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第四十六話 イリア①



「……ラーズ。帰らないって、それ、本気で言ってるの?」


「ああ、俺は村には帰らない。そんなことより、俺はもっと強くならなくちゃいけないんだ!」



 大真面目な顔で断言する幼馴染をみて、イリアは思わずという感じで声を高めた。



「そんなこと!? 私たちの村に疫病が発生したことが『そんなこと』なの!? 私たちの家族が暮らしている場所なのよ!?」



 イリアの語気に押されたようにラーズが身体をのけぞらせる。


 かすかに面差しを伏せたのは、すくなからず自分の言動に罪悪感を覚えている証拠だろう。


 それを見て取ったイリアは、ラーズに前言を撤回させるべく、さらに言葉を重ねようとする。


 そのとき、赤い影がすっと二人の間に割って入ってきた。


 ミロスラフである。



「イリア、落ち着いてください。疫病といっても、すでに原因は判明しており、特効薬もつくられているのです。ラーズもそれが分かっているから、今すぐ帰る必要はないと言っているのですわ」


「特効薬があるからって、被害が出ていないわけではないわッ」



 イリアは鋭い眼差しでミロスラフを睨む。


 このところ、イリアはミロスラフに対して小さくない不満を抱えていた。


 他でもない、ラーズのことだ。


 ルナマリアを賭けた勝負でソラに負けてからというもの、ラーズは明らかに精彩を欠いていた。これまで挫折らしい挫折を経験したことのないラーズにとって、先の一件は割り切るには大きすぎ、忘れるには重すぎたのだ。


 ギルド内で冷たい視線や嘲笑を浴びせられることも増えた。


 明らかに酒量が増えたラーズを見かねて、イリアは何度も発破をかけ、奮起を促しているのだが、そのつど決まって邪魔をしてくるのがミロスラフだった。


 ミロスラフはラーズの弱さを責めず、愚痴を受けとめ、甘えたいだけ甘えさせた。


 イリアにしてみれば、それは菓子を食べたがる子供に好きなだけ菓子を食べさせる行為と同じである。

 子供は喜ぶだろうが、子供の健康にはよろしくない。大人であれば、心を鬼にして子供から菓子を取り上げなければならないのに、ミロスラフはそれをしない。


 イリアが注意しても「ラーズもつらいのですから」と微笑むばかり。


 それゆえ、このところイリアとミロスラフの仲はうまくいっていなかった。




 そんなとき、カナリア王国で疫病が発生する。


 主にケール河――ティティスの森を水源とした河川――流域で発生した奇病の原因は、森に出現した蛇の王(バジリスク)であった。


 正確にいえば、バジリスク本体ではなく、バジリスク出現によって生じた腐海の毒が原因である。


 水源たる森に腐海が出現すれば、河川の水が腐毒に侵されるのは自明の理。


 深域に発生した腐海の根絶は容易ではなく、ケール河流域の街や村に多くの病人を生み出す淵源となっていた。


 そして、そういった村の一つにラーズとイリアの故郷が含まれていたのである。


 イリアは目の前のミロスラフに、そしてその後ろにいるラーズに対し、目を怒らせて言う。



「特効薬ができたといっても、今すぐ国中の病人にいきわたるだけの量はないわ。体力のない人は間に合わない可能性だってある。それに、間に合ったとしても、いちど病にかかった身体が元に戻るまでにはどうしても時間がかかるわ。その間、畑仕事はどうするの? 畑だけじゃない。村を守る人手が少なくなれば、魔獣や盗賊が狙ってくることもありえるのよ」


「たしかに、十分に考えられますわね」


「そうよ! だから、私たちが帰らなくちゃならないの! ラーズ、あなた、家族が心配じゃないの!?」


「心配に決まってるだろう!」


「だったら!」


「でも、いま帰るわけにはいかないんだッ!」



 ラーズの怒鳴り声に、今度はイリアの方が顔をのけぞらせた。


 何かと感情をおもてに出すラーズであるが、面と向かって他者を怒鳴りつけることはめったにない。少なくとも、イリアはラーズに怒鳴られたことなど、子供時代を含めても数えるほどしかなかった。


