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第4話 王国の宿老


「久しいな、パスカル。しばらく見ぬうちにずいぶんと老けたではないか」



 王宮の一角でそんな声をかけられたドラグノート公は反射的に右の眉を跳ね上げた。


 たしかにドラグノート公の本名はパスカル・ジム・ドラグノートだが、王国の重臣筆頭を呼び捨てにするなど無礼にもほどがある。ましてや嘲笑まじりに「老けた」などと誹謗をぶつけてくる相手など、この場で無礼打ちにしても非難の声はあがらないだろう。


 だが、振り返ったドラグノート公の顔に浮かんでいたのは、怒りではなく困惑だった。ドラグノート公は声の主に心当たりがあったのである。


 クローヴィス公ダレン。先々代国王の弟、すなわち現国王トールバルドのおお叔父おじに当たる人物で、先々代、先代、今代と三代にわたってカナリア王に仕え、王国の発展に尽力してきた宿老である。


 齢七十に達する老臣であり、ドラグノート公以前の重臣筆頭でもあった。


 クローヴィス公は大の帝国嫌いで知られており、コルキア侯をはじめとした帝国に近い廷臣たちを毛嫌いしている。反対に、帝国と距離を置いてカナリア王国の独立性を保とうとするドラグノート公には好意的であり、まだ青年だったドラグノート公を様々に引き立ててきた。


 重臣筆頭の地位をドラグノート公に譲ってからも宮廷で重きをなし、人材の発掘や貴族子女の教育に力を注いでいたが、五年ほど前に故郷に隠棲いんせいしている。


 以来、政治とかかわらずに過ごしていたはずのクローヴィス公がどうして王宮にいて、自分に非好意的な言葉を投げかけてきたのか。


 心当たりがないわけではないだけに、ドラグノート公は暗澹あんたんたる思いに駆られたが、その内心を押し隠して深々とこうべを垂れた。



「これはダレン閣下、ご無沙汰しております」


「ふむ、志は忘れても礼儀は忘れておらぬようじゃな。両方を失うよりはマシとはいえ、カナリア王国の重臣筆頭ともあろう者が不甲斐ないことよ」


「閣下、おそれながら志を忘れたとはいかなる意味でございましょうか。このパスカル、閣下の後を継いで重臣筆頭となって以来、身命を賭してカナリア王国のために尽力してまいったつもりでございます」



 ドラグノート公の返答を聞いたクローヴィス公は、ふん、と鼻で大きく息を吐いた。


 そしておもむろに言う。



「帝国の尖兵せんぺいを宮廷の中に招き入れておいて、よくもそのような言葉が吐けるものよ。この五年でずいぶん面の皮が厚くなったようじゃの」



 クローヴィス公が「言っている意味はわかるであろう?」というようにドラグノート公を見やる。


 ドラグノート公はそれに対して無言を貫いたが、内心ではため息を吐いていた。やはりそのことか、と思ったのである。


 クローヴィス公がいう「帝国の尖兵」とは先ごろ王太子妃となったさくのことを指している。咲耶がカナリア国内における帝国の影響力増大のために嫁いできたことは火を見るより明らかであり――少なくともクローヴィス公はそう信じて疑っていないだろう――それを阻止できなかったドラグノート公に不満を抱いているのだ。


 帝国嫌いのクローヴィス公にとって咲耶は獅子身中の虫であり、そんな咲耶が将来王妃となって自分の上に立つなど到底認められないに違いない。


 ドラグノート公の推測を肯定するように、クローヴィス公は苛立ちもあらわに続けた。



「王太子殿下とそなたの娘との婚約が破棄されたと聞いたとき、困ったことになったと思った。帝国の皇女との縁談が持ち上がったときもじゃ。それでもわしが動かなかったのはな、パスカル、この老骨がしゃしゃりでるまでもなく、おぬしがこの話を阻止すると思ったからよ。おぬしであればコルキア侯の策動をはねのけ、陛下のもうひらき、この国を正道に引き戻すことができるに違いない、とな」



 クローヴィス公は聞えよがしに大きなため息を吐いた。



「両国の間で婚約が成立したと聞いたときは驚いた。それほどにコルキア侯らの勢いが強くなっているのかと危ぶみもした。だが、それでもわしはおぬしを信じたのだ。しょせん婚約は婚約、正式に式を挙げたわけではない。であれば、中止に追い込む術などいくらでもある。おぬしは婚約が成立して油断しているコルキア侯の隙をついて喉笛に噛みつくつもりであろうと思っておった」



 そこまで言ったクローヴィス公は、今度はため息ではなく舌打ちをした。



「それがどうだ。まさか無策に婚儀を許した挙句、帝国の皇女の手先となって動いておるとはな。志を忘れたと言われても仕方なかろう」



 咲耶は婚儀が終わった後、休むことなく王宮の内外で精力的に活動をはじめている。そして多くの場合、その補佐役を務めるのはドラグノート公だった。


 これは咲耶の要請を受けてのことであり、ドラグノート公が自ら望んだことではない。重臣筆頭といっても臣下であるには違いなく、王太子妃からの要請を「相手が帝国の人間だから」という理由で拒絶できるはずもないのである。


