131話 遺言
「空様!」
「空!」
せっぱ詰まったふたつの声が俺の耳朶を震わせる。
声のした方を見れば、声音から予想していたとおりクライアとウルスラの姿があった。
「遅参つかまつりました、申し訳ございません!」
一息で俺のもとまで駆け寄ったクライアが顔を青くして頭を垂れる。その隣ではウルスラも無念そうな表情を浮かべて「ごめん」と詫びてきた。
すでに教皇の身体は塵と消え、龍の巨躯も龍穴に飲み込まれているが、先刻からの咆哮や地響き、さらにあたり一帯に広がる噴火口のごとき巨大な穴々を見れば、ここで激しい戦闘が繰り広げられていたことは容易に推測できる。
ふたりは戦いに間に合わなかったことを心底悔いている様子だった。
もちろん俺にふたりを責めるつもりはない。というか、ふたりが間に合わなかったことに内心で安堵していた。ふたりの実力を侮るつもりはないが、ふたりを教皇と、引いては龍と戦わせたくはなかったのだ。十中八九、ろくなことにならなかっただろうから。
もちろん、眼前のふたりにそんなことは言えない。青林旗士としては色々あったふたりだが、戦士としての誇りが失われたわけではない。戦えない乙女のごとく俺に扱われたと知ったら、ふたりとも柳眉を逆立てるに違いなかった。
「気にするな。どうせ教皇が何か仕掛けてたんだろう?」
その指摘はあてずっぽうだったが、結論から言えば的中していた。
聞けば、俺と教皇が通った通路の入り口は魔力で閉ざされ、石で出来た壁のようにびくともしなかったのだという。その魔力がつい先ほど消えたので、ようやくふたりはここまで来ることができたらしい。
たぶん、タイミング的に教皇の消滅と共に封印が解けたのだろう。教皇が自分の命と連動させて施した封印だったのであれば、クライアたちが解除に手こずったのもうなずける――俺はそう思ったのだが、クライアたちによれば封印の他にもうひとつ、自分たちの行動を阻んだ要因があったそうだ。
ふたりが言うところの「要因」が姿を見せたのはそれから間もなくのことだった。
俺の視界に映ったのは一組の少年少女である。少年の方は見覚えのある鬼人族――ようするにカガリだった。若干ばつの悪そうな顔をしているのは、今の状況がカガリにとっても予想外だからだろう。
一方、少女の方は落ち着きはらった顔つきをしており、引け目など微塵も感じていないことがうかがえた。
その少女――スオミと名乗った――はくすんだ銀色の髪を頭の後ろでひとつに結わえ、金色に光る瞳をまっすぐ俺に向けていた。着ているのは光神教徒の神官服であり、一本の長刀を両手で捧げ持っている。
無言のままこちらに歩み寄るスオミ。俺が武器を持った相手の接近を黙って見ていたのは、ひとつには向こうが敵対行動に出たとしても対処できる自信があったからである。そしてもうひとつは、スオミが持っている長刀に見覚えがあったからだった。
長刀を凝視する俺を見て、スオミは静かに口をひらく。
「聖下からの言伝です、御剣家の方。お預かりしていた家宝をお返しいたします、とのことです」
そう言って差し出された長刀は、いつか俺がソウルイーターの記憶で垣間見た御剣家の家宝『笹露』であった。
笹露を受け取った後、俺はスオミと少しだけ言葉を交わした。
着ている神官服や聖下という尊称を使ったこと、何より光神教の本拠地にいることからも明らかなように、スオミは光神教徒のひとりだった。それもただの信徒ではなくソフィア・アズライトの側近――もっと言えば次期教皇的な立場だったらしい。ソフィアからは「私に何かあったときはあなたが次の教皇となって皆を導くように」と言われていたそうだ。
「次の教皇と言っても聖下は永遠を生きる御方。本来なら私の出番など来るはずはなかったのですが……」
そう言った瞬間、それまで能面のように表情を動かさなかった少女が、一瞬だけ内心の怨悪をのぞかせた。スオミにしてみれば俺は敬愛する教皇を死に追いやった張本人。おまけに光神教の崇拝の対象であった龍まで退けたとあっては、恨み骨髄に徹していてもおかしくない。
それでもスオミが俺に敵意を向けないのは、勝ち目がないことを理解しているからか、あるいはソフィアの遺言を守るためか。
いずれにせよ、向こうから攻撃を仕掛けてこないかぎり、こちらから敵対するつもりはない。
そんなことを考えながら、俺はカガリを見た。
「で、今の流れからすると、王弟殿は光神教にくみしてクライアたちを足止めしたようだが、どういうつもりだ?」
カガリたちにしてもクライアたちにしても、戦闘の痕跡は見て取れないので実際に剣を交えたわけではないのだろう。
だが、カガリがスオミと共にクライアたちの邪魔をしたのはたしかなようだ。それは申し訳なさそうなカガリの表情からも察せられる。