 はぁはぁと息を荒げるラーズの顔を見ているうちに、自然とイリアの眉間にしわが寄っていく。



「……帰るわけにはいかないって、どうしてよ?」


「決まってるだろ! ルナを奴隷にされたまま、おめおめイシュカを離れられるわけないじゃないか! ただでさえ、パーティメンバーを賭けの材料にした大バカ野郎って後ろ指をさされてるんだ。このうえ、ソラに背を向けて街から逃げ出すような真似、できるはずがない!」


「背を向けてって……い、今はソラのことは関係ないでしょう? 私たちは疫病に襲われた故郷の村に行くのよ? それを見てソラから逃げたなんていう人、いるはずが――」



 ない、と言おうとしたイリアの言葉を、ミロスラフのうれい声がさえぎった。



「ない、とは言い切れませんわね。あの男、どういう手管てくだを使ったのか、ワイバーンを手懐け、クランをつくり、グリフォンやスキュラを討って名声を高めています。ギルドの噂では奴隷商組合ともつながりがあり、バジリスクの討伐や特効薬の作製にも功績があったとか。その発言力は以前の比ではありません。もしあの男が、イシュカを離れるラーズを見て良からぬ噂を流したら……」



 ミロスラフが言うと、ラーズが強く唇を噛んだ。


 赤毛の魔法使いはさらに続ける。



「向こうも、私たちがルナを取り戻そうとしていることは百も承知でしょう。こちらを排除する機会を見逃すとは思えませんわ。ラーズの言うとおり、今はあの男に隙を見せるべきではありませんわね」


「そういうことだ、イリア」



 我が意をえたり、とばかりにラーズがミロスラフの言葉にうなずく。



「今は動くべきじゃない。それに、村にはセーラおばさんがいるじゃないか。俺たちが行かなくても何とかなると思う」


「……何とかなる? 母さんひとりで、何十人いるかもわからない病人を全部診ることができると思うの? 母さん本人が病気にかかっていない保証だってないのよ?」



 イリアに故郷の疫病のことを教えてくれたのは顔なじみの商人だった。


 商人の話では、彼が出立するときまで母セーラは元気だったということだが、商人が村を出てから病に倒れた可能性はゼロではない。


 イリアはそれを指摘したのだが、ラーズはあくまで楽観的だった。あるいはかたくなだった。



「大丈夫さ。セーラおばさん、俺たちよりレベルが高いじゃないか。回復魔法だって使えるし、そう簡単に病気に負けたりしないって! それより、さっきギルドで良い依頼をもらってきたんだ。貴族からのグリフォン退治の依頼でさ、前のパーティが失敗したからって、パルフェさんに特別に回してもらったんだ。これが成功すれば『隼の剣』の名誉回復につながる。貴族とのつながりもできるから、それこそ特効薬を優先的にまわしてもらうことだって――」


「ラーズ!」



 奇妙に浮ついたラーズの言葉に、イリアが眉を吊り上げて怒鳴る。


 それを受けて、ラーズの肩がびくりと大きく震えた。



「母さん一人に重荷を背負わせて、その間、成功するかもわからないグリフォン退治に行くっていうの!? 今、この瞬間にも家族や友達が苦しんでいるかもしれないのよ!? 一か八かの賭けをしている場合じゃないことくらいわかるでしょう!」


「でも、成功すれば特効薬が――」


「成功すれば!? ルナがいない今の私たちにグリフォンが退治できると本気で思っているの!?」


「で、できるさ! ソラの奴が一人でできたことだ。俺たち三人が力を合わせれば絶対に勝てる!」


「スキム山までどんなに急いでも四日! そこからグリフォンが棲んでいる高峰まで二日、いえ、三日はかかるわ。仮にうまくグリフォンを倒せたとしても、そこから魔獣の首を抱えて帰ってくるまで何日かかるの!?」