 だが、それを言ってもクローヴィス公は納得しないだろう。


 元々クローヴィス公は剛毅果断の人となりで知られていたが、年を重ねてからは狷介けんかいろうの気が強く出るようになっていた。


 具体的にいえば、人の意見に耳をかたむけることがなくなり、判断が感情にひきずられるようになったのである。


 ――こういう話がある。


 かつて賢者の学院で神童とうたわれ、将来を嘱望しょくぼうされた少女がいた。


 人材の発掘に熱心だったクローヴィス公は賢者の学院にも多額の寄付をしており、学院から神童の話を伝えられるとおおいに興味を持った。


 少女は本来十五歳で受ける卒業試験を十三歳で受けることになっており、その優秀さは教師陣の折り紙付き。クローヴィス公は噂の才女を自らの麾下に迎え入れるべく、少女の卒業試験に臨席することを決める。


 いかに成績優秀とはいえ、一介の学生のために公爵自ら足を運ぶのは異例といってよかった。それだけクローヴィス公は少女の才に期待していたのである。


 だが、結論からいえば卒業試験はおこなわれなかった。少女が試験の場に姿を見せなかったのだ。


 クローヴィス公は少女に愚弄されたと激怒し、足音荒く学院を後にする。のみならず、学院に命じて少女の卒業資格はもちろん、在校資格さえ抹消させた。中退に追い込んだのである。


 後になって、少女が一部の学生の嫌がらせによって地下の一室に閉じ込められていたことが判明するのだが、クローヴィス公はそれを聞いても怒りを解くことはなかった。それどころか、くだらぬ言い訳をする、とさらに不快を募らせたくらいである。


 配下に命じて事の真偽を確かめさせるくらいのことは簡単にできたはずだが、それをしようともしなかった。


 当然ながら少女への処分が解かれることもなく、神童とうたわれた少女は失意のうちに学院を去ることになったのである……。


 この一件は、五年前の時点でクローヴィス公が自身の感情を制御できなくなりつつあったことを示している。


 そして、この前後にも似たような出来事がいくつも起こっていた。


 五年前にクローヴィス公が隠棲したのも、そういった面が他の廷臣との間で摩擦を生んでいたからである。宮廷の混乱を案じたトールバルド王が大叔父を説得したのだ。


 ドラグノート公はそのことを知っており、この時期に王都に出てきたクローヴィス公の行動をおおいに危ぶんでいた。


 各勢力の思惑はどうあれ、今回の婚儀はカナリア王国とアドアステラ帝国の二国間で合意し、カリタス聖王国の教皇を招いて執りおこなわれたものだ。その上で嫁いできた皇女を、王族であるクローヴィス公が排除するような真似をすれば、諸国から非難されるのはカナリア王国である。


 領土拡大を望む帝国のリシャール皇太子あたりがこのことを知れば、得たりとばかりにカナリア王国の非を訴えて兵を差し向けてくるかもしれない。そこまでいかずとも外交上の譲歩を強いてくることは間違いないだろう。そして、聖王国も帝国の主張を是とするに違いない。


 そういった事態を避けるためにもクローヴィス公には自重を願わなければならない。ドラグノート公は気を引き締めてそのことを伝えようとしたが、それに先んじてクローヴィス公が口をひらいた。



「聞けば、近頃はドラグノートの領内も賊に荒らされているというではないか。内を治められない者が外を治められる道理はない。パスカルよ、おぬしは一度領内に戻って自領の仕置きに専念するがよい。その間、わしが宮廷の綱紀を正してくれよう」


「ご忠告痛み入ります、閣下。なれど領地にはアストリッドを遣わしておりますれば、間もなく賊徒討伐の報が届くことでございましょう」


「わからぬぞ。音に聞こえた雷公の領地を襲おうというのだ、賊徒どもも無策ではあるまい。竜騎士が討伐に来ても、それを討つだけの備えがあると見た。賊徒討伐の報の前に娘の首が届きかねぬぞ。それをよしとせぬのであれば、やはりおぬしが戻るべきであろう」



 クローヴィス公がガラス玉のように感情を感じさせない瞳でドラグノート公を見据えている。


 偉大な先達の視線に、これまで感じたことのない()()()を感じ取ったドラグノート公はかすかに眉根を寄せる。


 クローヴィス公の狙いが、ドラグノート公を宮廷の外に出すことにあるのは明らかだった。ドラグノート公が宮廷にいるかぎり、自分の思うように動けないと判断しているのだろう。


 そのために公爵領の混乱を利用しようとしている。


 問題はクローヴィス公が偶然公爵領の混乱を聞きつけてそれを利用しようとしているのか、それとも、公爵領の混乱そのものがクローヴィス公の指図なのかということだ。


 後者の場合、クローヴィス公はもはや実力行使も厭わずと決意していることになる。


 ――そこまで短慮な真似をなさる方ではないはずだが。


 ドラグノート公は心中でそうつぶやくが、そのつぶやきは公爵自身がそれとわかるくらいか細いものであった。


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