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第6話 頭目


「なあ、騎士さんよ。言われたとおりこの山に逃げてきたが、これからどうするつもりなんだい?」



 ドラグノート公爵領、東部(りょう)ざかいマリス山の一角。


 頬に刀傷、伸び放題の無精ひげ、そして離れていても漂ってくる濃い体臭。そんないかにも傭兵崩れといった風貌の男が自分たちを指揮する頭目に声をかける。


 騎士と呼んではいるものの、もちろん頭目は本物の騎士ではない。野盗でありながら身なりや規則にうるさい姿を、手下たちから「騎士のようだ」と揶揄やゆされているのである。


 男の問いかけに対して頭目は低い声音で応じた。



「しばらくこの山に籠もると言ったはずだ。おとなしくしていろ」


「しばらくったってよ、こんな何もない山の中じゃあ暇を持てあますだけだ。他の連中も言ってるぜ、女でも連れ込まなきゃやってられねえってよ。なに、騎士さんの手はわずらわせねえよ。何人かに山をおりる許可をくれれば、後は俺たちで勝手にやる」



 マリス山に住民はいないが、山をおりて少し足を伸ばせば村々が点在している。そこから適当に村人をさらってくるつもりなのだろう。


 それを聞いた頭目は眉を吊りあげて眼前の男を睨みつけた。



「そのような真似は許さぬ。我らが村人をかどわかしていると知れば、アストリッドは帝国への斟酌しんしゃくを捨てて攻め込んでくるだろう。あれはそういう女だ」



 かつては同じ国に属していた敵将の顔を脳裏に思い浮かべながら頭目が応じると、傭兵崩れの男は鼻で笑って言った。



「それならそれで好都合じゃないか。あんたの後ろにあるおっかない武器で竜騎士団の副長を蜂の巣にしてやればいい」



 そう言って男が視線を向けた先には五台のバリスタが並んでいる。移動式の大型発射装置。出来合いの材料でつくった粗悪品ではなく、一国の軍隊が城攻めに用いるような本格的な代物だ。


 バリスタによって放たれる矢は槍と変わらぬ太さと長さで標的を射抜く。生半可な盾や鎧など無いも同然であり、人間に当たれば原形をとどめず身体が砕け散る。カナリア王国の誇る竜騎士といえども、バリスタによる集中攻撃を浴びせられればひとたまりもないだろう。


 当然ながらそこらの野盗が用意できるものではなく、これだけの武装があらかじめ山中に隠されている時点で、今回の一件が周到な計画に基づくものであることがうかがえる。


 それはさておき、頭目は傭兵崩れの男の意見を言下に退けた。



「このバリスタは万一のための備えだ。私たちの役目はできるかぎりドラグノート公爵領の混乱を長引かせることにある。アストリッドを討ち取ることではない」


「ドラグノート公の娘を討ち取れば否応なしに公爵領の混乱は長引くと思うがね」


「くどい! そもそも貴様の意見など聞いておらぬ。さっさと持ち場に戻れ。言うまでもないが、山を下りることは許さんぞ!」


「へいへい、かしこまりましたよ、騎士さん」



 男は皮肉っぽく肩をすくめながら頭も下げずに去っていく。


 その後ろ姿を睨むように見据えながら、頭目は忌々しげに地面を蹴りつけた。


 マリス山に逃げ込んだ者たちは食い詰め者の寄せ集めである。そんな連中に礼儀や敬意など初めから期待していない。


 にもかかわらず、男の振る舞いが気に障って仕方なかった。


 ――いや、気に障って仕方ないのは今の自分の立場か。


 頭目はそう思って唇を歪めた。かつてはカナリア王国で騎士を務めた身が、今ではあのような傭兵崩れを指揮して故国を荒している。落ちぶれた我が身を思えば自然と苛立ちが湧きあがるというものだ。


 汚れ仕事をいとうような潔癖さはとうの昔に失ったと思っていたが、まだ己の中に騎士だった頃の志が残っていたらしい。


 野盗に扮して無辜むこの民を殺傷した己が、今さら護民の騎士を気取るなど滑稽極まるが、そう自覚してもなお胸のざわつきは消えなかった。


 対峙する相手がアストリッド・ドラグノートであることが大きいのかもしれない、と頭目は思う。


 頭目とアストリッドはかつて同じ部隊に属していたことがあるのだ。もっとも、向こうは公爵家の嫡女にして副隊長、頭目は平民上がりの平騎士とあってろくに言葉も交わしていない。


 それでもアストリッドの存在は頭目に昔日の己を思い起こさせる。陽の当たる場所を歩き続けてきたアストリッドと、日陰の道を歩んできた己を比べて卑下してしまうのだ。


 頭目はかぶりを振って己を卑下する気持ちを押さえつけようとした。



「ドラグノート公は節を曲げて帝国におもねった惰弱者、アストリッドも娘として父を諫めることができぬ軟弱者ではないか。私はダレン閣下の命に従って帝国からこの国を守るために働いている。今一時(いっとき)身をやつして凶行に手を染めようと、真に国を憂えているのは私の方だ」