説明を求めるように中山の王弟をじーっと見つめると、ややあってカガリは根負けしたように両手をあげた。
「あーっと……悪い! 実はスオミはソザイ爺の孫なんだ。中山を裏切った光神教に助力する気は欠片もないんだが、さすがにスオミが傷つくのを黙って見てるわけにはいかなかった」
「ソザイ殿の? なるほど、そういうことか」
俺はちらとクライアたちを見てうなずいた。
ソザイは中山王国の典医であり、大興山ではクリムトを助けてくれた。クライアから見れば弟の命の恩人だ。ウルスラも空装を行使した影響で倒れた際、ずいぶん世話になっている。
あの老人の孫とあってはふたりともスオミに手は出しづらいだろう。見たところ、スオミ本人は武装しておらず、その意味でもやりづらかったと思われる。
そして、それは俺にとっても同じことだった。
ソザイ老人には色々と世話になったし、スオミ本人は上役の命令に従っただけとも言える。ソフィアと龍を撃退した今、光神教が俺の脅威となることはないだろうし、今カガリを敵にまわしてまで斬らなければならない相手ではない。
それに、ここでカガリを敵にまわせば、自動的に中山も敵にまわる。光神教に謀られたという点では俺も中山も同じ立場に立っており、黙っていれば味方にできそうな勢力をあえて敵にまわすのは愚かというものだった。
――今後、御剣家と敵対するときのためにも、な。
俺はそう考えて「スオミを斬る」という選択肢を現時点では捨てた。むろん、今後スオミが教皇の仇討ちをしかけてくるようなら、そのときは容赦なく斬り伏せる所存である。
そんな俺の内心を読み取ったわけではあるまいが、ここでスオミが口をひらいた。
「誤解を避けるために申し上げておきます。カガリ兄さまのおっしゃるとおり、私はソザイお爺さまの孫にあたりますが、同時に蔚塁お爺さまの孫にもあたります。聖下のことは今も深くお慕いしておりますが、蔚塁お爺さまたちを粛清したことは許せるものではありません。そのことはご承知おきください」
それを聞いた俺は内心でおおいに驚いた。見ればウルスラもわずかに表情を変えている。
蔚塁――大興山で戦った練達の剣士であり、ウルスラにとっては父親の仇にあたる相手。大興山での失態を咎められて教皇に粛清され、塩漬けの首になって西都に送られてきたのだが、この少女はあの蔚塁の孫だったのか。
ソザイの孫にして蔚塁の孫、そして光神教の次期教皇。
教皇を討った俺に恨みはあるが、祖父を粛清した教皇も許せない。だから仇討ちをする気はない、と言いたいのだろう。
そう伝えることで俺を油断させようとしている可能性もあるが、そこを疑ったら排除という選択肢を切り捨てた意味がない。俺はそう考えてスオミにうなずいてみせる。
金眼の少女はそんな俺を見て、無表情のまま一礼した。
その後、俺たちは龍の咆哮によって混乱する街並みを尻目に、さっさと本殿を後にした。
端的に言って逃げ出したわけだが、ただ混乱に背を向けて逃げたわけではない。きちんと理由があってのことだった。
――まあ、そもそも俺たちは光神教や本殿に対していかなる義務も責任も負っておらず、今回の一件に関していえば「謝罪を理由に呼び出された挙句だまし討ちにされた」わけで、俺たちが本殿の混乱に背を向けたところで誰に文句を言われる筋合いもない。
ただ、それはそれとして、俺たちには西都へ急がなければならない理由があった。
スオミを通じて教皇から渡されたのは笹露だけではない。もう一つ、教皇は鬼界に関する重大な情報を残していた。
俺が龍を滅ぼしたことで、鬼界における龍の影響は激減した。龍を源とした瘴気の発生はおさえられ、間違いなく鬼界はこれまでより過ごしやすくなるだろう。今は瘴気に侵されている土地も、いずれは作物を生み出す耕地となるはずだ。
それだけ見れば、鬼人族や光神教徒にとってめでたしめでたしなのだが、問題となるのは鬼界そのものの寿命である。
鬼界とはアトリによってつくられた空間結界である。その目的は龍を封じ込めること。
そして今、俺が龍を滅ぼしたことで、龍を封じるための結界から龍が失われた。役割を失った結界がどうなるのかと考えたとき、結界が消失する可能性は否定できない。
アトリの結界はアトリが鬼神の力を借りて成し遂げた奇跡の産物。前例というものはなく、ゆえに必ず消失するとは断言できないが、それでなくとも三百年のときを経てアトリの結界は弱まっていた。
仮に龍の消滅が結界に影響を及ぼさなかったとしても、遠からず鬼界は消え去るだろう。もちろん、今日明日に消えるわけではない。一年後、二年後も問題ないだろう。だが十年後、二十年後、鬼界が残っているとは考えない方がいい。
――それがソフィア・アズライトが残したもうひとつの遺言だった。




