162話 挑戦
開口一番、立場をわきまえない旗士たちの頭に冷水をぶっかけた俺は、ぐるりと大広間を見回して旗士たちの反応を待った。
たっぷり十ほど数をかぞえたが、俺の振る舞いを非難する声はあがらない。先ほど俺に頭を下げなかった者たち、もしくは頭を下げても反感をあらわにしていた者たちも沈黙している。
見れば、ほとんどは肩で息をしながら俺と目が合わないようにうつむいている。中には目が合う者もいたが、そいつらも俺と視線が合うなりすぐに目を伏せた。俺の勁圧に恐れをなしたか、それともこれ以上不満を示せば命に関わると判断したか。
そんなことを考えながら、俺は集まったすべての旗士たちに聞こえるよう声を張った。
「最初に言っておく。俺は先代がそうしたように、俺を倒した者に御剣家当主の座を譲る。俺を当主として認められないという者はいつなりと挑んでこい」
もちろん、一対一で、などとケチくさいことを言うつもりはない。何人がかりでも、何十人がかりでもかまわない。
そのことを明言した俺は、さらに続けた。
「俺を当主として認められず、かといって当主から引きずり下ろすだけの力量もない。そういう奴は青林旗士の資格を返上して島から出て行け。俺の手で拳を砕いて、二度と剣を握れなくしてやる」
当主みずから封印の儀をおこなうことを宣告して大広間を睥睨する。これだけ言えば、俺が当主としての支持欲しさに下手に出るつもりがないことを全員が理解するだろう。
静まり返った旗士たちを見て、俺はこれでよしと内心でうなずき、話を先に進めた。
「御剣家の当主として俺が命令するのはひとつだけだ。俺はこれから鬼門の中の鬼人族をカナリア王国に移住させる。その邪魔をするな」
俺がそう告げた瞬間、それまで畏怖に覆われていた大広間の空気が一変した。
鬼人族を大陸に移住させるという俺の行動は、滅鬼封神の掟を掲げる青林旗士にとってとうてい受け入れることのできないものだろう。
旗士たちの驚愕と敵意が鋭利な視線となって身体に突き刺さってくる。怒号があがらなかったのは直前の宣告が効いていたからだろうが、誰かひとりでも声をあげたら次々と後に続く者が出るに違いない。
俺は旗士たちの機先を制するべく、冷ややかな声で告げた。
「俺が移住で動いている間、内政は四卿に、軍事は八旗に任せる。俺は鬼人族の移住が完了し次第、当主の座を後継者に譲って御剣家を出る。それを踏まえた上で俺に従うか、逆らうか、去るか、好きな道を選べ」
これもあらかじめ考えていたことである。
俺はこれから鬼人族の移住のために大陸各地を飛び回ることになる。鬼ヶ島にいられる時間はほんのわずかであり、御剣家の中で新しい体制を築いている暇はない。
というより築く必要がない。どうせ移住が完了したら当主の座をラグナに譲り渡すのだ。人事は今まで通りでかまわない。その上で俺の邪魔をしないよう脅しをかけておけば十分だった。
――問題があるとすれば、鬼界崩壊にともなうこちら側の影響である。
鬼界が崩壊することも、その影響がこちら側に及ぶことも推測の域を出ない。根拠となるのはソフィアが遺した言葉だけであり、何ひとつ証拠はないのだ。
とはいえ、場合によっては柊都が消滅するかもしれない可能性について、知らぬふりを決め込むのはさすがに無責任だろう。
だから、俺はここで鬼界で経験したことを旗士たちに話して聞かせた。鬼界が崩壊する可能性についてだけでなく、龍のことも、ソフィア教皇のことも、光神教のことも、方相氏のことも、そして三百年前に御剣一真が何をしたのかも話した。
もっとも、最後の一項については昨日の時点ですでに口にしていたのであるが。
『三百年前、鬼人族が龍を討った功績をかすめとり、救世の英雄を僭称した御剣一真の末裔よ。始祖の非を認め、鬼門を明け渡す意思はおありか?』
旗士たちの中には、父と対峙したときの俺の言葉を聞いて察しをつけていた者もいただろう。
だが、察しをつけていようと、つけていなかろうと、俺が口にした内容が御剣家の人間にとって荒唐無稽であることに違いはない。
三百年前の真相といっても確たる証拠があるわけではないのだ。俺自身はソフィアと対峙した感触や、ソウルイーターの記憶から真実だと判断しているが、それを旗士たちに信じさせることは不可能である。
