132話 武者震い
「で、これからどうするつもりなんだ?」
クリムト・ベルヒが問いを投げかけてきたのは、カガリの戦車に乗って一路西都へ向かっている最中のことだった。
もう少し正確に言えば、騎獣である麒麟を休ませるために休息をとっていたときである。
考え事をしていた俺は、おうむ返しでクリムトに応じた。
「どうする、と言うと?」
「とぼけるな。これからお前が鬼人に対して、御剣家に対して、どう出るつもりなのかと聞いてるんだ」
苛立たしげに言うクリムトを見て、俺はわずかに目を細める。
別に怒ったわけではない。あのクリムトが俺の考えを聞いてきた、ということが意外だったのである。
人間、どうでもいいと思っている相手の考えを聞いたりしない。従うにせよ、抗うにせよ、己の行動の指針となると判断した人物だからこそ、何を考えているか知りたがるのである。
その意味で、クリムトが俺の考えを気にしているのは良い傾向だった。
なにせ俺は御剣家を追放された人間だ。クリムトが何も考えずに御剣家に従うつもりなら、わざわざ問いをぶつけたりしないだろう。
そんなことを考えながら、俺は周囲を見回す。
カガリは少し離れたところで麒麟に水と飼葉を与えており、近くにいるのは俺とクリムト、クライア、ウルスラの四人のみ。スオミは混乱を収拾するために本殿に残っている。
カガリも含め、同乗者にはすでに教皇とのやりとりの一部始終を伝えてある。クリムトの言葉を聞いたクライアとウルスラも真剣な眼差しで俺を見ていた。ふたりも俺の考えが気になっていたのだろう。
別に隠すことでもないので、俺は三人に自分の考えを説明した。
「結論から言えば、鬼人族に味方して御剣家と交渉するつもりだ」
「交渉、ですか?」
クライアが不思議そうに首をかしげる。
俺はうなずいて言葉を続けた。
「このままだと間違いなく中山は鬼門に攻めかかるし、御剣家は鬼門を守るために徹底抗戦するだろう。そうこうしている間に鬼界が寿命を迎えたら大惨事だからな。そうなる前に手を打つ」
鬼界が遠からず消滅するというのは教皇の推測であり、確たる証拠があるわけではない。
しかし、ただの推測にすぎないとしても、自分たちの暮らしている土地が消滅する可能性を示唆されたら、中山はこれを無視できない。それでなくとも鬼界は生きるには厳しすぎる土地柄であり、鬼界からの解放はすべての鬼人族にとっての悲願。消滅の正否にかかわらず、中山は鬼門へ向かうしかないのである。
この流れを抑え込むことは難しい。いつ大地が消滅するか分からない不安におびえながら、これまでどおり飢餓と貧困にあえぐ生活を送れ、などと言われてうなずく奴はいないからだ。俺が龍を討ったことで瘴気の影響はおさまるはずだが、それとて証拠などない。中山を力で抑えつけたとしても、いずれ暴発するに違いない。
だから、抑えるとしたら中山ではなく御剣家の方だ。
無論こちらも簡単なことではないが、三百年前の真相を知った今、御剣家に与する気にはなれなかった――まあ、三百年前のことがなかったとしても御剣家に味方する気なんてなかったが。
後半部分を省いた上で自分の考えを口にすると、クリムトは露骨に顔をしかめた。クライアは困ったように頬に手をあて、ウルスラは小さくため息を吐いている。
三人とも青林旗士として御剣家に仕えてきた者たちだが、今回の件で主家に対して思うところは多いのだろう。少なくとも、面と向かって俺を非難する者はいなかった。
三人の反応を確認した俺は、思考を先へ進める。
御剣家との交渉の内容は「中山に鬼門をあけわたせ」あるいは「鬼門の通過を容認しろ」というものになるだろう。
言うまでもないが、こんな言い分を御剣家が飲むはずがなく、交渉は間違いなく決裂する。三百年前の真実を明かしたところで無駄だろう。御剣家と鬼人族の対立が人為的に仕組まれたものだったとしても、両者はそれに従って三百年も戦い続けてきたのだ。積み上げられた憎悪と敵意は互いに天に届く。
今になってすべてはソフィア教皇、ひいては龍の仕業だったのです、と訴えたところで信じる者がいるはずはない。特に御剣家にとっては神にも等しい初代剣聖が関わった謀略だ。絶対に認めることはないだろう。
だからこそ、御剣家との交渉は俺がやらねばならないのだ。
勘当されたとはいえ、俺は御剣家の人間だ。祖先の尻ぬぐいは子孫の務め。鬼人族と御剣家の両者がこれ以上血を流すことのないよう尽力するのは当然の責務であろう。
もしも今代の御剣家がその道を阻もうというのなら、これを排除することもまた御剣家に生まれた者の責務だ。決して勘当とか追放とかの私怨を晴らすためではない。
私怨ではないのだから、剣を振るうのは当然最後の手段である。
ただ、前述したとおり御剣家が俺の言葉に素直に耳をかたむけるとは思えない。通りいっぺんの言葉では彼らの蒙を啓くことはできないだろう。ゆえに厳しい言葉を突きつける必要がある。そう、たとえば――
初代剣聖が鬼神を封じて世界を救ったのは嘘っぱちだったんだよ! とか。
お前たちが意気揚々と掲げていた滅鬼封神の掟は、自分たちの悪行を隠すための卑劣な口封じに過ぎなかったんだよ! とか。
鬼人の手柄をかすめとった裏切り者の末裔が護国救世とか臍で茶を沸かすとはこのことだ! とか。
そういった耳に痛い真実を叩きつけてやらねば、御剣家の人々の目を覚まさせることはできないに違いない。俺はそう確信していた。
決して、今回知った真実を盾に、俺を弱者とあざけり、不要と切り捨てた奴らに嫌がらせをしてやろうとか思ってない。ええ、まったく思っていませんとも!
