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第三話 五年後


 「ぐ……があああッ! ああ、ぐ、うううううッ!」



 昼なお暗い森の中、ちぎれかけた右腕を必死につかみながら懸命に足を動かす。


 傷口からつたわってくる物凄ものすさまじい激痛に、ややもすると意識を刈りとられそうになる。


 だが、ここで意識を失えば間違いなく死ぬ。殺される。


 口からこぼれおちる悲鳴は、意識をたもつために必要な呪文でもあった。



「くッ! なんで、なんで蝿の王がこんなところにいるッ!?」



 後ろから追ってくるのは全長三メートルはある巨大モンスター。その姿形から蝿の王と呼ばれる魔物の一種。


 単純な強さでは竜や巨人、鬼神といった幻想種とは比べるべくもないが、それでも出現が確認されたら、即座に正規の騎士団が出動するレベルの災害モンスターである。 


 第十級冒険者――つまりは最低ランクだった冒険者では逆立ちしても勝てない相手だ。


 血、汗、涙、鼻水に小便。恐怖が体液となって身体から排出されていく。


 はたから見れば、さぞみっともないことだろう。その自覚はあったが、小山のごとき大きさの蝿に追われる恐怖は筆舌に尽くしがたい。


 死の恐怖はたやすく自制心をうち砕く。子供のように泣き叫びながら、ただ逃げまどうことしかできなかった。




 こんなはずではなかったのに。


 懸命に足を動かしながら思う。


 五年前、故郷を追放された後、冒険者となった。


 冒険者として魔物を討ち、人々を護り、名をせて、父たちに認めてもらおうと息巻いていた。


 あの頃、自分で思い描いていたとおりの成長をとげていれば、今ごろは幻想一刀流をもって蝿の王と渡り合っていたことだろう。


 だが、現実はいつもどおり、期待とは真逆の結果を押しつけてくる。



 ――いや、今の状況はそれよりも数倍タチが悪かった。



「あいつら、あいつらァ! 人をおとりにしたなッ!!」



 モンスターへの恐怖とは別個の感情が、喉の奥からせりあがってくる。


 ちぎれかけた俺の右腕。これは魔物の攻撃によるものではなく、人間の魔法によるものだった。


 風刃ウィンドカッターの魔法で俺を攻撃した者たちは、とうの昔に姿を消している。




 魔物と戦って死ぬかもしれない、と想像したことはある。


 だが、捨てゴマにされて殺されるなんて未来、想像したことさえなかった。




 冒険者の道を選んだのは父たちに認めてもらうためであったが、それが理由のすべてではない。


 幻想一刀流が掲げる救世の理念を体言し、護民の太刀を振るうためにもっとも適している職業が冒険者だった。だから、冒険者ギルドの門を叩いたのだ。


 世の中の役に立ちたかった。誰かを守れる人間になりたかった。そう思って冒険者になったのに。


 その結末がこれか。


 あんまりだ。あんまりだろう、そんなの。




 知らず、しゃくりあげていると、背後からヴィイイイ、とひどく不吉な振動音がした。


 見れば、蝿の王の背中に生えた四枚の羽が激しく羽ばたいている。森の木々の合間を逃げまどう獲物に業を煮やしたらしい。


 魔物の巨体と四枚羽のつりあいを考えれば、飛ぶことなどとうてい不可能なはずなのに、視界の中で蝿の王の巨体は軽々と宙に浮きあがる。


 さえぎるもののない空中を、魔物は砲弾のように突進してきた。


 かわさなければ、と思ったときにはすでに手遅れ。


 至近で炸裂さくれつする凄まじい轟音と衝撃。


 それに突き飛ばされて、身体がゴミくずのように宙を舞った。


 怖いとか苦しいとか、そういった感覚はなかった。ただ、いつまでも続く浮遊感がひどく心細い。


 その感覚は地面に叩きつけられるまで続いた。



「あああああああッ!?」



 一瞬の空白の後、信じられないような激痛が全身をかけめぐる。


 ぬかるんだ森の土のうえで狂ったようにのたうちまわった。


 なんとか痛みがおさまるまで、どれくらいかかっただろうか。


 気がつけば、口の中に大量の土が入りこんでいた。



「……あぐッ! ぐぅぅぅ!」



 ぺっと土を吐き出して立ち上がる。


 だが、立ち上がった途端、右腕の傷がうずいてバランスを崩してしまう。


 そのまま、自分が吐きすてた土の上に倒れこむ羽目になった。


 べちゃり、と不快な感触が頬にはりつく。自分のつばの悪臭が鼻を刺す。



「ああああああああ! なんだよ、なんでだよ、ちくしょうッ!!」



 これで何度目のことか、あたりかまわず罵声を吐き散らした。


 その瞬間、背筋にひやりとしたものを感じ取って振り返る。


 ――驚くほど近くに蝿の王がいた。意思の感じられない昆虫の複眼が、じっと俺を見下ろしている。


 心底ぞっとした。


 気づいたのだ。魔物は獲物を追っていたわけではなく、獲物をなぶっていただけだ、ということに。もし向こうがこちらを殺す気なら、とうの昔に肉片にされていたに違いない。




 蝿の王がそれをしないのは、獲物が弱るのを待っているから。


 ふと、以前に資料で読んだ魔物の特徴を思い出す。


 蝿の王は人間や大型の獣を生きたまま捕らえて巣に運びこみ、幼虫のエサとするらしい。


 蝿の王が災害モンスターとして危険視される理由は、その驚異的な繁殖力にある。


 成虫を野放しにしておくと、無数の幼虫を生み出して、瞬く間にその地域の生態系を破壊してしまうのだ。


 ここでいう生態系には人間のそれも含まれており、過去には一国が滅びた例すらある、と記載されていた。


 このまま蝿の王に捕まれば、生きたまま幼虫に食われる未来が待っている。



「ぅぅぅぅ……ッ!」



 逃げたい。だが、至近距離から魔物に睨まれて足が動かない。


 蛇に睨まれたカエルそのもの。


 それを見て、もう十分に弱らせたと判断したのだろう、魔物がのそりとこちらに近づいてくる。


 ヒッ、と喉の奥から悲鳴がもれる。


 次の瞬間、蝿の王の尖った尾の先端がわき腹に突き刺さった。


 ぐるりと白目を剥いて、その場で倒れ伏す。



 ――どうして、こんなことになったのか。



 意識を手放す寸前、そんな疑問が脳裏をよぎった。



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