139話 歓喜
反逆のソウルイーター第7巻 本日発売です。
上記表紙をお見かけの際は手にとっていただけると嬉しいです。
それと感想欄、Twitterなどで予約&購入報告をしてくださった方々、ありがとうございました。
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「若、いかがなさるおつもりですか?」
大広間を出たゼノン・クィントスは、先を歩くラグナに足早に歩み寄ると、声を低めて問いかけた。
ゼノンの後ろではルキウスも案じるようにラグナを見ている。
険しい表情で御剣邸の廊下を歩いていたラグナは、足を止めずに傅役の問いに答えた。
「父上に言上したとおりだ。鬼人に魂を売った愚かな兄を、罪人として首を斬った上で父上の御前に引き据える。それこそが滅鬼封神の掟を掲げる御剣の嫡子としての礼節だ」
予想どおりと言えば予想どおりの返答を得て、ゼノンは一瞬ちらとルキウスと視線を交わし合う。
そして、落ち着いた口調で言った。
「かしこまりました。それでは捕斬の任は我らにお任せを」
「無用。父上に嫡子として不足なき働きをすると申し上げたのだ。奴の相手は俺がする」
「なりませぬぞ、若」
明確に否を突きつけるゼノンの声を聞き、ラグナは初めて足を止めた。
そして、おもむろに後ろを振り返ると、射るような目でゼノンを睨む。
「俺が奴に勝てないと思うのか、ゼノン」
「そうは申しませぬ。ですが、此度の愚行で家中における空殿の評価は地に落ちました。若がおっしゃったとおり、今のあの者は罪人同然。御剣の嫡子たる身が罪人相手に剣を振るって何としましょう。そのような俗事は配下に任せておけばよいのです」
ゼノンがそう言うと、ルキウスも大きくうなずいて賛意を示す。
「俺も親父殿に同意いたします、ラグナ様」
「ならぬ。奴の相手は俺がする。父上もそれを望まれたからこそ、俺に空の出迎えを命じたのだ」
そう言ったラグナは何かを思い出したように、ぎり、と奥歯を噛んだ。
「先の戦いの後、父上はギルモアにこう言ったそうだ。旗士にとって敗北は忌むべきことであるが、恥ではない。旗士にとって恥ずべきは、敗北することではなく敗北を匿すことである、と。ここでお前たちに空の相手をさせるのは、まさしく敗北を匿すことに他ならない」
「ラグナ様は空殿に敗れたわけではありますまい」
「俺が負けた鬼神に、奴は勝った。これが敗北でなくて何だというのだ!」
憤怒を込めてラグナが言い放つ。
猛り立つその感情が向けられる先は、もちろんルキウスではない。ゼノンでもない。おそらくは空でもないだろう。
ラグナが怒っているのは自分自身だ。鬼神相手に不覚をとった自分。御剣空に届かないと、心のどこかで認めてしまっている自分。
そんな自分にラグナは苛立っているのである。たぶん、鬼神に敗北したあの日からずっと。
「ゼノン、ルキウス。御剣の血を引きながら鬼人の走狗となった空は、間違いなく父上に斬られる。今しかないのだ、俺が奴と戦えるのは。ここで奴との戦いを避けるということは、死ぬまで敗北を匿し続けることと同じ。死ぬまで生き恥をさらし続けることと同じなのだ」
それがわかっていたから、ラグナは非礼を承知で父の前に進み出た。嫡子として不足なき振る舞いとは、滅鬼封神の掟を掲げる御剣家の人間として、鬼人に屈した兄を成敗するという意味に他ならない。
そして、父はラグナの請いを容れて空と戦うことを許してくれた。先の敗北の雪辱を果たす最後の機会を与えてくれたのである。そうでなければ、あの父がラグナの横紙破りを認めるはずがない。
それを聞いたクィントス家の父子は難しい顔をした。ラグナの言わんとすることは理解できるが、はいわかりました、とうなずける話ではない。
それにゼノンたちからすると、もし式部がラグナひとりに空の相手をさせるつもりだったのなら、自分たちを大広間に留めたはずだ、という思いがある。
だが、式部はふたりがラグナに同道することを認めた。それはラグナの助勢をさせるために違いないのだ。
ゼノンは思いつめた表情を浮かべるラグナを見ながら考える。
――すでに空殿の評価は地に落ちた。その空殿に敗れれば、若の評価もまた落ちる。ふたり以外の御館様の御子は凡物ぞろいゆえ、空殿に敗れたところで若が嫡子の座を失うことはあるまいが……他ならぬ若ご自身が、己は嫡子にふさわしからぬと考えて覇気を失ってしまうかもしれぬ。
