第10話 覚悟
「――なるほど。私がマリス山にいる間に王宮ではそんなことが起きていたのですね」
マリス山の野盗を討伐し、アストリッドと共に王都のドラグノート邸にやってきた俺は、そこで邸の主から一連の顛末を聞かされた。
黒幕のクローヴィス公の名前はこれまで何度か耳にした記憶があるが、正直なところ、まったく印象に残っていない。
鬼ヶ島を追放された俺がカナリア王国にやってきた頃、すでに重臣筆頭はドラグノート公だった。クローヴィス公が王家に連なる大貴族であっても、俺にとってはその他大勢の貴族のひとりでしかない。
しかし、ドラグノート公にとっては尊敬すべき先達だったのだろう。俺に事の次第を説明している間、公爵の表情はずっと沈痛なままだった。同席しているアストリッドが気づかわしげに父親を見つめている。
娘の視線に気づいたのか、ドラグノート公はつるりと顔を撫でると、気を取り直したように話を続けた。
それによれば、今回の一件でクローヴィス公は病気療養を理由に王家の離宮に幽閉されることになったという。
陰謀を隠蔽する以上、表だってクローヴィス公を裁くことはできない。そのための隔離措置であり、死ぬまで幽閉が解かれることはないだろう。
クローヴィス公爵家は息子が継ぐが、そちらも当面の間は国王が派遣した監察官が監督するらしい。もちろん、表向き派遣されるのは監察官ではなく別の役職になっている。
そして、ドラグノート公の話は法神教に関することに移った。
「ゼラム殿はノア教皇からの要望として、ティティスの森に教会騎士団を常駐させることを求めてきた」
「教会騎士団を常駐、ですか?」
俺が眉根を寄せて問い返すと、ドラグノート公は重々しくうなずいた。
「うむ。ソラ殿も知っているとおり、先の婚儀に先だって聖下はティティスの森に結界を張ってくださった。これによってヒュドラの毒がケール河に流れ込むことはなくなったのだが、その際にティティスの様子を目の当たりにした聖下は、あまりに森が荒れていることに懸念をおぼえたそうだ。今の状態が続けば、森の中に築いた結界の基点が破壊されかねない、とな」
「それを防ぐための教会騎士ですか」
「そうだ。ゼラム殿は駐留に要する費用も法神教が負担すると申し出ている。我が国にとってケール河は農耕、物流、いずれの面でも生命線といってよい。それを守るための結界は必要不可欠だ。兵員の派遣、費用の負担、いずれも求められれば応じざるをえぬのだが、法神教はその二つを自ら負担してくれるという。混乱が続く我が国にとってはありがたいかぎりなのだが……」
そう言ってドラグノート公はため息を吐いた。
ありがたくはあっても簡単に受け入れることはできない、ということだろう。ノア教皇麾下の教会騎士とは、つまりカリタス聖王国の兵士ということだ。そして、他国の兵を国内に駐留させることの危険性は言をまたない。
とはいえ、クローヴィス公の陰謀を暴き、その隠蔽に協力してくれた聖王国の要求を拒むことは難しい。必要な人員も費用も自分たちが負担する、という申し出であるだけに尚更である。
この要求を聞いたときから、ドラグノート公の胸中には疑念がわだかまっていたという。
今回の一件において聖王国は気味が悪いくらいカナリア王国に配慮している。頼まれもしないのにクローヴィス公の陰謀を暴き、そのことで大きな貸しをつくりながら利用しようとせず、それどころかカナリア王国にとって不可欠なケール河を守るために自分たちの兵と資金を費やす。
それが単純な善意によるものであるはずがない。カリタス聖王国の、ひいては法神教の利益になると思えばこそ、ノア教皇はティティスの森に教会騎士を駐留させたいと申し出てきたのだ。
しかし、その利益が何なのかが見えてこない。ヒュドラによって荒れ果てたティティスの森のどこに法神教を引きつける価値があるのかが分からない――それがドラグノート公の疑念だった。
この公爵の疑問に、今の俺は答えることができる。
法神教の狙いはティティスの森にある龍穴だろう。鬼界での経験と、以前にカタラン砂漠で出会ったラスカリスの言葉を重ね合わせるとそういう結論になる。
当時はラスカリスの言葉の真偽を見抜くだけの情報が手元になかったため、聞いた内容を口外することは避けた。だが、鬼界での出来事を経た今の俺は、ラスカリスの言葉の大半は真実だと考えるようになっている。
そのため、ラスカリスの言葉も含めたすべてをドラグノート公に、そして同席しているアストリッドに伝えた。鬼界で経験した出来事やラスカリスから伝えられた法神教の目的、今の俺の立場、さらにはソフィア教皇の今際の際の言動も含めたすべてを明かしたのである。
ふたりにしてみれば寝耳に水であったはずだが、真剣な表情で最後までこちらの話を聞いてくれた。
そして。
「……まったく、驚き入ったことだ」
すべてを聞き終えたドラグノート公の口から出た第一声がそれだった。
公爵はひどく重たい口調でもう一度同じ言葉を発する。
「まったく驚き入ったことだ。法神教の狙いは龍穴にあり、か。その上、三百年前の大戦そのものが龍とソフィア教皇による謀略の産物であったとは。ラスカリスなる不死の王のことといい、余人の口から出た言葉なら真偽を疑わずにはおれぬところだ」
それを聞いたアストリッドが不安そうに父を見る。
