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166話 カナリア王国へ



 敗北を認めたしゅくに対し、俺はいかなる罰も与えなかった。


 旗士たちに「俺を当主として認められないという者はいつなりと挑んでこい」と明言したのは俺自身である。ゆえに挑むこと自体に罪はなく、罪がないのだから罰を与える理由もない。


 さすがに闇討ちだの毒殺だのを仕掛けてきた相手にはそうも言っていられないが、淑夜は正面から挑んできたのだ。その淑夜を罰すれば、今後、旗士たちは不満があっても挑んでこなくなるだろう。


 その分、不満はいんこもって余計に面倒なことになる。そうなるくらいなら表立って俺に挑める環境を整えておいた方がよい。


 少し前の俺であれば、双璧である淑夜の魂を喰うことに執着したかもしれないが、父を超えるという大願を果たした今、俺が魂喰いにこだわる理由も失われている。


 同源存在アニマ殿はそんな俺に若干不満そうなうなり声を向けてくるが、そう遠くないうちに「今代の滅び」との戦いが待っているのは確実なのだ。それはつまり幻想種を好きなだけ喰える戦いが近づいているということ。魂ならその時に思う存分喰えばいい――俺はそう言ってソウルイーターを説き伏せた。


 さて、その後であるが、淑夜に続いて俺に挑んでくる旗士はあらわれなかった。ディアルトあたりが挑んでくるかと思ったが、双璧の片割れは黙して動かず、その父であるギルモアも沈黙の砦に立て籠もっている。


 それぞれに思惑はあるのだろうが、動かないなら動かないでかまわない。何度も言うが、俺が旗士たちに求めるのは移住の邪魔をしないこと、ただそれだけだ。


 俺は旗士たちに対して南天砦なんてんさいからの出撃を禁じるむねを通達し、それ以外は先代から与えられた任務を全うするよう命じた。


 しかる後、ウルスラを連れて父に会いに行く。


 これはウルスラの父である先代()こうウルリヒ・ウトガルザの死の真相を聞き出すためだった。


 俺と父が顔を合わせるのは先日の死闘以来である。俺にせよ、父にせよ、一歩間違えれば死んでいてもおかしくない殺し合いであり、俺はそれに勝利した側だ。


 それだけに敗北した父の態度が硬化するのは容易に予測できる。話し合いは初めから冷たくも気まずい雰囲気の中でおこなわれた――ということは一切なく、父はいつもの無表情で俺たちを部屋に迎え入れ、こちらからの問いにもあっさり答えてくれた。


 俺としては拍子抜けだったが、心のどこかでこうなる気はしていたように思う。父にとって敗北は敗北であり、それをかくす必要を認めていないのだろう。だから敗北で不機嫌になったり、勝者に悪意を向けることもないわけだ。


 思えば、昔から俺に対する父の態度は乾いたものだったが、その分湿(しめ)った悪意とも無縁だった。


 ともあれ、向こうが素直に応じてくれたのだから、さっさと聞きたいことを聞いてしまおう。


 そう思ってウルリヒの話を持ち出すと、父は光神教との関わりについても簡単に認めた。御剣家と鬼界のつながりは一子相伝の秘事だったはずだが、もう隠す必要はなくなったということらしい。


 父がその判断を下すにいたった理由はソフィア教皇と龍の消滅に違いあるまい。


 ――いったいどこまで関わっていて、どこまで想定していたのやら。


 俺が内心でため息を吐いていると、ウルスラが緊張した面持ちで父ウルリヒの死の真相について尋ねる。


 これに対する父の答えは次のとおりだった。


 ある時、ウルリヒは姿を隠して御剣邸に侵入した怪しい剣士を発見する。この剣士は方相氏の儺儺ななしき使いであり、父と連絡をとるために鬼界からやってきたところ、病的なまでに鋭いウルリヒに気配を察知されてしまったのだ。


 ウルリヒはただちに侵入者を捕縛する。儺儺式使いも抵抗はしたが、姿を隠しているつもりでいたところに不意打ちを食らっては避けようがない。


 司寇として尋問に長けたウルリヒは口をつぐむ侵入者から手荒い手段で情報を引き出し、滅鬼めっき封神ほうしんの掟を掲げる御剣家が密かに鬼界とつながっていた事実を知るに至る。


