第四十二話 火魔法の秘密
炎に呑まれたバジリスクは、それでもなおしばらくの間、盛大に暴れ続けた。
さすがの生命力といえたが、こちらとしてもそれは予測済み。そのために先んじて『火炎姫』の魔法をつかって魔獣の動きを封じ込めたのである。
バジリスクがどれだけ暴れようと、六本の炎の腕から逃れることはできない。
もとより『火炎姫』は束縛と攻撃、二つの特性を兼ね備えた上級魔法だ。それを俺の勁――魔力でこれでもかというくらい強化したのだから、そう簡単に逃げられてはたまらない。
実は、塩漬け依頼の一つだったスキュラとの戦いでも使ったのだが、あのときよりもさらに威力があがっている。勁にこういう使い方があるとわかれば、戦い方の幅はさらに増す。俺は笑いを抑え切れなかった。
――言うまでもないが、本来であれば、火の上級魔法なぞ俺があつかえる代物ではない。
心装を会得したことで勁(魔力)が大きく増大したとはいえ、それだけで魔法が操れるわけではないのだ。
魔法を扱うためには魔力以外にも多くの要素を必要とする。その要素を一つたりとも持ち合わせていなかった俺が、どうやって高度な火魔法を操るに至ったのか。
その答えはミロスラフである。
あの赤髪の魔法使いがこれまでの人生で研究し、習得し、実践してきた門外不出の情報、そのすべて一つ残らず吐き出させ、自分のものとしたのだ。
まあ「自分のものとした」などと言っても、火魔法以外はてんで駄目なのだけど。
ただ、逆に言えば、火の魔法に関しては、現時点におけるミロスラフの最強技『火炎姫』まで発動できるようになった。
俺がたまさか火の魔法の才能を持っていた、ということは考えにくい。
考えられるとすれば、魂喰いの効能である。ミロスラフの魂を散々に喰い散らかした結果、彼女の火魔法に関する『技能』をも吸収したのではないか。俺は漠然とそんな風に考えていた。
俺に隠された才能が眠っていたという話より、こちらの方がよっぽど信憑性があるというものだ。
ただし、確たる証拠はない。
今のところ、俺が魂を喰った女性はミロスラフを除けばルナマリアだけなのだが――娼館の妓女さんは一回だけなので除外――今日までルナマリアの技能を吸収した実感はない。なので、証明のしようがないのである。
ミロスラフの時くらい「死んでもかまわない」という勢いでルナマリアを喰えば、また違った結果が出るのかもしれないが……ルナマリアは貴重な魂の供給役だ。
奴隷となってからこちら、俺への従順を貫いているし、俺の中の竜に気づいた慧眼も捨てるには惜しい。無理して使いつぶす気にはなれなかった。
そんなことを考えていると、不意に身体がぶるりと震えた。
今となっては馴染んだ感覚。蝿の王を倒したときに匹敵する大量の魂が流れ込んでくる。バジリスクが炎の中で息絶えたに違いない。
それ自体はめでたいことだったが、残念なことにレベルは上がらなかった。
最後にレベルがあがったのはグリフォンを倒したとき。あれからさほど日が経っていないとはいえ、王クラスの魔物を倒してもレベルアップしないのは驚きだった。
蝿の王の巣では面白いように上がったのになあ……
と、そのとき、俺の横に立っていた少女の身体がぐらりと揺れたと思ったら、そのまま地面に倒れこんでしまう。
少女が地面と接吻をする寸前、俺はかろうじて彼女の身体を抱きとめた。
見れば、少女は青い顔で気を失っていた。緊張の糸が切れたのだろう。
とりあえず、近くの家で休ませようと思い、俺は再度少女の身体を抱えあげたが、炎上している腐海に目を向けて考えを改めた。
炎が吐き出す煙は、黒というより濃い紫色をしている。いかにも毒々しく、人体によからぬ成分が含まれているのは明白だった。
風向き次第では煙にまかれてしまう。