「父上……」
「わかっている、アストリッド。余人の言葉ならば、と言ったではないか。他ならぬソラ殿の言葉だ、信じよう」
アストリッドが安堵したように胸に手をあてる。ここで父が俺の言葉を否定するようなら、俺とドラグノート公爵家の対立につながりかねない、と危惧していたのだろう。
俺も深々と頭を下げた。実際に諸々を経験した俺だから素直に受け入れられるのであって、話を聞いただけのドラグノート公とアストリッドには信じがたい内容ばかりだったはず。
にもかかわらず、ドラグノート公が「信じる」と明言してくれたことに感動せずにはいられなかった。
「感謝いたします、閣下」
「なに、感謝しなければならぬのはこちらの方だ。おかげで、どうしてもわからなかった法神教の目的がわかったのだからな。思えば、此度のダレン閣下の策謀も裏で法神教の使嗾があったのやもしれぬ。隠棲して表舞台から引かれた閣下の周囲に信者を潜ませ、事あるごとに帝国の脅威を吹き込んで閣下の危機感を煽り続けたのだとしたら――」
呟くようなその声は推測よりも願望の色が濃いように思えた。ドラグノート公にしてみれば、クローヴィス公が自発的に陰謀を企んだという結果よりは、何者かにそそのかされて陰謀を働いたという結果の方がマシに思えたのだろう。
前者であれば虚しさだけが残るが、後者であれば怒りの矛先を向ける相手がいるからだ。
実際、法神教が裏でクローヴィス公を使嗾していた可能性はある、と俺は考えている。
もともと帝国嫌い、法神教嫌いのクローヴィス公の存在は、カナリア国内で影響力を強めたい法神教にとって邪魔でしかなかったはず。
そのクローヴィス公を排除し、なおかつカナリア王国に貸しをつくることができるとなれば、法神教は時間も費用も惜しまないだろう。
ドラグノート公の言うとおり、クローヴィス公が宮廷を辞して故郷に隠棲した五年前から法神教は動いていたのかもしれない。効果があるかどうかもわからない策謀に五年も時間を費やせるものか、と思わないでもないが――
『法神教がアドアステラ帝国を介して勢力拡大をはじめて三百年だ。それだけの時間をかけて彼らは目的に邁進している。それに比べれば、四十年なんて大した時間じゃないとは思わないかい?』
かつてのラスカリスの言葉が脳裏をよぎる。
これは四十年前のカムナの里の壊滅に法神教が関与していた、という話に疑問を感じた俺への返答だった。
三百年をかけて目的を果たそうとしている法神教にとって、四十年という時間さえ長いとはいえない。であれば、クローヴィス公を追い込むために五年の時を費やすことも十分にありえるだろう。
と、ここでドラグノート公が自身の錯雑とした思考を払い落とすかのように小さくかぶりを振った。
そして、あらためて俺に向けて口をひらく。
「ソラ殿。法神教の目的が龍穴にあるのならば、ノア教皇が教会騎士を駐留させる案を撤回することはないだろう。そして、此度の一件で法神教に大きな借りをつくった我が国が法神教の要望を拒むことは難しい」
「はい」
「しかし、向こうが求めているのは駐留であって統治ではない。しかるべき者にティティスの統治権を委ねれば、駐留する教会騎士たちを牽制することはできる。常であれば、ティティスのごとき難治の地を治めようという者はおらぬのだが――」
ドラグノート公はそう言ってじっと俺の目を見つめてくる。
勁烈と表現したくなるほどに厳しい眼差しは、俺の覚悟を問うものだった。
「先ほどの話によれば、ソラ殿はティティスの森の領主となり、鬼人族を森に迎えたいということだった。陛下に法神教の目的をお伝えし、ソラ殿にティティスの森を任せるよう進言すれば、陛下はおそらくお取り上げくださるだろう。断ればカナリア王国の誇る竜殺しが帝国の配下になってしまうのだからな。くわえて、陛下御自身が法神教の野心に対処しなければならなくなる。陛下はそのような道はお選びになるまい」
「はい」
「だが、そうなればソラ殿は正式にカナリア王国に仕えることになる。これまでのように自由な行動は許されぬし、我が国が帝国や聖王国と対立したときは抗争の矢面に立たされることになろう。他にも駐留する教会騎士との折衝、移住した鬼人族の統治、同輩たる王国貴族との政争など厄介事は枚挙にいとまがない。一度領主に任じられれば、ソラ殿はそういったすべてを双肩に背負うことになる。逃げることも投げ出すことも許されず、おそらくはこの先の生のすべてをティティス統治のために費やすことになろう」
ドラグノート公はそう言うと、一拍の間を置いてから静かに問いかけてきた。
「その覚悟があっての申し出である、と受けとめてよいのかな? 陛下に進言する前にこの点を確かめさせてもらいたい」
その問いに対して迷うことはなかった。
ドラグノート公に言われるまでもなく一生物の仕事であることは覚悟している。その上で行動に踏み切ったのだから、今さら迷うはずもない。
「はい。覚悟を決めた上での申し出です」
「――よろしい。ならば、このパスカル・ジム・ドラグノートが責任をもって陛下を説得しよう」
力強く請け負ってくれたドラグノート公に対し、俺は深々と頭を下げる。
五年以上に及んだイシュカでの生活。それに終止符を打ったことにわずかな寂寥を感じながら……
 