それを考えれば、やはりここでラグナを戦わせることは下策だった。だが、当のラグナが戦いを望んでいる以上、ゼノンとしては如何ともしがたい。まさかルキウスに無理やりラグナを取り押さえさせて、その間にゼノンが空と戦うというわけにもいかないのである。
仕方ない、とゼノンは内心でため息を吐きながら決断する。
ここはラグナの望みどおり、ラグナひとりに空との戦いを任せよう。もしラグナに危険が迫ったら、そのときは自分とルキウスが助太刀に入ればよい。相手は鬼人の走狗であり、多対一で倒したところで文句を言う旗士はいないだろう。
ラグナは助太刀を嫌がるだろうが、ここで空にラグナを殺させるわけにはいかないし、心を折らせるわけにもいかないのだ。
ゼノンは内心でそんなことを考えつつ、ラグナの意に従うことを告げた。
その後、鬼門を通って南天砦におもむいたラグナは、空のみを連れて再び鬼門をくぐり、柊都へと戻った。
この間、ラグナが口にしたのは「貴様ひとりでついてこい」と空に告げた一言だけ。空にいたってはこれにうなずいただけで一言も発していない。鬼人の少年も肩をすくめただけでおとなしく南天砦に留まった。
ラグナは南天砦で仕掛けるものと思っていたゼノンは少しだけ意外に思ったが、御剣邸へと続く長階段の前で足を止めたラグナを見て、その意図を悟る。
ここはかつて御剣ラグナが鬼神相手に不覚をとった場所だった。
因縁の地に立ったラグナは、鋭い眼差しで空を見据えながら言う。
「空、父上は嫡子たるの礼節をもって貴様を連れてこいとお命じになった。滅鬼封神の掟を掲げる御剣の血を引きながら、鬼人の走狗に堕した貴様の罪は計り知れぬ。ゆえに、俺は嫡子たるの礼節をもって貴様を討ち、その首を父上の御前に引き据える。それが貴様という愚か者に対するせめてもの礼儀であり、情けであると知るがいい。心装励起――刈り取れ、ハルパー!」
ラグナが黄金の心装を顕現させる。うねりをあげて渦巻く勁の高まりを目の当たりにした空が、驚いたように目を見開く。
滾々と勁を湧き立たせたラグナが、心装を身体の正面に構えて静かに告げた。
「第十七代剣聖 御剣式部が息ラグナ、参る。さあ、貴様も抜け」
「……」
「抜かぬのならこちらからいくぞ!」
ラグナは吼えるように叫ぶや、飛鳥のように宙を飛んだ。空中歩行を利用した上空からの一撃。
それを見たゼノンは、ラグナが初撃で最大の奥義を放とうとしていることを悟る。相手が様子見をしているうちに一気に片をつけようというのだろう。
別段、卑怯な振る舞いではない。不意打ちをしかけたわけではないのだ。空は抜刀の猶予を与えられた上で心装を抜かなかった。ラグナがその隙を突こうとしたのは至極当然の戦法であった。
「幻想一刀流奥伝 乾の型 天つ劍!」
宙空から放たれた勁技は巨大な光の刃となり、凄まじい勢いで空へと襲いかかる。
震の型である神鳴を雷の刃とするなら、乾の型である天つ劍は光、すなわち太陽の刃である。八卦の中でも最強と称される奥伝勁技。
神速にして灼熱の斬撃は回避も防御も困難だ。油断していた空はひとたまりもあるまい、とゼノンは考えた。ゼノンだけではなく、ルキウスも考えた。
実際、ふたりの予測どおり、ラグナの勁技は的確に空をとらえ、のみならず周囲の地面もまとめて抉りとって爆音を轟かせた。地面が激しく揺れ、多量の土煙が舞い上がる。
ラグナは会心の手応えに獰猛な笑みを閃かせる。確実に相手の身体をとらえたという感触があった。仮に空が生きていたとしても、相当の深手を負わせたはず。
空の心装には復元の能力があると推測されているが、今さらのんきに心装を抜かせはしない。すでに猶予は与えたのだ。二度も猶予を与えてやる義理はなかった。
立ち込める土煙の中に人の姿を認めたラグナは、一瞬の躊躇もなく宙を蹴り、猛禽のごとく地上めがけて躍りかかる。
「恨むなら心装を抜かなかった己の不明を恨め、空! 幻想一刀流奥伝――」
長く己を苛んできた悪夢からようやく解放される。そんな歓喜と共にラグナはハルパーを大きく振りかぶる。
そして――
「震の型 神鳴!!」
力のかぎり振り下ろした。
ラグナは笑う。あるいはこの瞬間こそ、十八年におよぶ人生の中で御剣ラグナが最も喜びを感じたときだったかもしれない。
ラグナは笑う。振り下ろされたハルパーの刃を、御剣空が素手で掴みとるその瞬間まで楽しげに、満足げに。
そして――
「悪いな。震の型はもう知ってる」
土煙の中から、深手どころか傷ひとつ負っていない兄が姿をあらわしたとき、ラグナの笑いは終わりを告げた。