それに、これだけ近いと、飛んできた火の粉が火災を引き起こすことも十分に考えられる。
この里に留まるのは危険だった。
……火を使ったのは早計だったかな? いや、腐海をそのままにしておけば、森も里も間違いなく呑み込まれる。
単純に考えて「腐り続ける森」と「灰になった森」では後者の方が害は少ないだろう――生まれ育った場所を失った少女は、また違う結論にたどり着くかもしれないが。
「とりあえず、ここから離れるか。考えてみれば、バジリスク以外の魔獣が襲ってくる可能性もあるし」
まだ自分たちが危険の只中にいることを忘れてはいけない。
俺は周囲を警戒しつつ、少女を抱えて鬼人の里を後にした。
◆◆◆
その後、俺が向かったのは蝿の王の巣だった場所である。
里を出てから気づいたのだが、里の場所はジライアオオクス――毒消しの実が成る巨樹――からさほど離れていなかったのだ。
ジライアオオクスの場所がわかれば、そこから蝿の王の巣に戻ることができる。
そして、あそこには以前にミロスラフを監禁したときの資材をそのまま残していた。備えあれば憂いなしとはこのことである!
……うん、まあ想定していた用途とは大きく異なっていますけどね。正直なところ、イリアやギルドの受付嬢あたりを連れ込むことを考えて残しておいたのだ。
ま、結果として備えが生きたのだからそれでよし、ということにしておこう。
以前にここを利用していたとき、いちいち出入りするたびに崖を上り下りするのは面倒だったので、壁面に沿ってらせん状に階段をこしらえておいた。
階段といっても、壁に長めの枝を突き立てただけの代物で、まっとうな人間なら絶対に使用しようとは思わないだろう。
だが、勁を使える俺にとっては十分に階段がわりになる。少女を背負ったままひょいひょいと洞穴を下っていく。
そうして無事穴底に到着。
妙な魔獣が棲みついていないか心配だったが、さいわい、そういうこともなく、俺は少女を寝台に寝かせることができた。
以前、ミロスラフが使っていたもので、若干おかしな染みがついていたりするのだが……ま、まあ、俺が使っていた寝台よりマシだろう、うん。
ようやく一息ついた俺は、念のため、途中でもいでおいたジライアオオクスの実の一つを頬ばった。
バジリスクの毒が体内に残っている可能性を考えてのことだ。
毒といえば、直接バジリスクと接触していた少女の方も心配だったが、まさか寝ている女の子の口に、この拳大の梅干もどきをねじこむわけにもいかない。嫌がらせを超えて、軽く戦闘行為である。
耳を澄ませてみても、少女の呼吸音に乱れはない。おそらく鬼人族は毒などの状態異常に強いのだろう。
食べさせるにしても、起きた後でかまうまい。
それでも念のため、容態が急変したときに備えて俺も少女のそばで横になる。
バジリスクは討った。少女は助けた。俺自身も五体無事。
結果だけ見ればめでたしめでたしであるが、さて、この後はどうしたものか。
これからもあの里で暮らしていくのは難しいだろう。少女以外の鬼人族がどうなったのかも気にかかる。
なんならこの巣穴を提供してもいいのだが、へたすると、このあたり一帯は腐海ごと灰になりかねないしなあ……そうなれば、住居はあっても食べ物が手に入らなくなる。
食べ物を失うのは人間ばかりではない。魔獣たちだって獲物を求めて動きを活発化させるだろう。
これではとうてい暮らしていけまい。
「まあ、この子が起きたら考えようか」
そう呟いて小さくあくびする。
今となっては遠い昔のことのようだが、当初の俺の任務はワイバーンをつかって『死神の鎌』を森まで運ぶことだった。
まだ余力は残っているとはいえ、さすがに身体が重く感じられる。
ここらで少しくらい休息をとってもかまうまい。
俺はそう考えて、そっと瞼を閉じた。