始祖の功績は謀略の産物であり、滅鬼封神の掟は罪を隠蔽するための詐謀に過ぎなかった――そんなことを旗士たちが認めるはずがない。それは彼ら自身の在り方を、ひいては御剣家三百年の歴史を否定することだからである。
事実、大広間では俺に対する敵意と不信が渦を巻いており、その渦は一秒ごとに大きくなっていた。あと数秒を経ずして旗士たちの感情は奔騰し、俺に向かって津波のように押し寄せてくるだろう。
ともすれば吹きこぼれそうになる激情の釜。それに蓋をしたのは俺ではなかった。それは鈍色の髪と浅黒の肌を持つ第一旗の副将 九門淑夜であった。
「空殿、ひとつ、いえ、ふたつお尋ねしてもよろしいですか?」
淑夜の声は穏やかだったが、それは声の主が柔弱であることを意味しない。何者にも犯せない確かな芯を宿した声は、旗士たちの激情をせき止め、こちらの背筋を正す効果を持っていた。
俺は短く返答する。
「聞こう」
「ただ今のお話は御剣家の歴史を根底からひっくり返すものでした。失礼ながら鵜呑みにすることはできかねます。そこでお尋ねするのですが、何か今の話を証拠立てるものはお持ちでしょうか?」
「何もないな」
俺の答えを聞いた淑夜は小さくため息を吐いた。
そして鋭い視線で俺を見据えながら言葉を続ける。
「それでは我らも納得しかねます。鬼人族は自分たちの罪を隠すために偽りの歴史をでっちあげ、我らを唾棄すべき裏切り者に貶めた――そう判断する他ありません。光神教とやらはそれに協力することで鬼界での地位を保ったのでしょう」
淑夜が言うと、それに賛同するように幾人かの旗士たちが「そうだ」「そのとおり」と声をあげる。
俺がじろりとそちらを睨むのと、淑夜が軽く手をあげて他の旗士を制したのは同時だった。
「静かに――失礼しました、空殿。ですが、皆の憤懣もご理解ください。御剣家は始祖より数えて三百年、滅鬼封神の掟を掲げて大陸の平和のために尽力してまいりました。我ら青林旗士はその事実に何物にもかえがたい誇りと自負を抱いております」
ゆえに、証拠もなしにその誇りを踏みにじられたとき、怒りと憤懣を禁じえないのだ。淑夜はそう述べる。
俺はその言葉を否定しなかった。否定する必要もない。前述したように、旗士たちが過去の真実を受けいれることは不可能だと初めからわかっていたからである。
旗士たちの蒙を啓いてやるつもりもない。これも前述したように、今の俺にはそんな無駄なことに時間を割いている暇はないからだ。
俺が旗士たちに望むことはひとつだけ。そして、それはすでにこの場にいる全員に伝えている。
俺は淡々と淑夜の言葉に応じた。
「言いたいことはわかった。だが、俺はお前たちの怒りも憤懣も、自負も誇りもどうでもいい。言っただろう、俺の邪魔をするな、と。俺が当主としてお前たちに命じるのはそれだけだ。俺の言葉を信じる必要もなければ、移住に協力する必要もない」
俺の邪魔さえしなければ、旗士たちが何を考えようと、何を信じようと一向にかまわない。そんな俺に従えないというのであれば、俺と戦うなり島を去るなり好きにすればいい。
すべてあらかじめ言っておいたとおりである。
このやり方では鬼人と人間の確執は解決しないが、それに関しては割り切るしかない。三百年かけて凝り固まったふたつの種族の憎悪と怨恨を解きほぐすのは、俺には荷が重かった。
移住であれば、いざというときに力で推し進めることができる。しかし、憎悪と怨恨は心の問題であり、力ずくでどうこうできるものではない。少なくとも、移住と平行して取り組めることではないのである。
こちらの答えを聞いた淑夜は何かに迷うように両目を閉じる。だが、それも一瞬のこと。すぐに目をひらいた淑夜は、まっすぐに俺の目を見据えながら言った。
「……空殿が鬼人たちに与したのは、始祖の血を引く者として贖罪を果たすためですか?」
「あいにく俺はそこまで真面目じゃない。彼らには世話になった。今はその恩を返しているだけだ」
それを聞いた淑夜は納得したように静かに頭を下げた。
そして、おもむろに次のように続ける。
「質問に答えていただきありがとうございます。ただ今のお言葉を聞いて決心がつきました。第一旗副将 九門淑夜、これより空殿に挑ませていただきます」