「それは……」


「村に薬が届くのは一月後? それとも二月後? その間、村に何事もないって断言できる?」


「それは、できないけど……でも、ここで逃げ出すわけには……ッ!」



 あくまでイシュカに残ろうとするラーズの姿に、イリアが更なる怒声を発しようとする。


 その寸前、ミロスラフがそっとイリアの肩を掴んだ。



「落ち着いてください、イリア。お母さまたちのことが心配なのはわかりますが、ここで声を荒げても何も解決しませんわ」


「でも!」


「わかっています。疫病の状況次第では、事態は一刻を争うかもしれませんものね。そこで提案がありますの」


「……提案?」


「はい。提案ですわ。まず、イリアは急いで故郷に戻ってください。お母さまも、ご息女の無事な顔を見ることができれば安堵なさるでしょう。それに、回復魔法の使い手が増えればそれだけお母さまの負担も軽くなります。ああ、それと、わたくし、これからサウザールの名を使って、少なくとも一本は特効薬を手に入れてみせますわ。万一、お母さまが疫病に罹患りかんしていたとしても、これで最悪の事態は免れます」


「……できるの? 今はいくらお金があっても品物が追いついていない状態だって聞いたけど」


「やってみせますわ。こういうときにこそ日々の投資が生きるのです。そして、ラーズ」


「な、なんだ?」


「あなたが受けてきたグリフォン退治の依頼。こちらも平行して進めようと思います」



 ミロスラフが言うと、ラーズとイリアの二人が驚いたように目をみはる。


 ラーズが慌てたように口を開く。



「え? 俺とミロの二人で行くのか?」


「いえ、それはさすがに無謀というもの。疫病と異なり、グリフォンの方は一刻を争うものではなし、臨時のパーティメンバーを募集するのですわ。これについても腹案があるのですが……それは後でラーズに説明しますわね。今は特効薬の確保を優先いたします。イリアも今のうちに準備を済ませておいてくださいませ」



 それを聞いたイリアの視線がラーズに向けられた。


 ラーズはそれに気づいたようだったが、視線を宙にさ迷わせ、イリアと目を合わせようとしない。


 ――イリアは小さくため息を吐くと、ミロスラフに向き直った。



「わかったわ。お願いね、ミロ」


「まかせてください」



 ミロスラフの返事を聞いたイリアは、すぐさま席を立って部屋を出た。


 このままここにいては、また声を荒げることになると確信できたからである。


 それゆえ、イリアはこの後に交わされたラーズとミロスラフの会話を知ることはなかった。








「……なあ、ミロ。やっぱり、俺も村に帰った方がいいかな……? いや、帰るべきだよな。イリアも怒ってたし」


「そうですわね。イリアにしてみれば、ラーズが薄情に思えたのでしょう。もちろん、帰りたいというのなら止めはしませんわ。ですが……」


「ん、なんだ?」


「ソラのことがあります。あの男のことですから、ラーズが逃げたと悪評を立てるのは必至。それに、グリフォン退治の依頼を引き受けたまま村に戻れば、最悪の場合、貴族相手に違約金を取られることになりますわよ」


「それは今すぐに断って――」


「仮にも貴族の依頼です。パルフェさんの性格を考えれば、『隼の剣』が引き受けたことをすぐに依頼人に伝えたに違いありません。一度受けるといった依頼を断れば、間違いなく先方の不興を買ってしまいますわ。そうなれば特効薬を手に入れるどころか、妨害を受ける恐れさえあります」


「……う。依頼を受けるの、早まったかな」


「気持ちはわかります。あの男の最近の活躍ぶりを聞き、いてもたってもいられなかったのでしょう? ワイバーンを手懐けたことといい、グリフォンにスキュラ、ワーウルフを倒したことといい、にわかに信じたいことばかり。しかも『血煙ちけむりの剣』などと、いかにもわたくしたち『隼の剣』と似通った名前をつけて……本当に腹立たしい男ですわね」


「まったくだ! しかも、そのメンバーにルナがいるんだ。あのシールという子も、いまだにひどい扱いを受けているに違いない……!」


「おっしゃるとおりです。是が非でも二人を解放してさしあげましょう。それができるのは、ラーズ、あなただけ。だから、あなたがグリフォン退治の依頼を引き受けたことは決して間違いではありません。今、故郷に戻ることができないという決意も、決して間違ってはいませんわ。大丈夫、イリアもきっとわかってくれます。今はお母さまのことが心配で、少し気が立っているだけですわ」


「……そうかな? わかってくれるかな?」


「ええ、きっとわかってくれます。だから、今は誤解を恐れずに初志を貫徹かんてつなさいませ。大丈夫。きっと最後にはすべてうまくいきますから……」




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