 その後、ウルリヒは父に直談判してきたそうだ。自分が知った情報は真実なのか。もし真実ならばただちに鬼界とのつながりを断ち切るべきだ、と。


 これに対して父は鬼界とつながっている事実を認めた上で、鬼界とのつながりを断ち切る条件をウルリヒに示したという。


 その条件というのが、間もなく鬼界から送り込まれてくる刺客にウルリヒが勝利すること、であった。


 この刺客というのは蔚塁うつるいのことで間違いないだろう。つまり、ウルリヒは蔚塁の襲撃を知っていたということになる。たぶん、返り討ちにする気満々だったのだろう。


 結果としてウルリヒは蔚塁に敗れ、御剣家の秘密は保たれることになった。もしウルリヒが蔚塁を返り討ちにしていたら、父はウルリヒとの約定どおり鬼界とのつながりを断ち切っていたのだろうか?


 ……たぶん断ち切っていたのだろうな。父が約定を反故ほごにする姿は想像できない。約定を反故にするくらいなら、初めからウルリヒの口を封じる方を選ぶだろう。


 となると、父にとって鬼界とのつながりは「是が非でも守らなければならない秘事」ではなく、「事がおおやけになったらなったで別に構わない秘事」でしかなかったことになる。


 当然、結果としてソフィア教皇や龍が動き出すことも計算に入れた上で、だ。


 さきほど、俺は父が鬼界とのつながりをあっさり認めたのは、ソフィアや龍が消滅したからだと考えたが、どうも父はあの両者の存在にそれほど重きを置いていなかったらしい。


 いったい父の頭の中にはどんな絵図面が描かれているのだろうか。


 俺はこの機会に父の真意について尋ねてみようかと考えた――が、すぐにかぶりを振ってその思案を払い落とす。


 父の真意など聞いたところで理解できないだろうし、仮に理解できたところで今さら何が変わるわけでもない。何より、ここで父の真意を知ることで、自分がその影響を受けてしまうことを俺は恐れた。


 父に勝つことでようやく「弱者は不要」という呪縛を打ち払うことができたのだ。ここで新たな呪縛を受けるなど御免こうむる。


 俺は口を閉ざして同席しているウルスラの様子をうかがう。


 俺が知りたいことはおおよそ知ることができた。後はウルスラが父に対してどういう行動に出るかである。


 今の話を聞くかぎり、父は蔚塁とはかってウルリヒを闇討ちしたわけではない。それどころか、本来伝えてはならない刺客の存在をウルリヒに伝えている。


 一方で、父がウルリヒを殺した犯人の正体を知りながら黙っていたことも事実である。長年ウルリヒの仇である「四ツ目の鬼人」を探し続けてきたウルスラにしてみれば、主君に騙されたという思いを禁じえないだろう。


 ウルスラが俺の父を仇の片割れと見なして仇討ちを望むなら、俺はウルスラに助勢するつもりだった。


 俺と父、ふたりの視線がウルスラに集中する。


 これに対してウルスラは静かに父に頭を垂れると、問いに答えてくれたことに礼を述べた。そして、俺の顔を見て小さくうなずく。


 自分にはこれ以上この場で言うべきことはない。ウルスラがそう言っていることを察した俺は、父に辞去の言葉を告げてからウルスラと共に部屋を出た――いや、出ようとした。


 だが、部屋から出る寸前、背後から俺の名を呼ぶ声が聞こえてきたので足を止める。


 もちろんそれは父の声だった。何事かと振り返った俺に対し、父はいつもの乾いた声音で告げる。



「アヤカ・アズライトは昨夜、青林旗士を辞して島を出た。心得ておくがよい」


「アヤカが?」



 唐突に父の口からアヤカの名が出たので驚く俺。


 確かに今日はアヤカの姿を見ていなかったが、すでに昨日の段階で島を出ていたとは思わなかった。それほどに急いで島を出た理由は間違いなく俺だろう。


 アヤカは俺が当主になる前に何としても島を出たかったのだ。旗士を辞して島を出たということは、封印の儀を受けて拳を潰されたはず。そこまでしても俺の下に付きたくなかったのだとしたら、ずいぶんと嫌われたものである。