そして、そこまでしても御剣家が態度を変えなかったら、そのときこそ剣を抜くことになるだろう。すべては三百年前の怨讐と決着をつけるため。そこには個人の感情など寸毫も関与していない。きっとエマ様や母さんにはわかってもらえるに違いない。
――それに、気になることもある。
俺はソフィア・アズライトとじかに対峙した経験から、鬼界の消滅に関する推測に嘘はないと思っている。同時に、必ずしもソフィアは事実のすべてを伝えていないとも思っていた。
ソフィアがいつスオミに遺言を残したのかは知らないが、その時点で龍はまだ健在だったはず。となれば、ソフィアの推測に邪まな意図が混ざっている可能性は否定できない。
たとえば、鬼界が消滅するまでの猶予はソフィアの言葉よりもずっと短い、というような。
一年、二年は大丈夫だと言い残しながら、その実、本当の猶予は半年に満たない――そういう可能性も考慮する必要があった。
それに、ソフィアは鬼界が消滅した場合に何が起きるのかを明言しなかった。この点も注意しなければならない。
鬼界内部の鬼人族や光神教徒、魔物たちは鬼界もろとも消滅してしまうのか、それとも鬼門の外に弾き出されて鬼ヶ島にやってくるのか。
生き物だけではない。城や砦といった建造物は。山や川といった自然の地形は。
何よりも――龍穴はどうなるのか。
あの龍穴はかつて鬼ヶ島にあったものだ。それをアトリが龍ごと結界の中に封じた。であれば、結界が失われたとき、龍穴が鬼ヶ島に戻ったとしても何の不思議もない。
そう。鬼界が消滅した瞬間、柊都の真下に龍穴があらわれる、ということも考えられるのである。
本殿で見た龍穴の大きさからして、もしそうなったら柊都全域が吞み込まれる。勁で空中歩行ができる青林旗士はともかく、それ以外の住民は助かりようがない。
柊都にはエマ様がいるし、再戦を約束した小さな剣士もいる。なにより母の墓がある。座視するわけにはいかなかった。
現時点で鬼界の消滅を食い止める術はない。破局を避ける手段は柊都を捨てること以外なかった。
鬼ヶ島で人が暮らせる領域は柊都だけであり、柊都の人々を逃がそうと思えば大陸に送るしかない。大陸側の領主はもとより、人民を大がかりに動かすのだから皇帝の許可だって必要だろう。これを実行に移せるのは御剣家当主だけだった。
おそらく、というか間違いなく父は三百年前のすべてを知っている。クリムトを鬼界に送り込み、クライアを島抜けに追い込んだ一件も、ウルスラの父が殺された一件も、父はかぎりなく真実に近いところにいるはずだ。ぶっちゃけ、すべての黒幕があの人でも驚かない。
俺が交渉役として笹露を佩いてあらわれたとき、父はどういう動きを見せるのか。俺が自らを交渉役に擬したのは、自分の目で父の反応を確かめるためでもあった。
中山が俺の提案に対してどう動くはわからないが、仮に中山が協力を拒んだとしても俺の行動はかわらない。遠からず俺は父と再会することになる。
そのとき、何が起こるのか。
無意識のうちに身体が震えるのを感じた俺は、クライアたちに気づかれないよう、小さく唇の端を吊りあげた。