第12話 御用商人
「ご無事のお戻り、心から嬉しく思います、盟主」
ドラグノート公の尽力もあり、カナリア王からティティスの領主就任の内諾を得た俺は、いったんイシュカに戻ることになった。
叙勲の準備や有力者への根回しなどのため、ある程度の時間が必要だと国王から言われたためである――あ、もう『国王』ではなく『陛下』と呼ばないとまずいな。
ともあれ、そうやってイシュカの邸に戻った俺を、いささか大仰な挨拶で出迎えたのはミロスラフだった。
主君に仕える臣下のように深々と頭を垂れる赤毛の魔法使いと顔を合わせるのは、鬼ヶ島から戻ってから初めて――ではない。カガリを連れてティティスの森に行ったときに、ルナマリアやウィステリアと一緒に会っている。
その際に鬼ヶ島でのあれこれも伝えてあるので、ミロスラフはこれから俺がやろうとしていることを承知していた。もっと言えば、ミロスラフはすでに移住のために動いている。
ルナマリアとウィステリアがカガリの案内を兼ねてティティスの森に残っているのに、ミロスラフがひとりイシュカに戻っていたのもそのためだ。
では、俺がマリス山で盗賊をぶった切ったり、王都でドラグノート公に移住案の協力を頼んでいた間、ミロスラフが何をしていたかと言うと――
「サウザール商会の方はどうだった?」
「父は是非協力させてもらいたいと申しております」
このやり取りで大体わかってもらえたと思うが、俺はミロスラフを通じてサウザール商会に移住への協力を要請していた。もう少し具体的に述べると、移住してくる鬼人たちの衣服や食糧の調達を依頼したのである。
何百人分、何千人分、最終的には何万人分となるそれらを個人で調達しようと思ってもうまくいくはずがない。大きな商会に頼んで動いてもらう必要があった。
で、その規模の商会で俺に伝手があるところとなると、サウザール商会しかない。
いつかも述べたが、ミロスラフの実家であるサウザール商会はカナリア王国でも三本の指に入る大商会なのだ。まあ、三本の指に入るといっても、一位二位との差は大きく、カナリア王国の経済は実質二強状態なのだけど。
二強の後塵を拝しているミロスラフの父は、かねてから娘を使って俺に取り入ろうと画策していた。クラウディア・ドラグノートと婚約している(と思われている)俺に娘を嫁がせることで、間接的にドラグノート公爵家と結びつこうとしているのである。
俺としてはそこまでサウザール商会に便宜をはかるつもりはなかった。だが、ミロスラフを通して商会の力を借りたこともあるので、俺とクラウディアの礼服を依頼するなどしてそれなりの関係は維持している。
今回、鬼人族の物資を調達する相手としてサウザール商会を選んだのは自然な流れだった。
ただ、いくらサウザール商会が国内三番目の商会とはいえ、そう簡単に何百、何千といった移民を支える物資を確保することはできない。婚儀や盗賊騒ぎのせいで国内が乱れているということもあるが、それ以前に大量の物資を買い込むだけの資金が俺にはない。
なので、とりあえず百人分の物資の調達を打診した。百人分ならティティスの魔獣を狩るなどして資金を用意することは可能だ。
これはカガリとも相談済みのことである。
この百人は移住の先発隊だ。実際に鬼界からティティスの森まで移動することで、移住の際に発生するであろう問題を浮き彫りにするのが目的だった。今ごろカガリはルナマリアたちに案内されて森の現状を確認しがてら、この物資を収容するための倉庫をつくっているはずである。
俺は重ねてミロスラフに問いかけた。
「対価はドラグノート公爵家とのつながりか?」
「いいえ、マスターが新たにおつくりになる家の御用商人の地位を保証してもらいたい、と申しておりました」
「それはお安い御用だが……」
俺は首をかしげて疑問の表情を浮かべる。
御用商人と言えば聞こえはいいが、新興の、それも領民のいない貴族に取り入ったところでサウザール商会に旨味はないだろう。
万人規模の移住に商機を見出した、ということは考えられない。何故なら俺はミロスラフの父に鬼人族のことを伝えていないからである。
鬼人族は三百年前の大戦の元凶として長きにわたって迫害の対象になってきた。おまけに額の角は高品質のマジックアイテムとして目の玉が飛び出るような金額で取引されており、大陸で生き残っている鬼人族はそれこそ数えるほどだろう。
俺はその鬼人族をティティスの森に移住させようとしている。それも何千何万という数を、だ。
ミロスラフの父にそのあたりのことを話せば「それだけの数の鬼人族がどこで生き残っていたのか」と必ず聞かれるに違いない。この問いに沈黙や出まかせで答えるのは向こうの信用を失う悪手である。
