられた。


 ジライアオオクスの実さえあれば、タナシア草のリスクを最小限におさえることができる。


 妹の苦痛を抑えている今のうちに、改めて呪いの原因を探り、突き止めるのだ。そうすれば妹をすべての桎梏しっこくから解き放つことができる。



 ――アストリッドがそう考えていた矢先の、王太子の婚約破棄であった。



◆◆◆




 王家の血統を絶やさないように計らうのは国王の義務である。今のクラウディアはとうてい子供を産める状態ではなく、今後、体調が回復する見込みも立っていない。


 そんなクラウディアを王太子の妻に迎えることはできない、という国王の考えを否定することはできなかった。


 クラウディアをむしばむ呪いが王太子に及んでしまうかもしれないとなれば、なおのこと。


 だが、今回の婚約破棄にはそれ以外の思惑も絡んでいた。



「帝国派はすでにクラウに代わり、サクヤ姫との婚姻を進めている」



 苦々しい父の声に、アストリッドも同じ声音で応じた。



「アドアステラの第三皇女ですか……かの国との婚姻は、求めて侵略者を招きいれるようなもの。帝国派はどうしてそのことがわからないのでしょう」


「さて、わかっていないのか、それともわかった上で事を進めているのか……」




 パスカルの声から苦みが消えることはなかった。


 ドラグノート公爵の名声は高く、娘を将来の王妃に望まれるほどに国王の信頼も厚い。


 パスカルは一身に国の栄誉と国王の寵愛を担っている。




 だが、そうなると周囲が嫉視するのも当然のことで、帝国派と呼ばれる一部廷臣は、アドアステラ帝国の後ろ盾を得ることで、ドラグノート公爵に対抗しようと策動していた。


 今回のことは間違いなくその一環であろう。


 こうなると、クラウディアの呪いも帝国派の関与を疑いたくなるのだが、そちらに関してはどれだけ探っても何も出てこなかった。


 パスカルは重い口を開く。



「……どうあれ、備えはしておかねばならぬ。しばらく、わしは王都から動けなくなろう。すまぬが竜騎士団のことはお前に任せるぞ。さしあたってイシュカの件だな。自力でワイバーンを手なずけた若者がいるというのは、なかなかに信じがたい話だが」


「事実ですよ。なにしろ私はこの目で確認しましたからね。目の前で藍色インディゴ翼獣ワイバーンを見たときの父上の反応が今から楽しみです」


「正直、その点についてはいまだに信じられぬのだがなあ……わしがあれだけ苦労して果たせなかった藍色インディゴ翼獣ワイバーンの懐柔。いったいどうやって成し遂げたというのか。まことであれば是非とも秘訣を聞きたい――いいや、聞かねばならん。我が三十年来の悲願を果たす機会だ。ここは秘蔵の三十年物の白の封を開けてでも話を聞きださねば」



 直前までの重苦しい表情を捨て去り、しきりに意気込む父を見て、アストリッドはかすかに唇をほころばせる。


 妹のこと、王宮のこと、帝国のこと。どちらを見ても難事ばかりで目がくらむ思いだが、公爵家の当主である父は自分よりもはるかに強い重圧に晒されているはず。


 今このときくらい、目の前の難事を忘れて趣味に思いを馳せてもバチは当たるまい。


 父のこの反応を引き出せただけでも、あの青年と話した甲斐はあった――フョードルに礼を述べに行った際に出会った青年の顔を脳裏で思い起こし、アストリッドはもう一度唇をほころばせた。




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