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141話 敵意の源


「ルキウス!」



 そらの正拳を受けとめたルキウスが苦悶の叫びをあげるのを聞き、ゼノンは息子の援護に向かおうとする。


 だが、空は邪魔者が割って入るのを黙って待ったりはしなかった。両足にけいを込め、その場で素早く身体を回転させるや、ルキウスの脇腹めがけて強烈な回し蹴りを叩き込む。



「――ッッ!!」



 今度は悲鳴をあげることさえ出来なかった。横合いからの猛撃で身体を「く」の字に折られたルキウスは、踏ん張ることもできずに空中に蹴り飛ばされる。


 独楽こまのように回転しながら宙を舞うルキウス。それを見たゼノンは地面を蹴り、高速歩法で息子のもとに駆けつけた。そうしてルキウスが地面に叩きつけられる寸前、左手一本で息子の身体を受けとめて地面との衝突を防ぐ。


 ゼノンは右手に持った心装で空を牽制しつつ、ルキウスを地面に横たえた。



「ルキウス!」



 ゼノンの呼びかけにルキウスは答えない。否、答えられない。


 顔は苦悶に歪み、右の手のひらはいびつにひしゃげている。見れば、口の端からは糸のように細い血がこぼれ落ちていた。空の蹴りはルキウスの防壁シールドを超えて臓腑にまで達したのかもしれない。砕かれた右手も防壁が無効化された結果であろう。


 ゼノンは眉間に深いしわを刻む。


 空が以前よりもけいの扱いに長じていることは、ラグナとの一戦を見ても明らかであった。だが、どれだけ巧みにけいを操ろうとも、心装も抜かずに副将クラスの防壁を打ち抜くことなど不可能である。


 だが、空はそれをした。その事実はゼノンの脳裏に先代旗将の話を思い起こさせた。


 ――鬼人族のかしらった者どもが使うという、あらゆる守りを透過して敵を砕く格闘術。五十年前の大興山の戦いでは八旗にも少なからぬ死者が出たと聞くが……


 ゼノンは三旗の旗将になる前も、なった後も、多くの鬼人と刃を交えてきた。だが、先代旗将が語る凶手の使い手と対峙したことはない。他の同輩からそれらしい話を聞いたこともなかった。


 それゆえくだんの格闘術の使い手はもう絶えたか、さもなくば王族クラスの鬼人にのみ伝えられる秘伝の技なのだろうと推測していた。


 もし、空が使った格闘術がゼノンの想像どおりのものだとすれば、空は秘伝をさずけられるほどに鬼人族の信を得たことになる。滅鬼めっき封神ほうしんの掟を掲げる御剣家の人間が、だ。


 不意に、ゼノンは奇妙な予感に打たれた。



 ――御剣家の血を引き、鬼人のかしらった者たちと縁を結んだ空は、御剣家の在り方を根本から変えてしまうのではないか。



 何故そんな予感をおぼえたのか、ゼノン自身にもわからない。冷静に考えれば、そんなことは起こり得ないはずだ。


 何故なら、空は今日ここで死ぬからである。


 仮にこの後ゼノンが敗れたとしても、そのときはゼノンに代わって式部が空を斬る。滅鬼めっき封神ほうしんの体現者たる剣聖が、鬼人族に味方する息子を許すはずがない。


 鬼人族に付いた時点で空の命運は決しており、その空が御剣家を変えることなどありえない。ゼノンは己にそう言い聞かせた。


 ……だが、どれだけ自分に言い聞かせても、一度ひとたび胸にきざした予感が消えることはなかった。



「我ながららちもないことを」



 ゼノンは心装を構えながら、あらためて空を見る。


 得体の知れない予感はまだ消えていない。何の根拠もない予感であるが、根拠がないからこそ理論立てて否定することもできない。この胸のざわめきを打ち消すためには、眼前の青年を倒すより他にないだろう。


 それがゼノンにとって、ラグナにとって、そして御剣家にとって最良の結果となるはずだった。



「――空装くうそうれい



 けい防壁シールドが通じない以上、様子見などという悠長な真似はできない。ルキウスとの攻防を見たかぎり、一撃でも空の攻撃を浴びれば、それだけで骨の一、二本は確実にもっていかれる。


 回復能力を持つ空とは異なり、ゼノンは一本でも骨を折られれば、それだけで戦闘に支障をきたしてしまう。


 今の空は致死の毒を持ったさそりのようなもの。これを討つためには最小の手数で最大の攻撃を叩き込まなければならない。


 初撃で奥伝おうでんを繰り出したラグナは正しかった。惜しむらくは奥伝の威力が足りなかったこと。


 ゆえに、ゼノンは自身の最大威力の剣技をもって一撃で勝敗を決するつもりだった。



「黄道を駆けよ、獅子の心臓(コル・レオニス)!」



 次の瞬間、爆発するようにゼノンのけいが膨れあがり、心装とは一線を画する力の奔流がしゅうの天地を震わせる。


 心装の能力が使い手によって十人じゅうにんいろであるように、空装もまた十人十色。勁技けいぎとして発現する者、武具として発現する者、それ以外の能力として発現する者、様々だ。