かといって、一般人であるミロスラフの父に対し、鬼界のことや龍や光神教のこと、御剣家の陰謀などを明かしても混乱するだけだろう。
最悪の場合、サウザール商会経由でこのことが広まり、大陸が大混乱におちいってしまう可能性もある。そうなれば移住どころの騒ぎではない。
だから、鬼人族のことを公表するのは移住が軌道に乗ってからだ。できれば移住が完了してから公表するという形が望ましい。
――まあ、頭を布で隠した大人数が街道を移動するようになれば嫌でも目立つ。「今代の神子」とやらも動くだろうから、移住が完了するまで秘密が守れると考えるのは虫がよすぎるだろう。
ともあれ、今の段階でミロスラフの父に鬼人族のことを伝えるのは時期尚早だという結論は動かない。
ミロスラフが俺の言いつけを破って父親に事情を明かしたとも考えにくい。にもかかわらず、ミロスラフの父がドラグノート公爵家ではなく、新興貴族の御用商人の地位を欲するというのは違和感があった。
そのあたりのことを尋ねると、ミロスラフは迷う素振りも見せずにあっさり応じる。
「父は小さい被服店の店主から王国でも屈指の商会長にまでのぼりつめた身です。大人数の衣服を取りそろえるのはお手の物。少ない労で竜殺したるマスターに恩を売れる好機だと考えたのだと思います」
わたくしが言葉を尽くして説得するまでもありませんでした、とミロスラフは言う。
娘から今回の一件を聞いたサウザール商会長は、ほとんど即決で依頼を受けてくれたらしい。
竜殺しの依頼を受けるのはそれだけの利がある、と見たわけだ。
一口に竜殺しと言っても、俺には偽・竜殺しという悪名もある。それでなくても商業的な場において竜殺しの異名に価値があるとは思えない――俺はそう思ったのだが、この考えはミロスラフによって否定された。
「マスターが思っていらっしゃる以上に竜殺しの武名は高いのです。その竜殺しが貴族に取り立てられ、ティティスの森の領主に任じられると知られれば、国中がマスターの話題で持ち切りになることでしょう。そのマスターの御用商人であることは商談の場において大きな力になるのです」
「そういうものか」
大規模な商談とは縁のない俺が感心してうなずくと、ミロスラフはにこりと微笑んだ。
「はい、そういうものです」
「……なんか嬉しそうだな?」
「どういう形であれ、マスターのお役に立てることはわたくしにとって喜ばしいことですから」
そう言った後、ミロスラフは少し寂しげな表情を浮かべて言葉を続ける。
「今のわたくしでは戦いの場でマスターのお役に立つことはできません。マスターはもちろんのこと、あのカガリという鬼人の少年や、クライアさん、ウルスラさんの足元にも及ばないでしょう。ですが、商会との交渉や物資の調達といった面でならば、わたくしはあの方たちよりマスターのお役に立つことができます」
「役に立っているのはそれだけじゃないだろ。鬼界でもミロの回復薬は大活躍だったし、たびたびイシュカを留守にする俺の代わりに留守を守ってくれていることも感謝している。戦闘についても、俺についてくるために努力しているんだろう?」
「え……あ、はい、おっしゃるとおり、ですけれど……」
俺が応じると、ミロスラフは面食らったような顔で目をパチパチと瞬かせた。ややあって、おずおずとした様子で俺に問いを向けてくる。
「あの、マスター。わたくしが何を研究しているのか、ご存知なのですか? もしかして、ルナから何か聞いて……」
「いや、知らないし、聞いてないぞ。ただ『今のわたくしでは戦いの場でマスターのお役に立つことはできません』と言っただろう? いずれは俺に追いついてみせるという気概がなければ『今のわたくし』という言葉は出てこない、と思っただけだ。それに――」
「それに……?」
「俺が知っているミロスラフ・サウザールは、役立たずの立場に甘んじるような奴じゃないからな」
そう言って軽く肩をすくめると、ミロスラフは何といってよいやら分からぬ様子で視線をさまよわせた。
その後、ゆっくり十を数えたあたりで落ち着きを取り戻した赤毛の魔術師は、何か大切なものを抱え込むように両手で胸を押さえながら口をひらく。
「そうですわね。役立たずと知って足を止めるような真似は、わたくしらしくありませんわ。お礼を申し上げます、マスター。わたくし、お戻りになられてからのマスターやお供の方々を見て、知らぬ間に弱気になっていたようです」
そう言ってミロスラフは笑みを浮かべる。
それは『隼の剣』にいた頃のミロスラフを彷彿とさせる、勝ち気さを感じさせる笑みだった。