 貴族の将校と揉めて王国騎士の資格を剥奪され、落ちぶれた末にクローヴィス公に拾われた頭目にとって、クローヴィス公は恩人であり、尊敬すべき憂国の士でもある。


 アザール王太子とさく妃の婚儀によって、カナリア王国はこれまでにも増してアドアステラ帝国の影響を受けるようになった。このままでは遠からず帝国の属国になり果てるだろう。


 この流れを断ち切るためには抜本的な対策が必要だ。重臣筆頭たるドラグノート公を排してクローヴィス公が再び重臣筆頭となる、そんな抜本的な対策が。


 そして抜本的な対策は往々にして血の痛みをともなうものだ。


 これは頭目が殺傷した民だけを指しているのではない。頭目自身の命も含んでいた。


 なにせ自国で盗賊働きをしているのである。背後にクローヴィス公がいることは絶対に漏らしてはならない。当然、捕まっても公爵の助けは期待できず、野盗として縛り首にされるしかないわけだ。


 その旨はあらかじめクローヴィス公から伝えられていたが、それでも頭目はこの任務を引き受けた。


 すでに四十も半ばを過ぎて終わりが見えはじめた自分の人生が故国のために役立つなら、これに優る栄誉はない。たとえ野盗の一味として野辺に屍をさらすことになろうとも、クローヴィス公は自分のために弔いの杯を掲げてくれるだろう。


 アストリッドと比べて自分を貶める必要などない。頭目は自身にそう言い聞かせた。



 ――そのとき、先刻傭兵崩れの男が立ち去った方角から草を踏みしめる音が近づいてきた。



 まだ何か言いたいことがあるのか、と頭目がそちらへ目を向けようとしたとき、不意に目の前にどさりと球状の物体が投げ出される。


 人の頭ほどもある大きさのそれは、まさしく人の頭だった。


 ほんの少し前、頭目を嘲弄まじりに「騎士さん」と呼んでいた傭兵崩れの男が首だけになって地面を転がっている。その顔は死してなお薄笑いを浮かべていた。


 まるで、斬られてなお斬られたことに気づいていないように。



「――ッ」



 練達の剣士の存在を感じ取った頭目は、反射的にその場から飛びすさると腰間の剣を抜き放った。


 身構えた頭目の視線の先には、見覚えのない黒髪の青年が立っている。年の頃は二十歳ほどか、手に携えた黒い刀の先端からポタポタと赤い雫が垂れ落ちている。


 それが傭兵崩れの男の血であることは明らかだった。わずかでも反応が遅れていたら自分の首も上下に分断されていたに違いない、と頭目は思う。


 ただ冷静に考えれば、敵が不意打ちするつもりだったのなら、わざわざ首を投げて存在を誇示するような真似はしないだろう。あえて自分の存在に気づかせたのは、野盗相手に不意打ちなど必要ないという青年の自信のあらわれに違いない。


 ようするに頭目は青年に舐められているのだ。そのことに思い至った頭目は、チッと舌打ちして口をひらいた。



「ドラグノートの手の者だな。ここまで忍び込んできたことは褒めてやるが、あたら若い命を無駄にしたな。ここで我が剣の錆にしてくれ――」



 る、と言い切る前に剣刃が一閃する。


 頭目はその攻撃を予測していたが、それでもなお反応できなかった。


 次の瞬間、頭目の喉は敵の黒刀によって深々と切り裂かれ、半ば両断されていた。


 わずかに遅れて傷口から堰を切ったように鮮血があふれだす。



「あ……が……」



 頭目は首筋に手を当てて血を止めようとするが、当然そんなことで止血できるはずがない。自身が致命傷を受けたことを頭目は悟った。


 だが。



「ぐ……ふ、ふふ……」



 死を悟った頭目の顔に浮かんだのは絶望ではなく、為すべきことを為したという不敵な笑みだった。


 そう見えないよう偽装してはいるが、頭目の剣は帝国製である。これはバリスタも同様だ。


 目的は今回の一件が帝国の仕業であると見せかけること。


 小細工といえば小細工である。しかし、帝国の中にリシャール皇太子のような対外強硬派がいるのは事実である。であれば、小細工ではあってもまったくの虚偽と断定することはむずかしい。


 そして、帝国の関与が疑われれば、必然的に帝国人であるさく妃にも疑いの目が向けられる。というより、クローヴィス公がそういう方向に持っていく。


 盗賊騒ぎでドラグノート公の影響力を削ぎ落とし、同時に、帝国と咲耶妃の悪評をまき散らす。反帝国派のクローヴィス公にとって、今回の作戦は一石二鳥を狙ったものだった。


 そして、自分はその作戦を成し遂げた――その確信がいまきわに頭目に笑みを浮かべさせた。


 後はクローヴィス公に任せればよい。頭目は最後の仕事とばかりに、半ば以上切り裂かれた喉を震わせて言葉を紡いだ。



「……帝国に、栄光あれ」



 その言葉と共に頭目の意識は暗転する。


 音を立てて地面に倒れ伏した身体が立ち上がることは二度となかった。



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