 ゼノンの空装の能力は武具の発現――心装の大幅強化だった。


 膨れあがったけいが無骨な大剣を覆い尽くし、光り輝く長剣へと作り替えていく。心装のときよりも刀身は短く、刃の厚みも減ったが、それだけ普段使いの刀に近く、取り回しに優れている。なによりも、込められたけいの密度は心装時の大剣とは比較にならなかった。


 ネメアの獅子は英雄に討たれた後、夜空にのぼって獅子の星座になったと伝えられる。獅子の心臓(コル・レオニス)はその星座の中で最も明るく輝く綺羅きらぼしを指す。


 星の光を鍛えた宝剣を顕現させたゼノンは、間髪をいれずに『次』へと移った。



「幻想一刀流 太陽たいようかた――」



 繰り出されるは八卦はっけの上、しょうに分類される奥伝おうでんけい


 空装の力を上乗せして放たれるその絶技は、人間の身体などちりひとつ残さず消し飛ばす、文字通りの意味で必殺の剣だった。



あか之太刀のたち!!」



 己が生涯をして磨き上げた武の集大成を、全力で空に叩きつけるゼノン。


 これに対して空は――



幻葬げんそう一刀流 まがき



 一瞬で練りあげたけいを防御のために解き放つ。


 竹垣を意味する名をつけられたその技は、かつてカタラン砂漠でベヒモスの息吹ブレスを防ぎ止めたけいの防壁を、より精密に展開したものだった。


 円柱形の防御陣がゼノンの勁技けいぎと真っ向から衝突する。


 次の瞬間、耳をつんざく轟音が柊都しゅうと全域に鳴り響いた。




◆◆◆




 寒気さむけが止まらない。先刻までの戦闘の高揚が嘘のように全身がえている。


 つぅ、と額から大粒の汗が流れ落ちた。無意識にその汗をぬぐった御剣ラグナは、ぼんやりと己の手を見つめる。汗が指先を濡らし、生暖かい感触を伝えてくる。熱を帯びた汗。それは身体が熱を失っていないことの証だった。


 身体は汗をかくくらい火照ほてっているのに、寒気さむけは時を追うごとに強まっていく。乖離かいりする身体と心。その原因を考えたラグナは、ほどなくして答えに思い至った。


 ――そうか。俺は恐れているのか。


 ラグナの視線の先では空とゼノンが激しく干戈かんかを交えている。


 空は額から血を流し、顔の半面が赤く染まっている。左右の手にも深い裂傷れっしょうが刻まれており、拳を打ちこむたびに、あるいはゼノンの攻撃を受けとめるたびに血しぶきが舞っていた。


 いずれの傷もゼノンの奥伝おうでんを受けとめた際に負ったものだ。ラグナの奥伝を無傷で受けとめた空も、ゼノンのそれを完璧に防ぐことはできなかったのである。


 だが、空の顔に焦りはない。むしろ、表情に焦りをにじませているのはゼノンの方だった。


 それも当然と言えば当然だろう。三旗の旗将が最大の奥義を放ったのに、心装すら出していない相手を仕留められなかったのだから。


 手傷を負わせたとはいえ致命傷にはほど遠い。そして、その傷は空が心装を抜けばすぐにも治されてしまう。


 切り札をしのがれたゼノンと、切り札を出してすらいない空。どちらが優位に立っているかは火を見るより明らかであった。


 ――竜牙兵相手に二合と打ち合えなかった貴様が。


 ラグナは内心でうめく。


 御剣家の嫡子でありながら心装を会得できず、皆からさげすまれていた兄。いつもうつむいて肩をすぼめ、廊下の端を歩いていた兄。


 ラグナが知る御剣空はそんな無様で無能な人間である。


 嫡子として必要な能力はすべてラグナが優っていた。自分は兄よりも優れた人間である――その事実がラグナの自信であり、自負であった。


 空の成長はラグナをラグナたらしめているものを根底から破壊してしまう。そのことを無意識のうちに悟っているからこそ、ラグナはいま恐怖を禁じ得ないでいる。


 そしてもうひとつ、ラグナを恐れさせているものがあった。


 ――貴様が帰参すれば、母上も、アヤカも……


 御剣家の嫡子の口から歯ぎしりの音がもれる。


 前述したように、ラグナにとって空は無能で無様な兄であった。同時に、その無能さ、無様さにかかわらず、ラグナの欲しいものをすべて手に入れている目の上のたんこぶでもあった。


 思い出す。嫡子になったことを母エマに告げた日のことを。


 空が追放された当時、母は病床に伏しており、ラグナがそれを口にしたのは空が島を去って三日後のことである。


 ラグナは母が喜んでくれるものと思っていた。花のように奇麗な笑顔を自分に向けて、よく頑張りましたねと褒めてくれるに違いない、と。


 しかし、ラグナが母の笑顔を見ることはなかった。母はラグナの話を聞くや、血相を変えて立ち上がると、足早に部屋を出て行ってしまったからである。ラグナは呆然とするしかなかった。


