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153話 宿り木 


 そこは見渡すかぎり石と土ばかりの荒涼たる大地だった。


 そこにただ一本、雄々(おお)しく屹立きつりつする巨樹がある。オークの木だ。


 そして、オークを守るように小山のような巨躯がうずくまっている。


 夜の闇を思わせる黒の鱗に包まれた巨獣は竜だった。この世界において最強を誇る幻想種の中の幻想種。


 その名をソウルイーターという。一千年前に顕現した龍によって生み出された最初の一頭。すべてを喰らう権能を与えられ、ついには己を生み出したははを喰らった反逆の竜。


 本来、ソウルイーターをはじめとするぞうぶつは造物主たる龍を傷つけることができない。道徳や倫理、あるいは実力や感情の問題ではない。単純な事実として傷つけることができないのである。それが造物主と被造物の関係だった。


 しかし、唯一ソウルイーターだけはそのかせをはめられていなかった。他ならぬ龍がすべてを喰らう権能を与えたからである。すべてとはこの天地万物のあらゆるものを指す。星の精霊たる龍も「すべて」の例外にはなりえない。


 なぜ龍がそのような権能を与えたのか、ソウルイーターには知るよしもない。


 裏切られるとは夢にも思わず、初めての子に最強の力を贈ったのか。


 おのれむさぼ死蟲にんげんへの憎しみに目がくらみ、与えてはならない力を与えたのか。


 あるいは――自らが遠からずちることを予知し、暴走した己を止めさせるために我が身を殺す権能を託したのか。


 ぶふぅ、とソウルイーターは鼻から重苦しい息を吐き出す。それは考えたところでせんないことだった。


 ソウルイーターは長い首をめぐらし、己が守ってきたオークの木に鼻づらを寄せる。正確に言えば、ソウルイーターが顔を寄せたのは木そのものではなく、オークの枝に絡みついている宿やどだった。


 ミストルティンとも呼ばれる宿り木は、成長に必要な栄養の半ばを宿主から吸い上げる寄生植物である。その意味ではオークにとって害悪と言える存在だろう。


 だが、人間は宿り木を尊んだ。宿り木に寄生された樹木は、葉が枯れ落ちた冬の間も緑を絶やさない外観を保つ。そのため、人間は宿り木を生命と永遠の象徴と見なしたのだ。


 ソウルイーターは口を開いて牙をむき出しにすると、剣のごとく伸びた歯先で器用に宿り木を引っかけてオークの枝から引きはがした。そして、そのまま顔を持ち上げる。


 ――時は来たれり。


 宿り木は光神バルドルの伝説にもあらわれる。


 光の神バルドルは神々の中でも抜きん出て賢明で美しく、また優しかったとされている。


 そんなバルドルはあるときから自らが死ぬ夢を見るようになった。これを案じたバルドルの母神は世界中の生物、無生物にバルドルを傷つけないことを約束させる。こうして、バルドルはいかなる攻撃も受けつけない神になった。


 しかしこのとき、バルドルの母神が唯一約束を交わさなかった相手がいた。それが宿り木である。


 宿主がいなければ生きることさえできない脆弱ぜいじゃくな寄生種、しかもその宿り木は生まれたばかりの新芽だった。この新芽が我が子を殺すことなどありえない。母神はそう考えて宿り木と約束を交わさなかった。


 後にこのことを知った悪神により、宿り木は光神バルドル穿うがつ矢として利用されることになる。


 かくて無敵となったはずの光神バルドルは殺され、その死を契機として始まった大戦は神と巨人、そして世界そのものを焼き尽くす業火となって燃え盛った。神々の運命(ラグナロク)と称されるひとつの神話の終わりを紡ぐ物語である。


 この話の中で宿り木は自ら望んで何かをしたわけではない。母神との約束を拒んだわけではない。悪神の計画に賛同したわけではない。もちろん光神バルドルを殺そうとしたわけでもない。


 宿り木は何もしなかった。もっと言えば何もできなかった。それでも結果として光神バルドルを殺すに至ったのである。


 あまりに弱く、あまりにもろかったゆえに成し遂げた神殺し。


 そして今、光神バルドルを宿した父を超えんと欲した子供が、光神バルドル殺しの宿り木を顕現させようとしている。


 すべてを喰らうソウルイーターの権能を、ただ神を殺すことに特化させて解き放つそれは、竜も悪魔も巨人も殺せない。人間も鬼人もエルフも殺せない。


 それは神()()殺す刃ではなく、神()()殺せない刃だった。だからこそ、一度ひとたび神に向けて放たれたその刃は必ず神に届き、神を穿うがつ。


 かつて何者でもなかった子供が、父を超えるために空っぽの己にありったけの力を詰め込んだ末に生まれた、あまりにいびつなその力。


 ――人間とは本当に不思議なもの。百年も生きられぬ矮小わいしょうな命が星を壊し、龍を斬り、神を殺すに至るのだから。善には遠く、さりとて悪にもなりきれず、中庸ちゅうようと呼ぶには業が深い。


 かつてソウルイーターはそのことに驚き、呆れ、わらい、ははの望むがままに破壊と殺戮の限りを尽くした。人間たちの必死の抵抗を卵を踏み砕くかのごとく撃砕し、人間を滅亡の淵へと追いやった。


 それでも人間たちは一向に戦いをやめず、諦めようとしない。都市を瓦礫がれきにすれば、瓦礫をかきあつめて砦を築き、地上を焼き払えば地下に潜ってしぶとく生き残る。


 星をむさぼった己らの罪を認めず、あがなわず、あらがい続ける生き汚さ。


 ソウルイーターはそんな人間に激しい嫌悪と深い苛立ち、そしてほんのわずかな哀れみを抱いた。


 哀れみは興味と言いかえることもできる。それまではありを踏みつぶすかのごとく蹂躙じゅうりんし続けた小さな命に、ソウルイーターはこのときはじめて目を向けたのである。


 それがははへの反逆につながる第一歩になるとは夢にも思わずに。


 宿り木を咥え込んだ黒竜の口元がわずかに歪む。それは人間ならば苦笑にあたる表情だった。


 鎌首をもたげるように頭をあげたソウルイーターは、そのまま巨躯きょくを揺らして立ち上がると、背中の翼をはためかせた。


 すると、小山のごとき巨躯きょくがふわりと宙に浮かび上がる。まるで体重がない物のように浮き上がったソウルイーターは、そのまま天頂めがけて飛翔を開始する。


 一本の征矢そやとなってけるソウルイーターの耳に同源存在アニマたる青年の声が響く。


 ソウルイーターはその声にあわせて自らも口をひらいた。己の牙に宿り木を咥え込んだまま。


 ――我、これより空装くうそうれいし、神を穿うがつ宿り木たらん。



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