 まあ今さらアヤカにどう思われようと、アヤカがどう行動しようと知ったことではないのだが、父がわざわざアヤカの動静を俺に伝えた理由が気になった。


 俺は何かを言おうとして口をひらき――結局、何を言えばいいかわからず、ただ「かしこまりました」とだけ答えた。


 そのまま部屋を出た俺は、ウルスラと共にしばらく無言で廊下を歩く。ややあって、父の部屋から十分に離れたことを確認した俺はウルスラに声をかけた。



「あれでよかったのか?」


「はい。初めから式部様を仇とは考えておりませんでした。父が何のために殺されたのかが分かっただけで十分です」



 小声で応じると、ウルスラは何か重いものを吐き出すように大きなため息をついた。


 ウルスラは口にしなかったが、ここでウルスラが父を仇と見なして斬りかかれば、再び俺と父の間で戦いが起こる。そうなれば俺に従う姿勢を見せている旗士たちもどう動くかわからず、その混乱は確実に移住計画に悪影響を及ぼすだろう。


 たぶんウルスラの脳裏にはそのことがあったはずだ。私情で俺の邪魔をするわけにはいかない、と考えたのではないかと思う。


 ただ、俺がそのことを指摘して「俺のことは気にしないでいい」と伝えても、ウルスラは笑って否定するに違いない。


 そのことがわかっているから、俺はこれ以上ウルリヒの話を続けることができなかった。


 となれば、俺にできるのは話題を変えてウルスラが気分を切り替える手伝いをすることだけである。



「なら、今日のうちにイシュカに向かうが、かまわないか?」


「問題ありません、御館様」



 ウルスラはそう応じると、俺の精一杯の気遣いを読み取ったようにニコリと微笑む。


 ただ、その笑みは長続きせず、ウルスラは気づかわしそうに俺の顔をのぞき込んできた。



「御館様、アヤカのことはどうなさいますか?」


「どう、と言われてもな」



 俺は苦笑して肩をすくめる。



「すでに島を出た以上、どうしようもないだろ。アヤカが実家に戻ったのなら、いずれ帝国との交渉で顔を合わせることもあるかもしれないな」



 俺の性格をしつしているアヤカが交渉相手になったら、なかなか面倒なことになりそうだが、まあその時はその時である。


 ウルスラは俺とアヤカの仲を気にかけているようだが、俺の方からアヤカに連絡をとるつもりはない。アヤカの方もその気はないだろう。


 俺がアヤカに未練を残しているとしたら、それは「一度あの舞姫と本気で戦ってみたかった」ということくらいである。


 俺の返答に何かを感じ取ったのか、ウルスラはそれ以上問いを重ねようとはしなかった。





 その後はこれといった問題も起きず、俺たちは手早く旅の準備を整えていく。


 俺がイシュカを出てから結構な時間が経っている。残っている者たちはさぞ心配しているに違いない。ノア教皇に頼んでおいたヒュドラの毒を防ぐ結界は張り終わっているだろうか等々、気になることも多い。


 今さらではあるが、なるべく急いでカナリア王国に帰る必要があった。


 最後にエマ様に一言なりと挨拶しておきたいと思ったが、これについては断念する。俺がエマ様を重んじる姿を見せると、よからぬ輩がエマ様を利用しようとするかもしれない。


 そうでなくても俺はエマ様の息子を叩きのめし、エマ様の夫と派手に殺し合ったばかりだ。父は一時行方知れずだったというから、エマ様はさぞ心配したに違いない。その元凶がのこのこ顔を見せてもエマ様を不快にさせるだけだろう。


 そう考えて、俺はあえてエマ様に会わずに鬼ヶ島を後にした。 


 同行するのはウルスラとクライア、そしてカガリの三人。数えれば、俺がクライアと共にアドアステラ帝都へ旅立ってから二ヵ月近い月日が流れていた。



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