 ややあって、ハッと我に返ったラグナは慌てて母の後を追った。そして、父に対して常ならぬ形相で詰め寄る母の姿を目の当たりにする。


 ラグナが知るかぎり、母が父に詰め寄ったことなど過去に一度もなかった。母は父に対して常に従順であり、妻としての貞淑さを失うことはなかった。


 その母が懸命に空の処分の撤回を訴えている。一向にうなずかない父に食い下がり、何度も何度も頭を下げて懇願している。


 もともと、優しいエマは実母を失った空のことを気にかけており、ラグナはそのことを不満に思っていた。血のつながった兄とはいえ、母親が自分以外の子供を気にかけているのだ。面白くないのは当然であろう。


 ラグナにとっては幸いなことに、他ならぬ空がエマの優しさを拒んだことで、エマは空を気にかけることをやめた――少なくともラグナはそう思っていたのだが、どうやら母はあれからもずっと空のことを気にかけていたらしい。


 母の訴えは半刻(一時間)も続いただろうが。式部の意思を覆すことができないと判断したエマは、憔悴しょうすいした面持ちで夫の部屋を辞すと、すぐに自室に戻って筆をとった。実家のパラディース公爵家に手紙を書くためである。


 パラディース公爵家はアドアステラ帝国三名門の一角であり、公爵家の当主はエマの実弟。エマは弟に空の捜索を頼もうと考えたのである。


 それまでエマは弟に私的な頼み事をしたことはなかった。姉とは言え他家に嫁いだ身だ。個人的な理由で公爵家を動かせば、パラディース家と御剣家の間に亀裂が走るかもしれない。そう思い、弟とのやり取りは時候の挨拶程度にとどめていた。


 だが、空を捜し出すためには公爵家の力が必要だとエマは考えた。当主の式部が空の追放をとしている以上、御剣家中の人間が空のために動くことはできない。エマとしても、周囲の人間に処罰覚悟で空を見つけ出してほしいと頼むことはできなかった。


 だから、外の人間である弟に頼むしかなかったのである。


 めずらしい――というより嫁いでから初めて持ち込まれた姉の頼みを、パラディース公は快諾かいだくする。ただちに公爵家の人間を動かして空の行方を捜させたが、時すでに遅く、公爵家の力をもってしても空の行方をつかむことはできなかった。


 万策尽きて、亡きしずやの墓に詫びる母の後ろ姿を、ラグナは黙って見つめることしか出来なかった。


 ――母は自分より空の方が大切なのだ。


 そう思って心をささくれ立たせていたラグナにとって、救いとなったのは新たに許嫁になったアヤカ・アズライトの存在だった。


 アヤカと空の仲の良さを知っていたラグナは、当初、アヤカが自分のことを拒絶するのではないかと案じていた。だが、予想に反してアヤカはあっさりとラグナのことを許嫁として受け入れ、これまでと変わらない態度で接してきた。


 このことにラグナはひそかに安堵する。許嫁から路傍の石を見る目つきで見られてはたまらない。


 ラグナがそう思うのには理由があった。


 ラグナが初めてアヤカと顔を合わせたのは六歳のときなのだが、このとき、人形のように端正な顔立ちをした幼いアヤカを見て一目で心を奪われたラグナに対し、アヤカの方は何の感情も感じさせないえた眼差しでラグナを一瞥いちべつしただけだったのである。


 相手は兄の許嫁とはいえ、初対面で好意をおぼえた女の子にそんな態度をとられて、子供心が傷つかないはずはない。ラグナはしばらくショックを隠せなかった。


 ただ、このアヤカの態度はラグナにかぎった話ではなく、許嫁である空に対してもまったく同じ態度をとっており、その意味でアヤカは兄弟に対して平等だった。


 今にして思えば、アヤカは緊張していたのだろうとラグナは思っている。帝国三名門のひとつであるアズライト家の長女が、帝都を離れてはるばる北の孤島に移住することになったのだ。幼心に不安や不満を抱えていて当然であり、それが周囲への態度としてあらわれていたのだろう。


 実際、その後しばらくしてアヤカは生来の明るさを取り戻し、ラグナに対しても義弟として親しく接してくるようになった。


 ラグナとしては義理の弟という立ち位置はいささかならず不本意だったが、それでも最初の視線を向けられるよりはマシである。そう自分を納得させた。


 それから七年。


 空に代わって嫡子となったラグナは、アヤカ・アズライトの許嫁としての立場を手に入れることができた。アヤカもこれまでと変わらない明るい笑顔を向けてくれた。もとより好意を抱いていた相手。しかも母との間に溝を感じていたラグナが、アヤカに傾倒するようになったのは自然の流れであったろう。


 そして、ラグナがアヤカとの距離を縮めようと思えば思うほど、自分に対するアヤカの態度がこれまでと変わらない――つまり、義理の弟に向けた親しさから変化していないことに気づくのも、また自然の流れであった……

 


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